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能ある男は刃を隠す



   ボーダー内には三つの派閥が存在する。一つ目は、近界民は敵であるという強い思想のもと、近界民の徹底排除を掲げる、最高司令官城戸正宗率いる城戸派。この派閥に属する者は、全員ではないがその多くが近界民に恨みのある人間である。二つ目は、街の平和を第一とした本部長忍田真史率いる忍田派。こちらは近界民に恨みはないが、街を守るために戦っている者たちである。

   そして最後に、近界民と友好的関係を結びたい、玉狛支部。玉狛は、近界民にもいい者悪い者がいるという考えのもと、彼らと仲良くしたいという、城戸とは真逆の思想を持っている。そのためあまり仲は良くないが、城戸派の派閥はボーダー内で一番大きいこともあり、玉狛が何かをしても見逃してもらえていた。

   しかし、そのパワーバランスを覆しかねない要因が現れた。それが、空閑遊真の存在である。彼は元々近界民であり、ボーダーにとっては敵に他ならないが、それ以上に、彼はブラックトリガー持ちであった。

   黒トリガー。それは優れたトリオン能力を持った使い手が、死後も己の力を残すため、自分の命と全トリオンを注ぎ込んで作った、特別なトリガーである。黒トリガーには作った人間の人格や感性が強く反映されるがために、使用者との相性が合わなければ使用できないという難点がある。しかし相性さえ合えば、通常のトリガーとは桁違いの性能を手にすることが可能となる。

   玉狛には既に黒トリガー持ちの迅が所属しており、加えて遊真が加われば、城戸派とのパワーバランスはあっという間にひっくり返ることとなるだろう。城戸としてもそれは何としてでも避けたいことであり、黒トリガーを確保するために、帰還したばかりの遠征部隊に新たな任務を与えた。

   件のA級TOP3部隊、太刀川隊、冬島隊、風間隊に三輪隊を加えた四部隊は、黒トリガー確保の命を受け、玉狛支部へと乗り込もうとしていた。

   その四部隊に立ち塞がるように、迅は彼らを待っていた。


「こんな所で待ち構えてたってことは、俺たちの目的もわかってるわけだな」

「うちの隊員にちょっかい出しに来たんだろ?   最近、玉狛うちの後輩たちはかなりいい感じだから、ジャマしないでほしいんだけど」

「そりゃ無理だ……と言ったら?」

「その場合は、仕方ない。実力派エリートとして、かわいい後輩を守んなきゃいけないな」


   両者互いに余裕な表情を見せつつも、緊迫した空気が流れていた。

   隊務規定において、「模擬戦を除くボーダー隊員同士の戦闘を固く禁ずる」というものがある。風間がそれを挙げて指摘するも、迅は自分の後輩もボーダー隊員であり、風間ら四部隊も規定違反に値する、と軽く返してしまう。

   近界民の入隊に関する規定はないため、正式な手続きで遊真はボーダーに入隊をしている。迅がそう告げれば、今度は太刀川が正式入隊日を迎えるまでは本部ではボーダー隊員として認められない、と切り返した。


「邪魔をするな、迅。おまえと争っても仕方がない。俺たちは任務を続行する」


   本部と支部のパワーバランス関係を差し引いても、ボーダーとして黒トリガーを持つ近界民の存在は、野放しにできるものでもない。城戸はどんな手を使ってでも、遊真の持つ黒トリガーを本部の管理下に置くつもりであり、風間は抵抗したところで遅いか早いかの違いでしかないと淡々と告げた。


「おとなしく渡したほうがお互いのためだ……それとも、黒トリガーの力を使って、本部と戦争でもするつもりか?」

「城戸さんの事情は色々あるだろうが、こっちにだって事情がある。あんたたちにとっては単なる黒トリガーだとしても、持ち主本人にしてみれば命より大事な物だ」


   当然ながら迅には本部と戦争の意思などはない。しかし、遊真の持つ黒トリガーが、彼にとってどんな存在であるかを知っている以上、そう易々と渡せる物でもなかった。

   遠征部隊に選ばれる部隊というのは、黒トリガーに対抗できると判断された部隊のみである。この場にいるA級のTOP3の部隊がまさにそうであり、たとえ迅であっても、彼らを相手に一人で立ち回ることは難しいだろう。風間の指摘に、迅も理解しているとばかりに同意を示した。

   だからこそ、彼は布石を打っておいたのだ。


「嵐山隊、現着した。忍田本部長の命により、玉狛支部に加勢する!」


   屋根の上に姿を見せたのは、嵐山准率いる嵐山隊。彼らは忍田派の部隊であり、また嵐山隊と修、遊真は少々縁があった。それを踏んで、迅は彼らに加勢を頼んだのである。


「嵐山たちがいれば、はっきり言ってこっちが勝つよ。おれのサイドエフェクトがそう言ってる」


   そう笑みを浮かべると、迅はこの場は退いてくれないかと頼んでみる。こんなことで彼らが簡単にはいそうですかと撤退するとは彼とて思ってはいないため、頼んでみただけなのだが。


「なるほど。『未来視』のサイドエフェクトか……ここまで本気のおまえは久々に見るな……おもしろい。おまえの予知を、覆したくなった」


   その言葉を皮切りに、全員が臨戦態勢へと移った。


「やれやれ……そう言うだろうと思ったよ」


   まず動き出したのは、風間隊の三人だった。三人同時に駆け出した彼らを牽制するように木虎や時枝が銃を放ち、風間と菊地原はシールドでガードに入り足を止めた。一人向かっていった歌川が果敢に攻めるが、体勢を崩され、受け太刀で刃を折られたと同時に肩を斬られた。

   そこにすかさず入っていったのは、太刀川だ。彼はA級一位の部隊を率いる隊長でもあり、また個人ソロ総合ランク、アタッカー個人ランク共に一位の猛者である。

   彼の使用する武器「弧月」は一番人気を誇る万能ブレードである。自由に出し入れ可能、重さもほとんどゼロな「スコーピオン」――風間隊はこちらを愛用している――とは異なり自由な出し入れはできず、重さもそこそこ。しかし基本性能の高さや、トリオン消費して行う専用のオプショントリガーにより、瞬間的に攻撃を拡張することを可能としている。

   攻撃を拡張された弧月の斬撃が、電柱や住宅の塀をバラバラにしていく。それを高く跳んでかわした迅、嵐山隊の面々は、距離を取るように屋根の上へと移動していく。それを見上げながら、太刀川たちは迅と嵐山隊とを分断する作戦に出た。


「……次はこっちを分断しに来そうだな」


   それは迅も読んでおり、嵐山隊メンバーも自分たちがどの部隊を相手取る形になるか概ね予想の範疇内であった。そのため焦ることもなく、彼らは自分たちの役割を取り決め、二手に分かれてそれぞれの敵と相対した。嵐山隊には三輪隊の三輪、米屋、太刀川隊の出水が。残りの太刀川、風間隊の三人、狙撃手三人は総攻撃で迅の相手をするようだった。

   四対一という圧倒的不利な状況でありながらも、迅はどこか余裕げな様子で攻撃をかわし、いなしていく。狙撃手二人の弾も難なくかわすのは、彼のサイドエフェクトが成せる技でもあり、実力でもあるのだろう。

   「かわされるのは仕方がない」と割り切りながら、奈良坂、古寺の二人は迅の動きを制限する方向での狙撃に切り替え、彼の対処能力を攻撃の密度で上回ろうと考えた。反面当真は、銃を出すこともせず屋根の上で一息をついている。


《当真さん、あんたも少しは撃ったらどうだ?》

《ああ〜?   外れる弾なんか撃てるかよ。狙撃手としてのプライドが許さねー》


   そう告げた当真は、早々にその場を離脱して、嵐山隊の相手をしている三輪隊の方へ向かっていった。その言動に片眉をピクリと反応させた奈良坂ではあったが、太刀川が良しとしたため、何も言わず狙撃に集中した。

   包囲を避けるため、迅はどんどん下がっていく。このまま行けば警戒区域外に出るが、迅は市民を危険に晒すような真似をする人物ではない。そして彼はまだ一度も、「風刃」を使用していない。それもあり、太刀川は彼の立ち振る舞いに違和感を覚えた。


「ずいぶんおとなしいな、迅。昔のほうがまだプレッシャーあったぞ」

「まともに戦う気なんかないんですよ。この人は単なる時間稼ぎ。今頃きっと、玉狛の連中が近界民を逃してるんだ」


   そう考えるのも無理はなく、迅は守りに徹しており自ら攻撃を仕掛けようとはしていない。相手の人数の多さもあるだろうが、黒トリガーを使用すればそんな不利は覆すことができる。しかし、そんな菊地原の言葉を否定したのは、風間であった。


「こいつの狙いは、俺たちをトリオン切れで撤退させることだ」


   確信を持った風なその言葉に、迅は困ったように片眉を上げ、頬からは汗が一つ垂れた。風間の言葉に、太刀川も自身の違和感の理由を理解した、なるほど、と納得するように呟いた。

   余裕風な素振りを見せつつも、迅の実力を買っている太刀川、風間の態度に、菊地原は買い被りすぎだと呟いて、玉狛に直行した方がいいと進言した。


「ぼくらの目標ターゲットは玉狛の黒トリガー。この人を追い回したって時間のムダだ」

「……たしかに、このまま戦っても埒が明かないな。玉狛へ向かおう」


   このまま玉狛へ直行されてしまえば、迅は否が応でも守りに徹する今の構でいる余裕はなくなるだろう。トリオン切れを狙う彼から、「逃げ」を封じる。それもアリだと判断した風間は、菊地原の案に乗り、頷いた。


「やれやれ……やっぱこうなるか」


   そんな彼らのやりとりを見つめていた迅がスッと目を細めたと思うと、彼の持つトリガーのブレードが形状を変えた。それに気付いた太刀川と風間は即座に守りの大勢を取った。

   たった一瞬の出来事だ。迅の腕の一振り、ただそれだけで、気付けば菊地原の首は宙を舞っていた。彼自身、何が起きたのか理解が及んでいない間に、戦闘隊の活動限界を迎え、緊急脱出ベイルアウトした。


「出たな、『風刃』」

「……仕方ない、プランBだな」


   ゆらゆらとうねる光の帯が、どこか妖しく光っていた。