桃と鬼 | ナノ
 02:隠れ鬼

屋根の上で固唾を飲み、炭治郎が初仕事を終えるのを見届けてから数日後。

百瀬は、竃門兄妹について東京の浅草を目指して歩いていた。


道中、幾度か服装を変え、香り袋も日によって取り替える等していたためか、竃門兄妹はこちらに気が付いてはいないようだ。

それはそうと、東京に入る前にまた服装を変え、少し明るい色の着物に着替えてみたのだが、人が多いだけに目立つ事はない。


うっかりその背中を見失わないよう気をつけながらも上手い具合に距離を保ち、炭治郎の後についていくが、浅草方面へ近付けば近付く程、彼の様子はおかしくなっていった。


最初の方こそ、洋風の建物の前で足を止めたり、洋装をした人を眺めながら歩いていたりしたが。

───日が暮れ、彼が禰豆子を箱から出して手を控え、一緒に歩き出した頃。

急に取り出した布で自身の頭を覆ったかと思いきや、点灯し始めたガス灯を穴の開く程見つめてみたり、人混みで揉みくちゃにされ、どうにかそこから抜け出たり…と、後ろから見る分にも、彼がとにかく疲れているのだな、という事が分かってしまい、苦笑してしまう。


今日は朝からずっと歩き通し、という事も堪えたのか、彼は哀愁漂う背中のまま、暗い路地へふらりと逸れた。

覚束ない足取りについて、彼女も体を路地へ滑り込ませ、猫のように足音を殺し、後ろについていく。


何度路地を曲がったのか。
ようやく辿り着いた先には、うどんの屋台が見え…いつの間に座って注文を済ませたものか。

そこには、疲れ切った顔で茶を啜る炭治郎と、その隣に腰掛け、うとうとと船を漕ぐ禰豆子の姿があった。


「(なるほど…。)」


炭治郎はあっちへ、こっちへ…と、目的もないまま彷徨っていたように見えたが、どうやら、うどんの屋の出汁の香りを辿って歩いていたらしい。

…それにしても、よくぞあんなに遠くから出汁の香りを嗅ぎつけたものだ。

こうしてみると『鼻が効く、』というのはなかなかに便利なのかも知れない。


例えば、自分の好みの味の屋台の匂いを覚えておいたとして。

『あの味が恋しいな、』と思った時分に匂いを辿っていけば、確実にその屋台が出ている場所に着くのだろうから、屋台が出ている限りはいつでも好きな物を食べられる、というわけだ。


『そういえば、二つ前の町に出ていた屋台の草餅は絶品だったな…。』等と考え始めた時。

湯飲みを脇に置き、いきなり炭治郎が立ち上がる。

疲れ切った表情から一転。
赤みを帯びた瞳はあらん限り見開かれ、頭へ頭巾のように被ったままの布から微かに飛び出した彼の髪が、細かく震えている。


何があったのだろう、と。
こちらに考えさせる暇もなく、彼は一人、大通りへ続く路地へと全力で駆けだした。

うどんの屋の店主が驚いたように彼を呼び止めるが、今はそれすら聞こえぬようで───炭次郎は市松模様の羽織を翻し、あっという間に薄暗がりの中へ消えていく。


一方、禰豆子は固く目を閉じ、置いて行かれたのも構わず、うどん屋の座席に腰掛けたまま眠っている。


「(…………。)」


うどん屋に残された禰豆子と、大通りへ走っていった炭治郎…果たしてどちらへついているべきか。

一瞬迷いはしたが、やはりここは禰豆子を見ているべきだろう。


そう判断するが早いか、彼女は路地の影から、建物の屋根に向かって、パンパン…と、極力静かに手を叩いた。

すると、彼女の鎹鴉がひょこりと高い屋根の上から顔を覗かせ、彼女の目の前まで降りてくる。


「…竃門殿が妹君から離れ、大通りの方へ行きました。そちらを追いかけてもらえますか?」


彼女の言葉を聞いてすぐ、鴉はすぐに大通りの方へ飛び去っていく。

それを見送り、百瀬は再び屋台へと向き直った。


「(幸い、禰豆子殿は寝入っている…。)」


どの道、彼女がうどん屋の店主を炭治郎がいない間に食らってしまわぬよう見ている必要があるのだから、店主をいつでも守れる位置にいなければ意味がない。

ならいっそ、客を装い、彼女の近くへ行けば良い。


そう決めてしまえば、後は行動に移すのみだ。

百瀬はわざと足取りも重く路地から抜け出て、うどん屋の屋台へ近付き、寝ている禰豆子の隣へしれっと座る。


「───こんばんは。山かけうどん一つ下さいな。」


そう言えば、店主は『姉さん、丁度良いところに来たねぇ、』と言いながら、炭治郎に出すはずだった山かけうどんを出してくれる。


「少々冷めちまったから、お代は半額で良いよ。」


「…まあ、本当ですか?嬉しいわ。」


箸を貰い、うどんを啜ってみるが、別段冷めているというような事はない。

しかし、以前東京に来た時にふらりと入ったうどん屋の出汁と、この屋台の出汁とでは、随分違う香りがして。
実際、これ自体は非常に『美味しい』部類のうどんであるに違いないのだろう。

そんな事を思いながら温かいうどんを啜っていると、店主が話しかけてくる。


「時に、姉さん。あんた、ここいらじゃ見かけねぇ顔だが、どっかから出稼ぎに来たのかい?」


「…ええ、そうなんです。先日田舎から出て来たばかりでして。」


「そうかそうかぁ…まだ若いってのに、苦労するなぁ。それはそうと、最近この辺りも物騒なんだから、夜の一人歩きは気をつけねぇとな…。」


最期の一口を食べてしまってから、恐々禰豆子の方を見やるが、起きるような気配は無く、ほっとした。

丁度その時、彼女の鎹鴉が屋台の屋根の上へ止まり、こちらを見下ろす。
それと同時に、何者かがこちらへ走ってくる音が聞こえる。

…炭治郎が戻ってくるのだ。
なら、ここに留まり続けるのは得策ではない。


「ご馳走様でした。」


店主に器と代金を渡し、彼女はさっと屋台を出る。

そうして、やや俯き加減に炭治郎と擦れ違い、帰りを装って別の路地へ足を踏み入れた。


───背後で、戻ってきた彼がうどん屋の店主に怒鳴られ、謝っているのが聞こえた。


***


路地の突き当たりで鎹鴉からの報告を受け、彼女は目を見開く。


「………何ですって?」


それは、確かなの?

つい口調が厳しくなってしまうが、それは致し方ない。


鎹鴉は、今確かに『竃門炭治郎ガ、大通リデ鬼舞辻無惨二遭遇シタ。』と言ったのだから。

『鬼舞辻』といえば、とある鬼殺の剣士に死の間際まで追い込まれて以来ずっと姿をくらまし続け。
この大正の世に至るまで、表にはついぞ姿を現した事のない鬼の始祖たる者の名である。


それが、今のお館様の代で。
よりにもよって、何故炭治郎の前に現れたのだろうか?

偶然にしても出来過ぎていて、何だか恐ろしいような気すらしてくる。


「…鬼舞辻無惨は、どんな姿をしていましたか?」


他にも聞きたい事は山ほどあったが、辛うじて絞り出すように問えば、鴉は『痩セ型デ細身。酷ク顔色ノ悪イ男ダッタ。』と答える。

…本当に、何て事だろうか。


───それはそうと、お館様宛の緊急の書状を書かなくては。

思い至ってすぐ、懐から紙と筆を取り出すが。
…突如路地に影が差し、彼女はびくりと動きを止める。


目線を向けた先。
間髪を入れず見えたのは、市松模様の羽織の端がはためく様子だ。


「(…いけない、)」


鬼舞辻無惨の事ばかり考えていて、目付役の任が疎かになっていた。

彼女は、鴉に向かって『とにかく、また後で。』と告げ、急いで路地の入り口まで走り、そこから恐々あの羽織が消えた方向を覗いてみる。


すると、幸運にも。
まだそう遠からぬ場所で、見た事のない青年と何か口論をする炭治郎の姿が見えた。

『禰豆子、禰豆子、』と言っているのが聞こえるので、恐らく禰豆子の事で揉めているようなのは分かるが。


「(………あれ?)」


よく目を凝らしてい青年の方を見てみると、猫のように瞳孔の開いた瞳はまさしく鬼のそれであり、彼女は息を呑む。

…叶う事なら、少しだけでいいので、考える時間が欲しい。


百瀬の見立てが間違っていなければ、あの青年は、今回の討伐目標とされている鬼の一人なのではないだろうか…?

なぜ、討伐目標の鬼と彼が一緒に…いや、それ以前に。
数字持ちでもないのに、あんなに理性的に話をしている鬼を見たのは初めてなのだが。


色々な事がありすぎて理解しきれない所は多々あるが、これはこれで真実としてここにあるのだから、ひとまず『そうなのか、』と飲み込む他無い。


そのうち。
口論はもう終わったのか、青年は涼しげな顔をして、二人の前をすたすたと歩き始めた。

しかし、炭治郎は何やらまだ言いたい事があるようで、青年に向かって必死に話しかけながら、禰豆子の手を引き、必死にその後ろへついて回る。


鬼の青年と竃門兄妹と充分距離が開いたのを確認し、彼女は夜闇に紛れてその後を追いかけ始めた。


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