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十畳一間の昔噺

   死神にも希望休というものは存在していて、小梅には、毎年必ず休み希望を出している日が二日ある。どちらも彼女にとって大事な相手の命日で、しかしその事実を知る者は少ない。一つは彼女の弟の、そしてもう一つは、彼女が慕っていた隊長のものだった。

   今日はまさしく、その隊長の命日である。

   弟の命日の日には、いつも流魂街にある彼の墓参りをして、一日弟と暮らしていた家で過ごしているが、隊長の命日のときは、小梅は自身の邸宅で一人の時間を過ごすようにしている。彼の墓参りにも行きはするが、行っても長居はせずにすぐに帰っている。

   それなりに立派な佇まいをした屋敷は、一人で過ごすには広く、あまりにも閑散としている。普段は人に囲まれて仕事をしている分、より一層静けさを感じるようだった。だが今日この日ばっかりは、それが小梅には心地良かった。


「……香月さん。あなたがご贔屓にしていらしたあの扇子のお店、また新作が出ていましたよ。あなたの好きそうなデザインでした」


   縁側に腰掛けて、湯呑みに淹れたお茶を一口啜り、小梅は庭を眺めながら呟いた。舌の上で、じんわりと緑茶の渋味が広がっていく。

   隊長格になると邸宅を与えられるのだが、この屋敷は元々小梅のものではなく、香月鈴彦という死神が所有していた。彼は小梅が護廷十三隊に入隊した時の五番隊隊長であり、入隊時五番隊に所属していた彼女の上司だった。小梅は彼の指名で副隊長に任命され、香月とは共にいることが多かった。

   それだけではない。小梅にとって彼は恩人で、父のような、兄のような存在でもあったのだ。屋敷は、そんな香月が生前に、自分が亡くなった時に小梅へ譲るよう言ってあったものである。

   香月が亡くなってから、小梅はこの屋敷にいることが苦手になった。ここには香月と過ごした日々が多く詰まっている。この場所にいるとその思い出がふっと湧いてきて、ひょっこりと、なんてことない顔をして香月が顔を出すのではないかと、無意味な期待を覚えては、落胆することを繰り返していた。

   今でも、この屋敷で過ごすことが辛いと思う時はある。しかし、小梅はそれから逃げることが、目を背けることができなかった。否、してはならないと思ったのだ。自分がそれを、していいはずがないと。


「小梅、お前は真面目すぎていけない。もう少し気を抜く術を学ぶといい」


   そう言って、扇子をひらきながらカラカラと笑って連れ出されたことは数知れず。掴みどころのない性格をしていた香月に、小梅は度々振り回されることが多かった。

   一ヶ所にとどまっておくことが苦手な香月は、気付けば執務室から姿を消していた。けれど必要最低限の仕事は終わらせているため、怒るに怒れない。そんな、些かタチの悪い男であった。

   けれども気さくでとっつきやすい性格から隊関係なく人には慕われて、何故だか野良猫にも好かれていた。香月曰く猫達は甘やかしてくれる相手を見極めて甘えているそうで。猫の相手をするために羽織に猫の毛がひっついていることなんてよくあることだった。屋敷の庭で楽しそうに猫じゃらしを揺らす香月の横顔を思い出しながら、小梅はもう一口お茶を啜った。


「……こうも時が経つと、もう取り残されたことにも慣れてしまったな」


   呟いた小梅は浅く息を吐き出すと、湯呑みを盆の上に置いた。


「うん?   悲しくはないさ。寂しくもない。そもそもそんな資格、私にはないしな」


   自嘲気味に笑った小梅は、自身の刀――斬魄刀の鞘を優しく撫でた。

   斬魄刀は死神の仕事道具であり、持ち主となる死神の霊力でできている。虚の浄化や、プラスと呼ばれる普通の幽霊の成仏に用いる刀だ。持ち主の霊力に応じて刀身が巨大化するが、護廷十三隊の隊長格ともなればそのサイズは尋常ではない。そのため、ある程度以上の力量の死神は、皆サイズを調整している。

   死神の養成機関、真央霊術院に入学すると一時的に貸与され、入隊と同時に正式授与される。寝食を共にすることで持ち主の魂を写し取り、死神達は己の斬魄刀を創り上げていくのだ。

   斬魄刀はそれぞれ名を持ち、自身の精神世界に存在する斬魄刀本体との対話と同調を経て斬魄刀の名を知ることで、斬魄刀解放の第一段階、始解が行われる。隊長格ともなればその上の卍解も行える実力者ばかりである。

   そして、彼または彼女らにも性格がある。小梅の斬魄刀は、気性としては穏やかで愛情深い。しかしそれ故に、些か重たくもあった。愛されたがりではなくその逆で、愛したがりなのだ。そんな彼女――曰く性別の概念で言えば女らしい――の性格を香月に話したとき、流石の香月も苦笑いをしていた。

   眉を下げた小梅は、庭へ向けていた視線を机の方へと向けた。キラリと光るのは、ちょこんと置かれた紅色の扇形をした髪飾り。扇には和柄があしらわれ、要の部分には花がついている。光を発していたのは、銀色の垂れ飾りだった。

   それは昔、香月から副隊長への就任祝いと称して贈られたものだった。もう何百年とつけておらず、今ではずっと机の隅を飾るだけとなっている。


「このような物を頂いても、私には使いどきがありません。髪もそう長くはないですし……」

「いつ使ったっていいのさ。何かある日でも、何でもない日でも。自分が使おうと思った時に、これで一つ着飾ってみればいい。それに長さは関係ない。小梅は綺麗な黒髪だから、この色はよく似合うよ」

「はあ……そういうものですか……」

「そういうものだよ。もし使いどきがわからないなら、僕と出かける時にでもつけておいで」



   彼女にとって、かわいらしい服も、綺麗な髪飾りも、自分とは無縁と思えるものであった。お世辞にも愛嬌があるとは言えず、つり目がちな瞳もあってかキツく思われがちだ。言葉遣いも女性らしさとは遠いもの。真っ黒な髪は顎までの長さしかなく、前髪が目に入っては邪魔だからと短くしてある。だと言うのに、自分への贈り物にかわいらしい髪飾りを選ぶのだから、香月はやはり掴めない人物であった。

   自分のような女より、幼馴染のような子にでもあげればいいものを。髪飾りを見つめながら、小梅はぼんやりと思う。実際それを伝えもしたが、「僕は、これはお前に似合うと思ったんだ」とおかしそうに笑うだけだった。

   小梅には、幼馴染が一人いる。背中まで伸びているサラサラとした茶髪を二つに結び、ぱっちりと大きな二重の瞳をした、かわいい女の子。愛嬌があり、穏やかで、優しい可憐な子。周囲からどこか怖がられている自分とは違い、自隊だけでなく他隊からも人気のあった彼女は、小梅にとって大事な幼馴染であった。


「……そういえば、あいつもそうだったな」


   現在五番隊隊長をしている藍染の一つ前に隊長だった男も、自分のことを苦手に思い、あの子のことは気に入っていたっけな。色恋に関してはそう詳しくないなりに、色々気を遣ってやっていた。その気遣いも、どうやらそう上手くはいっていなかったようだが。そんな昔のことを思い出しながら、小梅は懐かしいと無意識に笑みを漏らす。

   今となっては、戻ってくるかもわからない日々である。


「……千春、お前はどこまで行ったんだ。いつ、帰ってくるんだ……?」


   か細さを滲ませたような小梅の声は、彼女の斬魄刀以外の誰に聞こえることもないまま、静かな部屋に落ちて消えていった。