- ナノ -

小さな姿が今に重なり

「小梅サン、こんにちは」


   ひょこっと顔を出した男に、小梅は足を止めた。彼はひらりと手を振りながら彼女に歩み寄っていき、その手には何やら荷物が抱えられている。


「こんにちは、市丸隊長。仕事はどうされました?」

「ウチには優秀なイヅルがおるから」

「吉良副隊長に任せきりというのは、どうかと思いますが……」


   おかしそうに笑う、どこか胡散臭さの拭えない目の前の男――三番隊隊長市丸ギンは、抱えていた袋をガサガサと漁ったと思うと、中からまん丸に膨らんだ小袋を取り出し、彼女に差し出した。


「また今年も豊作ですね」

「たっぷり愛情込めて育てとるからね」


   そうですか。淡白な言葉とお礼と共に、小梅は小袋を受け取った。

   三番隊舎には、市丸が隊長に就いてから植えて育てている柿の木がある。なんでも彼は干し柿が好物らしく、干し柿を作る日は全ての業務を副隊長である吉良に一任――そもそも隊の仕事はほとんど吉良任せだが――し、干し柿作りだけに専念する。三番隊の隊士は密かにその日を楽しみにしているようで、手が空いた者が手伝いに行き、今や三番隊の恒例行事と化していた。

   そうしてできた干し柿を、彼は他隊にも配ってまわる。小梅にも、毎年彼から干し柿を配られていた。松本曰くお酒の後に食べると二日酔いしなかったそうで、彼女は度々お世話になっているようだ。


「しかし、毎年配り歩いて……存外マメですね」

「美味しいもんのお裾分け。一人占めするんは、勿体ないやろ?」

「……成程」


   本心か否かはさて置いて、彼の言葉に納得した小梅は、再度お礼を伝えて彼の横を通り過ぎようとした。けれども市丸に腕を掴まれたため、それは叶わなかった。


「もう少しボクとお喋りしてほしいわァ」

「私は仕事がありますので」

「時には休憩も大事やと思わん?」

「あなたの場合は常に休憩中みたいですが」

「小梅サン、なんやボクに手厳しいわ……」


   泣いてまいそう、なんて泣き真似をする彼に、小梅はため息を吐いて彼の方に向き直った。


「お前は、甘えたがりがなおらんな」


   呆れ気味に、つい敬語も外れて素の口調で漏らした小梅に、市丸はしばし驚いたような顔をして、すぐにくふくふと笑みを浮かべた。

   どうにもこの男は、自分を見かけるたびに楽しそうに笑って寄ってくるところがあると、小梅は常々感じていた。人間観祭が趣味で、散歩がてら「意地悪」をする相手を探しているこの男のお眼鏡に適ったのかと訝しみつつも、小梅は何かしらの被害を受けているわけでもない――現在進行形で仕事の邪魔をされているが、これはさして被害に数えるほどでもない――ので好きにさせている。


「相変わらず猫のようだな」

「ボクを猫言うんは、小梅サンくらいやと思います。蛇とか狐なら、よう言われますけど」

「ああ、確かに蛇や狐もお前らしい。だが、私からすればお前は猫だよ。自分の甘えたいときに甘えて、満足したら立ち去って。気まぐれ加減は猫のそれだろう」


   小梅を見つけてはかまってもらうまで後ろをついてまわり、かまわれたら満足して去っていく。そんな市丸の行動を思い出しながら、小梅は二度目のため息を落とした。


「ほんなら、小梅サンがボクのこと飼うてくれはりますの?」

「生憎猫より犬の方が好きでな」

「なんや、そら残念」


   七番隊の隊舎裏で五郎という犬が飼われているのだが、小梅は時折そこに立ち寄って、五郎と触れ合っていたりする。閑話休題。

   そう残念そうにも見えない顔の市丸は、むしろ嬉しそうにも見える笑顔で。小梅はこの男の心情を察するのが得意ではないが、しかし理由はわからないが、今彼の機嫌が良いというのは汲み取れた。


「そういえば、ボクの写真集の話、聞いとります?」

「ああ。協力的で助かったと聞いてる」

「写真見ました?」

「一度な」


   女性死神協会では、隊長写真集の企画をもとに各隊長の写真集の製作と出版を行っている。小梅は企画物には基本関与せず、会長と副会長に任せているのだが、何故か感想を求められるため撮影した写真は一度小梅の手に渡り、彼女の感想をもとに修正などがされていく。そうして出来上がると、お礼にと完成品も渡されるのだ。そのため彼女の家の本棚には、これまで出版されている隊長の写真集が並んでいる。

   どうやら次のターゲットは市丸だったようで、小梅のもとには見本が送られてきていた。写真集に掲載されるものは基本プライベートの姿が多く、市丸が干し柿を作っている姿や、悠々と散歩をしている姿に、昼寝をしている姿などが載っていた。存外女性人気があり、嘘か本当か三番隊の九割は市丸のファンだそうで、販売された暁には完売することだろう。


「どうでした?   中々ええ感じに写ってはったでしょう?」

「そうだな。撮る者が上手いとああも写りが良くなるかと感心した」

「小梅サン、意地が悪いなあ……そりゃあ撮る側の腕も大事なんはそうやけど、撮られる側も大変なんですよ」

「わかってるよ。中々様になってたじゃないか」

「出版されたら買うてくださいね」

「完成品は貰える予定だ、二冊もいらん」


   ムッとした風に、市丸が僅かに眉を寄せて口をへの字に曲げた。その表情が、まだ少年と呼ばれる姿をしていた頃の彼と大差なく、小梅は思わず笑みを漏らしてしまい、口もとを隠すように手を置いた。しかし笑ったことはバレており、市丸は一層不貞腐れたような顔をするので、彼女は軽く手招きをした。


「背丈ばかりが成長して、中身は存外変わらんものだな」


   ゆっくり差し出された丸い頭に、小梅はぽん、と手を乗せた。


「……もう小さい子どもとちゃいます」

「そうだな、もう隊長様だ。なら、そうむくれるな」


   拗ねた風ではあるものの、市丸は軽く頭を撫でる手を振りはらうことはせず、大人しくされるがままだった。こう見ると少し犬のようにも思えるが、小梅は口にはしなかった。


「ほら、そろそろいいだろう。私にも仕事がある。お前も、まだ配り歩くんだろ?   松本には渡してやったのか?」

「乱菊は自分から取りに来はるんで」

「そうか、仲が良いようで何よりだ」


   小梅が手をどけると、彼は少し不満そうに口を尖らせたが、引きとめるようなことは言わなかった。


「駄々をこねなくなったのは成長だな」

「……だって、仕事の邪魔するんは、悪い子やないですか。小梅サン、悪い子は相手してくれんもん」


   僅かに瞳を瞬かせた小梅は、フッと小さな笑い声を漏らした。

    まだ市丸が入隊してから三ヶ月も経たない頃。彼は何故だか小梅を見つけては後ろをついてまわったり、仕事をする彼女を引きとめたりしていた。それ自体はさして問題はないのだが、いかんせん小梅の返事を聞かないため、そんな市丸に、小梅は「ダメだと言うのに聞いてくれない悪い子は、あまり好きじゃないな」と呟いたことがあった。それからと言うもの、市丸は構ってもらおうとはするものの、無理に引きとめようとすることはなくなった。


「ええ子が好きやろ、小梅サン」

「まあ、いい子は好きだな」


   考える素振りを見せつつも、そう間を空けずに頷いた小梅は、でも、と言葉を続けながら自身よりも背の高くなった市丸を見上げた。


「悪い子でないなら、たとえいい子でなくとも好きだよ」


   では失礼します、市丸隊長。そう言って軽く頭を下げた小梅は、くるりと彼に背を向けて離れていった。しかし思い出したように足を止めた彼女が振り返った。


「市丸。お前金平糖食べるようになったんだな」

「……?   はい?」

「写真の中で、食べてたろう。『干し柿の方が好き』だとか言ってたくせにな」


   少し肩を揺らしながら、小梅は前を向き直り、今度は振り返ることなく歩いていった。