- ナノ -

正しさのせめぎ合い

一歩一歩、ただこちらへと向かってきているだけ。刀を構えているわけでもないにも関わらず、その霊圧は途轍もないものであり、総隊長たる山本の強さを、七緒は実感した。

隊長二人、上位席官が一人。とは言えそれでもまだ確信をもって勝てるとは限らない彼との勝負において、自分ができることをと、彼女は懐に手を入れた。

しかし、たった一瞥。その双眼と視線が絡んだ瞬間に、全身の力が抜け、冷や汗が流れ、身体は震えがおさまらず、呼吸さえできなくなった。


「去ね。おぬしの様な赤ん坊に、息の仕方から教えてやるほど、儂の気は長うないぞ」


言葉を紡ぐことすらできず、七緒の唇から泡が噴き出しはじめた。


「大丈夫だ、七緒ちゃん」


そんな彼女を守るように、山本の姿が視界から消えるように、京楽は彼女のそばに片膝をつき、そっと頭に手を置いて、優しい声音で言葉をかけた。

ハッと呼吸が戻ったが、しかし身体の震えは続いており、瞳から涙が止まる気配はない。そんな彼女の様子に、京楽はやはり連れてくるべきではなかったと自身の判断を悔い、瞬歩で彼女の身を安全な場所まで運び、戻ってきた。


「……見事な瞬歩じゃ。一度に随分と遠くまで行けるようになったもんじゃの」

「……どうも」

「……思えば昔から、おぬしら三人の力は飛び抜けとった」


懐かしむように、山本は記憶の中の彼らを脳裏の浮かべる。まだ三人が護廷十三隊に入隊する前の、学院の生徒であった頃の、幼き姿を。


「女に弱く振舞いは軽薄じゃが、思慮深く誰よりも真実を見通すことに長けておった春水。体は弱いが寛厚で人望厚く、常に皆の中心にあった十四郎。自他共に厳しく孤立しがちでありながらも、努力家で心根が穏やかであった小梅」


一人ひとりを順に見ながら、山本は三人に近寄っていく。


「そして、ひとたび戦いとなれば、その力たるや長軼絶塵。同輩にも先達にも並ぶ者無し。志高く、錬磨絶やさず、おぬしらは力を磨き、小梅は三人の中で一番に副隊長に昇進し、春水と十四郎は、儂自らが創った学院からの初めての隊長となった」


思い出話をするように言葉を紡ぐ山本を、三人はただただ見つめていた。


「自慢じゃった、我が子の様に。信じとった、意気は違えど歩む道は同じであると……――痛恨なり」


彼が手にしていた杖が、刀へと変わっていく。柄を握った山本は、問答は埒も無し、と続けると、三人に刀を抜くよう告げた。三人が柄に手をかけたと同時、山本も刀を鞘から抜いた。

向かっていった三人の刀を容易く受け止めた山本は、それを軽く振り払ってみせる。すぐさま飛び退けた彼らに、どういうつもりだと問うた。

三人は、斬魄刀を解放していない。山本と一戦交えるならば、斬魄刀を解放しなくては、手も足も出ないだろう。山本自身、己の強さを自負している。


「……どうしても、戦わなくちゃダメなのかい、山じい……」

「黙れ」


ルキアの処刑の阻止。その行動の意味するところが何であるのか、三人はそれがわからないような子どもでも、バカでもない。しかし恩師とも言える山本に刀を向けることは、やはり躊躇するものであった。そんな彼らの心情を、山本は一蹴した。


「教えた筈じゃ。正義を忽(ゆるがせ)にする者を、儂は許さぬと」

「自分の正義を貫けと教えてくれたのも、あんたさ、山じい」

「その為に力をつけろと教えてくれたのも、貴方です、先生……!」

「だからこそ、私達はその教えに従って、己の正義を信じ、行動したんです。山本先生」

「戯けるな。世界の正義を蔑ろにしてまで通すべき己の正義など無い」


ならば世界の正義とは何であるのか。その問いに山本は答えず、問答は終いだと告げると、隊長羽織を脱ぎ捨てて、装束の袖から腕を抜いた。

その身体には数多もの傷があるが、その鍛えられた肉体は、まるで老いなど感じさせない。齢千などとうに超えているにも関わらず、未だその強さは健在であると知るのは容易かった。


「万象一切灰燼と為せ、『流刃若火』」


解号と共に、辺りには強烈な熱波が吹き、炎が立ち込めた。その熱は、天を焦がし雲すら消し、その刃の通る道は、世の一切を灰燼に帰す。全斬魄刀の中でも最高の攻撃力を誇り、炎熱系最強最古の斬魄刀――流刃若火。

その姿に、小梅は自身の身に深く重い畏怖が刻まれていくのがわかった。


「どうした。おぬしらも早う刀を解かんか。抗いもせず灰となるのを、潔しとは思うまい」

「……仕方ないね。いくかァ、浮竹、小梅ちゃん」

「……ああ」

「そうだな……」


彼が始解した以上、三人に残された選択など一つしかなく。小梅はゆっくりと瞳を細め、柄を両手で握ると、その刀を地面に立てた。


「波悉く我が盾となれ、雷悉く我が刃となれ!『双魚理』」

「花風紊れて花神啼き、天風紊れて天魔嗤う。『花天狂骨』」

「泡(あぶく)浮かびて胎と為り、泡沫(ほうまつ)還りて墓(ぼ)と至る……『冥廻』」


解号と共に、小梅の手には刀身は幅広く、先細な形状の刀が握られていた。

「双魚理」に「花天狂骨」は、尸魂界全土に二つのみ存在する二刀一対の斬魄刀。「冥廻」は二刀一対ではないものの、かつての教え子三人が並ぶその様は流石に壮観であると、山本も目を細めた。


「……変わっとらんのう、昔と」

「……そいつはどうも」

「……覚悟は良いかの」

「何時でも」

「……後悔はないな」

「もちろんです」


僅か、言葉が止み、そうして彼らは一斉に地面を蹴った。

浮竹は左から、小梅は正面から、京楽は右から、刀を振りかぶる。そのどれもを、山本は一本の刀で受け止めた。その霊圧の衝突により生まれた衝撃は激しい爆発音を生み、地面を抉った。











日番谷と松本が強硬突破した、中央地下議事堂。そこには、信じられないような光景が広がっていた。


「中央四十六室が……全……滅……」


四十人の賢者と六人の裁判官で構成される、尸魂界の最高司法機関、中央四十六室。それが今、二人の目の前で全滅していた。

血は黒く変色し、ひび割れるほどに乾いており、彼らが殺されたのが昨日今日の話でないことを示していた。中央地下議事堂が完全隔離状態となったのは、阿散井がやられ戦時特令が出されて以降のこと。そのため、それよりも以前まえに殺されたことになる。

そこから考えられることは、以降に伝えられていた四十六室の決定は、全て贋物ということだ。

この惨劇を生み出したのは誰であるのかと、日番谷は思考を回転させる。もし市丸であったとして、誰にも気付かれずに四十六室を皆殺しにし、なおかつそれを今の今まで隠し通すなど、一人でできるはずもない。ならば他にも協力者がいる可能性も考えられる。


「……いらっしゃると思っていました。日番谷隊長」


その声に、日番谷と松本は顔を上げた。階段の上に吉良が立っている。これは吉良の仕業なのかと問う日番谷に、彼は答えることなくその場を去った。

その反応に、吉良が何かを知っていると踏んだ日番谷は、松本と共に彼を追いかけた。


「待て吉良!!質問に答えろ!!四十六室をやったのはてめえか!?」

「……いいえ」


否定した吉良は、自分はただ日番谷達が来る少し前に、内側から鍵を開けて入れてもらっただけだと話した。誰に入れてもらったのだと聞けば、四十六室であると淡々と答える吉良に、日番谷は怒りを滲ませる。


「そんな事より……いいんですか、日番谷隊長?僕なんかを追いかけるより……ちゃんと雛森くんを守っててあげないと」


その言葉に、日番谷は大きく目を見開いた。雛森は今、十番隊舎で眠っているはずなのだ。その部屋には「鏡門」を張っており、それは外からの攻撃を反射する高等結界。しかし反面、内側からであれば案外簡単に破れてしまうのだ。


「……気付いてなかったんですか?雛森くんずっと……隊長達の後ろをついて来てましたよ」


鬼道の達人である雛森にかかれば、結界を破るなど造作もない。そして自分の周りに結界を張り、霊圧を完全に消して移動することもできる。そのため、まさか雛森が自分達の後ろをつけていたなど、思いもしなかったのだ。

日番谷は松本にその場を任せると、すぐさま中央地下議事堂へ引き返した。彼が去ったことで吉良は逃げるのをやめ、その場に立ち止まった。


「……何?逃げるのやめたの?」

「……僕の役目は……貴女をここで止めることです、松本さん」


役目という言葉に、誰に与えられたのだと眉を寄せる松本は、市丸かと尋ねる。しかし、吉良はそれに答える必要はないと静かに告げた。


「……あんた、おかしいわよ、吉良。ギンに何吹き込まれのか知らないけど……」

「……しつこいな。これから死ぬ人に、何も答える必要は無いって言ってるんですよ」


吉良は刀を抜くと、彼は斬魄刀を解放させた。

雛森は、日番谷を藍染殺しの犯人だと信じ込んだままである以上、日番谷が動けばそれを追うのは当然であった。日番谷は彼女の状態から、そう早く動けるようになるとは思っていなかったため、霊圧を封じることはなく、結界だけでとどめたのだ。

しかし、藍染のためであればたとえ動けなくとも追ってくる。雛森はそういう人物なのだと、日番谷はわかっていたのだ。わかっていたが、それでも彼女を無理矢理に閉じ込めておくのが酷だと思ったのだ。


「……何か、不安要素でもあるのか?」

「いえ。ただ、そうですね……一つ言うのであれば、時には酷なことであっても、した方がいい時もありますよ」



日番谷は小梅の言葉を思い出し、その通りであったと自身の判断を悔いながら、中央にいるだろう雛森のもとへと急いだ。