- ナノ -

靴先の熱で火傷しそう


   席替えで隣の席になったことがきっかけで、村上くんは仲の良い友人だ。ボーダー隊員な彼に欠席時の授業内容を教えてあげたり、ノートを見せてあげたりしていたら、必然的に仲良くなって、席が離れても交流は続いている。

   穏やかで、優しくて、意外とよく笑う。そんな村上くんと仲良くなってから、私には日々とある知識が増えていた。それは、「荒船くん」という子についてである。

   なんでも村上くんの師匠だそうで、かっこよくて強いのだとか。話を聞いていれば、村上くんが「荒船くん」を非常に尊敬していることは充分に伝わってくる。恐らく村上くんに自覚はないのだろうが、彼と話すと必ず一度は「荒船くん」が出てくるのだ。

   進学校である六頴館に通っていて、私や村上くんと同い年なこと。穂刈くんと同じ部隊で、隊長さんを務めていること。好きなものはお好み焼きとアクション映画で、よく一人で常連のお好み焼き屋――なんでも影浦くんのお家のお店らしい――に行ったり、映画を観に行っていること。いつも冷静で、頭の回転も速く、面倒見がいいこと。その他にも様々なエピソードを聞かせてもらっている。

   「荒船くん」の情報は、日々更新されていく。昨日はこんなことをしていた。この間あんなことがあった、と定期的に「荒船くん」情報は舞い込む。そのせいか、会ったこともないというのに、「荒船くん」と知り合いのような感覚に陥りかける。決して知り合いではなく、友達の友達で、何だったら「荒船くん」のほうは私のことなど知りもしないはずだ。

   勝手に色々知って申し訳ないような気がしなくもないが、「荒船くん」の話をする村上くんはとても楽しそうで、横槍を入れるのは憚られた。なので「荒船くん」の話に相槌を打っているのだが、正直、私は一度でいいからその「荒船くん」をお目にかかりたいと思っている。こんなにも「荒船くん」の情報だけを与えられて、気にならないというほうがおかしい。

   そのため、私はつい、無意識にこぼしてしまったのである。「一回会ってみたいなあ」と。

   村上くんの行動力は凄まじかった。私のその呟きに大いに反応を示した彼は、じゃあ会うか?   と聞いてきたと思うと、あれよあれよと言う間に私と「荒船くん」が会う予定を立てたのだ。何れ紹介したかったのだと笑顔で言う村上くんを前に、断ることなどできるわけもなく。実際、会ってみたかったのは本心だ。

   そんな経緯もあって、現在ファミレスの一角にて、私は荒船くんと対面中であった。流石に初対面で二人きりなど会話が続くわけもないので、共通の知り合いである村上くんにもいてもらっている。

   私の向かいに座っている男の子が、件の「荒船くん」。濃い茶髪に、少しきつめで鋭い目をしているが、端正な顔立ちをしている。身長は彼のほうが少し高いけど、体格は村上くんのほうがいいかもしれない。背筋がピンと伸びていて、姿勢が綺麗なので、私も倣って姿勢を正した。


「あの、初めまして……ミョウジナマエです」


   とりあえず挨拶をしなくてはと、名前を名乗りながらおずおずと頭を下げると、彼も軽く頭を下げた。


「初めまして。荒船哲次です」

「荒船哲次さん……」


   そういえば今更なのだが、下の名前は初めて聞いた。誕生日や家族構成も村上くん経由で一方的に知っているのだが、実は名前は存じ上げていなかった。

   名字もかっこいいけど、名前もかっこいいんだなあ、なんてぼんやり考えていれば、荒船くんは少し目を丸くして、頭のほうへと手を持っていった。これもまた村上くん経由だが、荒船くんはいつも帽子を被っているらしいので、恐らく帽子のつばに触れようとしたのだろう。額のほうへ手をやり、帽子を被っていないと気付いた様子の彼は、気まずそうに視線をそらした。

   村上くんから聞く荒船くんのエピソードは、かっこいいものが多い。だから先程の仕草に、勝手にギャップ的なものを覚えて少しキュンとしてしまった。


「そうなんだ。荒船は、名前もかっこいいんだ」


   実は少し抜けてるところがあるのだろうか。そんなことを思っていれば、隣から村上くんが嬉々とした様子でそうこぼした。うん?   と彼を見て、そうして荒船くんを見て、悟る。


「……声に、出ていましたでしょうか……」

「そ、っすね……はい」


   初対面で早々にやらかしてしまい、顔に熱が集中していくのがわかる。思ってることを口に出すというベタベタなことをかますほどには緊張しているようだ。でも心の準備もないままに荒船くんと会う予定が立てられたので、この緊張具合もしかたがないことだと心の中で言い訳をしておく。

   荒船くんは後頭部を軽く掻くと、視線を数秒彷徨わせて、おずおずこちらを見ると、「あー……」と口を開いた。


「その……あなたの名前も、かわいい、と、思います」

「へ……?   ぁ、う……あ、ありがとう、ございます……?」


   気を遣わせてしまっただろうか。申し訳ないやら、お世辞とはいえ褒められたのは嬉しいやらで、火照りを覚ますようにアイスティーに口をつけた。

   気まずいような、よそよそしさの溢れる空気の中で、ここからどう話を膨らませたらいいのかを、互いに探り合っているのがわかる。こういうときはまず何を聞くべきか。趣味とか?   いやお見合いじゃないんだし、そもそも私は荒船くんの好きなことなどは村上くん経由で大体把握済みだ。それもそれでどうなんだろう。

   助けを乞うように村上くんに視線を送ると、彼は不思議そうに首を傾げたが、パッと笑った。


「荒船にも、よくミョウジの話をしてたんだ。前に、来馬先輩たちに見せるのに、写真撮らせてもらっただろ?   それを荒船にも見せたら――」


   嬉しそうに話していた村上くんだったが、言葉の途中で「いっ!?」と目を丸くして、身体を跳ねさせた。突然どうしたのかと彼のほうを見れば、村上くんは机の下にある足に手を伸ばすように腰を屈めて、顔を上げると荒船くんを恨めしげに見た。


「どうした。足でも打ったか?」

「……荒船……」


   涼しげな顔の荒船くんに眉を寄せつつも、村上くんは体勢を戻した。大丈夫かと尋ねると、彼は困ったように眉を下げながらも頷いた。どうやらテーブルの足に指先を打ちつけてしまったらしく、痛みを想像して私も顔をしかめてしまった。


「ん?   待って、写真ってあの、証明写真みたいなの?   アレを見せたの……?」


   普通にスルーしそうになったが、聞き捨てならない単語があった。

   以前、村上くんが所属している部隊の人たちに私の話をしたそうで。隊長の来馬先輩という方に私のことを聞かれ、写真を撮って見せてもいいかと聞かれたことがあった。荒船くんの話が多い村上くんだが、自分の部隊の話もしてくれていて、来馬先輩は彼がお世話になっている人というのも知っていたので、恥ずかしいけれど承諾したのだ。

   教室の自分の席で、村上くんのほうを向いて撮ってもらったものだ。私単体で写っていることや、用途が用途なだけに恥ずかしさや緊張もあって、少し肩に力が入っていたし、表情もぎこちないものだった。アレを荒船くんに見せたと言うのか。

   どうせ見せるならもっといいものがあったはずだ。文化祭のときに撮った写真なんかはちゃんと笑顔だった。何故よりによってあの写真を、と村上くんを問いただしたいところだが、彼に悪気はないし、多分教えるのにわかりやすくするために、私単体のものを見せただけなのだろう。


「ごめん、ダメだった……?」

「……ううん、いいよ。ちょっと恥ずかしいなって思っただけ。あの写真の私、表情とか固かったし」


   村上くんに申し訳なさそうな顔をされると、すぐ許してしまう。これはきっと、単純に私が彼のそういう表情に弱いだけなのかもしれない。それに落ち込んでいる時の村上くんは弟を髣髴とさせるから、甘くなってしまう部分はあると自覚している。


「そうか?   よく撮れてたと思うぞ。来馬先輩も、かわいい子だねって言ってたし」

「え、うわー……村上くんの先輩は優しい人だねえ……ありがとうございます、ってお礼伝えておいてほしいな」

「ん、わかった。オレもあの写真結構好きだよ」

「ほんと?   絶対もっといい写りのあるよ」


   村上くんの褒め言葉はいつもストレートなので、中々慣れなくていつも照れてしまう。頬に手をあてれば熱がみるみる伝わってきたので、団扇代わりに手をパタパタと仰いだ。

   あの写真を見られたと思うと、緊張感がより一層増すようだった。できれば荒船くんには忘れてほしいな、とそっと彼のほうを窺えば、思いきり目が合った。咄嗟にそらしそうになったが、流石にそれは失礼だろうと抑え、とりあえず笑っておく。ぱちりと目を瞬かせた彼は、ウーロン茶を一口飲むと、写真、と呟いた。


「勝手に見せてもらって、すみません」

「いえ、全然、そんな……」

「さっき鋼も言ってたんですけど、鋼からよくミョウジさんの話は聞いてて、だから会えて嬉しいです」

「私も、あの、村上くんから色々お話聞いてたので、ちょっと気になってて……今日、お会いできるの、楽しみにしてました」

   村上くんが私についてどんな話をしたのかを聞くのは後日にしておこう。彼のことなので変なことは言っていないはず。お弁当の箸を持ってくるのを忘れたことや、筆箱と間違えてリモコンを持ってきてしまったことなどは話していないと信じたい。荒船くんは見るからにしっかりしてそうだし、あまりのマヌケっぷりに呆れられるかもしれない。


「同い年なんだから、二人とも敬語じゃなくてもよくないか?」


   本当にお見合いみたいな空気感になりつつあったところ、村上くんが不思議そうに私たちを見た。彼の言うことは尤もではあるのだが、私は、同い年とはいえ初対面の相手に気さくに声をかけられるタイプではない。荒船くんの場合は、単に礼儀正しいだけなのやもしれない。少ししか会話をしていないが、そういう雰囲気を感じる。


「えっと……私は全然、砕けた口調で大丈夫なので……」

「わかった。なら、ミョウジも普通に接してくれると、ありがたい」


   荒船くんの言葉に了解の意を込めて頷くと、彼が少し笑った。うわあ、かっこいい。村上くんも整った顔立ちをしているが、荒船くんはまた違ったタイプの顔の良さだ。学校ではさぞかしモテることだろう。ちょっとドキドキしながら、どこか躊躇っている様子で頬を掻く荒船くんを見つめた。


「嫌だったら、いいんだけど」

「うん?」

「連絡先とか聞いてもいいか?」

「……連絡先?   私の?」

「そう。嫌なら、全然。初対面だし、俺のことあんまり知らな……いや、鋼から聞いてんのか……」

「そうだね、すごく聞いてるかな」


   知り合いと誤認しそうなくらいには、色々聞いている。プロフィール的なものはもちろん、好きな映画は何度も繰り返し見てるとか、動画サイトよりもレンタルの方が好きとか、お好み焼きともんじゃの違いにはちょっとうるさいとかも言ってたっけな。

   村上くんから聞いた数々の荒船くんの話を思い返し、つい笑いがこぼれた。かっこいい話もたくさん聞いているけれど、こういう微笑ましい話題を聞くのが実はちょっと楽しみだったりした。


「……鋼、おまえどんな話してんだよ」

「荒船がかっこいいって話をしてるな」


   私が突然に思い出し笑いをしてしまったからか、荒船くんは疑り深い目で村上くんを見ている。誤解を与えてしまってはいけないと、慌てて口を開いた。


「村上くんの言う通り、いつも『荒船はかっこいいんだ』って、色々聞かせてくれるよ」

「……そう、ですか」

「うん。そうですよ」


   何故か敬語が戻ってきた荒船くんにつられて、私も敬語になってしまった。彼は一度私から視線をそらすと、話を戻すが、と咳払いを一つ落とした。


「連絡先は、交換してもらえんのか?」

「あ……う、うん、全然大丈夫。私なんかのでよければ」

「私なんかって、ミョウジのが欲しいから聞いてんだよ」


   おかしそうに笑った彼の言葉に思わず心臓が跳ねてしまった。そういう言い方は女の子を勘違いさせそうで、荒船くんは結構罪深いタイプの人なのかもしれないと思いながら、いそいそとスマホを取り出した。

   手早く交換は終わって、五十音順の一番上に表示されている彼の名前を、じっと見つめる。ずっと話しか聞いていなかった「荒船くん」とこうして会うことになり、連絡先まで交換することになろうとは。


「二人が仲良くなれたみたいでよかった」


   ニコニコと笑顔を浮かべている村上くんを見れば、彼が自分のことのように喜んでくれているのがわかる。そんな彼にお礼を伝えて、荒船くんにはよろしくね、と伝える。

   友達――と呼ぶのは気が早いけれど――が増えるのは嬉しくて、つい頬を緩ませながら再度画面に視線を落とせば、ぽん、とメッセージが飛んできた。それは目の前に座る荒船くんからで、首を傾げつつメッセージ画面に移動した。


『今は友達でいい』

『ただ、ゆくゆくはそれ以上なりたいと思ってる』

『とりあえずミョウジをデートに誘いたいんで』

『空いてる日、教えてくれたら嬉しい』


   ぽん、ぽん、と次々に表示されるメッセージに目を通していくにつれて、思わず身体が固まった。画面を凝視していれば、こつん、と靴先に何かが当たる。荒船くんの、靴だ。靴越しに爪先が触れているだけだというのに、そこからじわりじわりと熱が灯って、全身へと流れていく。

   顔を上げて向かいに座る彼を見れば、細めた瞳と視線が絡まった。緩く口角を上げていく荒船くんの表情から目が離せない。


「こちらこそ、よろしくな」


   ぶわりと、一気に顔に熱が集中する。荒船くんは、どうやらとんでもない男だったようで。恐らく顔が真っ赤になっているだろう私を心配する村上くんの声を聞きながら、私は「おて、おてやわらか、に、おねがいします……」とぎこちなく返すことしかできなかった。