掛け軸/蜂須賀虎徹(上)
『たまには本丸中の大掃除を。』と。
正月前でも無いのに、誰がそんな事を言い出したのかは定かでない。
しかし、夏場の間は『暑いから』と理由を付け。
最近は『寒いから』と言い訳して、本丸の庭の整備やら、細かい所の掃除を怠ってきたのは紛れもない事実であったから、誰も彼も、自分の手の届く範囲からこそこそと掃除をし始めた次第だった。
かくゆう蜂須賀も、そんな周囲に刺激され、雑巾と箒とバケツをどうにか調達し、私室の掃除から始めたわけだが。
雑巾を水に浸して絞り、何の気なしに棚の上を拭いて絶句した。
───たった一拭きしただけだというのに、この埃の量。
常日頃の掃除をさぼっていた部類という自覚はあったが、これは流石に酷いのでは…。
いや、そもそも。
自室に常日頃から籠もっているわけでは無いし、寝に帰ってくるだけの場所と化していたというのに、これ程埃が溜まるのは、どういう事だろう。
埃を立てるような行動などした覚えはないし、外から埃が舞い込むなんて事もない。
鼻がむず痒くなってきた所ではっと思い至り、慌てて部屋中の窓を開け放して。
出入り口の障子も容赦ない勢いで開け放ったが、一足遅かった。
「〜っくしっっ!!!!!!」
体を震わせ、盛大にくしゃみをしてしまい、情けなくなった。
虎徹の真作が、掃除もろくにせずに。
その上、舞い上がった埃でくしゃみをするなんて…!
自分で招いた結果とはいえ、許せぬ事態にぎりりと歯を食いしばり。
落ちてきた髪をきっちりと結い纏めるが早いか、決意を新たにし、凄まじい勢いで掃除を始めた。
上から下へ。
埃を払い落とし、埃が無くなるや否や、隅々まで水拭き。
それから、障子の桟やら、姿見の下。箪笥の後に文机の窪み等々、今まで見て見ぬふりをしてきた隙間という隙間へ箒を忍び込ませ、狭い所へ逃げ込んだ憎き埃を一網打尽にする。
ここまで徹底的にやれば、ぱっと見『部屋がとても綺麗になった、』というような錯覚に陥るが、まだ油断してはいけない。
一度廊下の方を見やり。
窓から庭を確認して、今ここに居るのは自分だけで、他の誰も『不意にこの部屋に立ち寄る恐れが無い、』と判断した上で、彼は部屋の奥へひっそりと佇む押入の前へと移動した。
ここから先が重要だ。
本当は開けたくないが、これ以上掃除をさぼれば、いつまたさっきのような情けないめにあうか分からない。
『背に腹はかえられない。』
覚悟を決め。
部屋と、物置と化しているそこのスペースを隔てる襖を、一息に開けようとしたが…なぜだか開かない。
渾身の力で押したり引いたりしてみたものの、やはり駄目だ。
そのままガタガタと揺さぶってみても、やっぱり開かなかった。
物は試し、という事で、今度は無理に力をかけず極力そっと押してみると、するすると襖が動いた。
心の中で喜んだのも束の間。
そう上手くいくはずもなく、実質動いたのはほんの数センチだけ。
…丁度、手の指を三本横にして入れられるくらいの隙間、といえばイメージしやすいだろうか。
とりあえず、申し訳程度に開いただけで、それから先は押してもどうにもならない。
一瞬、自分の腕がなまったために開かないのではないか…という所まで考えてしまい、酷く不愉快な気分になりはした。
しかし、色々試しているうち、どうやら襖の裏側に何か物が引っ掛かって開けられなくなったらしい事に気が付き、溜息が出る。
「仕方ないね、」
この手だけは使いたくなかったが…。
次の瞬間、蜂須賀は襖の端と端をしっかり持ち、そのまま上へ持ち上げる。
すると、ガコン…と音がして。
襖が、元収まっていた所から易々と持ち上がった。
外した物を横へ置こうとして、何の気なしに襖をすうと動かすと、ゴトリと。
何かが畳へ落ちたのが分かった。
はてさて、何が挟まっていたものか…と、畳に落ちた物を確認して、彼は一瞬面食らってしまう。
見た目は、特に妙な所の無い、長方形の桐の箱。
大きさは、一尺一寸八分…大体四十五センチ程であろう。
白っぽいそれに、まだ新しい黄色の紐がきっちり結ばれていたので、落ちても中身が飛び出る事こそなかったが。
一瞬『もしこの中に入っていたのが瀬戸物だったりしたら、』…と。
我ながらぎょっとするような考えに至り、慌ててしゃがむが早いか、恐る恐る箱を持ち上げる。
普段はこんな事は絶対にしないのだが、今は事が事だ。
心の中でこの箱の中身に詫びつつも、やむを得ず軽く振ってみると、陶器の破片が擦れ合う音ではなく。
自分が予想していた物よりも遙かに軽い。
それこそ、巻物が入っているかのような乾いた音がして、心底安堵する。
───安心したが、これは…。
「…これは、」
何だろう…?
自分でも、箱の中には何が入っているのか分からないし、この箱に見覚えがあるかと問われた所で、否と答える。
だから、彼は箱を抱いたまま正座して、とにかく考えをまとめてみる事にした。
……正直、幾ら記憶を辿った所で、自分がこんな代物を買った覚えはない。
彼自身、本当に気に入った物があれば、たまに美術品を買い求める事はあれど、同期の歌仙のように、あれもこれもと物を収集するような質でもない。
だとすれば『誰かの物を預かった。』と考えるのが妥当だろう。
さて、次に問題になるのは『これが誰から預かった物だったか、』という所だが。
「……………。」
…困った。
誰から預かった物であるか、全く思い出せない。
無難な所とすれば、恐らく歌仙か三日月。
もしくは宗三か大般若か村正かも…。
いや、もしかすると一期一振か鶯丸か───下手をすると、髭切か膝丸か小烏丸辺りだったかもしれない。
御手杵、包丁、長谷部に大倶利伽羅、同田貫…と。
美術品が好きな面子から、興味が全くない、もしくはなさそうな面子まで名前を挙げきり、蜂須賀は脱力する。
あまり考えすぎたので、どこか目眩がしているような感じがした。
途方に暮れて箱を見下ろすも、都合良くどこかに記名してあったり…という事はないから、どうにもしようが無い。
煮詰まってきた所で、何を思ったか。
彼は溜息をつき、預かり物であるかもしれない箱を開けだした。
紐を解き、蓋を開け、何十にも紙に包まれていたそれを器用に開封していく。
別に、気が違ったわけではない。
中を見てみれば、誰の物であるか見当がつけやすくなるかもしれないと思ったから、という理由から開封作業に踏み切ったのだが。
…正直、中身が気になって仕方ないような所もあったし、今の今まで大事に預かっていたという功績があるのだから『一度くらい見ても罰は当たるまい、』と思ったのも確かである。
かさかさ、と。
包み紙を寛げていると、中からようやっと丸い物が姿を現す。
取り出してみると、それはやはり巻物…いや、掛け軸のようだった。
これ自体はさほど古いものでは無いのか、かび臭い匂いや、虫食いはどこにも認められない。
何気なく端を持って畳の上へ広げてみれば、その掛け軸には、鮮やかな紅い葉をつけた紅葉の木と、枝の先に止まる真っ白な文鳥が描かれていた。
…どうやら、絵の雰囲気的には山中の様子を描いているようだが、山中ではどう頑張っても生きていけないであろう文鳥の姿は、力強い紅葉の木には釣り合っていないように見えて、物悲しい気分になった。
この絵の作者は、紅葉の木の枝へ雉や雀といった自力で生きていけるような鳥を描かず、あえて人に飼われるような真っ白い文鳥を描いたことで『命の儚さ』や『世の中にはどうしても釣り合いの取れない物がある』という事実を表現したかったのかもしれない。
自分なりにそう解釈して、彼は静かに掛け軸を元のように丸め、箱の中へ収めてしまう。
それから、蓋を小脇に抱え、掛け軸を箱ごと持って部屋を出た。
───当初の目的は、結局果たせなかったからだ。
文鳥と紅葉なんていう奇妙な組合せを好む男士等、一発で分かるわけがないし、好みなんて所詮個人の匙加減による所だってあるのだから。
様々徒労を重ねた結果、意図せず振り出しに戻った感じがしてやるせなくなったが、面倒くさがって先延ばしにすると、後が酷い…という教訓から、仕方なく廊下に出る。
結局の所、品物を持ち歩いて一人一人に聞いてみるのが一番なのだ。
…果たして、聚楽第へ行っている者や、遠征に出て行った者がいる中、今日中に掛け軸の持ち主は見つかるのか。
早くも長期戦になりそうな予感に、また深い溜息が出た。
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