迅は遂に、「風刃」を出した。彼の黒トリガー「風刃」は、物体に斬撃を伝播させ、目の届く範囲どこにでも攻撃を可能とする。彼のブレードから出ている緑色の光の帯は、「風刃」の残弾数を示していた。
「太刀川さんたちには、きっちり負けて帰ってもらう」
二撃目をブレードで受けた太刀川や、跳んでかわした風間だったが、歌川は反応が遅れたことで顔を斬られてしまう。しかしすぐに風間と共に
「誰が負けて帰るって?」
「できれば全員がいいな」
太刀川と迅は鍔迫り合いを繰り広げながら、住宅街を駆けていく。周囲の電柱や家々が斬撃の犠牲になっているが、放棄地帯であるからこそ気にせず行えることだろう。風間は狙撃手二人に指示を飛ばしながら、歌川と共に彼らを追った。古寺、奈良坂も身を隠しつつ狙撃ポイントを移動するため駆け出していった。
「――え?」
だが、突然、古寺の頭部が撃ち抜かれた。先程「風刃」にやられた菊地原同様に、古寺は何が起きたのか理解できぬまま緊急脱出。この不測の事態に、奈良坂や風間も僅かに動揺を滲ませるように眉を寄せた。
「……何が起こった?」
《わかりません。ですが、恐らく、何者かに狙撃されたのかと……》
「狙撃……? まさか……」
何かを察したらしい風間は数秒考えると、奈良坂に周囲の警戒を指示し、歌川と共に迅と太刀川の後を追いかけた。
「風刃」の特徴は、遠隔斬撃にある。故に距離を詰めてしまえばただのブレードと大差なく、太刀川は迅に距離を取らせる隙を与えぬまま、迅をガレージまで追い込んだ。
「もう逃げ場はないぞ、黒トリガー」
周囲を壁で囲まれ、唯一空いている前方には太刀川がいる。絶体絶命のような状況であったが、迅は焦ることなく「風刃」を振るい、壁を伝い天井から太刀川の肩に刃を当てた。
「逃げられないのはそっちだよ。珍しく熱くなりすぎたな、太刀川さん」
壁伝いに「風刃」が一気に太刀川へと斬撃を浴びせていく。そこに
咄嗟に「風刃」で背後の歌川を斬り、ブレードで風間の刃を受け止めた迅だったが、足裏から地面の下を通して現れたブレードにより、片足を刺され動きを封じられた。
「太刀川!!」
迅のブレードに光の帯はなく、「風刃」の残弾はゼロであることを示している。満身創痍ではあるもののまだ動くことのできる太刀川は、風間ごと迅を斬ろうとした。
しかし、瞬間、風間は一つの疑問を覚えた。「風刃」の残弾数は八発だった。今の残弾数はゼロだが、迅は撃ったのは太刀川への六発と、歌川への一発の合計七発。つまり、残りの一発の行方が不明であった。
残りの一発はどこへ使ったのか。その答えに辿り着いた風間は止まろうとした。しかしそれよりも早く、斬撃は風間の左足と太刀川の右腕を斬り落としていった。迅は彼らの動きを予知し、既に斬撃をガレージの壁に仕込んでいたのだ。
「あんたたちは強い。黒トリガーに勝ってもおかしくないけど……『風刃』とおれのサイドエフェクトは相性が良すぎるんだ。悪いな」
歌川の緊急脱出に、片腕、片足を落とされた太刀川と風間。太刀川の方は深手を負っている状態。一気に形勢は逆転し、六対一だったはずが、今や三体一と半分にまで減らされるという状況に陥っていた。
しかし緊急脱出した内の一人は、迅ではなく別の誰かの狙撃によるものである。現在嵐山隊は三輪、出水、米屋、当真が、迅は太刀川と風間が相手している状態であり、古寺を緊急脱出させることができるだけの余裕がある者はいなかったはずだと、奈良坂は眉を寄せた。
嵐山隊の狙撃手佐取の存在も頭を過ぎったが、彼は嵐山たちと共に三輪や出水の対処をしている。彼らとの距離は離れていることや、仮に射程が伸びても射線が通らないことを考え、すぐにその線はないと考えを排除した。しかしそうなると、もう一人、この場に姿を見せていない狙撃手の存在がいると考える方が自然だった。
そこまで考えていた奈良坂は、トン、と軽い足音を拾い、振り返った。瞬間、両肩に重みを感じ、額に冷たい銃口が触れる。
「こんばんは。随分と賑やかな夜ですね。パーティーでもひらいてます?」
ゆっくりと細まっていく瞳に、彼は見覚えがあった。息を呑み、言葉を発しようとした奈良坂だったが、ズドンと額に銃弾を撃ち込まれ、言葉が引っ込んでいった。
地面に足をつけて迅たちの様子を見下ろす彼女――桔梗の姿を見つめながら、奈良坂は緊急脱出した。
桔梗は緊急脱出していく奈良坂に一瞥くれると、すぐに興味をなくしたように眼下を視線を向けた。そこには、「風刃」の斬撃を食らった風間がその場に膝をついていた。
「勝負ありだな」
「……なるほどな……いずれ来る実戦に備えて、手の内を隠していたというわけか……」
「悪いね。生粋の能ある鷹なもんで」
「……だが、『風刃』の性能は把握した。あと三週間……正式入隊日までの間に、必ずおまえを倒して黒トリガーを回収する」
「残念だけど、そりゃ無理だ」
その言葉を最後に、「風刃」の斬撃により太刀川、風間も緊急脱出。黒トリガー回収班は残り三輪と出水の二名のみとなり、作戦終了を余儀なくされた。
「桔梗ちゃん、おつかれさま」
隣に降りてきた桔梗に、迅は笑みを見せながら軽く手を振った。彼女は迅の方へ数秒視線を向け、そらした。
迅が頼んでいた応援は嵐山隊だけではなく、桔梗にも声をかけていた。彼女はそれを渋々了承し、離れた距離から狙撃手二人の様子をずっと窺っていたのだ。隙を見て古寺を緊急脱出させ、奈良坂が射線の通る狙撃ポイントを見つけたところを襲撃、と鮮やかな仕事ぶりであった。
「私がいなくとも、問題なさそうでしたが」
「いやいや、狙撃手二人持っていってくれたのは大きいよ。ありがとね」
「お礼は結構です。私は兄さんから、後輩を気にかけてあげるよう言われたので、あなたの誘いに乗っただけです。黒トリガーも近界民の入隊も、もとより些事でしかありません」
ぽんぽん、と軽く頭を撫でられた桔梗は、咎めるように迅を一瞥すると、軽く手を払って歩きだした。そんな彼女に苦笑いをした迅は、駆け足で彼女を追いかけた。
「家まで送るよ。あ、でもその前に本部に用事があるから……」
「結構です。一人で帰ります」
「こんな時間に女の子一人で帰すわけにはいかないでしょ。それに、幸人さんが心配するよ」
迅を見た桔梗は、深々とため息をつくと、渋々「わかりました」と彼の誘いを受けた。
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「風刃」を本部へ渡す代わりに、遊真の入隊を認めてほしい。迅の本部への用事は、その交換条件を取り付けることだった。
「『風刃』を手放す気があったなら、最初からそうすればよかっただろう。わざわざ俺たちと戦う必要もなかった」
「いやあ、どうかな」
A級上位の太刀川や風間を蹴散らすことで、「風刃」には大きく箔がつき、加えて「風刃」は好き嫌いのあまりない黒トリガーであることから、使用できる人間も多い。故に、本部側には大きなメリットがある。城戸はそのメリットの大きさを訝しんだが、最終的には了承し、遊真は正式にボーダー入隊を認められる形となった。
「おれはあいつに、『楽しい時間』を作ってやりたいんだ」
ぼんち揚を食べながら、迅は遊真を昔の自分と似てると言って、ボーダーでなら毎日が楽しくなるだろうと語った。太刀川は彼の話で遊真に興味を持ったようだが、風間はそれだけで、師匠の形見とも言える黒トリガーを手放したことに、いまいち理解できないようだった。
「形見を手放したぐらいで、最上さんは怒んないよ。むしろ、ボーダー同士のケンカが収まって喜んでるだろ」
そう返した迅は、思い出したようにもうひとつ、と口角を上げた。
「おれ、黒トリガーじゃなくなったから、ランク戦復帰するよ。とりあえず個人でアタッカー一位目指すから、よろしく」
その言葉に一瞬呆気に取られた太刀川と風間であったが、それに気付いた太刀川は、最初の不機嫌はどこへやら、途端に機嫌が良くなった。
「おまえそれ早く言えよ! 何年ぶりだ!? 三年ちょっとか!? こりゃあおもしろくなってきた! なあ、風間さん!」
「おもしろくない。全然、おもしろくない」
顔を歪める風間とは裏腹に、太刀川の方は心底嬉しそう迅の肩をバシバシと叩いている。
「――迅さん。用事は終わったんですか?」
ツンとした声に迅は振り返り、太刀川と風間も彼の身体から覗くようにそちらを見た。
「あ、ごめんね桔梗ちゃん、つい話しこんじゃって……」
「長くなるのであれば、どうぞ談笑しててください。私は先に帰りますので」
「いやいや、だから送っていくって。待たせたのはごめん! あ、なんか飲む? 今日のお礼に奢るよ」
「結構です」
風間は数回瞬きをして、先の黒トリガー回収任務のことを思い出す。突然の古寺や奈良坂の緊急脱出を脳裏に浮かべながら、桔梗に視線を向けた。
「……桔梗。俺の誘いは断ったが、迅の誘いには乗ったのか。妬ける話だな。そろそろ俺の返事に頷いてくれてもいいだろうに」
「頷く理由がないのですから、断るのは当然かと」
「ん? あ、もしかして奈良坂たちの緊急脱出、幸人さんの妹ちゃんの仕業だったのか?」
はい。特に躊躇うこともなく頷いた桔梗に、太刀川は瞳を瞬かせて驚いて、けれど楽しそうに笑った。
「風間さんたち、桔梗ちゃんを作戦に組み込もうとしてたの?」
「ああ。だが断られた」
「風間さん、振られたの何回目?」
「さあな。数えていないから正確には知らんが……全部合わせれば三十は越えてるかもな」
「頑固だな、どっちも」
愉快そうに笑う迅と太刀川とを順に見る桔梗の瞳は呆れと冷ややかさが宿っていたが、二人は大して気にとめていないのか、はたまたそれに気付いていない可能性もあった。
ひとしきり笑った迅は、そばの自動販売機で缶ジュースを買うと、「じゃあ、おれ桔梗ちゃん送っていくんで」と太刀川たちに告げ、彼女の方へと駆け寄った。
「はいこれ。紅茶好きなんでしょ? 幸人さんから聞いた」
「……私、紅茶はアップルティーと――」
「アップルティーとミルクティー以外は飲めない、だっけ? 大丈夫、これミルクティーだから。あ、もしかしてメーカー指定もあった? そこまでは幸人さんから聞いてないんだよな……」
くるりと回してパッケージを見せた迅に、桔梗は少し意表を突かれたようだった。数秒黙りこくった彼女は一つ息を吐くと、お礼を告げてミルクティーを受け取った。