桃と鬼 | ナノ
 08:百里を往く者は九十里を半ばとす

「禰豆子…禰豆子………!!」


妹の元へ辿り着くや否や、炭治郎は百瀬から離れ、今にも泣きそうな顔で禰豆子を抱き締める。

あの時から変わらず、妹を大切に思っているのだな…なぞと思ったその時。


冨岡と鬼の居る方から、ざ、ざ…と足音が聞こえたので、彼女は弾かれたように後ろを振り向いた。

その足音の主は、勿論冨岡ではなく。
彼に首を落とされ、体だけにながらも…右へ左へと揺れ、何かを求めるように手を伸ばしながらこちらへ来ようとしている鬼であった。


「(………もう勝負はついているのに、)」


この期に及んで、何を求めようというのか。

その執念深さを若干恐ろしく思いながらも、彼女は鞘に収めていた刀をそろりと抜き、小さく生っ白い鬼の体へと向ける。


…もう少し歩けば、確実にこちらへ辿り着く。

彼女の剣の間合いへ入っても尚、ふらふらとこちらへ歩き続ける様を目にし、溜息が出る。


こちらへ危害を加えるつもりなら、斬り捨てる事も辞さないが…。

日輪刀を構え直し、一歩踏み出そうとした彼女の足を、炭治郎が急に掴んだので。


「…………。」


無言のままそちらを見下ろすと、炭治郎は真っ直ぐにこちらを見て、絞り出すような声で懇願する。


「もう大丈夫…大丈夫ですから、どうか刀を納めて下さい。」


何が大丈夫だというのか。

いまいちよくは分からなかったが、どの道、刀で斬りつけなくとも朽ちる定めにある相手だ。


彼の言葉に頷き、刀を納めた時。

鬼は、彼女の足下へ、糸が切れたようにばたりと倒れ伏し───完全に動きを止めた瞬間から、体がぼろぼろと崩れ始める。


「……………。」


悲痛な面持ちでそれを眺める炭治郎につられ、百瀬もその鬼の骸の前へしゃがみ、手を合わせようとした途端。


「………何をしている。」


冷え冷えとした響きを伴った冨岡の声がして、彼女は顔を上げた。


「人を喰った鬼に情けをかけるな。子どもの姿をしていても関係ない…こいつらは、何十年何百年と生きている醜い化け物だ。」


言うが早いか、彼は鬼の骸の上に歩みを進めた。

それを見て、抗議するかのように炭治郎が口を開くのと同時に、百瀬は彼の口を咄嗟に塞ぎ、二人の間に割り込む。


「冨岡殿、お止め下さい…お言葉ですが、どんな生き物であろうとも、死に際くらいは安らかでありたいものです。鬼といえども、元は人…私達と同じ『人』だった者。人を喰った所業は許される事ではありませんが、骨も残らず消えるその骸を踏み付けにするのは、あまりに惨すぎます。」


そう言えば、冨岡は彼女の方を射貫くように見下ろし。

次に、物は言わずとも、こちらへ抗議するかのような視線を送る炭治郎の顔をまじまじと眺め。


「お前は………。」


そう独りごちて、彼が目を見開いたその時…不意に嫌な予感がして、百瀬は後ろを振り向き。

夜闇の中、こちらへ迫り来る物の正体を認めた瞬間、彼女は炭治郎と禰豆子を庇うように前に出て、刀を抜き、低い位置で構える。


「冨岡殿…伏せて!!」


それに被せるように、ガキン…という刀と刀がぶつかるような音が響き渡り、火花が散る。

凄い勢いでぶつかってきたそれをどうにか後ろへ弾き、刀を構えたままそちらを睨むと。


蝶の羽のように艶やかな色の羽織を着た女性隊士が、軽々と宙返りをして飛び退り、驚いたようにこちらを見ているのと目が合う。

それは紛う事なき、蟲柱の胡蝶しのぶであった。


「あら………冨岡さんだけかと思ったのに、どうして百瀬さんまでこちらへ?」


「今回の討伐に同行させるため、俺が呼んだ。」


冨岡が淡々と答えるも、胡蝶はそれを笑顔で一瞥し。


「私は、冨岡さんじゃなくて、百瀬さんに聞いているんです……それにしても、妙ですね。百瀬さんは、今日は四里も先の町で任務をしていたはず…もしかして、彼女の任務終わりを見計らって、わざわざ自分の任務に同行させるために、四里の道を走ってこさせた…なんて事ではありませんよね?」


空気が凍り付き、冨岡は黙ったまま、渋い顔で胡蝶の方を眺めている。


「あの、蟲柱殿………これには少し、事情がございまして。」


たまらず百瀬が口を開くと、彼女は笑顔のまま。
しかし、しっかりと冨岡の方を向き、こう言い放つ。


「全く…妹弟子を自分の都合で四里も先から呼びつけたり『鬼とは仲良く出来ない、』なんて言っていたくせに、鬼と一緒に居たり……何なんでしょうか。そんなだから皆に嫌われるんですよ?」


『同門の兄弟子と妹弟子、というだけの関係なのに。事ある毎に呼び出されて、冨岡さんから良いように使われるなんて…百瀬さんも苦労しますね。』

そう言われ、百瀬はこっそりと冨岡の方を見てみる。

対して、冨岡もこちらを見ていたので、互いに互いの顔を見合わせるような格好になり、また何とも言えない雰囲気が漂い始めた。


「…さあ、無駄話はこの辺りにして。冨岡さんも百瀬さんも、そこをどいて下さいね。」


しかし、そんな中。
何を思ったものか、冨岡は目線を胡蝶の方に向け、至極真面目な表情で、静かに言う。


「俺は嫌われてない。」


………再び空気が凍り付いたのは言うまでもない。

胡蝶のみならず、炭治郎までもが微妙な表情で固まる中、どうしたらよいか分からず焦っていると、胡蝶はまた話を始める。


「あぁそれ…すみません。嫌われている自覚が無かったんですね?余計な事を言ってしまって、申し訳ないです…。」


「(蟲柱殿………!)」


お願いですから、これ以上毒を吐かないで下さい…!

そんな心配を余所に、彼女は炭治郎の方へ向き直り、ひそひそと小声で話しかける。


「坊や、」


「はいっ!?」


「坊やが庇っているのは鬼ですよ?危ないですから、離れて下さい。」


彼等の事情を知らない人間として、彼女は真っ当な事を言う。

しかし、炭治郎は庇うように禰豆子を抱き寄せ、必死に事情を説明しようと試みる。


「ちっ…違います、いや違わないけど…あの、俺の妹なんです!!それで、」


彼の一言を聞き、胡蝶は目を見開き、眉根を下げてて。


「まあ、そうなのですか。可哀想に…では───苦しまないよう、優しい毒で殺してあげましょうね。」


「…………!?」


胡蝶の言葉を聞いた彼は、さあ…と顔を青くした。

そんな中、冨岡は彼に向かって声をかける。


「動けるか?」


その一言に弾かれたように顔を上げ、びっくりしたような顔を向ける炭治郎に対して、冨岡はさらに言葉を重ねる。


「動けなくても根性で動け、妹を連れて逃げろ…それから、百瀬。」


「何でしょう?」


「お前も一緒に行ってやれ。」


しばらく沈黙し『自分が居なくなった後、彼はどうするのだろう…。』なぞと考えてみたが、ここまで来て断るという選択肢は無い。


「分かりました。冨岡殿も、どうかお気をつけて…。」


そう答えて頭を下げると、彼は静かに刀を抜き、胡蝶と向き合う。


「………これ、隊律違反では?」


笑顔でそう言う彼女に背を向け、百瀬は早速炭治郎を立たせる。

そうして、その場を去り行く間際。


「冨岡さん…すみません、ありがとうございます!それから、百瀬さん、よろしくお願いします!」


炭治郎は大きな声でそう言い、禰豆子をしっかりと抱えて、百瀬と共に山を下りだした。


***


「竃門殿…随分お辛そうに見えますが、大丈夫ですか?」


『きついなら、あなたも抱えていきますが…。』

彼女の少し後ろを走る炭治郎にそう声をかけるも、彼は頑なに首を振る。


「俺は、大丈夫です…!禰豆子を背負って貰っているのに、俺もなんて。」


そんな事、絶対に頼めません…!

声だけは威勢よく。
しかし、その足取りは覚束ない。


「(ここまで付き合いをしているのだから、別に今更遠慮する必要も無いのに…。)」


そうは思っても、炭治郎は自身が鬼殺の仕事を始めて以来、百瀬がずっとその活躍を見守っていた事も。

この前の合同任務で、彼女が『東』と苗字だけをあたかも自身の名前であるかのように名乗り、共に鬼の討伐に携わった事も知らないのだから───恐らく、彼の百瀬に対する認識は『二年前に自分の家の片付けをしてくれた隊士』で留まっているのだろう。


それを少しだけ寂しく思いながらも、彼女は禰豆子の入った箱を背負い直し。

先に立って木々を避け、その合間を縫うようにして走りながら、麓への道を急ぐ。

その最中。


「………百瀬さん、あの。こんな時に、こんな事を聞いてしまって申し訳ないんですが…。」


懸命に足を動かし、息せきを切りながら、彼は後ろから言葉を放る。


「鬼を連れている隊士は、認められない…だから、ここで逃げ切ったとしても。俺は鬼殺隊を抜ける事になるんでしょうか…?」


「…………。」


はっとして振り返ると、年相応の顔をして。
今にも泣きそうな顔でそう言う少年の姿があり、切なくなる。


「………そんなに心配をしなくても大丈夫ですよ。人間万事塞翁が馬、と言いますでしょう?きっと、なるようなります。」


彼を元気づけようとそう言えば、炭治郎は『そうですよね…ありがとうございます。』と言って、ぎこちなくはあるが、笑ってみせた。

その時。
頭上から微かに音がした気がして。

百瀬は立ち止まり、勢いを殺しきれずにこちらへ突進するような形になった炭治郎を受け止め、木の上を睨む。


「百瀬さ…、」

「静かに。」


彼の言葉を遮り、息を詰めてしばし。

百瀬の背後と、禰豆子の箱を狙って木の上から飛び降りてきた鬼殺の隊士の姿を見つけるや否や。

彼女は、その隊士が近くに迫ってきた所で足を掴み、何の躊躇も無く地面に引きずり降ろす。


「あっ…!」


そう来るとは思っていなかったのだろう。
慌てて体勢を立て直そうとするも、もう遅い。

百瀬は禰豆子の箱を炭治郎に預けるが早いか、そのまま隊士の体の動きを封じ込めるように上からのし掛かり、鞘ごと抜いた脇差しを相手の喉笛へ押し当てながら顔を覗き見て。


「…………。」


無言で面の下の顔を引き攣らせた。


「(この女の子は、蟲柱殿の継子の………。)」


胡蝶…ではなく、栗花落カナヲ殿。

一切手を緩めぬままそう認識したはいいものの、さてどうしたら良いか…。


困りに困った挙げ句、彼女は面をそっと浮かせ、あらん限り声をひそめて話しかける。


「カナヲ殿…私です、百瀬です。」


「……!!」


「今は色々事情がありまして…申し訳ないんですが、これからカナヲ殿を縛って地面に転がったままにします。」


「あ、あの…、」


「御免、」


何か言いたげな彼女をあっという間に縄で縛り上げ、予告通り地面にそのまま転がすと、百瀬は再び炭治郎を連れて山を下る。

伝令が回っていたのか、行く手を阻もうとしてくる隊士や隠を次々と退け。


…そうして『もう少しで麓、』という所で、相当疲れていたであろう炭治郎が、走りながら眠り始めるという芸当を披露し始め。

止むなく、担いでいくかと思った時。


胸元へ白い毛の混じった彼女付の鎹鴉が飛んできて『伝令、伝令…!』とけたたましく鳴く。


「炭治郎・禰豆子両名ヲ拘束、本部へ連レ帰ルベシ。」


「!?」


「繰リ返ス…!炭治郎・禰豆子両名ヲ拘束、本部へ連レ帰ルベシ。コレハ命令デアル…!」


「(ここまで、か…。)」


逃げ切れる…と思ったが、そうは問屋が卸さない。
彼女は小さく溜息をつき、その場へ座り込む。

しばらくすると、山の外から新しく隠がやって来たので、百瀬は炭治郎と禰豆子を引き渡し。
冨岡が下山してくるのを待って、共に本部へと向かった。



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