桃と鬼 | ナノ
 05:千変万化

禰豆子の入った箱を、念のため、という事であの兄妹の近くに置き、炭治郎や善逸と連れ立って屋敷に入って少し。

並びとしては、炭治郎と百瀬が先頭を行き、善逸が彼女の隊服の端を摘まみながら最後尾を歩く…というような物であったが、こうなったのには訳がある。


最初、善逸が屋敷に入りたくないと泣き喚き。
それなら、二人だけでも…と屋敷に入ると、善逸が泣きながらついてきたのだ。

そこで『並びを変えよう、』という話になったのだが、善逸が首を激しく横に振って拒否したため、この並びのまま探索を続ける運びとなった。


「炭治郎、なぁ…炭治郎…守ってくれるよな?俺を守ってくれるよな?」


しわになるほど百瀬の隊服の端を強く掴み、相も変わらずべそべそと泣きながら、金髪の彼は炭治郎に向かって話しかける。

対して、炭治郎は『ちょっと申し訳ないが。』と前置きをし。


「前の戦いで、俺は肋と脚が折れている。そしてそれがまだ完治していない。だから…、」


皆まで言わぬうち、彼の言葉は善逸のけたたましい悲鳴によって掻き消された。

あまりの叫びに、一時耳が遠くなったが、百瀬は隣の少年の言葉を心の中で繰り返し、一人顔を青くする。


…やはり、炭治郎は彼女が危惧した通り、肋の骨を折っていたのだ。
それに加え、脚も…とは。

彼は、呼吸を使うか…もしくは、気合いでどうにか体を動かしているのだろうが。

何しろ、東京の浅草で鬼を討伐し、一度も休まぬままこの任務地へきたのだから、辛いに決まっているだろう。


しかし、彼女の考えなど歯牙にも掛けず、善逸はとにかく騒ぎ立て、遂にはこちらにも縋るように質問をしてくる。


「東さぁん…!東さんは、俺の事見捨てたりしないよね…?」


『ええ、大丈夫ですよ。』


取り出した帳面に走り書きした文字を読んで安堵したのか、彼は鼻を啜りながら、僅かばかり表情を緩ませる。


「(一緒に仕事をする仲間を見捨てるなど、余程の事がなければ普通はしないはずだろうに。)」


彼は、どうしてそんな事が気になるんだろうか。

周囲を警戒しながらも、そんな事を思っていると、善逸が唐突に言葉を発する。


「そういや、何で東さんは直接話さないの?風邪引いて声が出ない…とか?」


『実は、先日の鬼の討伐で、喉が潰れてしまいまして…御不便をおかけして、申し訳ありません。』

質問に答えるべく、さらさらと月並みな答えを適当に書き付けて彼に差し出せば、気遣わしげな視線と共に『そうなんだ…お大事にね、』という言葉が寄越され、少しばかり良心が痛んだ。


その流れで、という事なのか。
炭治郎も、百瀬に対して話しかけてくる。


「東さんのつけているお面は、兎…ですよね。それ、大事な物なんですか?」


『大事な物です。恥ずかしながら、鬼の討伐をしているうち、顔に傷がついてしまいまして…とても人様に見せられるような物ではありませんので、面で隠しています。』

善逸の質問に答えた時と同じく、内容は出鱈目ではあるけれど、鬼殺隊の中では割と有名な言い訳を用いると、彼は眉根を下げ『すみません…、』と、本当に申し訳なさそうに謝ってくる。


気にしないで下さい、大分昔の事で、もう慣れっこですから。

そう帳面に書こうとした途端、炭治郎が玄関口の方に向かって『駄目だ!』と大きな声を出したので、善逸と一緒に飛び上がってしまう。


出口へ向かって走り出した彼の背中の先には、禰豆子の入った箱と共に外へおいてきたはずの、あの兄妹の姿が見えた。


「入ってきたら駄目じゃないか。」


珍しく強く注意する炭治郎に、兄妹はまだ怯えの残る顔で頭を振り、必死に訴えかける。


「だって…お兄ちゃんが置いてってくれたあの箱、カリカリ音がして…。」


「だ、だからって置いてこられたら切ないぞ…あれは俺の命より大切な物なのに…。」


炭治郎がそう呟いたのと同時に、二階から、ミシミシ…と。

大きな体躯をした何者か…恐らくは、鬼が歩いているような音がして、彼女は手にしたままだった帳面を瞬時にベルトに挟み、懐の短刀を取り出して、いつでも抜けるように構える。


続いて、何処からともなく聞こえてきた鼓の音に肝を潰したのか、善逸は頭を抱え、叫び声を上げた。

その拍子に。
善逸が勢い良く体勢を変え、突き出した尻に弾かれるようにして、炭治郎と百瀬と女の子は、隣の部屋へ。

反対に、善逸と男の子は、元いた廊下側へ残るような配置になってしまう。


「ご、ごめん…尻が…。」


彼の謝罪が聞こえたのも束の間。

再び聞こえてきた鼓の音と共に、廊下との境であった襖がひとりでに閉められる。


鼓の音がする度に次々と変わっていく部屋の様子を眺めながら、緊張感が高まった。


***


鼓の音が止んだのと同時に、部屋の移動も止まる。

それを見計らい、彼女は炭治郎に女の子を任せ、部屋の中の探索を行っていた。


紙や墨の香り。

それに混じったかび臭さや血の匂いを肺腑の奥に吸い込みながら、百瀬は部屋の中を歩き回る。


昼間だというのに妙に薄暗い屋内は、その外観に似つかわしくない広さを誇っており、既にこの屋敷自体が血鬼術によって別空間に作り替えられているのだと分かった。

今まで体験してきた不可解な現象を総合するに、今回の討伐目標である鬼の血鬼術は、鼓の音を用いた部屋の位置の変換と見て良いようだ。


…実際に、その鬼がどこまで血鬼術を使いこなせているかにもよるが、室内での戦いはこちらにとって非常に不利である。

見つけて斬りかかろうとすれば、部屋の移動を使われて逃げられてしまうのは想像に難くないし、下手をすれば、屋敷の中に居る全員が少しずつ引き離され。

力の弱い者から引き寄せられて貪り食われてしまう、なんて事もあり得なくは無い。


「(ともかく、これ以上引き離されないように…。)」


気をつけなけば。

探索を終えて部屋の中央…炭治郎と女の子が居る場所へ戻ると、女の子が泣いていた。


「お兄ちゃんの事も、善逸が守るよ。名前は?」


彼が優しく問いかけると、女の子は小さく『てる子、』と自身の名を口にする。


「そうか。良い名前をつけてもらっ………、」


皆まで言い終わらぬうち。

百瀬は、自身の面の口辺りに人差し指を立てる仕草をし、二人に静かにするよう伝える。


そうして、二人を背中に庇うようにして前に立ち、短刀を鞘から抜き取って構えると、深い水底を切り取って集め、何十にも重ねたような紺色の刀身が姿を現す。

続いて、半端に開かれたままだった障子の先。
延々と続くようにも思える薄暗い廊下を、面についた二つの覗き穴から睨み付ける。


程なくして、障子の影からぬっと現れた鬼の足。

それに続き、肩や胸部から鼓を生やした鬼が姿を現した。

その色の悪い体から発せられる独特な匂いからして、普通の鬼よりも相当多くの人間を口にしているのが分かる。


……もしかすると、下弦の鬼に匹敵する程人間を食っているのではなかろうか。

頭を掠めた忌々しい憶測を振り払わんとして、彼女は頭を振る。


さていつ襲ってくるかと身構えるも、当の鬼は、何事かぶつぶつと呟くのみで、こちらを見る事はない。

…ならば、やるべき事は一つだ。


「(───先手必勝。)」


一瞬の判断で短刀の持ち方を変え、手の内の小さな刀を投擲する姿勢を作った。

───刀を投擲するとなると、最悪刀の紛失に繋がる恐れがあるが、この状況では仕方がない。

ついでに、彼女の担当を請け負っている刀鍛冶の男性が凄い形相で睨んでくるのが目に浮かぶようだったが、この際それは気にしない事としよう。


この投擲で鬼に傷を負わせておけば、炭治郎の側から見れば彼の仕事を物理的に手伝った事になるし、お館様からすれば、戦闘への介入を最低限に止めた戦い方と見えるだろうから、一石二鳥だろう。

…そんな事を思いながら、百瀬は鬼に向かって思い切り短刀を投げる。


足止めのため、健を狙った一撃だったが───鬼の討伐はそう上手くはいかないのが常だ。

彼女が刀を投げたのとほぼ同時。
背後で女の子を避難させ、いつの間にか刀を抜いていた炭治郎が、鬼に向かって大声で宣言をする。


「おい、お前…!!俺は鬼殺隊、階級癸、竃門炭治郎だ…今からお前を斬る!!」


気力十分、正々堂々。

この言葉は、彼のためにあるような物なのだろう。


───彼は、不意打ちと名のつく物が出来ない。

よく言えば、どんな相手に対しても騙し討ち等はせず、真っ直ぐ向かっていく隊士である事を何となく悟り、風のように隣を走り抜けていく若い背中を見送る。


…案の定。
彼の堂々たる宣言により、鬼にこちらの存在を知らせてしまう事となったので、彼女の投げた紺色の短刀は難なく叩き落とされ、手前の畳へ垂直に刺さる。

続いて、一直線に首を狙い、相手の間合いの内側へ入り込んだ彼の刃が届く前に、ポン…と鬼が鼓を鳴らす。


また部屋の移動が起こるのかと思ったが、見えている物がぐるりと回った事で、この部屋自体が回転したのが分かり、彼女はどうにか受け身を取って。

元々壁であった部分に着地するが早いか、踵を返して部屋の奥へ走る。


彼女の視線の先には、箪笥の後ろに隠れはしたものの、部屋の回転で上手く受け身を取れず、ぶつけた箇所を痛がる女の子の姿があった。

…あと少しで、女の子の元へ着く、という時。
またもや生じた嫌な予感に従い、咄嗟に床へ這いつくばると。


バン、という派手な音と共に、彼女の真横に位置していた障子が木片と共に飛び散り、猪の被り物を被った───上半身が半裸の男性が、ガチャガチャと刀身の欠けた日輪刀を両手に持って飛び出してきた。

何を言っているのか分からない、と言われるかもしれないが、事実そうとしか言いようがない。


男性…というよりか、よく見れば体格的にはまだ少年のような彼は、這いつくばった百瀬の体の上すれすれを飛び越していき。

勢いのままに部屋の中央に着地するが早いか、それに驚いて固まっている炭治郎に構うこともなく、鬼に向かって何事か叫び、脇目も振らず斬りかかっていく。


遅れて降ってきた障子の破片にまみれながら、やはりあそこで予感に従っておいたのは賢明だった…なぞと思っているうち『腹立たしい…、』と呟く鬼の一言と共に、ポン…と鼓が鳴らされ。

部屋が動き、体が空中へ投げ出された。


「………東さん、てる子と一緒に、そこの家具へ捕まっていて下さい!」


早くに受け身を取って体勢を立て直した炭治郎から寄越された鋭い一言を耳にしてすぐ、彼女は自身と同じように空中へ投げ出されたてる子を抱き留めて着地し、一番近くにあった箪笥へと手を伸ばす。

しかし、回転に対応したのは彼女達だけではない。
猪頭の少年も、部屋が回ったのを読み取るが速いか機敏に反応し、一旦引いて。

丁度背後に居た炭治郎の腕を踏み付けにし、臆せず鬼へ立ち向かっていく。


「…そいつは異能の鬼だ、無闇矢鱈に斬りかかるのは止せ!!」


炭治郎が叫んだのも聞かず、少年は勢いのまま相も変わらず鬼に向かっており、止まる様子はない。

猪突猛進。
そんな言葉が頭に浮かぶが、やはり鬼も馬鹿ではない。

ぶつぶつとまた独りごち、ポン…と一つ鼓を打つと、今度はまた畳が下に来る。


───これでは、箪笥に捕まっている方が危険だ。

床と天井が入れ替わりかねない状況下で、一カ所に留まるのは余計危険だと判断し、彼女はてる子をきつめに抱いて、ひょいと畳へ着地する。


その時、狭い視界の端で、猪頭の少年が再び体勢を変え、こちらへ向かって落ちてくるのが見えた。


怯えている所申し訳ないとは思ったが、このまま少年を受けては、てる子が怪我をしてしまうだろう。

そんなわけで、てる子を自身の背後へ避難させ、瞬時に両の腕を胸の前で交差させて。

間近に迫っていた少年の体をどうにか受けきり、その時の反動を利用して、少年の体を前へ押し出してやる。


すると、少年はやや前へ着地し…何事か、ゆらりとこちらを振りかえった。


「………面白ぇ、部屋は回るし、俺の動きを読んで合わせて来やがる奴もいる、」


相手の表情は、猪の被り物の下に覆い隠されているので、当然ながら分からない。

薄暗い室内の濁った灯りに反射し、もう動く事のないはずの猪の瞳が、虚ろにこちらを眺めているようなのが、不気味な雰囲気を醸し出している。


日輪刀を持っているのだから、一応仲間…という認識をしていたが。

彼からは好戦的な雰囲気が漂い、それが鬼ではなく、明らかに自身へ向けられているのは気のせいではなく、動かぬ事実だ。

百瀬は、背後のてる子を再び腕に抱え、目の前に相対した少年から逃げるように、右側へ走り出した。


「オイ、逃げんな!!…ちっせえの抱えてる兎のお前だよ!お前ぇ!!」


刀を構えたまま、やはりこちらを追いかけるように併走し、前へ回り込もうとする動きを見せた少年から距離を取ろうと、彼女は突然方向を変え、今度は左側へ走り出す。


「くそ、だから逃げんじゃねぇ!!兎女ぁ!!」


すかさず空中へ飛び、また前へ回り込んできた少年が振った刀を避け、彼女は腕の中で震え、必死にしがみつくてる子をきつく抱き締めた。


「丸腰の女性と子どもに刀を向けるなんて、何てことするんだ……!今すぐやめろ!」


炭治郎が前方から叫ぶも、少年はやはり止まらない。

どうにか足止めをしようと足払いをかけるも、少年は難なくそれを避けて刀を突き出してきたので、百瀬も、てる子を抱えたままその切っ先を避ける。


よもや鬼の目の前で。
それも、鬼殺の隊士と私闘紛いの事をする羽目になる日が来るなんて思いもしなかった。

せめて刀があれば、どうにかいなす事も出来たろうが、彼女の小さな愛刀は、残念ながら手元にない。


「オイ、兎女!」


こちらを本気で斬ろうとするような斬撃を次々繰り出す合間、少年はこちらへ話しかけてくる。


「上手く隠してるつもりだろうがよぉ…俺様にゃ丸分かりだぜ…!お前は体中色んな物くっつけて、強さを誤魔化してやがるんだ!何をどうやったらそうなんのか教えやがれ!」


『色々な物をくっつけて、強さを誤魔化している。』

彼とは初対面であるにも関わらず、自身の抱えている秘密に触れるような事を言い当てられてしまい、彼女は俄に焦る。

勿論、当たらずとも遠からず、というような表現ではあるのだが、それについては、お館様や、その妻のあまね様…それから、自身の師範にしか打ち明けていない出来事のはずなのに。


斬撃を避けながら、彼女はやはり黙っているしかない。


「……………。」


「黙ってねぇで何か言え!ついでにお前も、俺がより強くなるため…より高く行く為の踏み台になりやがれ!!!!」


ぶん、と真横に振られた刀を屈んで避け、逃げ場を求めて後ろへ飛ぶ。

その瞬間、目の前にふわりと市松模様の羽織がはためき、続いて繰り出された一撃を、キン…と刀で弾き返す音がする。


…炭治郎が間に割り込んでくれたのだ。


「いい加減、止めるんだ!そこに鬼が居るんだぞ!!」


斬撃をいなした後の至ってまともな一言も届かないのか、少年は苛立ったような口調で吐き捨てるように言葉を発した。


「うるせぇ!俺は兎女に用があんだ、どけ!!」


その時。


「虫め…消えろ、死ね……!!!」


長らく放置してしまっていた鬼から、荒々しい言葉が発せられ、また鼓が一つ叩かれる。


「!」


唐突に生じた嫌な予感に突き動かされ、彼女はてる子を片手で抱き直し、炭治郎の羽織をめくり上げてベルトの部分を掴むが早いか、そのまま後ろへ飛び退る。


猪頭の少年も何かを察したのか、反対側へ飛び退り───間髪を入れず、彼女達が今まで立っていた位置に敷かれていた畳三畳が、ザン、と。

獣の爪で引っ掻いたかのように深く裂けた。


鬼が鼓を叩くと、今度は少年の背後に位置する障子に爪痕が走り。

続いて来た、ポン、という音に合わせ、彼女は炭治郎のベルトを掴んだまま、右へ。
次の音で左へ、と上手く受け身を取る。


「(読めてきた…!)」


これなら、どうにか鬼を討伐出来るかもしれない。

光明が見えてきたその時、どこからともなく『ポン、』という音がして。


瞬きする間に、炭治郎のベルトを掴み、てる子を片手に抱いたままの状態で、別の部屋へ飛ばされる。

……あの鬼は鼓を叩いていなかったというのに、何故移動したのだろう。


「(まさか、鼓を所持している鬼は複数居る、とか…?)」


あまり考えたくはないが、それもなくはない。

別れてしまったあの少年は───心配するまでもないだろうか。


いつもの二倍は回りくどいやり方で行かなければならない分、疲れているような気がしてきたが、そこは仕方がない。

互いの怪我がない事を確認し、彼女達は飛ばされた部屋から、再び屋敷の探索へと繰り出した。


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