- ナノ -

時には安寧に身を休める

   昨日仕事を放り出して遊びに行っていた松本だったが、今日は日番谷に捕まり、執務室で監視されながら仕事をしている。しかし今日も松本は上手いこと、半ば強引な理由を使ってでも執務室から逃げ出すのではないかと小梅は踏んでいる。

   そんな彼女は、今日は休日であった。小梅の休日の過ごし方は、瀞霊廷内をふらりと歩き回ったり、邸宅にこもって趣味の裁縫をする、または図書館に行って読書をするかだった。今日彼女が選んだのは散歩で、特に目的もないまま歩いていく。

   行き交う者達の会話が聞こえ、「そいつはお断りだ!」とはしゃぐ子ども達を避ける。時折他隊や同隊の死神とすれ違い、その都度挨拶を交わしながら、小梅は視線を道に立つのぼり旗へ向けた。

   「まんじゅう」と書かれた文字を数秒見つめた小梅は、少し考えてそちらへと足を向けた。


「いらっしゃいませ」


   戸を開けた音に、中にいた店員がにこやかな笑顔で振り返った。店の中にはショーケースに入れられた様々な菓子が並べられ、奥にはテーブルやイスが置かれている。どうやら中で食事もできるようで、空いた席を数える方が早かった。かわいらしい白のエプロンを着た店員は、中で食事をするかを小梅へ尋ねた。


「……いえ。持ち帰りだけで」


   頷いた店員は、ショーケースの方へと彼女を促した。中にはのぼり旗に書かれていたまんじゅうだけでなく、団子や大福なども並んでいる。端から端をゆっくりと見つめ、小梅は悩むように顎に手を置いた。

   よく意外に思われるのだが、小梅は甘いものを好んで食べる。疲労を感じて無意識的に甘味を欲するのだ。そのため、金平糖などの小さな菓子を瓶に入れ、自分の仕事机に置いていたりする。だが、普段口にする甘味はそういった類いのもので、こういう和菓子類を買うことは少ない。彼女がそれらを買う時は、大抵とある理由があった。

   じっとショーケースを見つめていた小梅は、顎に手を置いたまま顔を上げた。


「おはぎを二個お願いします」

「おはぎ二個ですね」


   繰り返された注文に頷いた小梅は、ショーケースから商品が取り出されている間に、金額を確認して財布からピッタリの額を用意した。

   差し出された商品と交換するようにお代を渡した小梅は一言お礼を伝え、店を出た。ありがとうございました、と明るい声で送り出されながら、彼女は迷うことなく歩を進める。当初は予定も行く先もない散歩であったが、目的地ができたため、その足の進みは速かった。

   軽く身なりを整えて、すれ違う者達に挨拶をしつつ、足を踏み入れた隊舎の敷地内にある小さな湖に向かい、ぐんぐん進んでいく。


「浮竹、いるか」


   小梅が目的地と定めたのは、雨乾堂と呼ばれる庵だった。彼女が訪ねた相手は、十三番隊隊長の浮竹十四郎という男だ。この雨乾堂は、彼の静養所となっている。

   浮竹は生まれつき身体が弱く、幼少の頃より肺病を患っていた。そのため隊首会にも病欠で不参加というのは珍しくない。静かで穏やかな空気と、風流な景色広がるこの雨乾堂は、静養所だけあり、心身を休めるには適しているのだ。


「ん?   その声は……小梅か!」


   明るい声と共に、入口に下げられていた簾の向こうから音がしたと思うと、簾が押し開かれ、中から浮竹が姿を見せた。酷い時には喀血も見られるが、今日の彼は調子が良いようで、顔色はそう悪いものではなかった。

   小さく頭を下げる小梅に、彼は笑顔で上がるよう促す。彼女は失礼するぞと一言こぼすと、布団に戻った浮竹のそばに腰を下ろし、手にしていた小さな荷物を置いた。


「調子はどうだ?」

「見ての通り、今日は随分良い。わざわざ見舞いに来てくれたのか?」

「ああ」


   頷きながら、小梅はそっと荷物を浮竹の方へ押しやった。それに気付いた彼が不思議そうに首を傾げるので、小梅は手土産だと伝え、中身を取り出した。


「おはぎ、好いていただろう」

「いいのか?   わざわざすまないな、ありがとう。お言葉に甘えて頂くとしよう」


   嬉しそうに顔を綻ばせた浮竹は、皿の用意をしようと思ったのか、立ち上がろうとした。だが小梅がそれを制して、小皿と黒文字、お茶の用意をする。彼はそれを少し申し訳なさそうにしながらもお礼をこぼし、二人分出してくれと付け加えた。


「二個あるんだ、一緒に食べよう」

「私はどちらもお前に食べてもらう用に買ったつもりだが」

「二人で食べた方が美味しいだろう?」


   数秒間を置いて、小梅はわかったと頷いて、浮竹と自分の分の皿やお茶を用意し、彼のそばに戻った。小さな皿におはぎを乗せた彼女は、それと黒文字とを浮竹に差し出した。そしてもう一個を自分の分の小皿に移した。

   小梅は休日になると、時折こうして浮竹のもとを訪れた。それは病弱な彼の見舞いのためでもあり、他者との関わりが好きな浮竹を思ってのことでもあった。彼女がこうして和菓子を買うのは、基本見舞いに行く時であり、美味しそうにおはぎを食べる浮竹の様子を見つめ、小梅は薄らと笑みを浮かべた。

   二人は護廷十三隊の中でも古株に数えられる方であり、霊術院時代からの同窓だ。その分付き合いも長い。普段は立場もあって敬語で接する小梅だが、休日であれば立場も何も関係ない、という浮竹の言葉に頷いて、プライベートで会いに来た時は、砕けた口調で話をしている。


「そうだ、聞いてくれ小梅!   近頃、池の鯉が増えたんだ。それも一際大きなものでな」

「鯉が?   それはまた、不思議なことだな……そんなに大きいのか?」

「ああ!   小梅も見たら驚くだろう。帰りにでも見ていってくれ」

「ではそうするとしよう」


   彼の話を聞きながら、朽木家の池の鯉が減っている、という話を思い出した。なんでも、大きく立派な鯉だそうで。減っている朽木家の鯉と、突然に増えた雨乾堂の池の鯉。偶然とは思えないが、浮竹の様子を見たところ、彼は何も知らなそうであった。雨乾堂に突如増えた鯉が朽木家のものか定かでないし――十中八九そうではあるだろうが――、朽木家程の財があれば減った鯉を買い足すのもそう難しいことでもないだろう。小梅は浮竹の笑顔を見つめ、口にするのは野暮だろうと、おはぎを一口食べた。


「ああ、『瀞霊廷通信』。読んだぞ。今月は掲載できたんだな」

「身体の調子が良くて、締切に間に合ったんだ。半年分も休載してしまったからな……しかし、その分、こうして執筆できた時は、読者に楽しんでもらえるものを提供できたらと思うよ」

「ならば大成功だろう。ここに来る途中、子ども達が決め台詞を叫んでいた」


   瀞霊廷内で発刊されている雑誌「瀞霊廷通信」は、千年程の歴史を持つ人気雑誌である。編集は九番隊が行なっており、掲載されている連載及びコーナーも、隊長格や席官達がそれぞれ受け持っている。浮竹も「双魚のお断り!」というアクションアドベンチャー小説を執筆していた。身体の都合上休載は多いものの、載れば確実にTOP3にランクインする程の人気連載である。


「小梅もまた執筆してみたらどうだ?   『縫いものがある日々』。人気だったじゃないか」

「何百年前の話だ」


   以前は、小梅も「瀞霊廷通信」で連載を持っていた。短編小説の中に、彼女の趣味である裁縫を活かし、余りの布や着れなくなった服などを再利用して、小物を作る描写を入れていた「縫いものがある日々」。最後のページにて、作中に出てきた縫いものについて写真付きで作り方が載っており、女性人気の高かった連載である。小梅が当時貰ったファンレターは今でも大事に保管しており、連載終了の際には惜しむ声が多く寄せられたりもした。

   穏やかな時間はとうに過ぎ、小皿の上は気付けば空になっており、小梅はお茶を飲み干すと、浮竹が使った分も一緒に片付けて、簾の方へと足を向けた。


「そろそろお暇しよう」

「もう行くのか」

「あまり長居しすぎるのもな」

「そうか……あ、ちょっと待ってくれ」


   立ち上がった浮竹は棚の中を漁り出したと思うと、大量のお菓子を袋に入れはじめ、それを小梅に差し出した。


「これを日番谷に渡しておいてくれ」

「……わかった、渡しておこう」

「鯉は是非、見て帰ってくれよ」


   軽く手を振った小梅は簾を押し開いて外へ出ると、そばの池を見に行った。そこには、元々池にいただろう鯉の三倍は大きな、黄金色に輝く立派な鯉が泳いでおり、小梅はしばし目を瞠り、おかしそうに笑みを漏らした。