- ナノ -

目覚めた時に泣かないよう

気を失ったままの雛森を十番隊舎へと連れ帰り、すぐに治療をしてもらった。その間も意識は戻らず、今は点滴に繋がれている状態だ。命に別状はないものの、精神的な面から見ればあまり良い状態とは言えなかった。


「……お前達が来てくれなかったら……雛森は死んでた……ありがとう、松本、桐島」

「……いえ……」


日番谷も松本も、浮かない顔のままには変わりはなく。小梅もまた、顔をしかめていた。

雛森を運ぶ道中、日番谷から藍染の遺言に書かれていた内容について掻い摘んで教えてもらったのだ。そこには藍染が今回の処刑に疑問を抱き、独自で調査した結果、ルキアの処刑によって解放される双極の力で、尸魂界の滅亡を謀っていると書かれていたらしい。そして、その者の名は日番谷冬獅郎、と続いたそうだ。

藍染は東大聖壁に彼を呼び出し、企みを止めるため刃も交える覚悟であることを綴ると、もし自分が死んだ場合は雛森に、彼を討つように頼んだそうだ。

冷静になって考えてみれば、それは藍染の書いたものではないと予測できるだろう。しかし今の雛森はショックから思考が停止し、まともに頭を回せるような状態ではない。そのため、混乱した彼女は日番谷に襲いかかったのだろう。

手紙の件を聞き、日番谷はそれが市丸によって改竄されていたのではないかと考えているようだった。どこまでが真実かは定かでない。しかし仮に双極の件が事実であるとするならば、みすみす処刑を実行させるわけにもいかない。


「……地獄蝶……?」


ふと感じた気配に振り返れば、そこには真っ黒な蝶が一匹。地獄蝶は、死神を尸魂界から現世へと案内したり、伝令を伝える役割を持った、黒い揚羽蝶を指す。それが今この場にいるということは、何か伝令を言付かってきたのだろう。


《隊長並びに副隊長各位にご報告申し上げます》


そう始まり、淡々と報告内容を告げた。それは、ルキアの処刑の日程の最終変更であった。今になってまだ変更するのかと小梅が眉をひそめれば、地獄蝶は信じられないようなことを告げた。


《最終的な刑の執行は――現在より二十九時間後です》


日番谷は大きく目を見開き、松本も信じられないように唖然とする。小梅もまた、驚きで声も出なかった。

伝令を告げると、地獄蝶はヒラヒラとその場を去っていく。それと同時、日番谷も歩きだした。


「処刑と、それに連なる双極の解放。それが市丸の狙いなら、この処刑、このまま見過ごすわけにはいかねえ。ついてこい、松本、桐島。処刑を止めるぞ」


日番谷の呼びかけに、松本と小梅は声を揃えて返事をし、彼に続いた。

まだ一週間ほどはある処刑を急遽早めた。藍染の手紙の件を考えれば、日番谷に処刑の目的がバレたために、先手を打たれたということだろう。しかしここで疑問に思うのは、何故中央が処刑日の短縮をしたのかである。旅禍の目的がルキア奪還であることを知ったから、というのも考えられないわけではない。

しかし、誰かが進言した可能性はある。それこそ、一刻も早く処刑を行いたい者が、言葉巧みに処刑日の変更を求めた、ということだってあり得るのだ。日番谷や松本は、そう考えているだろう。小梅も同様である。

一度執務室へと戻った三人は、改めて今回の事件について話を整理させた。


「処刑が早まったってことは、藍染の手紙に書かれてた双極の件。あれは事実と考えるのが妥当だ。こうなった以上、無理矢理にでも処刑を止めねえと、尸魂界は大変なことになる」

「その前に、総隊長に伝えてみては?」

「いや……中央の決定だ、理由はなんであれ総隊長は実行に移す。仮に藍染の手紙の件を話しても、どこまでが事実か定かじゃねえんだ」

「改竄した証拠もありませんしね。一番怪しい市丸隊長も、言動に疑念がありはしても物的証拠は無し。確証がない以上、山本総隊長は動かないでしょう……」

「ああ。だから、四十六室に直談判するか、処刑をその場でぶち壊すかだ」


四十六室のいる中央地下議事堂は、戦時特令が発令されて以降は完全隔離状態であり、誰一人として、それこそ総隊長である山本もここへ近付くことさえ許されていない。また中央地下議事堂へ至る十三層の防壁も全て閉ざされている。そこに直談判するとなると強硬突破以外になく、また罰せられることにもなるだろう。

かと言って処刑を中止させるには、双極を破壊もしくはその前にルキアを連れ出す必要があるが、こちらもそう簡単にいくものではない。場合によっては隊長格を一挙に相手取ることになるのだ。

どちらにせよ、そう上手くはいかないだろう。しかしそれでも、尸魂界の危機やもしれぬ事態に変わりはなく、それを知った以上放置などできるはずもなかった。


「でしたら、二手に分かれてはどうでしょう。私は処刑の方に行きます。ですのでお二人は中央へ行かれてください」

「……確かに、分かれた方がいいだろうが……お前一人であの場にいるのは危険だろ」

「ご心配なく。今だから言いますが、元々私はこの処刑には反対でしたし、場合によっては阻止するつもりでしたので」


小梅の言葉に、日番谷と松本は驚いたように目を丸くさせた。

罪状に対する罰の重さ、三十五日から二十五日への猶予期間の短縮、義骸の即時返却と破棄命令、隊長格以外への双極の使用。そのどれもが異例であり、しかし何故その決定に至ったかの理由が判明していない。小梅はこれらの状況から、処刑に対して何か隠れた目的があるのではないかと疑念を抱いていたと、二人に説明した。


「納得できないまま事に及ぶなど、私にはできません。ですので、最悪の場合は、山本総隊長達と刃を交える覚悟もしていました。それに、一人というわけでもありませんから」

「協力者がいるのか?」

「はい。浮竹隊長と京楽隊長です。穏便に話し合いで意を唱える予定でしたが、こうなった以上そんな悠長なことは言っていられません。恐らく、それは二人も同じでしょう」


挙げられた二人の隊長の名に、日番谷は驚きつつも納得したような顔をしていた。


「だが、三人で食い止められるのか?」

「三人がかりでいけば、総隊長の相手くらいはできましょう。他の隊長も同時に相手というのは難しいでしょうが、山本総隊長との戦いの間に入っくるような真似はしないかと」


それもそうか。呟いた日番谷は思案するように顎に手を添え、そうして了承の返事をしながら頷いた。


「わかった。俺と松本は中央地下議事堂に向かう。そっちは任せたぞ」

「了解です」

「松本、気合い入れとけよ」

「はい」


深く息を吐き出した日番谷は、解散を告げた。彼は再度雛森の様子を見てから休むとのことで、松本と小梅にゆっくり休むよう言うと、執務室を出ていった。


「隊長、大丈夫ですかね……あの二人、同郷の幼馴染ですし……」

「雛森は相当追い詰められてたようだからな」


ソファーから立ち上がった小梅は、松本にしっかりと睡眠をとるように告げ、執務室を出た。そのまま隊舎にある隊士の寝泊まり用の部屋に行くかと思われたが、彼女が向かったのは雛森を休ませている部屋であった。


「日番谷」


眠る雛森のそばでじっと立ち尽くす小さな後ろ姿に声をかけた小梅は、彼の隣に並び、一度雛森の方を見る。彼女は、あまり穏やかとは言えない表情をしていた。


「あまり気に病むなよ」


日番谷へと視線を向けた小梅は、労わるように言葉をかけた。それに対し、彼は返事はせずにただ雛森の顔を見つめて、小さく口を開いた。


「……雛森から刀を向けられたとき……結構ショックだったんスけど……でも、それ以上に、あそこまで追い詰められてたことに気付けなかった俺自身への怒りが、大きかったです」

「そうか」

「本当は、戦うのとか好きじゃねえのに、血が滲むぐらい、刀握り込んで……」


それだけ、彼女にとって藍染という存在は大きかった。彼のそばで働けること、力になれることが心底嬉しいと笑っていた雛森の笑顔も、日番谷にとっては今や遠い昔のように感じられた。


「しばらくは、彼女も立ち直れやしないだろう。だから全部終わったら、お前は今まで通り、普通に接してやれ。誤解が解けたら、雛森はきっとお前に刃を向けた自分を責めるだろうからな」


どうしようもないほどに、心が擦り減ってしまった時。気を遣われるよりも、存外普段通りに接してくれた方がありがたい時もある。小梅自身がそうだった。過去、香月の死に直面し、今までにないほど彼女の心は打ちひしがれていた。けれど浮竹や京楽が変わらず接してくれたことは、確かに心の支えになった。

雛森の心の傷の回復には、時間を有するだろう。だからこそ、寄り添う者が必要なのだ。


「さあ、もう休め。夜更かししては背が伸びんぞ」

「なっ!俺にはまだ成長期があるんで!今に見てろ、あんたのことも追い越しますから!」


軽く頭を撫でながら、小梅はカラカラと笑って、そそくさと部屋を出ていった。そんな彼女の背を恨めしげに見つめた日番谷は、一つため息を落とし、雛森の方を振り返った。


「……待ってろよ、雛森。藍染の仇は、俺が討ってやるから」


そう告げて、日番谷も部屋を後にした。