- ナノ -

交錯する信念

   七番隊舎の敷地へ足を踏み入れた小梅は、足早に歩を進めていく。


「桐島さん、おつかれさまです!   今日は、アイツに……?」

「ああ。今は留守だったか?」

「いえ、いつもの場所にいます」

「そうか。なら、少し邪魔するぞ」


   どうぞごゆっくり!   と頭を下げる七番隊の隊士に軽く手を上げ、小梅は隊舎の中に入るでもなく、裏手に回っていく。

   隊舎の裏まで来たところで、鳴き声が一つ響いた。それを皮切りに、何度も聞こえるその声に、彼女は歩調を緩めながら、音の出どころに顔を出した。

   そこには、尻尾をブンブンと振りながら、待ってましたと言わんばかりに鳴く柴犬が一匹。七番隊の隊舎裏で飼われている五郎だ。小梅が彼に歩み寄ってしゃがめば、五郎は前脚を上げて彼女の膝に乗り上げた。

   小梅は時々、この五郎に会いに来ていた。最初の頃は警戒されていたのだが、時間をかけて彼と接してきたおかげが、今ではそれなりに懐いてもらえていると自負できる。彼女の姿を見ると嬉しそうに尻尾を振り、駆け寄ってきてくれるまでになったのだから。彼とのふれあいは小梅にとって、一つの癒しになっているのだ。


「む……?   桐島か」


   足音が近付いてきているのは察知していた小梅は、背後からかけられた声に驚くこともなく振り返ると、小さく頭を下げた。二〇〇センチを越える身の丈と、肌を隠す鉄笠や手甲を身につけている巨漢。七番隊隊長、狛村左陣である。


「お邪魔しています、狛村隊長」

「構わん。五郎に会いに来てくれたのだな」


   見上げるほどの体躯に首が痛くなりそうで、小梅は五郎の方へ顔を向けた。だが狛村の姿に、彼の意識はそちらへと全て持っていかれてしまい、彼女の手をすり抜けて狛村に擦り寄っている。少しばかり残念に思いつつも、それも当然の反応だと、嬉しそうな五郎の様子に笑みを浮かべた。


「本日はお休みで?」

「いや、休憩中だ」

「そうでしたか、おつかれさまです」

「貴公は?」

「私も休憩中です。最近は彼に会いに来れていませんでしたので、久しぶりに顔を見に」

「なるほど。五郎も貴公が来てくれて喜んでいる」


   大きな手に撫でられ、嬉しそうに瞳を細める五郎の姿は愛くるしいと言う他ない。

   彼は意外にも犬や猫などの小動物を好いており、そのため率先して五郎の世話をするからか、五郎にも大層懐かれている。犬の言葉がわかるという噂も実しやかに囁かれており、真偽は定かでない。

   空いた時間にはこうして五郎のもとへ足を運んだり、休日には散歩にも連れていっているそうだ。本当は毎日散歩に連れていってやりたいが、仕事の都合や他の隊士達も五郎とふれあいたいだろうからと、自身が仕事の日は当番制にしていることを、小梅は以前この場で狛村から教えてもらった。

   小梅は猫も好きだが、どちらが好きかと問われると、犬の方が好きであった。そのため七番隊が犬を飼っていると聞いてから、伺う機会を密かに狙っていたのだ。そうして一度五郎と対面してからは、彼に会うために七番隊舎に足を運ぶことは少なくなかった。そのためか、七番隊の面々と顔見知りになってきている。隊士の方も最初は小梅に戸惑っていたものの、今では隊舎に来るとすぐに「おつかれさまです!」と頭を下げられるくらいになった。


「相変わらず、綺麗な毛艶です。狛村隊長はブラッシングが得意と見える」

「そうだろうか」

「はい。見目はもちろん、撫で心地も良いものです」

「そうか。よかったな、五郎」


   返事をするように、五郎は一つ鳴いた。犬というのは感情表現が豊かなもので、彼が笑顔を浮かべていることが見るだけでわかる。


「では、私はそろそろ失礼します」

「もっと五郎を堪能しなくていいのか?」

「充分堪能させていただきました」


   最後にもう一度頭を撫で、小梅は立ち上がった。鉄笠に覆われている顔が上がる。しゃがんでいる狛村と小梅の目線はそう変わらず、それは彼の高い身長故だろう。初めて出会った時も見上げなければならないその大きさに驚いた小梅だったが、改めてその立派な体躯に目を瞠った。


「また時間がある時にでも、五郎に会いに来てやってくれ」


   果たして目が合っているのかはわからない。しかし狛村の性格を考えると、彼は目を合わせてくれているような気がした。小梅は微笑みながら頷いて、もちろんと返した。


「……つかぬことを聞くが、今回の極刑について、貴公はどう考える」


   ぱちりと、彼女は瞳を瞬かせた。脈略のない質問に数秒黙った小梅だったが、率直に言うと、と言葉を紡いだ。


「不審に思う点がないわけではありません。しかし、山本総隊長がそれを是と決めたのであれば、従うことが正しいのでしょう」


   淡々とこぼした小梅は、狛村へと視線を向けた。


「あなたは、そう思っているのでしょう?   狛村隊長」

「――当然だ」


   まっすぐな、揺らぎのない声音での返答だった。小梅はそれを聞き、軽く頭を下げてその場を離れた。

   十番隊舎へと戻りながら、小梅は僅かに眉をひそめた。今回の極刑について、小梅同様に疑問を感じる者は少なからずいるだろう。狛村のようにその決定を是と受け止める者もいるだろう。ともすれば、護廷十三隊が二分される可能性が出てくるということだ。

   一番隊は言わずもがな、二番隊隊長の砕蜂、四番隊隊長の卯ノ花、六番隊隊長の白哉、九番隊隊長の東仙要は疑問を覚えても、狛村同様にそれを重要視することはせず、極刑を忠実に遂行できるよう動くだろう。反対に十三番隊の隊長浮竹は反発を見せるはず。他の隊長達も各々考えがあるはずだ。


「日番谷は……あいつは真面目だからな……」


   自隊の隊長の姿を頭に浮かべながら、小梅は眉を寄せる。

   小梅としては、今回の極刑には何か隠された目的があってのもののように思えて仕方がない。ルキアの行動が重禍罪であるのは承知だが、しかし処刑に至るほどのものではなく、その上双極を一般隊士に使用するなど、恐らく護廷十三隊が結成されて初めてだろう異例。加えて、本来であればひと月ほどはある猶予期間を二十五日に短縮している。まるで、何者かがルキアを早く殺そうとしていると考えられてもおかしくはないはずだ。だがそうなると、何故ルキアを殺そうとするのかという点も疑問となる。

   考えれば考えるほど謎が増えていくばかりで、小梅は頭痛がしそうで額を押さえた。


「キリキリ、どうしたのー?   お顔がしかめっ面!   どっか痛いの?」


   子ども特有の高い声に小梅は視線を上げた。小梅のことを「キリキリ」なんてあだ名で呼ぶのは一人しかおらず、瓦屋根の上には案の定、彼女が予想していた少女――草鹿やちるだ。彼女は幼い見た目でありながらも、十一番隊で副隊長を務めている。草鹿は軽々と小梅の前に降りると、こてんと首を傾げた。


「いえ、大丈夫ですよ。ご心配なく」

「ほんと?   ならよかった!」

「草鹿副隊長は、何故こちらに?」

「ワンワンに会いに来たんだよ」


   成程。頷いた小梅は、無闇にエサは与えないように伝えると、草鹿は元気に返事をした。本当にわかっているのかと心配になったが、しかしまだ狛村がそばにいるため大丈夫だろうと、小梅は大きく手を振って隊舎へと駆けていった草鹿にひらりと手を振り返した。