掛け軸/蜂須賀虎徹(下)

大広間に飾られた件の掛け軸は、思いの外悪目立ちする色をしているためか、夕飯時になる頃には、既にあちこちで話題に登るくらいになっていた。

ある者は『あんなに目立つ所へ飾るとはね…。』と苦笑したり、またある者は、掛け軸を一目見て『何これ、なかなかかわいーじゃん。』と、特に深く考えるようなそぶりも見せず、見たままの感想を言っていたり。


───各々、それなりに掛け軸へ関心を寄せているようではあったが、主曰く、これ程話題になっていながらも、未だ彼女の元へ掛け軸を取りに来た男士はおらず、それとなく聞いてみても『明らかに自分の私物ではない。』という旨を告げられるだけらしい。

だとすると、持ち主は、今遠征に出ている者のうちの誰かか、修行に出ている物吉か…という所まで絞り込める。


自分としても『まさかこんなに目立つ場所に掛け軸を飾るなんて…。』とは思ったものの、結果的には彼女の目論み通りにはなったわけであるし、事実、一時は雲行きが怪しくなった持ち主捜しも楽に行えている訳だから、最早自分に出来るのは、黙って事の成り行きを見守るくらいだ。


ただ、次に気にしなければいけないのは、もし掛け軸の持ち主が見つかったとして。

果たして、掛け軸をいたく気に入ってしまっている彼女が、そう簡単に掛け軸を渡すか、という所である。


彼女が、もう子どもではない…という事は、重々承知している。

承知しているが、大人であるからこその恐ろしさを持ち合わせているという事も、忘れてはならないのだ。


そりゃあ『私が持ち主です、』と品物を受け取りに来た者に対して、掛け軸を渡さない、なんて事はしないに決まっている。

───主として。
または、いい歳をした大人として体裁を保つ上では、絶対にしないだろう。


しかし、だ。
そこから先は、二つに一つ。

…というのも、彼女は自分が『欲しい!』と思った物は、譲ってもらえるまで諦めない質であるから、あの気に入り様から推測すると、金に物を言わせて掛け軸を買い取るかもしれないし、もしかしたら泣き落としを使って、まだ見ぬ持ち主を困らせるかもしれない。


想像が現実になった場合、何と言って主を止めよう?

それか、先程の押し問答よろしく、こちらが先に負けてしまうのか。


ますます膨らむ蜂須賀の憂鬱を余所に、時間は刻々と過ぎていった。

夕餉の時間。
彼女は勿論掛け軸の近くの席を選んで座り、食事の手を止めては絵を見上げ。

鑑賞する側と目が合うように描かれた白文鳥の姿を嬉しそうに眺めては、また食事を再開する…という有様だったので、掛け軸に対して批判的な意見を垂れ流していた男士は、皆一様に口を噤んだ。


食後の茶を鶯丸や平野と味わっている時も、彼女は自分にして聞かせたのと同じく、白文鳥に対しての熱い思いを語っていたし、乱と風呂に入った時にも、掛け軸の話をしていたらしい。

ここまで来ると、皆もう何とも思わなくなるようで『こうなったら、もう彼女の気が済むまで好きにさせておこう。』という空気が本丸中に漂い始めた。


自分もそれには賛成で、下手にどうこうと指摘をして彼女と険悪になるより、彼女の心が掛け軸から離れるまで待つか、思いの丈をじっくり聞いて受け止め、共感する方が、彼女から溢れ出る情熱を緩やかに収められそうだと感じた。

だから、特に何もする事がない今の時間、彼女の元へ出向いて、話を聞こうとした所存なのだが。


「…………いない。」


肝心の彼女が、部屋に居ないのである。


審神者部屋の外から声をかけてみたものの、全く返答がなかったので。

───というのは言い訳で、あまりの冷え込みに耐えかねて『これは初期刀の権限…。』なぞと心の中で唱えながら思い切って襖を開けると、中に彼女の姿はなく、部屋の隅に置かれた火鉢がカチカチと音を立てているだけだったのだ。


一応、寝ている可能性も無くは無かったので、奥の間へ続く襖をほんの少し開けて覗いてみたが、敷かれた布団には誰も寝ておらず、やはり部屋の主は不在なのだという証拠にしかなり得なかった。


さて、淑女は出歩かないような時間に。
それも、こんなに寒いというのに、主はどこへ行ったものか。

吸い寄せられるように火鉢の側へ陣取り、手をこすり合わせながら考えてみる。


…心当たりがない訳ではなかった。

ただ、本当に寒かったので、せっかく暖かな室内へ入ったというのに、また室外へ出て行って体を冷やす…という事をしたくないような感じがしたのだ。


自分も存外人間らしくなってしまったものだな、と。

泡のような取り留めのない考えを膨らませては弾けさせ、火鉢の暖かさを指先にまで移そうと、しきりに指を動かしていた時。


不意に、カタンと襖が開く音がして、背中へ冷たい風が当たった。

唐突な寒さに顔を顰め、蜂須賀は首だけを動かして自身の背後を眺め、ぎょっとした。


暗く冷たい廊下に佇んでいたのは、薄着で。
しかも、薄い寝間着から出た手足や頬を薄らと赤くした、この部屋の主だったのだ。


あるじ。

そう言うよりも先に体が動き『なぜ蜂須賀がここに居るのか分からない、』というような顔をした彼女の手を引いて襖を閉め、火鉢の近くへ連れて来て隣に座らせるに至った。


握ったままのその小さな白い手は、氷のように冷たく、何の気なしに触れた背中は、体の芯から冷え切っている、というのが言われなくても分かるほど、ひんやりとしていた。


「こんなに冷えてしまってかわいそうに、」


そんな格好で出歩くから…。
言葉の裏に小言を隠し、小さく述べて手を包んでやると、彼女は珍しく『うん、ごめんね。』なぞと素直に謝る。

滅多にない事に驚きながらも、どこへ行っていたのかと問うと、予想していた通りの答えが来る。


「掛け軸を、ね。見に行ってたの。」


もっと何か言いたそうにしている彼女を見つめ、続けるよう促すと、彼女は真剣な表情をして話し出す。


「蜂須賀。私がもし、あの掛け軸が…その、何ていうか……『生きてるかも』って言ったら、信じてくれる?」


「───どういう事だい?」


あまりに突飛な物言いに、頭が混乱した。

掛け軸が生きている、とは。
一体全体、何をどうしたらそんな結論に至るのか。

奇妙奇天烈極まりない主の物言いに理解が追いつかず、こめかみの辺りを押さえる。


…もしや、あの掛け軸は、宗三が言っていたように、本当に良くない代物だったのだろうか。

現に、あの掛け軸と遭遇してから、なかなかに大変なめにあっているのは確かだし、主はいつに増してもおかしな事を言う。

ああ、あの時。
掛け軸を見つけてすぐ処分していれば主に影響が出ずに済んだのかもしれない。


一息にそこまで考えてしまってから、彼はようやく思考を止めた。

…というのも、主がいつの間にか見覚えのある巻物を取り出し、こちらへ突き出しているのが視界の端にちらついたからだ。


『現物を見れば分かる。』
という事なんだろうか。

そんなまさか。
でも、もし本当だったら…?

不安に押し潰されそうになりながらどうにかそれを受け取り、寒くもないのに震える指先で紐を解く。


────相も変わらず。
広げた掛け軸の中央へ兀座する絵には、特に変化がない。

そこにあるのは、真っ白い背景へ紅い葉をつけた紅葉の木が一本と、その枝に止まる白文鳥。
何か余計な物が増えたわけではないし、元々そこへ描かれていた何かが減った訳でもない。


しかし、だ。これは確かに絵。

絵のはずなのに…掛け軸の中の紅葉の木は、今はさやさやと音を立てて揺れ、紅の葉を振り落とし。
枝で羽を休める白文鳥は、頭を機敏に振り回して辺りを見回す。

まるで、本物の風景をそっくりそのまま切り取ってきて絵にしたような。


彼女が言う通り『生きている、』と称するのが正しいような有様であり、蜂須賀は絵の中に広がる世界を呆然と眺めていた。


「…最初はね、ずーっと。ずーっと見ているだけだったの。でも、いつの間にか文鳥が動き出したから、私、びっくりしちゃって。」


まあ、私以外、誰も気がついてなかったけどね。

独り言のように言って、彼女は黙り込む。


どうやら、こちらの反応を待っているようなのだが、いよいよ返答に困る。

『最初は嘘だと思った、』だなんて絶対に言えないし、だからといって嘘をつくのはもっと気が進まない。


さて、どうするべきか。
考えあぐね、苦し紛れに絵へ視線を落とすと。

…特に狙ったわけではなかったのだが、絵の中で忙しなくあちらこちらを見回していた白文鳥と、不意に目が合った。


直後、文鳥が『ギャッ、』と低く声を上げた。

何だか、とてつもなく嫌な予感がする。

これ以上妙な事が起こる前に、と。
慌ててつぶらな黒い瞳から目を逸らすと、文鳥は続け様に『ギャッ、ギャッ、』と低く鳴き声を発す。


これは、文鳥に詳しくない自分でも分かる。
理由こそ定かでないが、蜂須賀は絵の中の白文鳥に、好ましくない存在であると認識されてしまったようだ。

主も、白文鳥が威嚇をしているらしいのを感じ取り『えっ…何で、』と、驚きを隠せないでいる。


威嚇する側とされる側。
これ以上は互いの精神衛生上よくないだろうし、気力が磨り減っていくばかりだ。

もう掛け軸を片付けようと体を動かした途端。


「キャルルルルルル…!!」


文鳥が一際大きな鳴き声を立てたかと思えば、バタバタとその羽をはためかせ。

何をどうやったか知らないが、白文鳥はすうと絵から飛び出て、蜂須賀に飛びかかってきたのだ。


「うわ…っ!?」


顔面に衝突される直前でそれを避け、ほっとしたのも束の間。

文鳥は、踵を返すが早いか、今度は脳天目がけて突っ込んでくるからたまらない。


───本当に訳が分からなかった。

そんな馬鹿な、と幾度となく思ったけれど、これは夢でも幻でもなく、紛れもない現実での出来事であるから、全否定しようが、この白い鳥がいなくなるわけではない。


薄墨でぼんやり…というような作画の割に、くちばしの先でつつかれればそれなりに痛いし、どんなに追い払おうとしても隙を見て体当たりをしてくる分、質が悪い。

攻防を繰り返すうち、はらはらと白い羽毛が舞って、まるで雪のようだった。


不意に眺めた掛け軸には、己の葉を散らし続ける紅葉の木だけが残されており、枝へちょこんと乗っていたはずの文鳥の姿は無い。

…ああ。
今し方抜け出てきたんだから、居なくて当たり前か。


妙に冷静に考えながら、彼は文鳥の猛攻を幾度となく受け止める。

主も主で、文鳥を止めようと隙を伺っているようだったが、彼女が怪我をしたのではいけない。


「俺は平気だから、主は少し下がっていてくれないか、」


言葉の裏に少々含ませていた痩せ我慢を見抜いたのか、主は悲痛な表情で言い淀んだ。


「でも…。」


あなた、傷だらけじゃない。

まさにその通りである。
だからこそ、じわじわ体力が削り取られていくような現状を打破する一手を必要としていたのだが。


「……このっ、」


執拗で理不尽な追撃に耐えつつ、文鳥を落ち着かせる方法を思いつくより先に、我慢の限界が来る方が早かった。

痛みに耐えかねて振り払った手が文鳥に当たり、勢いもそのまま、後方───主の寝室の方へ吹き飛んだ。


そのわずか数秒後。

なぜだか、ばしゃん、と。水が勢いよく零れるような音がした。


『しまった。』

手に残った文鳥の感触を生々しく感じつつ、蜂須賀は自身の背後を恐る恐る振り返る。


そこには薄暗がりが広がってばかりいたが。

よく目をこらしてみると、主の枕元へ置かれた陶器製の水差しが倒れて、腹の内にしまっていた水を畳やら寝具やらに撒き散らしていた。


弾き飛ばされた文鳥が当たって倒れた、と考えるのが一番自然と言えるだろう。

実際そうであるらしく、四方に飛び散った水は周囲を濡らし、それらに冷たく染みこんでいた。


主もその惨状を目の当たりにし、しばらく固まってはいたが、何を思ったのか、立ち上がり、寝室の方へと踏み入った。

そういえば、文鳥はどこへ行ったろうか。


ぼんやり考えながら彼女の後に続くと、拾い上げた水差しを見て、彼女はあっと声を上げた。


「…どうかしたのかい?」


背後からその手元を覗き込み、主の発声の理由が分かる。

水差しには、尾と背をこちらにむけた形で、薄墨で描かれた白文鳥の絵が張り付いていたのだ。


恐らく、水差しと正面衝突をした衝撃でこんな格好になってしまったのだろうが。

彼女が指で何度それをなぞっても、文鳥は二度とそこから抜け出て来る事も無ければ、蜂須賀に危害を加えてくる事も無かった。


それよりも、俄には信じられない事態に遭遇してしまった事の衝撃が大きく、蜂須賀と主は互いに顔を見合わせ、苦笑いを浮かべる事が精一杯だったが。


***


次の日。

主が見せてくれた件の水差しには、相変わらず薄墨で描かれた白文鳥が張り付いたままであったが、昨日見た物とは少し違っていた。

掛け軸の絵の中に居た時と同じように、澄ましてこちらを見ている…という絵に変わっていたのを目にした瞬間『文鳥も、見るからに衝突しましたよ、という姿で張り付いているのは嫌だったのだろう、』と、何となく思いはした。


結局、掛け軸の持ち主はいつまで待っても現れず、掛け軸自体は蜂須賀が。

水差しに張り付いた白文鳥の方は、彼女が管理する事になった。


勿論、蜂須賀と主が体験した奇妙な出来事は内密にする、と決めたため、誰にも話さず終いだが、たまに水差しの白文鳥の姿が変わっている所を見ると、やはり、あの掛け軸は生きていたのかもしれない、と思わずにはいられなかった。


『掛け軸/蜂須賀虎徹』end.

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