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他意のない殺し文句



桔梗が千佳の訓練を木崎と共に見るようになってから三日目。木崎は桔梗がいるからと、昼食の準備をするために席を外していた。桔梗と千佳の二人きりななか、彼女はアドバイスをするでもなく、何か指摘をするでもなく。しかし最初から最後まで、彼女の狙撃をじっと見つめていた。

生憎外は雨だが、トレーニングルームに外の天気は関係なく、今日も晴れた土手での訓練が行われている。狙いを定めては撃って、狙いを定めては撃って。それを数時間繰り返すばかりだ。

他のポジションに比べ、狙撃手の動きはそう激しくはない。また隠密行動や「待つ」ということを強いられるため、忍耐力を必要とされ、狙撃の正確性をブレさせないための集中力もいる。

千佳の動きを見つめる桔梗は、周囲が思っているよりも、彼女のその点を評価していた。長時間同じ作業を繰り返すことは、存外気力や精神的な面へ苦痛を与えるものだ。弱音の一つや二つ漏れたっておかしくはない。だが千佳は、文句も何も言わずに、言われたことを素直に続けている。桔梗はそんな彼女の真摯な姿勢に、素直に感心していた。

現在ボーダー内でトップのトリオン量を誇る、B級一位二宮隊隊長二宮匡貴。彼のトリオン量も平均以上であるが、千佳はその倍以上。入隊日に行われるオリエンテーションで起こりそうなことを考えながら、桔梗は少し目を細めた。


「雨取さん、一度休憩に入りましょうか」


腕時計を確認した桔梗は、短針が十二を過ぎているのを見て、千佳に声をかけた。振り返った彼女が「はい」と頷いて立ち上がるのを見て、桔梗はトレーニングルームを出た。それに続くように、千佳が小走りにルームを出ていく。


「おつかれさま、二人とも。ちょうどよかった、そろそろお昼ご飯だよ」


宇佐美に急かされるように上へ行き、リビングに顔を出せば、既に他の二組の姿が見えた。木崎は桔梗たちを見ると座るように促し、昼食をテーブルへと運んでいく。

大皿の上には、大量のおにぎりが置かれていた。どうやら中身はそれぞれ違うらしく、木崎が順に説明してくれた。全員が席に着いたところで、いただきますの挨拶と共に、皆各々好きな具の入ったおにぎりへ手を伸ばしていく。

桔梗は全員が取り終わったのを見て、昆布のおにぎりを取ると、口を小さく開けて食べはじめた。


「桔梗さん。現役狙撃手から見て、千佳ちゃんどうですか?」


呼びかけられ視線を動かした桔梗は、眼鏡のレンズの奥に、期待にこもった瞳が爛々と輝いているのを見ながら、白米を飲み込んだ。


「木崎さんにも言いましたが、狙撃のセンスは高くはないです。ですが、集中力と忍耐力は申し分なし。練習量を積める分、少しずつ精度は向上しています」

「レイジさんだけじゃなく、桔梗さんからも高評価!千佳ちゃんすごい!」


パチン、と手を叩いた宇佐美は、まるで自分が褒められたかのように喜んでいる。修たちがB級に上がり隊を組んだときには、彼女がオペレーターをする予定となっている。そのため、未来の同じ部隊の仲間が評価されたことが、実際それくらいに嬉しいのだろう。

やりとりを聞いていた遊真は、口に頬張っていたおにぎりをゴクリと飲み込むと、意外そうに瞳を瞬かせた。


「ききょう先輩、褒めたりとかするんだな」

「おい、空閑!その発言は失礼だろ!」


即座に修から嗜められた遊真だが、悪気はないのだろう。本人は至って普通に、なんで?と首を傾げている。そんな彼の反応に、修は頭を抱えそうになりながら、ハラハラとした気持ちで桔梗を窺うように見た。


「褒めているつもりはありません」


桔梗は、遊真の発言に怒っているような素振りもなく、不快に思っている風でもない。言われた言葉を気にしていないのだろう、彼女は淡々と返した。


「褒めてないのか?」

「私が言ったのは、彼女の現段階の実力と、それに伴う事実なので」

「ふうん……そっか」


照れ隠しでもなんでもない。そこに嘘がないことは、遊真が一番理解している。そのためからかうでもなく、指摘することもせず、素直に受け止めた。素直に褒めればいいのに、と呆れたように呟いたのは、小南の声だった。


「そんな調子で、千佳にちゃんと狙撃手のなんたるかを教えられてるの?」

「教えてません」

「え、教えてないの!?」


目を丸くして立ち上がった小南は、何でどうしてと声を上げる。一つ目を食べ終え、次は梅干しおにぎりを手に取った桔梗は、まだその段階でないだけだと告げた。


「まずは止まった的に正確に当てることが優先です。それができてから狙撃手の基本戦術を教えても、入隊日には間に合います」

「先輩は、千佳が入隊日までにその段階にいけるって信じてるんですね」


一つ瞬きをした桔梗は、烏丸を一瞥して息を吐いた。


「信じてるのではありません。彼女の練習量と残りの日数、現段階での技量を踏まえた私の見立てです」


ある意味、それは最大級の賛辞でもあるように、修には聞こえた。修だけではなく、木崎たちもそう感じたことだろう。

桔梗は、あらゆる側面を見た上で、千佳はこの段階までいくことができるだろう、と嘘偽りなく、心の底からそう思っているだけ。そこには信頼も期待もない。けれど、それは決して酷い意味合いではなかった。本人は、そう特別なことを言ったつもりはないのだろうが、しかし言われた側――千佳は、胸の奥が温かくなっていくような気がして、ギュッと手を握りしめた。


「……桔梗先輩、実は人に指南すること、向いてるんじゃないですか?」

「まさか。烏丸くんのほうが、歳下の相手も、教えることも慣れてるでしょう。普段から、弟と妹に勉強を教えてあげてるんですから」


皿へと伸びていた烏丸の手が止まり、彼は驚いたような顔で桔梗を凝視した。その視線を無視していた彼女だが、あまりにも突き刺さってくるものだから、僅かに眉を寄せて烏丸のほうを向いた。何も言いはしないが、けれど表情には視線への疑問と、僅かな鬱陶しさのようなものが表れていた。

烏丸は桔梗を見つめたまま、俺、と呟いた。


「俺、その話したの、わりと前ですよね。多分、半年くらい」

「私が本部にいた頃だったかと」

「……覚えてた、というか……聞いてくれてたんですか?俺の話」


何を言っているんだとでも言いたげに顔をしかめた桔梗は、烏丸から視線を外した。


「人の話はちゃんと聞くようにと、教えられてますので」


淡々と返す桔梗とは対照的に、普段の落ち着きぶりはどこへやら、烏丸は動揺したように視線を右往左往させ、「そ、っすか……」と呟いた。手の甲で口もとを隠しているが、頬や耳はほんのり赤く染まっている。

置いてけぼりを食らう修や遊真、千佳をよそに、木崎は少し意外そうに目を丸くし、小南は戸惑ったように二人を交互に見て、宇佐美は両手を頬にあてて目を輝かせた。


「いや、てか桔梗さん人の話聞いてるなら、もう少しちゃんと返事してよね!いつもそっけないじゃない!」

「無視はしていませんし、見当違いの返事をしているわけでもないので、ちゃんと返事はしているかと」


屁理屈!と怒る小南をスルーし、桔梗は素知らぬ顔でお茶を飲んだ。