1:30シリーズ | ナノ


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真夏の庭先は、なかなかに面白い。


誰かが鉢植えで育てている朝顔だったり、広い畑の手前に作った向日葵畑だったり、生い茂る木々の小枝に止まって上手く涼んでいる鳥だったり。

そのどれもが、降り注ぐ日差しの中でも色褪せもせずにそこにあり、自らの存在を主張して、輝いているように見えるから、夏は特にお気に入りの季節だ。


この空間においては、景観を替えれば、いつでも。

それこそ、自分の好きな季節のまま気候を固定しておく事も出来るのだが、安定の主はそれを良しとしない。


追加される景観をとにかく揃え、季節が変わるごとに細かく景観を変え。

暑さや寒さ、季節の変化を、まるで本物の一年を過ごすかの如く自分で入れ替えて楽しむ…いわゆる物好きな部類であった。


彼女も夏が好きなようで、今年も現実の通り、日差しも気温も操作するつもりだ、と張り切っていたものの、厚着の刀剣男士からは『季節だけなら分かるが、わざわざ気温まで再現してくれるな、』という苦情が相継いだため、少々むくれていたが。


さて、こうして縁側や窓辺にさえ腰掛けていれば、まず間違いなく見られる光景をぼんやりと眺めていると、戦場の事も急に霞み出してしまうから不思議だ。

絵画の一場面のようなごちゃごちゃした風景の中から、自らの双眸は、一瞬で物好きな思い人の姿を見つけ出す。


───今日の彼女は、飴色の柄杓と桶を手に、白っぽい色の浴衣をさらりと着こなして、打ち水をしていた。

頭には、相変わらず大きな麦わら帽子が乗っており、何だかバランスが悪いようにも見えたが。


「(今日、洋服じゃないんだ…。)」


昨日は青みがかったワンピースだったのに。

着物は着物で好きなのだが、やはり洋服ならではの良さもある、と。
些か変態くさい考え方をしてしまったが、誰でもそう思う事はあるだろう、としておいた。

それとは裏腹に、彼女の姿を見れば見る程熱くなる自身の胸の内に思いを馳せ、何だか気分が重くなった気がしたのは内緒だ。


大分前から気付いているこの気持ちは、十中八九彼女に対しての物である事は分かっている。

ネットの文献や本で見た限り、この感情の名前は『愛』という代物であるらしい。


それも、この愛には『友愛』『博愛』『兄弟愛』『家族愛』という具合に色々と種類があり、日常生活においてこれらは複雑に絡みあい、溶け込む等して溶け込んでいるというのだから、尚分かりにくい。

それだけならまだしも、余程特殊なケースを除けば、物だったり、相手だったり。
とにかく自分以外の誰かや何かがないと成り立たないらしいから、きっと愛とは大層な物なのだろう。


また、この愛を持ってして、相手のために誠心誠意尽くした所で、それが必ず受け入れられる保証は無い。

はたまた、相手のためを思って取った行動であったとしても、いい迷惑として捉えらえられてしまう事もあるそうだから、慎重にならざるを得ない。


ここから推測するに、愛というのは、紅茶に入れる砂糖みたいな物なんだろう。

あの紅く香りの良い飲み物に、白くさらさらした山をどれだけ削り取って、どのくらい入れるか、だなんて。

あくまで個人の匙加減に委ねられるような部分であるけれど、多すぎると当然嫌がられるし、少なすぎればケチだと思われるから、大衆受けするか否かの所を見極めた…いわゆる適量、と呼ばれるような所を狙った方が無難であるのは想像に難くない。


しかし、どうしてなかなか。

愛は、大それた言葉であるからか、価値がとても高いのだ。


愛の持つ言葉の重みは、思わずハッとさせられるような所があるし、その重みで相手を自分の方へ向かわせる事も出来れば、拘束する事も出来る。

そのくせ、使いすぎるとそれだけ価値が下がるから、たまに使うくらいが丁度いいのだと言う。


そして、忘れてはいけないのが『愛は万能ではない、』という事だ。

ただ愛があっても、どうにもならない事だってあるし、愛があれば壊れた物が統べて直せるわけでも、腹が膨れるわけでもない。


事実、愛を勉強するために今まで読んできた漫画の中では、愛し合う恋人同士であっても、何か別の都合で別れなければならなかったり、愛を持って道具を修復しても、修復中にそれが壊れる、砕ける等して、どうにも上手くいかない事の方が多かった。

また、どこぞの小説の中では、愛を『自分の心を千切って相手に捧げる行為、』として捉え、そのために痛みを伴い、苦しく感じるのだ、というように説明していた。


…正直なところ、理論としては理解できるが、いかんせん未だ体験していないような事もあり、愛が余計難しい物のように思えたのも確かだ。


それがそうなら、応用として。

日常生活の中で相手に愛を伝える場合は、どうするのが適切なのだろう?


『愛してる、』と口に出して言うのが、一番簡単なやり方であるが。


いかんせん、今も昔も、自身の強い気持ちは黙する事こそ美しい、とされてきた上、柔軟な考え方をする現代人にそれをやってみるにしても『好き、』『愛してる、』なんて日常的に言えるかどうか、というのは、完全に個人の感覚に任せられるような範囲であるから、結局は相手がどこまで許容してくれるかにもよるのだ。

いくらこね回してみても一向に答えに辿り着けないものだから、今自分の胸の内に支えて、ただひりつく気持ちを上手く吐き出す事すら難しい。


───少し、考えすぎていたようだ。

こめかみを伝う汗を拭い、ゆっくり視点を移動させると。


先程まで、手を伸ばせば届く範囲にいたはずの彼女は、視界からいなくなっていた。
加えて、辺りには誰の姿もなく、はしゃぐ声すら聞こえてこない。

まるで、自分だけがこの景色の中に取り残されてしまったかのような。


そんなわけはないのだが、ほぼ完全に一人、という滅多に無いような状況に不安を覚え、彼は勢い良く立ち上がって辺りを見渡す。

…当然ながら、周囲の風景は変わっていない。
それなのに、どんなに目を懲らしてみても、彼女だけが居なかった。


たったそれだけで、さっきの何倍も周囲の色が褪せて見えるような気がしたのは、きっと気のせいでは無いだろう。

代わりに、縁側の端へ凭れるようにして置かれた桶と柄杓が仲良く互いを支え合って静かにこちらを見返すばかりで、彼女の姿はない。


「…どこに、」


行ったんだろ。

自身の口から転がり出た言葉は蒸し暑い空気の中に飛び出て、ほろほろと掻き消えた。


…実際、いつもこうなのだ。


安定の現在の持ち主であり、仕事をする上での上司である彼女に勝手に想いを寄せ、眺めて、自分の思いをどう伝えたものか、と。

彼女の姿を遠巻きに眺め、頭が痛くなるほど考えに考えてはみるものの、深みにはまった所でふと気が付くと、彼女の姿は消えている。


かれこれ、この繰り返しが一年近く続いているものだから、本格的に『思いを拗らせている、』部類に入るのでは無いか。

一つ溜息をついて、安定は元のように縁側に腰掛け───八つ当たりに少しばかり体重を掛けたのが応えたのか、自身の下に居る板が、キィと短く悲鳴を上げた。


それから、ぼうっと庭先を眺めて、先程見た思い人の姿を脳裏に浮かべる。


強い日差しの下にあっても未だやける事のないその白く柔そうな肌を。

きっちりと結わえられた黒髪の香りを。

呼び止めれば、少々上目に。
しかし、こちらだけを真剣に見上げる瞳を。


その時、ざあっと強い風が吹き、濃い夏の香りを攫って、無理矢理体の中に押し込めてきた。

最初は生温く感じたそれは、彼女が撒いていった水のせいか、どこかひんやりとしているように感じる。


『今ここに、主が居てくれたら。』

そう思ってしまうくらいには、彼女を恋しく思っていた。


去年も、一昨年も。
…結局のところ、僕は主をずっと見続けていたんだ。

それなら、やっぱりこれは愛なのだろう。


確信はあるものの、まだそれを口に出せずにいるのは、今まで黙していた時間があまりに長かったからに違いない。

───いっそ、物言えない刀に戻った方が楽なのかもしれないけど。


言い訳めいた事を思って、熱く燻る気持ちをまた持て余す。


「(どうしたものかな、)」


途方に暮れて見上げた空は、どこまでも青く、高くて、何だか無性に憎たらしくなった。

軒先に吊された風鈴がけたたましく鳴り響く音でさえ、どこか遠くの事のように感じられる。


この、呪いのような…とまでは言い過ぎかもしれないが、今年の夏が終わる頃まで。

彼女に自分の思いを伝えられれば。
そうして、互いに思いあうような関係になれれば、どんなにか素敵だろう。


もっとも、それまで主が他の誰かに取られてしまわなければ、の話だが。

せっかくの希望を、自身の不穏な考えで台無しにしつつ、安定はまた考える。


『今年の夏は、いつまでなのか。』

猶予は、多ければ多いに越した事は無い。


とにかく、今の彼にとっては、それが『愛』の次に気になる事だった。


end

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