桃と鬼 | ナノ
 07:つうと言えばかあ

炭治郎との共同任務を終えて、早一月。

彼を庇って出来た胸の傷は、三日と経たずに綺麗に癒え、彼女はまた元のように鬼を狩り続ける生活を送っていた。


今日も今日とて、鬼狩りの最中であるのだが。

百瀬は今、那谷蜘蛛山の中腹付近の茂みの中で息を整えながら身を潜め。
『かならず付けてくるように。』と指定のあった厄除の面越しに目をこらし、冨岡が来るのを待っていた。


冨岡より『お館様から、那谷蜘蛛山に潜む鬼の討伐を任された。討伐は今夜の夜更けに行われるため、同行を頼む。』という文を貰ったのが、つい先程───つまり、彼女が別件の任務を遠方の町で片付けて終わり、さて一息つこうか、とした時だった。

その時は、呑気に水を飲みながら『はて、なたぐもやま…那谷蜘蛛山なんて、どこにあるんだろうか?』なんて考えながら、手紙の後ろに簡易的に描かれた地図を見ていたのだが。


手紙を運んできた鎹鴉から急かされ、そんなに遠いのかと問えば『那谷蜘蛛山ハ、ココカラ四里先ナノダゾ…!』と教えられたものだから、慌てて。

それも、なり振り構わず、文字通り全速力でここまで走ってきたわけだ。


───しかし。


「(来ない、)」


そう。
那谷蜘蛛山と反対方向にある任務地から彼女を呼びつけた張本人である冨岡が、待てども待てども姿を現さないのだ。

最初の方は、自分が指定された合流地点を間違えたのではないかと、浅葱色の羽織の袖口へしまった手紙を何度もひっくり返して眺めてみたが、文字が勝手に変わる訳もなし。


合流地点はここで合っているし、月はもう頭の真上の方まで昇り始めている。

今回の討伐は、冨岡の他に『蟲柱の胡蝶しのぶと、多数の隠が来る。』と、手紙に明記されていたので、それなりに規模の大きいものであるのは分かったが。

暗い山道には、鬼殺隊士の物と思しき亡骸が多数あり…討伐自体は近くに居た一般隊士を動員し、割と早くから行われていた事が分かった。


冨岡の指示に従い、東側から山を登り、ここまで来たのだが…東でこの有様なのだから、西も西で酷い事になっているに違いない。

森の香りの中、微かに漂う血の匂いに顔を顰め…彼女は、自分が辿ってきた道の方へ手を合わせる。

そうして、どうにか気を紛らわせるために、再び考え事を始める。


状況をぱっと見た感じと、寄越された情報を総合してみても、特別人手が足りないわけでもなさそうであるし、鬼の数が多すぎるわけでもない。

それなら、何故自分はわざわざ招集されたのだろうか?

…最大の疑問点はそこである。


まあ、冨岡の事なので、何となく声をかけてみた、なぞという可能性は低いだろう。

この場合…もしかしなくとも、他の隊士には頼めない何かを彼女にさせようとして呼びつけた、という所か。

竃門兄妹の一件で『無茶はこれきりにして下さいね、』と頼んだにも関わらず、それ以降はこうして度々呼びつけられ、無茶な事をさせられる頻度が上がったかなと感じるのは、恐らく気のせいではない。


それ自体は別に構わないし、直接文句を言ったりはしないのだが。

『私は何だか、都合良く使われすぎてしまっているんじゃなかろうか?』と危機感を覚えるのくらいは許して欲しいところだ。


そうして。
こんな事を考えている時に限って、冨岡はすぐに姿を現すのだ。

案の定、聞こえてきた足音に立ち上がり、隊服についた木の葉や泥を払って待っていると、暗がりの中からがさがさと音がして。

つけていた厄除の面越しに彼の姿を認めた途端、彼女はそちらへ軽く会釈をした。

暗く凪いだ瞳がこちらに向けられたのを見計らい『お久し振りですね、冨岡殿。』と挨拶をすると、彼は軽く頷いてみせ。
そうして、すっと彼女の隣に並び立ち、口を開く。


「…この討伐についての詳しい説明は、歩きながらする。急ぎ山頂に向かうので、ここから同伴を頼む。」


「───承知しました、今回もよろしくお願いしますね。」


百瀬の言葉をちゃんと聞いてくれたのか否か。

定かではないが、いつの間にやら彼女の物よりずっと大きくなった背中が、こちらが必ずついて行く事を知っているかのように足早に遠ざかっていくのを見て、百瀬は小さく笑みを零す。

月が雲に隠され、一気に暗くなった森の中。
彼の姿を見失わないよう。しかし、適度に距離を取りながら、彼女はその後ろを追いかけ始めた。


***


「この山に、下弦の鬼が……!?」


道中、冨岡から今回の討伐内容について説明を受けている際、突如降って沸いたかのように現れた話に、思わず顔を顰める。


「(まさか、こんな近くに潜んでいたなんて…。)」


周囲には、幾つもの村や町がある。
数字持ちの鬼は、今までの討伐経験上、人里から離れた場所へ潜み、見つからないよう息を潜めているものとばかり思っていたが…やはり例外というものは存在するらしい。

そんな事を思いながら歩いていると、彼はまた話を始める。


「先程、件の下弦の鬼の配下と思しき鬼を斬ったが…今回お前に同伴を頼んだのは、もしもの場合を想定しての事だ。」


「……………その『もしも』というのは。」


「無論、俺と胡蝶がやられた時の事を考えて、という事だが。」


「───ご冗談を、」


冨岡殿も、蟲柱殿も…私よりか余程お強いでしょうに。

至極真面目に事実を述べれば、彼は顔を顰め、こちらを見下ろしてくる。


「お前はそう言うが…計算上では、俺や胡蝶より、お前の方が鬼の討伐数は多いだろう。」


「…否定はしませんが。私の方がお二人よりも早く入隊していますし、何より私は『何も考えずに鬼を狩り続けているだけ』なのです。ただ鬼を狩るだけなら、誰にでも出来ます。」


「………お前、隊士になって以来、柱になるのに必要な討伐数の三倍以上は鬼の首を刎ねているだろう。その内、二度は下弦の鬼を討伐しているというのに、何故『丙』から階級が上がらない?」


冨岡はこちらを見据え、淡々と問うてくる。

確かに、彼が訝しむのも分かる。
鬼の討伐数が一定数に達するか、数字持ちの鬼の討伐をやり遂げたか…そのどちらかを達成できれば、誰でも柱になる事は出来る。


…なのに百瀬はどれだけ鬼を狩っても、何年経っても、柱になる事はない。

彼はそれが何故なのか知りたいのだろう。
けれど、何をどう言っても冨岡が納得しないのは分かり切っているので、彼女は面の下で脱力したような笑みを浮かべて、こう言う。


「それは───私の使っている刀が黒い刀だからでしょう。」


「…何故、今それを引き合いに出す。」


「『黒い刀の剣士は出世できない、』と昔から言うではありませんか。だから私も出世できないのだと。」


飄々とそう言えば、彼は渋い顔をする。


「それは単なる噂だ…大体、お前が主で使っているその日輪刀は元々他人の物なのだから、お前の刀とは言えない。そもそも、お前に合わせて打った日輪刀は、お前が持てば濃紺になるだろう。」


今日はやけに食い下がるな、なんて思いながらも、彼女はやっぱり少し笑いながら。


「濃紺は黒の一歩手前の色ですから…もしかすると、濃紺の刀の剣士も出世できないのではありませんか?」


「…………………………。」


臆せずそう言えば、彼は『もういい、』と言わんばかりに、渋い顔のまま黙ってしまう。

少々ふざけすぎたかな、と思いはしたが、その話について終わるのなら何だって良かった。


そのまま冨岡の隣に並び、二人で静かに山頂への道を急ぐ。

そうして、無言で歩みを進めていくうち、足の先から額の辺りに至るまで。
自身の肌が、ぶわ、と粟立つような感覚に苛まれ、彼女は急に足を止めた。


「────どうした、」


半歩先を行っていた冨岡が立ち止まり、怪訝そうな顔でこちらを見て。

しかし、百瀬はそれに答える事も無く。
彼の隣をすり抜けるが早いか、着ていた浅葱色の羽織を翻し、一人山道を全力で走り出した。


「…百瀬!!」


先走るな!!戻れ!!

こちらを引き止めようとする冨岡の叫び声を随分遠くに感じながら、彼女は木々の隙間をすり抜け、一目散に走り出す。


「(こっちに、居る……!!)」


そう。
確実に『ここに居る』と強く主張しているような鬼の気配を感じ、右へ、左へ。

端からすれば、ただ滅茶苦茶に山の中を走っているように見えるだろうが『こっちだ、』という確信に従い、彼女は更に深い森の中へ踏み入っていく。


邪魔な枝草をひたすらに掻き分け────僅かに出来た隙間から、ぽっかりと妙に開けた場所が見えたので。

百瀬は一旦手を止め、息を殺し、そこを覗き込む。

果たして。
彼女はその僅かな隙間から、討伐目標らしき鬼の姿を見つける事が出来た。


暗い中でも目立つ、幼子の姿をした白い鬼。
その近くには、鬼と戦っていたらしい鬼殺の隊士が、全身に怪我を負い、地面に倒れ伏していた。

対して、鬼はその隊士に落とされたと思しき自身の頭部を拾い上げ。
鮮血の滴るそこへ、細かく位置を調節しつつ、頭部を元のように据え直している所であった。


───その鬼の、紅い瞳。
明らかに人外の生物と成り下がった証である瞳には、確かに、下伍。
即ち『下弦ノ伍』の鬼であるという証が刻まれているのが見え、百瀬は、身に付けていた厄除の面越しに目を細める。

普通の鬼であるならば、首を落とせば大抵絶命するが。
下弦や上弦…といった数字持ちの鬼であるならば、その生命力やしぶとさは、並の鬼を大きく上回る。


数字持ちの鬼自体、他の鬼の中から選ばれた精鋭なのだから、多少なりと頑丈で、力があるのは然るべきなのかもしれないが。

その実『体をずたずたにされても簡単には死ねない、』という事の方が、逆に惨いのではないか。


そんな事を考えているうち、どうにか収まりの良い所を見つけたのか、鬼は頭からそっと手を離し。

明らかに怒っているような顔を見せたかと思えば口を忙しなく動かして、未だ地面に倒れ伏している鬼殺の隊士に向かって何事か話しているのが見えた。


突如漏れ出した殺気に、見た目だけでなく言動も相応に幼い鬼であるのか…と察し百瀬も臨戦態勢に移る。

徐々に近付いてきた冨岡の気配を背中で感じ取り、息を詰めて腰の刀に手をかけ。

件の鬼が、自らの手から出した蜘蛛糸をあやとりのように指に絡ませ、隊士に向かって鬼血術を放とうとした瞬間を見計らい、生い茂った草の間から弾みをつけて飛び出した。


隊士の体の上を軽く飛び越す動きの最中、その周囲を囲むように生じた蜘蛛糸を全て切り捨てて。

それから、唖然とした表情をこちらに向ける小さな鬼と一息に距離を詰めた。


その華奢な肩へ、刃を食い込ませるかのように押し当て。

所々引っかかりのある独特な手応えを感じながら、臍があると思しき辺りまで一定の力をかけて刀を滑らせ、薄く切れた肉から刃先を抜いてやると、患部からはたちまち血が零れ出る。


「…………っ!?」


百瀬からの突然の一撃に怯んだのか、鬼は斬られた箇所を庇うように手で押さえ、後ろに飛び退って、どうにか体勢を整えようとしているようだった。

…これで、冨岡が出て来るまでの時間稼ぎになるだろうか。


刀についた血を払い、鞘に納めながら、ぼんやりと思う。


「あ、あなたは………!」


何の前触れもなく背後から聞こえた弱々しい声。
どこか聞き覚えのあるそれに答えるべく振り返ると、雲に隠れた月がようやっと顔を出して、俄に周囲が明るくなる。


「………!?」


月明かりに照らされて見えたのは───酷い怪我を負いながら、虚ろにこちらを眺め上げる竃門炭治郎の姿だった。


「(そんな、)」


『階級の低い炭治郎が、何故こんな所に。』

『以前折った肋と脚は、もう元通りにくっついたのだろうか…?』


思う所は色々あれど、彼女は炭治郎の前にしゃがみ、慌てて傷の視診を始める。
しかしながら、彼はどこか脱力した笑みを浮かべ、こちらへ話しかけてきた。


「そのお面に、浅葱色の羽織…あなたは…二年前の雪の日、俺達に親切にしてくれたあの人ですよね……?」


『俺です、竃門炭治郎です。』

その言葉に頷きながら、彼女は懐から竹筒を取り出す。


「ずっと…ちゃんとお礼が言いたかったんです、その節は、本当にお世話に………。」


それを遮り、彼女は竹筒を炭治郎の口元へ近づけて、初めて自分から彼へ話しかける。


「───お礼は、後で聞かせて頂きます。少し水を飲みましょう…気分が落ち着きますよ、」


『後は私達が引き受けますので、ご安心を。』

百瀬がそう言い終わった頃、近くの茂みから冨岡が音もなく姿を現し、ゆっくりとした足取りでこちらへ近付いてくる。


「大事はないか、」


炭治郎と百瀬の近くで足を止め、どちらに聞くでもなく問うてきたので、彼女はこくりと頷く。

その意思表示を確かに受け取り、冨岡は彼女達を背に庇うように鬼と対峙した。


「…お前は、そいつを連れて下がっていろ。」


言うだけ言って、彼は抜刀し、早々に片を付けにかかる。

対して、彼女は冨岡の言葉に従い、炭治郎に肩を貸して立たせ、戦線を離脱するために移動しようとするも、炭治郎は突然口をきく。


「あの、すみません…あっちに、俺の妹が居るんです。出来れば、そっちへ連れて行って貰えませんか?」


お願いします。

そう言われて、断る理由もない。
彼女は頷き、彼と共に禰豆子の元へ足を進めた。


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