1:30シリーズ | ナノ


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『旅行に行きたいな。』

それも、うんと景色の良い、遠い所へ。


彼女が唐突にそう言いだしたのは、いつ頃からだったか。

一年か、それよりずっと前だったような気もするし、昨日か一昨日くらいに突然言い出したような気もする。


…とにかく、自分以外の男士全員が、それと似たような発言を耳にしている時点で、彼女が常日頃から『旅行に行きたい、』と、自身の願望を漏らしていたのは間違いない。


しかしながら、審神者という職に就いている以上、職務をほっぽって何処へなりと好き勝手に旅歩けるはずもなく、それは未だに叶わぬ夢のままであった。


どこの審神者も例外なく、本丸から容易に離れられないよう細工されているのだから、ついぞこの前まで、歌仙自身。また、他のどの男士でさえも、主の望みは今後も叶わないのだろう、というように信じきって。

しかし、彼女のささやかな願望を生かしも殺しもせずに、ただただ受け流しながら、日々を過ごしていた。


周りがそうであるように、彼女も心のどこかでそれを薄々感じていたはずである。


それが、どうだろう。

『願い続けていれば、夢は必ず叶う。』等と、一体どこの誰がそんな事を言い出したのであったか。


どういう風の吹き回しなのか、突然、彼女の望みが叶う日がやってきてしまった。


───叶うと言っても、厳密に言えば、たった一通の書状によって、彼女の休暇が決まっただけの事だったが。

それを他の誰でも無く。
ひどく嬉しそうな彼女から教えられた時には、雷にでも打たれたような心地がした。


彼女から伝えられた休暇の内容をかいつまんで説明すると、彼女自身の日頃の真面目な勤務態度が評価され。

また、審神者を始めてからそろそろ三年が経つ、という事で、今回特別に一週間の長期休暇が与えられたのだそうだ。


その間は、現世に帰って家族に会うも良し。

本丸に籠もってひたすらぐだぐだと過ごすも良し。

どこへなりと旅に出掛けようとも、守秘義務さえ守れば問題なし。


と、まあ。

要するに、好きな事をして過ごせとのお達しのようだった。


刀剣男士としては、一週間も主と会えなくなるかもしれない、というのはあまりに不安な事である。

…それをよそに、彼女はさっさと旅行の計画を立て、その日のうちに、宿や観光ガイドの手配等、何から何まで全て自分で済ませてしまったものだから、彼女を引き止める間もなかった。


そうして、ぼうっとしながら、出陣と内番と遠征を何時ものように繰り返し、ついに今日、主の休暇当日となった。

歌仙は単身、主の見送りをするため、政府が管理する特殊な時空転送装置の前に立っていた。


気を遣われているのか、転送装置の付近には、歌仙と彼女以外の者の姿は無い。


…本当の所、彼は転送装置に到着するまでの護衛の他に、荷物持ちも担っていたのだが。

彼女の荷物はというと、持ち運びに困らぬ小型のキャリーバッグが一つと、現世で流行しているらしい小さな斜め掛け鞄だけであったために、持つ物も無く、結局ただの見送りという形になってしまった。


現世の服に身を包み、旅行こうとする彼女は別人のようで。

ここ数年の間、顔を合わせない日はまず無いほど一緒に居たはずなのに、何だかやけに遠い存在であるように感じてしまう。


「…じゃあ、」


道中、気をつけて。

起動し始めた転送装置の音にかき消されない程度の声でそう告げると、彼女はどこか晴れやかな笑みを浮かべる。


認めたくなかったが、それは自分が見てきた中でもとびきりの物だった。


「見送り、ありがとうね。歌仙、」


…行って来ます。

その一言を残し、彼女は瞬く間に転送装置の光の中へ消えていく。

眩しい光が一際強くなり、思わず目を閉じた瞬間。彼女の姿は、完全に歌仙の視界から消え去ってしまった。


先程まで主が居たはずの場所を呆然と眺めているうち、何とも言い表せぬような寂しさが込み上げてくる。

───いつもは見送られる側の自分が、こうして彼女を見送る日が来ようとは。


主の笑みとは対称的に、重く沈んだような気分で踵を返し、本丸に帰ると同時に、主のいない日常が始まった。


一日目は、誰しもが久々の休息を喜び、好き勝手に過ごしていた。

二日目は、食事の度に間違えて主の分の茶碗を出してしまい『僕らも大概だね、』等と言って、厨にいる面々と苦笑いした。

…三日目は、何だか本丸中がそわそわとして落ち着かない。

皆、何だか様子がおかしかった。

いつもは大人しいはずの五虎退の虎は、機嫌悪そうに唸りながら行ったり来たりを繰り返し、同田貫は『今日は調子が出ない、』と言って、顕現されて以来、初めて鍛錬を休んだ。


主から電話がかかってきたのは、丁度巴型と静型が縁側に並んで黄昏始めた頃合だったか。

最初に電話を取ったのは燭台切で、彼によると、主はどうやら歌仙に用事があって電話をしてきたらしいが…主と話したくて堪らなかった短刀達がそれを聞かず、あっという間に行列を作ったために、歌仙の元へ受話器が回ってきたのは、それから一時間以上経ってからの事だった。


「主、最後にどうしても歌仙君にかわってほしいって。」


少し困ったように笑って受話器を手渡し、ごゆっくり、と付け加えて部屋から出て行く燭台切を見送り、そっと通話ボタンに触れる。


…それにしても、他でもない自分に用事とは、一体何なのだろう。

旅の費用が足りなくなったから、現金を送って欲しい、という事か。
それとも、土産物があまりにも多すぎるので、本丸に送っても良いか、という相談か。

どちらにせよ、旅先で何かやらかしてしまった…という報告でさえなければ良いのだが。


やや緊張しながら、もしもし…と受話器越しに話しかけると、向こうから安堵したような彼女の声が聞こえる。

たった数日離れていただけだというのに、ひどく懐かしい声だった。


「ああ、良かった。いきなりごめんね、どうしても歌仙に言いたい事があって、」


…聞いてくれる?

これは、彼女が自分に何か許可を求める時の言い回しだ。


「…どうしたんだい?」


いつものように返せば、彼女は少し黙り込み、受話器越しにささやくような声で話し出す。


「あのね……これから、本丸に帰ってもいい?」


「………!」


思いもよらない言葉に、体が震えた。

どこか嬉しいような気持ちもあったが、それを素直に言葉に出すのは、彼の初期刀としての矜持が許さない


僕は、彼女の選んだ初めての刀にして、困った時の最後の砦。

いつでも主を支え、彼女が判断に苦しむような事に出くわした際には、その最善の利益となりうる選択を提示し、より後悔しない方を選べるように助言しなくてはならない。


僅かな喜びはすぐに胸の内にしまい込み、歌仙はすかさず言葉を紡ぐ。


「帰ってくるのはもう少し先の予定だったろう?…君、あれだけ旅行を楽しみにしていたじゃないか。」


もういいのかい?

自分でもやや突き放すような言い方となってしまったが、それも致し方ない。


冷静に考えれば、これは彼女が審神者になって初めて与えられた休日なのである。

その過ごし方をとやかく言うのはどうか、と問われてしまえば閉口するしかなくなるが、彼女は仕事を除けば、約二年ぶりに現世へ出たのだ。

せっかくのプライベートを楽しんで欲しい、という気持ちも勿論あるし、正直なところ、今後はいつ休暇がもらえるのか、だなんて予測も出来ない。

もしかしたら、彼女が現世を好きに歩いて回れるのはこれで最後…という事にもなりかねないし、多少の事には目をつぶるから、せめて悔いの無いよう、存分に遊び歩いてきて欲しい。


『もういいのかい?』という簡単な言葉の中に様々な思いを詰め込んだまま返答を待つと、受話器の向こう側にいる彼女は、沈黙してしまった。


言い方が強すぎただろうか。

こちらが焦れるような頃合までたっぷり間を取って、彼女はようやく発語する。


「うん、そう…そう、だよね。」


でも、


「何だか、歌仙に会いたくなっちゃったの。何でだかは、分からないんだけど。でも、会いたくて、会いたくて…たまらなくなっちゃって。おかしいよね、こんなの。」


…歌仙は、私の顔なんかニ、三日見なくても平気かもしれないけど。


思いもよらないような言葉に、知らず知らずのうちに頬が紅潮していくのが分かった。

ただ、後半の方は少し余計で、雅さの欠片も無いような言葉だけれども、そこがまた彼女らしい。


───今回ばかりは僕の負けだ。

完全に白旗を上げ、歌仙は脱力した笑みを浮かべる。


「まったく、今生の別れじゃあるまいし…君は仕方のない子だね、」


迎えに行くから、帰っておいで。


口では呆れたように。
しかし、どこか嬉しそうにしながら、彼はマントを翻して、もう本丸の玄関口へと歩き出していた。

…実を言えば、自分も早く彼女に会いたくてたまらなかったのだ。


いつの間にやら通話が終わってしまい、ツーツー…と切なげに音を吐き出すばかりの受話器を、丁度近くを通りかかった鯰尾に押し付け、尚急ごうとすると、不意に袖を引かれる。


「あの…主さん、何て言ってました?」


まさか、怪我したとか…そういうのじゃないですよね?

心配そうな鯰尾を宥めるように、とりあえず心配はいらないという旨を伝えると、彼はホッとしたような表情で胸を撫で下ろす。


「…そうそう、主はもう帰ってくるそうだから、皆にもそう伝えてもらえるかい?」


ごく軽く伝えると、鯰尾は驚いたように目を見開く。


「えぇ…?せっかくの旅行なのに、勿体ないな。」


「まったく、その通りだね。」


…僕達の主は、何を考えているのだか。

お決まりの台詞をとびきりの笑顔に乗せて呟き、歌仙はまた優雅に歩き出す。


彼女に会ったら、何を話そうか。

まずは、旅先での話を聞くか…いや、本丸に帰る前に、初期刀の権限を思う存分に活用して、どこかでゆっくり話をしようか。

慣れた手つきで転送装置を操作しながら、彼はふわりと笑みを浮かべた。


end

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