- ナノ -

日の下に這い寄る不安

「現世任務から帰ってこない?」

「ああ」


   浮竹から昼食に誘われた小梅は、彼と共にうどん屋で食事をしていた。その際に、彼の隊に所属している隊員が一人、現世任務から帰ってこないと聞かされた。その者は四大貴族の一つ、朽木家の養子である平隊員、朽木ルキア。

   小梅はルキアと面識はあるものの、そう関わりがあるわけではない。十三番隊の隊舎に足を運んだ際に会って挨拶を交わす程度の関係だ。現在六番隊隊長を務めているルキアの兄の白哉、もしくは彼の一つ前に隊長を務めていた白哉の祖父である銀嶺の方がまだ関わりがあった。

   死神の仕事は、魂魄の回収や後始末、虚の昇華及び滅却、瀞霊廷とその周囲に存在する流魂街の守護。その中に、現世で行う任務も存在する。たとえば現世調査や、現世駐在任務だ。駐在任務では担当地区があり、そこへ死神が一人から二人派遣される形となる。

   ルキアは初の現世任務であり、現世の空座町へと魂魄回収や虚退治に赴いている。しかし、駐在期間が過ぎたにも関わらず尸魂界に帰ってこず、また霊圧の捕捉もできなくなっていた。


「滞外超過は、重くはないが罰則モノだろう。あの娘は、仕事に対して真面目だと思っていたが?」

「ああ、真面目な子だ。だからこそ、余計に心配でな……何かあったのではないかと……」


   浮かない顔で箸を取る浮竹だが、しかし食事は進んでおらず、どんぶりの中の麺は一向に減る気配はない。そんな彼を一瞥した小梅は、しばし考えるように視線を斜め上へ向けながら口を開いた。


「霊圧が捕捉できない、というのは些か妙ではあるが……余程のことがあれば捜索部隊が出されるか、調査が入るだろう」

「それは、そうだが……」

「あの娘は、そこまで弱くはないのだろう?   最近、現世で相当厄介な虚が出たという話も聞いてない。何かがありはしたのだろうが、気にかけすぎると、お前の身体に毒だぞ」


   眉を下げたままではありはするものの、そうだな、と微笑んだ浮竹に、小梅は食事をするよう促す。このままでは昼食をまともに摂らない状態で午後の仕事に入りそうであったからだ。ただでさえ身体が強くない彼が栄養摂取を怠るというのは避けたいところだ。食べれる時に食べてもらわなくてはと、ようやっと減りはじめたお椀の中身を見つめ、小梅は少し安堵した。


「おや、お二人さん、こんにちは」


   ガラガラと開いた扉の音が聞こえ、足音が近付いたと思うと、軽い挨拶が頭上から降ってきて、小梅は天ぷらを飲みこみながら視線を向けた。


「京楽、奇遇だな」


   二人に声をかけてきたのは、八番隊隊長、京楽春水という男だった。彼も二人と霊術院の同期であり、浮竹と京楽は霊術院出身者で初めて隊長に就任した隊士だ。現在二百年以上隊長を務めているのは、二人以外には一番隊隊長及び総隊長である山本元柳斎重國と、四番隊隊長卯ノ花烈くらいである。


「今日は調子が良さそうだね、浮竹」

「まあな」

「でもまあ、無理はしなさんなよ。ところで、相席いい?」


   小梅は肯定の意を込めて、浮竹は笑顔で頷いた。それにお礼をこぼしながら小梅の隣に腰を下ろした京楽は、お品書に手を伸ばした。一通り眺めた彼はそう悩むことなく、近くにいた従業員に呼びかけるときつねうどんを頼んだ。

   かしこまりました、と元気良く返事をする女性従業員に、締まりのない顔で手を振る京楽に呆れつつも、そんなこと今にはじまったことでもない。手を出しているわけでもなしと、小梅は何も言わなかった。


「こうして三人でご飯ってのも、なんか久々な気もするねえ」

「そうか?   少なくとも、年一回は必ず揃ってると思うが」

「霊術院にいた頃は、よく一緒にいたからな。その時に比べると、一年に一度は少ないさ」

「年一回会うって、現世にそんな話あったよね。確か……ああ、そう、七夕。ボクら、織姫と彦星?」

「だとすると一人多いな。お前達どちらかが牛だ」


   ボクはパス。俺も嫌だ。ならこの話は終いだな。テンポ良く交わされていた会話が止まったと思うと、三人は同時に吹き出した。


「ほんと、この面子だとなんか気が抜けるんだよね」

「お前はだいたいいつも気が抜けてるだろ。伊勢にこれ以上迷惑をかけるなよ。八番隊がああも統率が取れてるのも彼女のおかげだ、たまには労ってやれ」

「いやいや、ボクは七緒ちゃんをいつも労ってるよ」

「いつも呆れられるか冷たくあしらわれている姿しか見ないが?   部下にあまり迷惑をかけてやるな」

「ん〜、それは俺も耳が痛いな……」


   困ったように髪を掻いた浮竹に、お前は不可抗力だろと返し、小梅は水を飲んだ。


「まあまあ、今は休憩時間なんだし、仕事の話は無しにしようや」


   京楽へジトリとした目を向けた小梅だったが、そうだな、と彼の言葉を受け取った。


「そういえば、浮竹。庭の鯉の様子はどうだ?」

「そうだ聞いてくれ!   また鯉が増えたんだ!」

「え、また?   いやあ、浮竹、それってさあ――」


   言いかけた京楽の言葉を止めるように、小梅はテーブルの下で彼の足を軽く叩きながら、よかったなと小さく笑みを見せた。そんな彼女に、運ばれてきたきつねうどんを受け取った京楽は、苦笑い気味に視線を向けた。


「あの鯉、絶対アレでしょ。朽木家から消えたやつ」

「だろうな。だが浮竹は気付いてないし、喜んでるんだ。わざわざ水を差さずともいいだろ」

「小梅ちゃん、いつも浮竹に甘くない?」

「そんなことはない」

「どうした、二人とも。内緒話か?   俺は仲間外れか?」


   気付かれないよう小声でやりとりをする二人に、浮竹は不思議そうに首を傾げた。小梅は即座に「いや、京楽が先程の女性を口説こうとしていたから、嗜めただけだ」と返事をした。京楽が女性に声をかけるなど、言ってしまえば日常茶飯事のようなもの。浮竹も彼の女好きは把握しているため、特に疑うこともなくそうかと笑った。


「それより、何匹増えたんだ?」

「二匹増えていた。どれも大きくて、それに綺麗だぞ」

「ということは、今五匹ほどか……中々壮観だろうな」

「今度邪魔した時にでも見させてもらおうかね」

「ああ、いつでも来てくれ!」


   余計なことは言うなよ、と釘を刺すように京楽へ視線を送った小梅は、つゆを飲み干して、席を立った。


「私は先に戻るとするよ。午後から書類の確認作業がある」

「仕事熱心だねえ。たまには息抜きしなよ?」

「それなりにしてるさ。すまない、会計を頼む」


   従業員に声をかけた彼女は、自分が食べた天ぷらうどんの料金だけを払うと、二人に声をかけて店を出ようとした。


「小梅」

「ん?   どうした、浮竹」


   しかし浮竹に呼び止められ、彼女は振り返った。声音だけでなく表情にも心配の色を含んでおり、小梅は僅かに瞳を瞬かせて言葉を待った。


「――大丈夫か?」


   その一言に、彼が指しているのが何のことであるのかをすぐに理解した小梅は、フッと笑った。


「大丈夫だ」


   それだけ告げて、小梅は店を出た。静かに戸が閉まるのを見つめ、浮竹は深く息を吐いた。


「そういえば、明日だっけ。香月(かづき)さんの命日。もうそんな時期か……年々弱さが見えなくなっていくね、小梅ちゃんは」

「ああ……強くなるのは、決して悪いことではない。だが、強がりが固められるのは、良くないな」

「そうだねえ……ボクらにさえ、見せてくれなくなっちゃったし」


   瞳を伏せた浮竹を一瞥した京楽は、どこか寂しそうに呟いた。