- ナノ -

事件ばかりが流れ込む

   阿散井は隊長である白哉の命により牢へ入れられ、そこで処置が行われていた。まだ意識は戻らないが、幸い命に別状はなかったそうだ。白哉は彼の罷免を唱えたが、反対にあったことで咎めもなく、傷が癒えればすぐにでも本隊に復帰できるとのことだった。

   そしてこの事態を重く受け止め、下位の隊員達に任せておけるレベルではないと、山本から戦時特令が出された。

   一つは、副隊長を含む上位席官の廷内での常時帯刀の許可。もう一つが戦時全面解放の許可。また、先日の市丸の単独行動についても不問とされた。


「……結局お咎め無しというのは、どうも市丸の都合の良いように転がっている気がしなくもないな」


   ため息を落としながら独り言をこぼした小梅は、寝巻きに着替えて布団の上にゆっくりと腰を下ろした。

   上位席官だけでなく、副官も一人戦線離脱を余儀なくされたことを考えれば、向こうの実力を見誤ったところはあるだろう。しかし、だからと言って隊長が仕留め損なうわけでもなし。加えて市丸の斬魄刀は初見殺しもいいところ。仮に逃げられても、最低一人は始末できたはずである。処罰を下されるタイミングで誤った侵入者警報も、疑われてしかたないだろう。

   だがやはり、この市丸を疑う流れができてしまっていることが、小梅には引っかかった。彼を警戒すること自体は間違ってはいないかもしれないが、誘導されている風にも感じられるのだ。目的がわからない以上は考えたところで堂々巡りであれど、彼一人に意識を向けすぎていては、大事なものを見落としそうな気もしてしまう。

   いや、しかしこれも相手の策なのだろうか。そんな考えがよぎってしまうと、もうどうしようもない。


「小梅、どうしたの?   そんなに難しい顔をして、ワタシは心配だわ」


   後ろから伸びてきた白い腕が、小梅の身体に緩くまわされたと思うと、身体を僅かに引っ張られ、背後にいた女性の胸もとにぽすんと頭が当たった。長くしなやかな指先に髪を撫でられ、小梅は顔を上げた。


「かわいらしいあなたのお顔が曇るところ、ワタシは見たくないのだけれど」

「……少し考え事をしていただけだ。色々と厄介事が起き続けているものでな」


   妖しく揺らめく紅色の瞳と、腰まで伸びた紺碧の髪をした、見目麗しい美女。緩やかに微笑むその顔は慈愛に満ち、穏やかな雰囲気をまとっていた。

   子を慈しむ母のように、彼女は小梅の短い前髪を撫でつけて、くすくすと小さく笑い声を漏らした。


「小梅は頑張り屋さんね。いい子、いい子」


   幼子を相手にするような女性の態度に、小梅は文句を言うこともなく、むしろそれを受け入れ、彼女の好きなようにさせている。何せ、彼女からの扱いに、もう慣れてしまっているのだ。


「かわいい小梅、愛しい小梅。この濡羽色の髪も、藤色の瞳も、とっても綺麗。どれだけでも見ていられるわ」

「そうか、ありがとう」


   小梅の頭に頬をすり寄せる女性――彼女こそ、小梅の斬魄刀、名を「冥廻(めいかい)」。穏やかで愛情深く、思慮深くて懐が広い。端的に言えば、母性の塊のような性格をしているのだ。故に小梅を、大層かわいがっている。また彼女の知人のことも「かわいらしい子たち」と称しており、彼女の愛の向く先はとても多い。

   そんな冥廻は、小梅がこうして考え事に没頭しすぎているときであったり、一人で過ごしているときに、具現化して姿を見せ、彼女を愛でることが以前からあった。そのため、小梅は彼女の接し方に慣れ、また自身の斬魄刀と言う信頼もあり、受け入れているのだ。


「市丸って、あの綺麗な銀色の髪の男の子。あなたによく懐いてる、かわいい男の子でしょう?   あの子がどうしたの?   もしかして、おイタをしたの?」

「どうだろうな、まだわからん。ひとまずは可能性の段階だ」

「まあ……もしその可能性が当たっていたなら、叱らないといけないわね」

「そうだな。一番は叱らずに済むことだが、仮におイタをしてたとして、叱って反省してくれたらいいんだけどな……」


   こめかみを押さえながら息を吐いた小梅を、冥廻は労わるように抱きしめ、頭を撫でた。しばらく彼女の好きにさせていた小梅だが、時間も時間だと、彼女の手を軽く指先で叩いて寝に入ることを伝えれば、冥廻は短い眉を下げつつも小梅の額にキスをして、ゆっくりと離れた。


「おやすみ小梅、良い夢を」

「ああ。おやすみ、冥廻」













   その叫び声が響き渡ったのは、朝のことであった。東大聖壁の方から聞こえた雛森の声に、定例集会のため集まっていた副隊長達が即座に駆けつけ、そうして彼らの目に入った光景。

   顔を青ざめさせ、ガタガタと身を震わせて、何かを見上げる雛森。そんな彼女の視線の先には、刀を刺された藍染が、聖壁に磔にされていた。その出血量は凄まじく、また青白い肌や虚な瞳から生気は感じられない。

   信じられないようなものを見る目で吉良達が呆然と立ち尽くすなか、雛森は涙を浮かべて縋りつくように藍染へと呼びかける。しかし、彼が返事をすることはなく、ピクリとも反応を見せなかった。


「何や、朝っぱらから騒々しいことやなァ」


   その声に、雛森がゆっくりと振り返った。彼女の叫び声を聞いて駆けつけたのか、市丸が立っている。彼の姿に、雛森は不意に、日番谷の言葉を思い出した。

   それは阿散井が旅禍と戦った後のこと。彼女のもとに一人訪れた日番谷は、三番隊には気をつけるようにと忠告をしていた。特に――藍染が一人で出歩く時には、と。


「お前か!!」


   怒りや憎悪でごちゃ混ぜになった声だった。大きく瞳孔を開き、斬魄刀に手をかけ地面を蹴った雛森は、一直線に市丸へと向かっていき、その刃を彼の突き立てようとした。

   しかし、彼女の刃を受け止めたのは市丸ではなく、彼の副官である吉良だった。止めに入った吉良を見上げる雛森は、信じられないような表情を浮かべ、どうして、と呟いた。だが吉良は三番隊の副隊長であり、自隊の隊長に刀を向けられたなら、守ろうとするのは当然の行動と言える。しかし今の雛森は藍染の状態に混乱しており、とても正常な判断ができる状態ではなかった。


「お願い……どいてよ、吉良くん……」

「それはできない!」

「どいてよ……どいて……」

「だめだ!」

「どけって言うのがわからないの!!」

「だめだと言うのがわからないのか!!」


   互いに怒鳴るように声を上げると、雛森はすぐさま柄を力強く握った。


「弾け!!   『飛梅』!!」


   彼女が叫んだのは斬魄刀の解号と仮の名前、所謂始解である。

   解放された飛梅は、刀身が七支刀のような形状へと変化し、そうして爆発を起こした。木製の床には大きな穴があき、寸前で回避した吉良は斬魄刀解放に動揺を見せた。


「自分が何をしているか判っているのか!!   公事と私事を混同するな!   雛森副隊長!!」


   吉良の制止に聞く耳をもたず、雛森は刀身に現れた火の玉を、彼に向けて勢いよく飛ばした。かわされた火の玉は背後の壁に直撃し、パラパラと破片が落ちていく。

   こうなっては対話は不可能と判断したのだろう。吉良は一度瞳と伏せると、雛森を敵として処理することを決め、高く跳んだ。


「面を上げろ、『侘助』」


   吉良の斬魄刀も解放され、両者の刃がぶつかり合わんとしていた。


「動くなよ、どっちも」


   しかし、二人の刀は間に入った日番谷によって止められた。彼が二人を捕えるよう告げると、吉良と共にその場に駆けつけていた松本と、七番隊の副隊長射場鉄左衛門が雛森を、九番隊の副隊長檜佐木修兵と、日番谷と共に駆けつけた小梅が吉良の身体を抑え、両者を引き離した。


「総隊長への報告は俺がする!   そいつらは拘置だ!   連れていけ!」


   日番谷の指示に従い、射場が雛森を、檜佐木が吉良をそれぞれの隊舎の拘禁牢へと連れていった。雛森も吉良も多少冷静になったのか、それとも頭が冷えたのか、抵抗する意思は見せなかった。


「すんませんな、十番隊長さん。ウチのまで手間かけさしてもうて……」

「……市丸。てめえ今……雛森を殺そうとしたな?」

「はて、何のことやら」


   白を切るような言葉に、日番谷は声を荒らげるようなことはせず、しかし静かに怒りを燃やしながら市丸を睨めつけた。


「今のうちに言っとくぞ。雛森に血ィ流させたら、俺がてめえを殺すぜ」

「……そら怖い。悪い奴が近付かんように、よう見張っとかなあきませんな」


   底冷えさせるような冷たさと、剣呑な瞳に臆することなく、市丸は笑みを見せてその場を離れていく。日番谷はその背をじっと見つめていたが、小梅に呼ばれて視線を外した。


「松本、お前は俺と五番隊舎を調べるぞ。俺は総隊長に報告してくるから先に行ってろ。桐島は藍染の遺体を四番隊に運んでくれ」

「はい」


   頷いた松本は、足早に五番隊舎へと向かっていく。小梅は藍染の身体を一度見上げ、再度日番谷へと視線を戻した。


「雛森に、何か伝えてたのか?」

「……三番隊には、市丸には気をつけておけと。藍染が一人で出歩く時は、特に」

「成程、通りであれだけ取り乱して……」


   困ったように髪を掻いた小梅は、早計だったなと一言呟いた。

   市丸と藍染とが険悪な雰囲気であったとしても、しかし現状証拠も何もない状況であるのは変わりない。目撃者もいるわけでないため、市丸から言いがかりと言われても否定はできないのだ。先の状況では、吉良の行動や言い分の方が正しいのも確かである。


「警戒するのは構わんが、警戒しすぎるのはやはりよくないな……」


   呟いた小梅は、日番谷に早く報告に行くよう伝え、藍染の身体を下ろす作業をはじめた。


「……これは……おイタを、してるのかもしれんな」