桃と鬼 | ナノ
 03

あれから更に月日は流れ。

竃門炭治郎は最終選別を潜り抜けて隊士となり、これから正に鬼殺の仕事を始めんと意気込んでいた。


そんな彼が『これから本当に鬼殺をこなしていく素質がある』のか。
また『鬼になった妹を今後生かしておく価値があるか否か』を見極める為、目付として彼等の後をつけ、活躍を逐一報告せよ───そんな密命を産屋敷邸で受けた、二日後の早朝。

百瀬は、藤の家紋の家の門前に立っていた。


いよいよ、今日から目付役の任務が始まるわけだが。

彼女の服装は、いつもの黒い詰め襟の隊服と、花桃に笹竹柄が描かれた薄浅葱色の羽織…ではなく。
もっと、というよりかは、極度に質素な物に変化していた。


いつも以上にきっちりと結いまとめた髪を白い手拭いで覆い、無地で渋い色合いの着物に、足袋と草履を合わせ。
背中には、手拭いと揃いの白い布に包まれた四角い荷物を背負う。

刀も腰に差していない今の状態は『鬼殺の隊士』というより、田舎から出て来た行商女のような出で立ちであったが、これは極力目立たないための工夫である。


着物や細かい物品は、全て藤の家紋の家の主に借り受けた物であり『思ったより見窄らしい見た目になってしまうかも知れませんが…。』と先に謝られたが、彼女自身はこの見た目に随分満足していた。


正直な話、今回の任務は、とにかく目立たないという点が一番重要なのだ。

要は、誰の目から見ても、明らかに『名も知らぬ他人』として認識される事が大事なのである。


これからしばらくの間は、昼も夜も、竃門兄妹の後ろを付かず離れずついていく必要があるのだから、万一視界に入ってしまった時の事も加味するのであれば、これくらい地味で印象に残らない見た目の方が良い。

百瀬としては、足袋は履かずに、いっそ素足と草履だけでも良かったのだが、屋敷の主人から『隊士様にこれ以上粗末な格好はさせられません!』と青い顔で拒否されたため、渋々ながら足袋は履いて出て来た次第である。


───それはさておき、今日の空は抜けるように青い。

そのくせ、暑からず寒からず、というような。
一般的にいうと、それなりに好ましい天気ではあるが、欲を言うならば、今日の天候ばかりは、曇りか霧のどちらかの方が良かったな、と思う。


これから竃門兄妹に追いつかんとしているのだから、天気は悪ければ悪い程良い。

悪天候の方が、彼等に近付いても怪しまれずに済み、尚かつ、遠くで見るより近くで行動を見ていた方が報告書の精度が上がるからだ。


…まあ、そんな事を思った所で、はいそうですか、と急に天気が崩れるわけでもなし。

世の中上手くいかない事の方が多いのだから、小さな事で一喜一憂するのは止しておこう。


その時。
山を越え、胸元に白い毛が混じった鴉が飛んできたのを見つけ、彼女はすかさず鴉に向かって小さく手を振る。

他の鴉とは異なる胸元の白を見てすぐ、山を越えてきたのが自分付きの鎹鴉だと気が付いたからだ。


こちらを見つけるが早いか、なかなかの勢いで滑空してきた鴉に向かって腕を差し出すと、その片足には文が括りつけられていた。

しかし、鴉がしっかり腕に止まった途端。
背後から気配がしたので、手紙を取ろうと伸ばした手を引っ込め、反射的に振り返る。


すると───いつの間に後ろへ来ていたものか。

彼女の振り返った先には、隊服を身に纏ったままの…任務帰りらしい冨岡義勇が立っていた。


「………冨岡殿、」


『いつからそこへ、』と言いそうになったのは飲み込み、彼女は体を冨岡の方へ向ける。


「…おはようございます、任務明けでしょうか?」


凪いだ瞳をこちらへ向け、ただ肯定の意思を示すべく頷く彼に『お疲れ様です、』と言葉をかけると、冨岡はどこかぼんやりした様子で、上から下までこちらを眺める。


「…今日は休みか?」


「いえ…実はこれから、長期の任務に出る所でして。」


一応、今回の任務については、お館様から『先々でどの隊士と会ったとしても、絶対に任務の詳細は伏せるように。』と言い付かっているため、冨岡に対しても軽い説明で済ませようとしたのだが。


「隊服と刀はどうした?」


いつものように『そうか、』と返ってきて、彼との会話は終わるものと踏んでいたのに。

こういう時に限って何か感じ取る物があるのか、痛い所をついてくる。


「───今回は、若い隊士の方との共同任務なんです。その方が戦闘全般を担当して下さるかわりに、私は一般人に扮して情報収集をする方の担当になりまして…。」


『その他は、事後処理の為について行くようなものですし、刀は持っていかない方が都合が良いんです。』

聞きようによってはやや無理のある説明のようにも思えたが、嘘は言っていない。


いつものように彼を見上げて微笑んでみると、一瞬だけ。

…冨岡に限ってそんな事はないと思うが、彼がどこか寂しそうな顔をした気がして。


「あ…ええと。」


意図せず腑抜けた声が出てしまうが、その整った顔をもっとよく見ようとした時、ふい、と顔を背けられる。

…やっぱり、自分の一方的な見間違いだったのだろうか。


それとも、ただ単に『じっと目を見られるのが不快だった、』とか…?

横たわる重々しい空気に居心地の悪さを感じ、彼女はまた話を始める。


「───私は、今後しばらく冨岡殿と任務でご一緒させて頂く事は出来なくなると思いますが。この任務が終わって、また組ませて頂く事があれば、その時は宜しくお願いしますね。」


我ながら、酷く月並みな事を言ったものだ。

それを受け、彼は『ああ、』と短く返事をして、百瀬の傍を通り過ぎる。


擦れ違いざま。
彼から『後で目を通せ、』と耳打ちされ、今度は何かと驚いたが。

…彼女の懐には、いつの間にやら文が差し入れられていた。


文の存在に気付くと同時に、屋敷の敷居を跨ぎ、敷地の中へ消えてゆく彼の背中が見える。

『冨岡殿は、こんな事も出来るのか…。』と呆気に取られたのも束の間。


「……ソロソロ出発シタ方ガ、良イノデハ?」


腕に止まったままだった鎹鴉に声をかけられ、それもそうだと、彼女は慌てて歩き始める。

知り合いに会ったので、つい気が緩んでしまったが…任務はもう始まっているのだ。


「(昼前までは追いつけると良いのだけど…。)」


徐々に高く昇り始めた太陽に追い立てられるようにして、百瀬は竃門兄妹の背中を見つけるべく、黙々と足を進めた。


***


『まずは北西の町へ。道中、くれぐれも息災で。』

鎹鴉が運んでくれた文には、お館様の字で簡潔にそう書き記されてあった。


尚、その下に小さな文字で『義勇から君の事について聞かれたので、今回の任務の大まかな内容は伏せて、百瀬を長期の任務に出す、という説明だけさせて貰ったよ。』と事後報告があったのを見つけ、何だ、そういう事だったのか、とようやく合点がいく。


…というのも、冨岡に懐へ入れられた文には『息災で、』という一文と共に、白い貝殻の御守りが同封されていたのだ。

中には鈴が入っているようで、御守りを揺らす度に、チリチリ…と、耳に心地よい音が微かに聞こえてくる。


先に冨岡の文から見てしまったもので、御守りと文を見ながら『もしや彼に今回の任務の内容が漏れていたのではないか…?』と大層焦ったのだが。


お館様の文を見た途端に、彼女の心配は杞憂に終わった事が確定したので、ひとまずほっと息をつく。


「(…それにしても。)」


冨岡から貰った御守りを眺めながら、彼女は一人首を傾げる。


実のところ百瀬は、これまで一度だって彼から御守りの類なぞ貰った事がないし、彼自身あまり御守りに興味が無いのか、それらしい物を持ち歩いているのは見た事がなかった。

度々『甘すぎて食べられない、』という菓子を貰った事はあるが…やはり、彼から消え物でない贈り物を貰ったのは、これが初めてのような気がした。


まあ、彼のごく簡素な文から見て分かる通り。

長期任務中の無事を祈って寄越してくれたのだろうし、彼がわざわざ文までつけて渡しに来てくれた物なのだから、大事に身につけさせてもらう事としよう。


人指し指の爪程の可愛らしい御守りを再度眺め、彼女はそれを嬉しそうに懐へ入れる。

正直なところ、冨岡がこの御守りを、どこで、どのような経緯で手に入れたのかとても気になったし、知りたいなとは思ったが───そこを聞いてしまうのは、野暮というものだろう。


『世の中には、知らぬ方が良い秘密もあるものなのだから。』

そう自分に言い聞かせた矢先。


目視でざっと一町程先に、人影が見えた。


───まさか、もう追いついてしまったのだろうか。

ひやりとしつつも、足音を忍ばせ、気配をあらん限り消して。
さらに近寄ってみると、その人物が市松模様の羽織を身につけ、箱を背負って歩いているのが見えてくる。


赤みがかった不思議な色の黒髪と、花札のような耳飾り。

それから、事前に鎹鴉から伝え聞いていた特徴と重なる部分が多々ある事から察するに、彼は『竃門炭治郎』で間違いないだろう。


その事実を確認するが早いか、彼女は着物の袂から出した小さな布袋を、さっと帯に忍ばせる。

程なくして、自身の周囲へ仄かに漂い始めた白檀の香りに、安堵の溜息が漏れる。


…実は、師からの手紙に『炭治郎は多少鼻が利く、』と書いてあった事を直前に思い出し、匂いを覚えられて怪しまれたり、途中で気が付かれたりしないよう、香り袋を自前で用意してきたのだ。


見た目の面は、着物を着替えたり、荷物を持ち替えたりと工夫を凝らすのは勿論。

香り袋も複数持ってきているから、それを毎日取っかえ引っかえして身につけておけば、気が付かれる確率はぐっと低くなるだろう。


こちらの心配や緊張を余所に、つけられている事などつゆ知らず。

遙か前方の炭治郎は、何やら背中の箱に向かって話しかけている。


いかんせん距離が開いてしまったために、何と話しているのかはよく聞き取れないが、所々ではっきりと『禰豆子』と言っているのは聞こえる。


「禰豆子、今日は───。」


「禰豆子……………。」


行けども行けども、炭治郎の声は聞こえるが、禰豆子からの応答はない。

話によると、昼間のうち、禰豆子は箱の中でずっと寝て過ごしている、とも聞いたが…。


そうして、付かず離れず。
適度な距離を置いて歩いているうち、任務地として指定された町が見えてきた。

遠目から見ても、そこそこ大きく、栄えているような雰囲気が伝わってくる。


百瀬からしてみれば、この規模の町は然程珍しくはなかったが、炭治郎からすればそうではなかったらしく。

彼は、しきりに辺りを見回したり、橋の上から船を眺めたりと、随分物珍しそうにしていた。


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