桃と鬼 | ナノ
 06:勝って兜の緒を締めよ

『こちらから、今まで嗅いだ事のない独特な血の匂いがする。』

『そこまで強い匂いではないので、もしかしたら、屋敷の中で生き延びている人間が見つかるかも知れない。』


…そう言う炭治郎に先導され、暗い廊下を三人で連れ立って歩く事しばし。

とある襖の目の前で、彼が急に立ち止まったのに反応し、こちらもつられて立ち止まると。


炭治郎はこちらを振り返り、唇に人指し指を当てて、静かにするよう、無言で指示をしてくる。

勿論、従わぬ理由はないので、てる子と共に頷けば、彼は再度襖へ向き直り、利き手は刀にかけたまま───音が出るほど、勢い良く障子を開け放つ。


一瞬にして丸見えになった室内の最奥の間。

そこには、柿色の着物を着た短髪の少年が、何やら見覚えのある鼓を構えて座っており。

───こちらの姿を認めるが早いか、酷く焦燥した表情のまま、鼓を叩こうと手を振りかぶったその時。


「清兄ちゃん…!!!」


少年が鼓を叩くよりも早く、てる子が少年の物と思しき名前を叫び、百瀬の背後から飛び出した。

その声と姿を見て。
少年は、すんでの所で手を止めた。


「兄ちゃん、兄ちゃん………!」


「てる子………。」


幼い彼等は、互いに泣きながらも、もう離すまいとするかのようにしっかりと抱き合い、再会を喜びあっている。

…どうやら、この少年がてる子達の兄らしかった。


ひとまず、命があって良かった、と安堵し。

彼女は、炭治郎と共に、そっと兄妹の元へ近付いていく。


「────あなた達は?」


てる子の兄…清から、すかさず寄越された問いかけを拾い、百瀬はそちらへ軽く頭を下げ。
炭治郎が代わりに言葉を発する。


「俺は、竃門炭治郎…こっちは東さん。俺達は、悪い鬼を退治しに来たんだ。」


簡単な説明と、名乗りもそこそこに。

『独りでよく頑張ったな、』と清を労い、彼の怪我の手当を始めた炭治郎にそちらを任せ、彼女は少年の横に転がった鼓を手に取り、観察を始める。

───どこか既視感があるな、と思ったのは、気のせいでは無かった。


「(…これは、)」


これは、間違いなく。
先程遭遇した鬼の体から生えていた鼓と、同じ鼓だろう。

…この鼓を叩いてみれば確実に何かが起きるのは分かるが、それをやってみようとは思わない。


恐らく、血鬼術で生み出された物であろうこの鼓が、鬼の体から離れた後も消えずに残っていたおかげで。
この少年は、鬼の蔓延るこの屋敷内でもどうにか逃げおおせる事が出来たのであろう。

そうしているうち、手当を終えた炭治郎が、こうなった経緯を少年に聞き始めたので、鼓は持ったまま、そちらの話に耳を傾けると。


清少年は、夜道で鼓の鬼に攫われ、屋敷に連れ込まれて早々に食い殺されそうになったそうなのだが。

この屋敷に住まっている他の鬼達と、鼓の鬼とが『誰が清少年を食らうか、』で仲違いをし。
その拍子に、件の鬼の体から落ちた鼓を決死の覚悟で拾い上げ、叩いたところ、部屋が変わってどうにか助かった───という事らしい。


それを聞いて、先程、鬼が鼓を叩いていないのにも関わらず部屋が変わったのは、そういう事だったのか、と合点がいった。

炭治郎も、清の話を聞いていて思う所があったのか、神妙な顔でこんな事を言い出す。


「“稀血”………あの鬼は、そんな事を言っていたが…………、」


本当に、何気ない一言。
しかし、清はそれに過剰な反応を見せた。


「そうだ、そう…あの化け物共、俺の事“マレチ”って呼ぶんだ………!!!」


『“マレチ”とは、何の事なのか。』

そう問いたげな清の視線を痛い程に浴びながらも、上手く答えられないのか。

炭治郎はそのまま、こちらへ話しかけてくる。


「…東さん、“稀血”について、何か知っている事はありませんか?」


俺も、初めて聞いたもので…。

少々困ったように呟かれたそれに頷き、彼女は帳面を取り出して、文字を書き付ける。


『“マレチ”は、漢字では稀な血と書き、稀血と読みます。その名の通り、珍しい血の持ち主の事を差す言葉です。』


それを読むが早いか、炭治郎は難しい顔をし、清とてる子は首を傾げた。


「あの…『珍しい血』って、具体的にはどういう事なんですか?」


再び炭治郎から寄越された問いかけに反応し、彼女は更に詳しい説明を書き付けて、帳面を三人の目の前へ差し出した。


『生き物の血には、様々な種類がありまして…勿論、普通の血にも様々な型がありますし、それは稀血も同じです。稀血の中にも、更に稀な型もあるようですが。』

『ごく簡単に言えば、稀血の人は鬼にとってのご馳走なのです。稀血の人を一人食らえば、普通の人を五十人か百人食らったのと同じくらいの栄養になる。稀血の型が珍しければ珍しいほど、鬼にとっては大層なご馳走になる、という事ですね。』


そこまで読んで、俄に恐ろしくなったのか。

清は、百瀬に掴みかからんばかりの勢いでこんな事を言い出す。


「じゃ、じゃあ…これから、どうしたら良いんですか!?このままじゃあ、俺はここから出られても、一生あんな化け物に狙われるだけじゃありませんか…!」


青い顔をしながら詰め寄ってくる彼を片手で制し、百瀬は隊服の胸ポケットを探り、小さな布袋を取り出して清へ差し出す。

それを恐々受け取り、彼は眉根を下げたまま、彼女の顔に括りつけられたままの兎面を見つめた。


「………うわあ、とっても良い匂い!」


そう言って喜び、兄の手へ渡った布袋に触れているてる子を微笑ましく見守っていると、清は眉を下げ、上目に彼女を見て問うてくる。


「…あの、これは?」


『藤の花の匂い袋です。』


「藤の花…確かに良い香りはしますが、何の役にたつんです?」


『先程は、怖がらせてしまったようで申し訳ありませんでした。』

『鬼は藤の花の匂いを嫌いますから、これをいつも肌身離さず身に付けていれば、あなたの体から香る稀血の匂いを誤魔化す事ができるでしょう…私の物で申し訳ないのですが、よろしかったらもらって下さい。』


そう書き付けた帳面を清に差し出すと、彼は驚いたような顔をしたものの、どこかホッとしたような表情で『ありがとうございます、俺の方こそ、すみませんでした…。』と、頭を下げた。

そこで、今までこちらのやり取りを静かに眺めていた炭治郎が、急に顔色を変えて後ろを振り返る。


つられるようにして、百瀬も、背後………今し方自分達が入ってきた方の襖を見やり、目を細めた。


「(この、じめじめとした嫌な気配…。)」


鬼が。

あの鼓の鬼が、間近に迫っている。


どちらともなく顔を見合わせ、こくりと頷くが早いか、炭治郎は清とてる子に向き直り、再び話を始め。

百瀬は、襖の近くへ移動し、ほんの少しだけ廊下側へ頭を出し、辺りの様子を探り始める。


妙に広い割には、嫌な薄暗さが横たわる廊下。
その先から、ミシミシ…と。

あの鬼の物と思しき足音が、確実にこちらへ向かってきていた。


***


廊下の薄暗がりから、鬼の顔が見えた途端。

百瀬は炭治郎を待たずして廊下へ走り出て、鼓の鬼と対峙する。


続いて、炭治郎がこちらへ走ってくる音と共に、清とてる子の居る奥の間から、鼓の音が聞こえた。

ぶつぶつ…と。
何事か呟きながら俯き加減にこちらへ向かってくる鬼の顔を面の内から眺め、彼女はベルトに挟んだままだった刀の鞘を静かに抜いた。

刀本体は先程投擲してしまったため、今手元には無いが───本当にもしもの時のためを考慮し、短刀へ特別に取り付けてもらっていた小柄を抜き取り、紺色の刀身を鬼に向けて構えるようにし、右手に持つ。

短刀の半分以下の大きさで、爪楊枝を作る時に使用するような…お世辞にも実践向きとは言えない刃物ではあるが、一応『最小の日輪刀』として仕上げてもらっている以上、無いよりはあった方が心強い。


そのうち。

鬼の歩みはぴたりと止まり、彼女の二倍はあろうかという巨体に乗った頭が緩慢に動き、じとりとこちらを眺めてきた。

百瀬も臆せず、鬼灯のように赤いその瞳を見返すと───鬼は顔を顰めながら、酷くゆっくりと口を開く。


「………あぁ、この匂い…桃、桃の花の匂いだな…?」


「………………。」


「………お前からだ。お前から、胸焼けがするような桃の花の匂いがする……ああ、不快だ。何と不快で忌々しい匂い……むせ返る程甘い匂いの染みこんだお前の肉なぞ、喰える鬼はいるまい………。」


言いたい放題言って、鬼が鼓に手を伸ばしたのが見えたので、彼女はこれ以上近寄るのを諦め、反射的に後ろへ飛ぶ。

その途端。
部屋がぐるりと回転し、彼女が居た所には獣の爪のような跡が走った。


「───東さん、」


『すみません、遅くなりました!!』

後ろから飛んできた炭治郎の声に振り返ると、部屋の回転に合わせて受け身を取りながら、こちらへ来ようとしている彼の姿が見えた。


しかし、その動きにはいつもの軽やかさがなく、額には脂汗が滲んでいて。

…やはり、折れた肋と脚が痛んでいるのだろうと思うと、このまま彼を前に出すのは忍びない気がした。


だからと言って、作戦らしき物を伝える間もなく、部屋はまた回り出す。

右へ、左へ…それからまた右へ。
その間も縦横無尽に飛んでくる爪の攻撃をかわしているうち、炭治郎と百瀬は、同室にいながらにして引き離されてしまう。


彼が上なら、彼女は下。
彼女が右なら、彼は左。

前へ近付いたかと思いきや、また引き離され、爪の攻撃を避けながらひたすら受け身を取る。


流石に疲れが出て来たのか、動きが鈍くなり始め、助けに行かねばならないかと、彼の居る方へ足を向けようとした瞬間。


「───はい、ちょっと静かにして下さい!!!」


いきなり。

何の前触れも無く炭治郎が大声を発したので、鬼も彼女も動きを止めてそちらを見やる。


そうして、回転の止まった部屋の中、彼は刀を構え、こんな事を言い出した。


「俺は今までよくやってきた!!俺はできる奴だ!!そして今日も、これからも…折れていても!!───俺が挫けることは、絶対に無い!!!」


聞いているこちらが驚く程の大声で自身を鼓舞し、彼は果敢に鬼の方へ向かっていく。

…これも一つの戦法なのだろうか。


また始まった部屋の回転と攻撃をどうにかかわしながら、彼は間合いの内へ入ろうと、一進一退しながらも前へ向かっていく。


「クソ、忌々しい…早く稀血を喰わねばならないというのに………!!」


鬼が苛立ちの声を発すると同時に、炭治郎は一撃を避けた後。


「…………君、名前は!?」


驚くべき事に、鬼に向かって名前を問うた。

あちらも、まさかそんな事を聞かれるとは思いもしなかったのだろう。

多少面食らったような顔はしていたが『───響凱、』と、名前らしき物を口にする。


「響凱…清、いや。稀血は渡さない!!俺は折れない、諦めない…!!!」


「……………っ、小生は、稀血を得て、十二鬼月に戻るのだ………!!」


炭治郎の一言が余程気に食わぬ物であったのか、響凱のあらん限り見開かれた左の瞳には、薄らと『下弦ノ陸』と刻まれた文字を打ち消すように×印のついた物が見て取れて、百瀬は面の下の表情を曇らせる。


「(確かに、あなたは十二鬼月であった事もあるのでしょうが…。)」


強くなれば強くなる程鬼狩りに狙われる比率は上がるというのに。

過去の栄華を今尚追い求めるその姿を憐れみながら、俄に激しくなった攻撃を避け。
彼女は炭治郎と付かず離れずの距離を取りながら、器用にその背中を追いかける。


お互いに譲らず、一向に動かぬ戦況に痺れを切らしたのか、響凱は額に青筋を浮かべ、あらん限りの声で叫ぶ。


「消えろ、虫けら共…尚速、鼓打ち…………!!!」


───これは少し、まずいかもしれない。

そう思って間もなく。
激しく鳴り響く鼓の音と共に、先程からの物とは比べ物にならないほどの速度で部屋が回り出した。


目が回らぬよう、回転方向に目線を向けつつも、百瀬はハッとした、

…強烈に嫌な予感がする。


直感的に前方を眺めると、響凱の鼓の音に合わせて放たれた爪の攻撃が、三本ではなく、五本になっており。

それが炭治郎の喉笛へ向かって差し迫っているのが見えたのだ。


「……………っ!?」


───あんな物が直撃すれば、彼は間違いなく輪切りだ。

焦りに焦り、彼女は炭治郎の方へあらん限り手を伸ばし、空中で、どうにか市松模様の羽織を掴む。


そうして、とりあえず目に付いた…手書きの原稿用紙の散らばる畳の上へ全力で彼の体を投げ飛ばし、その姿が遠ざかっていくのをしかと認めて安堵する。


「(…これで、ひとまずは。)」


大丈夫なはず。

────しかし、安心した刹那。


百瀬は、静かに迫り来ていた爪で胸元と腹の辺りをざっくりと裂かれる。


「───東さんっ!?」


大丈夫ですか!?!?

悲鳴に近い彼の声を聞きながら、彼女は畳の上へ着地して深々と息を吸い。
至極冷静に、呼吸を使って止血を始めた。


炭治郎は青い顔でこちらを見ているが…実のところ、爪が肌を抉る瞬間に身を捩ったのと、丈夫な作りの隊服のおかげで、その一撃が臓物まで行くのは免れたため、大した怪我ではない。

しかしながら、隊服は案の定破れ、傷口からはかなりの血が流れ出て。
同じように裂けて役目を果たさなくなったブラウスに、赤黒い染みを作っていく。


…痛みは感じないので然程苦ではないのだが、こんなに見栄えが悪くなるとは思わなかった。

そんな事を考えていると、不意に『パキ…』という聞き慣れない音が響き、いきなり視界が開ける。


「!?」


恐々下を向いて確認すると、つけていたはずの兎の面が真っ二つに割れて畳の上へ落ち。
顎からぽたりと血が垂れたのを目にして、全てを察した。


「─────っ。」


面が割れたのだ。

咄嗟に畳の上へ突っ伏し、顔が見えないようにしたものの…炭治郎からは『傷が痛んで辛い、』というような解釈をされてしまったらしい。


すぐさま駆け寄ってこようとしている彼を手で制し、顔は畳に俯けたまま、どうにか鬼の方を指差すと、炭治郎は戸惑いながらもそちらへ向かっていった。

また回転の始まった部屋の動きに合わせ、彼がこちらへ背中を向けているのを良いことに、百瀬は徐々に後ろへ、後ろへと下がっていく。


そんな中、彼は市松模様の羽織をはためかせ。
先程よりかずっと軽やかに動いて一直線に間合いを詰めていき────ついに、鬼の首を刎ねた。


「(…………お見事。)」


彼の鮮やかな仕事ぶりを見届け、百瀬は思わず微笑した。


これならば、例え柱合会議に引きずり出されたとて。

炭治郎はしっかり鬼の討伐をこなし、成果を上げ続けているのだから、然程無下に扱われる事もなかろう。


───そうして、彼女は静かに踵を返し、足早に裏口を目指す。

もう、ここで彼女のするべき仕事は残っていないからだ。


唯一の心残りは、共に任務をこなした一隊士として彼に挨拶が出来なかった事だが…顔を見られる危険がある以上、ここから一刻も早く離れる事が先決だ。

血痕を辿って追いかけてこられぬよう、よりいっそう深々と呼吸をしてどうにか血を止め。
百瀬は本来の姿を取り戻した屋敷の廊下を歩き出した。


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