掛け軸/蜂須賀虎徹(中)

あちらへこちらへ…と、物凄い労力をかけて彷徨っているうち、彼はとうとう疲れ果て、縁側で休息を取るに至った。

結局、掛け軸の持ち主を探そうとして本丸内の刀剣男士に聞き回っている最中なのだが、当初から抱いていた不安の通り、掛け軸の持ち主の元へは未だ辿り着けていない。


手始めに、書庫の整理をしていた歌仙に声をかけてみたものの『そんな掛け軸は初めて見たね…。』と即答され、その時点で、この掛け軸は彼の持ち物では無い事が明らかになった。

その後も、三日月や一期一振、大般若、宗三…と、有力候補を当たってみたが、皆一様に『そんな掛け軸は見たことがない、』と宣うのだ。


しかも、なまじ知識がある男士は一目掛け軸の絵を見ただけで様々憶測をしてしまうようで。

もし誰の物でも無かった場合の話をしても、決して自分が引き取るとは言わない上、宗三に至っては『そんな曰く付きみたいな物、律儀に持ち主を探すより先に青江か石切丸の所へ持って行って処分した方が余程親切だと思いますけどね、』とまで言い出す始末だ。


正直『二目と見られぬ程恐ろしい絵』…というような感じもしないし、害を成す物であるなら、すぐに分かりそうなものだが───。

そこまで考えたところで、蜂須賀は立ち上がり、気怠そうに伸びをする。


むしろ気は滅入っていく一方だが、やると決めたのだから、ここで投げ出すのはいけないだろう。

溜息は飲み込み、また箱を持って歩き出そうとした途端。


「あれ…?蜂須賀?」


聞き慣れた高音が耳に飛び込んできたので、蜂須賀は弾かれたように声のした方を振り返る。


ずっと背にしていた大広間。

大阪城風にしてあるそこへ、彼女は小動物のように佇んでいた───もっとも、いかにも『掃除をする、』というような服装で。
なおかつ、様々な掃除用具で武装していたために、ちょっと驚きはしたが。


「主…その、」


そこから先が、続かなかった。


特に後ろめたい事はない。

しかし、男士も、もちろん彼女も掃除をしている雰囲気の中、初期刀である自分が箱を持って本丸をうろうろしているのでは、どうも示しがつかないな、と思えてしまったのだ。


「俺に、何か用かな………?」


尻すぼみである上、あまりにぎこちない繋げ方になってしまい、自分でもぎょっとしたが、これ以上はどう頑張っても取り繕えそうにない。

だから『やらかした、』とは思ったものの、彼はただ黙っていた。


余計な事をしなかったのが功を奏したのか、彼女は、今し方目の前の初期刀が発した散文のような言の葉を特に茶化すような事はせず、その小脇に抱えられた桐の箱に興味を示す。


「その良さげな箱には、何が入ってるの?」


果物とかなら、とっても嬉しいんだけど。

心なしか目を輝かせながらそう言う彼女につられるようにして、意図せず口の端が吊り上がった。


もしや、主は腹を空かせているのでは…という考えに至らないわけでは無かったが、すぐに箱の中身を明かしてしまうのはつまらないだろう。

果たして、他の者よりも表情が豊かな主は、この掛け軸を見てどんな反応を示すのか。


一部からは『なんて悪趣味な!!』等と非難を受けそうな気はしたが、一瞬のうちに沸き上がった興味を抑えきれず、彼は優雅な仕草で彼女の手に握られていた掃除用具を取り上げ。

代わりに、その細腕へ箱を抱かせて緩く笑った。


「えっ、あの…。」


渡されるがまま。
とりあえず受け取ったは良いが、彼女は困ったように眉根を寄せ、こちらを見上げる。

『これを私にどうしろと。』

口以上に物を言う目に苦笑し、確かに、何も告げられず、物だけ渡されたのではどうにもしようがないだろうな、と思った。


「中身が気になるんだろう?」


開けてごらん。

いつもの調子で。
しかし、裏にある好奇心を消して気取られないようにそう言ってやると、彼女は上辺の意図を察してか『じゃあ、開けるね!』と前置きしてその場に座り込んだので、自分もその近くに座った。


うきうきしながら箱を眺める彼女からは、こちらを疑っている素振り等微塵もなく、逆に不安さえ覚える程である。

その白く細い指が紐に手をかけ、あっという間に結び目を解き。
蓋を上に持ち上げ、中を覗き込んだ彼女は、途端に残念そうな顔をした。


「果物じゃないのかぁ…。」


あからさまに落胆した声が、薄桃の唇から漏れ出す。

一連の流れに思わず吹き出しそうになったし、主らしいな、という感じはしたが、ここはあえて何も言わずに見ている事にする。


「…まあ、いいんだけどね。」


誰に向かって言うでもない呟きを放って、彼女は、何十にも重ねられた和紙を掻き分け、底に隠れていた掛け軸を探り出す。

何とも言えぬ表情に拍車がかかり、彼女はそのまま自身の膝頭の前に掛け軸を置くと、端を押さえ、何の気なし…というように、丸まった部分を横へ転がした。


猫が暇を潰すために、たまたま近くに転がっていた鞠へ気怠そうにじゃれつく時の仕草に酷似したそれは、可愛らしくもある。

けれど、彼女の美術品への興味の無さを露見させるようで、ちょっと頂けない。


扱いこそそれなりではあるけれど、本当に興味がないのか、主は端から端まで掛け軸を広げたところで、絵を一瞥し、欠伸をした。

…ここまでは、ほぼ予想通りだが、そこから先は少し違っていた。


目尻に浮いた涙を指先で拭い、また絵をちらりと眺めた途端に、彼女はどこか驚いたように目を見開き、掛け軸の上へ前屈みになり。

そうして『見たことがない組み合わせだ』だの『奇妙奇天烈で不吉な感じがする』だのと、誰もが散々に文句を点けた紅葉と文鳥の絵を、何故か食い入るように見つめていた。


「───これは、」


その先を待たずして、蜂須賀は言葉の先を脳裏に思い浮かべる。

先に続くのは『何て不吉な…。』もしくは『何て奇妙な。』だろうか。


聞き飽きた言葉のどちらかが来るのをしばらく待っていたが、当の主は何も言わない。

もしや、気分を悪くしたのでは…。


見ているこちらが心配になるくらいに、彼女は長い間顔を伏せていたので、慌ててその顔を覗き込む。

しかし、そこにあったのは青い顔…ではなく、平生から白いその頬を紅潮させ『嬉しくて嬉しくてたまらない、』とでも言いたげに目を輝かせた主の顔だったのだ。


どこまでも予想の斜め上を行く彼女に、どう話し掛ければ良いのか。

自分の望んだような結果には収まれど、何も言わずにいると、彼女は突然顔を上げ、鼻息も荒く話し始める。


「…ねえねえ、蜂須賀。ここに止まってる白い鳥って、」


白文鳥だよね!?

確信を持って放たれた言葉に頷くと、彼女は『やっぱり!!』と言うが早いか、表情を緩ませ、興奮気味に語り出す。


「私、白文鳥大好きなの!!…子どもの時に遠足で行った資料館に、2000年代初頭頃に撮られた白文鳥の動画があってね、」


やっぱり、遺伝子操作で産まれるよりも、自然交配で産まれた子の方が、性格とか、好きな遊びとかが違ってて、すごく素敵だなって思ったの。


そこまではただ聞いていたから、彼女が白文鳥に対して並ならぬ愛着と興味を持っているらしい事は分かったが、端々に馴染みのない言葉が出て来るもので、彼女の話を全体的に理解するには至っていない。

ただ、時代が変われば物の価値も変わるのかもしれないな、とぼんやり考えた。


とりあえず、話を再度噛み砕いて消化しようと思った所で、彼女はいきなりとんでもない事を言い出す。


「この掛け軸、蜂須賀の?よかったら私に譲ってくれない!?」


かなり食い気味に。

それも『ここで譲ってくれなければ殴り倒してでもこれを奪い取る、』と言わんばかりの雰囲気で迫ってくるものだから、彼はやや引き攣った顔でその申し出に応じる。


「その、そうしたいのは山々なんだが…実は、これが誰の物か分からなくてね。今持ち主を探している所なんだ。」


こちらが話している最中も、彼女は目に物を言わせ、目線だけで、早く早く…と急かしてくる。

突き刺さるようなそれらを、同じように目線でいなしながら、やっとこさ事実を伝えると、彼女は『えぇー…。』と心底残念そうに表情を歪めた。


元々、彼女の反応を見たいがために、こちらから掛け軸を見るよう誘導したのは認めるけれど、まさかこんな事になるなんて思ってもみなかったから、どうか許して欲しい。

別に持ち主をさがす手間を彼女に押し付けたいわけではないし、持ち主の了承を得ないまま、これを彼女に横流しするなんてあんまりだろう。


紐状にした理性で、今にも散らばっていきそうな思考を纏め上げ、蜂須賀は無言のまま掛け軸を片付けようと手を伸ばす…しかし、彼女はまたもや行動を起こした。

白くて柔いその手が自身の腕を掴み、こちらの動作を阻止して。


「ま、待って…。」


必死の形相で言うが早いか、彼女は早口で捲し立てる。


「ほ、ほら…持ち主が見つからない拾得物は、審神者が一時預かりするっていうシステム、あるじゃない?だから、ここで私が蜂須賀から誰のか分からない掛け軸を渡して貰ったとしても、あー…その。アレよ…交番に財布を届けた?みたいな?扱いになるから、大丈夫っていうか…。」


「………………。」


絶対に口には出さないけれど、あまりの必死さに困ってしまう。


「簡単に『預かる』といったって、どうやって持ち主を見つける気でいるんだい…?」


主は大概忙しいだろう?

紛れもない事実を突きつけると、彼女は思い切り顔を顰めて講義の姿勢を見せた。


さて、今度こそ諦めてくれたか。


淡い期待を抱いてその顔を見下ろすも、僅かな間を置き『…じゃあ、』と。

薄紅色の唇が、また言葉を発し始めた。


「じゃあ、ここに下げとく。」


「………いや。『ここ』って、まさか、ここの床の間にそれを飾る気かい!?」


「御名答。それなら、誰かしら気付いて『それ私の!』って申告してくるんじゃない?」


ほら、掛け軸なんだから、あるべき場所に飾らなきゃね。

『我ながら上手い事を言ったな…。』と、どこか誇らしげに表情を緩める主には、もう勝てない。


恐らく。

いや、想像しなくとも、こんな奇妙な掛け軸を飾っておくだなんて、美術品の価値が分かる勢から見れば、失笑もの。

…もしくは卒倒されかねないだろうけど、長年共にいた仲である彼女に、こんなに分かりやすく強請られたのでは、はなからこちらに勝ち目などないのだ。


すっかり白旗を上げ、蜂須賀は溜息をつき、脱力した。


何だか、どっと疲れが襲ってきたようで、鏡を見なくとも、自分がどれだけ窶れた顔をしているのかが分かるようだ。


「…分かった。そこまで言うなら、これは主に任せるよ。」


静かに。

しかし、疲れが滲んだ言葉を放ると、彼女はそれすら嬉しそうに受け取り『ありがとう!!』と元気よく述べて、床の間がある場所へ走るが早いか、今しがた手にした掛け軸をさっそくそこへ掛けた。


その無邪気な様は非常に可愛らしかったけれど、こちらとしては、今後のことを考えれば考えるほどに、気が重い。

───こうして、文鳥と紅葉という奇妙奇天烈極まりない掛け軸は、本丸の主によって堂々と大広間へ居座る事となったのだった。


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