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浮かぶのは小さな解れ

   現世に大虚メノス・グランデが出現した。執務室にて日番谷の仕事の手伝いをしていた小梅は、隠密機動からの映像のみの報告を日番谷と閲覧し、それを知った。そこには一人の人間が大虚に太刀傷を負わせ、虚圏ウェコムンドへ帰らせていた姿が映っていた。

   虚とは、人間の霊が変質した怪物、現世で言うところの悪霊を指す。大虚はその虚が幾百と折り重なり、混ざり合って生まれたとされる巨大な虚である。それは霊術院の教本の挿絵にも載っており、早々現れることのないものだ。死神の中には、直で対峙したことがない者だっているだろう。小梅は、過去に実物を見、相手にしたこともあった。

   また、それと同時に行方不明であったルキアも発見され、六番隊の隊長朽木白哉と、副隊長阿散井恋次がルキア捕縛の任を下され、現世へと向かった。

   それが、三日は前のことである。

   尸魂界へ帰還したルキアは重禍違反者として極囚とし、約三週間後に真央刑庭において極刑に処されるとの最終決定が下された。

   彼女が問われた罪は、霊力の無断貸与及び喪失。それに加えて滞外超過。人間への霊力の譲渡は重罪であれど、それで極刑というのは長く護廷十三隊に所属している小梅も聞いたことがなかった。しかし尸魂界の最高意思決定機関、基司法機関、中央四十六室がそう裁定した以上、覆ることはなく、また異議を唱えることもできないだろう。

   十番隊舎は騒めきがおさまらない。恐らくどこの隊舎も今はそのような状態だろうと、小梅は眉を寄せながら思う。この決定を聞き、彼女が真っ先に心配したのは、ルキアの隊長である浮竹のことだった。

   ルキアが戻ってこない、霊圧も捕捉できず行方不明となっている。そう話していた浮竹のことを彼女はよく覚えており、だからこそ心配だったのだ。精神というのは存外身体に影響するもので、浮竹が寝込んでいないといいのだが、と小梅は十三番隊舎の方へ思いを馳せた。

   ルキアの身は現在六番隊舎にて拘束されており、仮に浮竹が十三番隊舎にルキアを移すよう白哉へ頼んだとしても、頷きはしないだろう。また、面会も禁止とされているため、次彼女に会うのは処刑当日ということになる。

   面会云々や拘束場所についてはなんらおかしな話ではない。しかし、小梅には引っかかっている点があった。

   ルキアを処刑する道具は、双極。巨大な矛と磔架からなり、基本隊長格の者の処刑に使われるものである。だがルキアは隊長格どころか、席官ですらない隊士だ。そんな彼女に双極を用いて処刑することを下した四十六室の決定が、小梅にはどうも理解できなかった。

   何か隠された意図があるのか。だとしたらその意図とはなんだ。四十六室はいったい何を考えている。


「小梅さ〜ん。眉間、すっごくしわ寄ってますよ」


   一つ瞬きをした小梅は、意識を思考から外して顔を上げた。見れば松本が顔を覗き込んでいた。


「大丈夫ですか?   小梅さん、働き詰めすぎでは?」

「いえ、大丈夫です。それに、そう言うのであれば松本副隊長は些か仕事をしなさすぎかと」

「うっ……でも、今日はきっちりしてますから!   流石に、こんな状況でちょ〜っと長い休憩を取るのは悪いですし……」


   珍しく書類の前であくせくしていると思えば、成程。小梅は納得したと共に、であれば普段も日番谷の負担を考えてやったらどうなのかと思いもしたが、松本はサボることが多いものの、まったく仕事をしないというわけでもない。仕事をする時はするのだ。ただ、そのする時がくるまでが長いだけである。


「それはとても良い心掛けだと思います。それで、どれくらい終わりました?」

「えっと、そっちは終わりましたよ」


   松本が指差した箇所を見れば、彼女の机に山のように溜まっていた書類の五分の一ほどが置かれていた。彼女は決して仕事ができないわけではないのだが、いかんせん溜め込むだけ溜め込むので、捌き切るのに時間がかかる。

   久々のデスクワークに肩が凝る――彼女の豊満な胸も一つの要因だろうが――と腕を軽く回す彼女を見ながら、今日はまじめに仕事をしてくれることに感心し、小梅は自身の仕事を再開させた。


「小梅さん、普段からあんまり気を抜くってことないですよね。疲れません?」

「仕事中に気を抜くわけにいきませんから」

「マジメ!   そりゃあ隊長と気が合うわけだ。隊長、あたしには敬語じゃなかったのに、小梅さんにはずっと敬語でしたし。隊長になった最初の頃は、中々敬語が抜けきれなくって、ぎこちなかったですよねえ」


   ケラケラ笑う松本は、「まあ、敬語はあたしもですけど」と付け加えた。

   小梅は彼女にも何度か、敬語は必要ないと伝えたことがある。立場は彼女の方が上であるのだから、と。しかし松本は歴は小梅の方がずっと先輩だからと譲らず、小梅が折れた形となった。副隊長の中には、松本同様の理由で小梅に敬語を使う者が多かった。

   隊長に就任した頃の日番谷も、彼女に敬語が抜けなかった。副隊長は許容したが、先輩であれど隊長が一部下に丁寧に接するのは他に示しがつかないと、小梅が日番谷に何度か話し、ようやっと敬語が外れたのだ。その当時の頃を思い出しているのだろう、松本は「あの時の隊長、かわいかったですよね〜」と笑っている。

   気を、遣ってくれている。それに気付いた小梅は、己の反省点だと自身を咎めた。

   隊士達の間に瞬く間に広がったルキアの極刑。それに対する戸惑いや驚きは蔓延しており、松本もそれを理解しているからこそ、珍しく仕事に手をつけている。

   気まぐれで、書類仕事をサボったりと不真面目な部分はあれど、彼女は面倒見が良く、また意外と周囲を見ている。今回の決定について小梅は不審な点を覚えており、そのために仕事の手が止まり、表情も些か険しいものになっていた。そんな彼女の気持ちを多少解さんと、こうして様々話しかけてくれていた。

   何百と歳下の彼女に気を遣わせるとは。申し訳なさやら不甲斐なさやらを感じつつも、松本のその控えめでさりげない心遣いに、彼女は心の中でお礼を告げた。


「……副隊長。お昼、ご一緒にいかがです?   奢りますよ」

「え!   いいんですか?」

「ええ、はい。私は先輩ですので」

「やったー!」


   見目こそ妖艶な美女だが、性格は快活な姉御肌。けれどこうしてかわいらしい無邪気さも持っている。隊士達の間でも絶大な人気を誇っているのが頷けると共に、市丸も隅に置けない男だと、小梅は一人思う。

   松本と市丸は、幼馴染らしい。小梅は、市丸本人から聞いた話である。立場上互いに距離感を持って接してはいるものの、松本は市丸の作った干し柿を度々取りに行ったり、仕事外では名前で呼び合っていたりと、付き合いの長さが窺える遠慮のなさがあった。

   いかんせん、色恋の機微に疎い小梅ではあるが、過去の経験から余計な気遣いは不要と学んだため、見守るだけに徹している。実際二人の間にそういったものがあるのか定かではないが、何かしらの進展でもあれば市丸からわざわざ報告しにでもくることは予想できていた。

   仲良きことは美しき哉。僅かに口もとを緩めながら、小梅は肩の力を抜くように一つ息を吐いた。