- ナノ -

上から二、三番目の結末



「桔梗先輩!」


烏丸の緊急脱出後、桔梗たちは基地へは向かわずに、烏丸たちがいた場所へ向かっていた。そのため、米屋との合流はすぐに果たせた。彼の手にはキューブ化された隊員たちの姿もあり、回収できる分は回収してくれたようだった。


「状況は聞いてます。ひとまず彼らを基地へ」

「了解です。じゃあ、オレが殿務めますんで」

「お願いします」


人型近界民を足止めしていた烏丸が緊急脱出してすぐに、ワープ能力を持つ黒トリガー使いの力で、相手は修たちのもとへと直接移動したと連絡があった。もとより相手の狙いは時間稼ぎで、千佳を守る隊員を減らすことが目的だったのだ。

相手の能力については修とレプリカに情報を共有しているが、しかしまともに戦って勝てる相手ではないのは確かだ。かと言ってここにいるC級をほったらかしで修たちのもとに行くわけにもいかない。

C級隊員を基地に送り届け次第、そちらの援護に向かう。そのためには、ひとまず修とは違うルートを通ったほうがいいだろう。桔梗は、宇佐美に安全なルートを調べてもらいながら、基地までの道を走る。幸いトリオン兵もほとんど殲滅できているようで、このまま何事もなければ無事に到着できそうだった。


《桔梗先輩、秀次が基地付近にいるみたいです》

《三輪くんが?》

《あいつ別んとこいたんすけど、トリオン兵追っかけてこっちのほうまで来たんでしょうねえ。人型近界民と会ったらしいんで、ガードに入ってくれるそうです》


三輪の武器は鉛弾レッドバレット。重量で相手の動きを拘束するものであり、普通の弾よりも射程や弾速が落ち、トリオン消費も激しいもので、当てようと思うなら相手と距離を詰める必要がある。

しかし鉛弾の長所は、直接的な攻撃力がない代わりに、シールドに干渉せず貫通することを可能としている点。人型近界民の放つ弾丸がボーダーの使用するシールドと同じ要領や仕組みであるなら、鉛弾は防げない。

まさしくグッドタイミングと言えるだろう。三輪が人型近界民を抑えてくれている間にその脇を抜ければ、C級の避難はできるだろう。しかし懸念は、もう一人のワープ使いである。


「止まってください。一旦基地付近を見ます」


基地がもうすぐそこまでというところで足を止めた桔梗は、近くのマンションの屋上へ上がり、基地のほうを見つめる。基地前方の通りに並ぶ住宅の屋根には、三輪と人型近界民の姿があった。魚型の弾は細かに分割したシールドで防いでおり、押されている様子もない。もう一人のワープ使いを探そうと基地のほうを見やり、正面入り口の前に謎の穴があるのを捉えた。


《基地はダメです。今行けば、ワープ使いと鉢合うかと》

《げっ、マジか……そんじゃどうします?》

《別の入り口に行きたいところですが……》


下にいる米屋と話しながら桔梗が基地の入り口を見つめ続けていれば、三雲とレプリカの姿が映る。そうして、彼の背後に現れたワープ使いの姿も。


《三雲くんとワープ使いが鉢合わせました》

《おっと、そりゃまずい……オレが援護に行きましょうか?キューブ化よりは、ワープ使いのがまだ多少は捌けると思うんですけど》


そうですね。桔梗が返事をしようと口を開いた瞬間、黒い小さな粒がこちらへ飛んでくるのを視界に捉えた。それは手のひらに乗りそうなほどのサイズとなっていたレプリカだった。


『キキョウ、一つ頼まれてほしいことがある』

「レプリカさん、ですか?頼みとは?援護でしたら、今米屋くんと話を――」

『いや、援護ではなく、隠したチカのもとに行ってほしいと、オサムが』

「……隠した?どういうことです?」


十数秒ほどして小型のレプリカと話を終えた桔梗は、屋上から飛び降りて米屋のそばに着地すると、彼を振り返った。彼女が珍しく焦った表情を浮かべていることに目を瞬かせた米屋は、どうかしたのかと尋ねる。


「米屋くん、状況が変わりました。あなたは彼らとここにいてください」

「……なんかあったんすか?」

「どうやら三雲くんが、雨取さんを隠したようです。私はそちらに向かいます」

「なるほど、考えたなあのメガネボーイ。んじゃあ、オレはここから援護でもしてやりますか……何人かなら、狙撃手志望もいるだろうし」


口角を上げながら隊員のほうを振り返った米屋は、何かを思いついたような顔をした。彼が頷いたのを確認し、桔梗はちびレプリカの案内のもと、その場を離れた。

修が行った替え玉に敵はまだ気付いていないようだった。意識も三輪や修に向けられ、桔梗の存在に気付く様子もない今がチャンスだった。替え玉をしたタイミングは三輪と戦っていた最中であり、桔梗は彼らが戦っていた位置をアパート屋上から視認している。そのため、ちびレプリカが指す場所をすぐに発見できた。

敵は基地のすぐそばまで近付いており、つまりは千佳を隠しただろう場所から離れていっている。替え玉に気付かれる前に千佳を見つけ、人型近界民のいる基地から離れ、連絡通路を使用して基地へ入ればいい。今なら通路の扉も開けれるようになっているはずなのだから。

三輪が人型近界民と戦っていた付近に建つ、青い屋根の家の二階ベランダに到着した桔梗は、そこから庭に降りた。窓はひび割れ、塀も崩れてしまっているが、家自体は大きく損壊は受けていないことに安堵した。


『この辺りなはずだ』


割れた窓から家の中を確認するが、それらしき物体は見当たらない。伸びっぱなしな草を踏みしめて、桔梗は辺りを見回す。


「……雨取さん!」


庭先の垣根の下。隠れるようにちょこんと転がっていた四角いキューブは、確かに修が隠した、キューブ化した千佳だった。


「こちら桔梗。キューブ化した雨取さんを発見しました」

《ほんとですか!わかりました、すぐに本部で解析して、もとに戻してもらえるよう、連絡入れます!》

「はい、お願いします」


すぐに宇佐美に連絡を入れた桔梗は、通信が切れると、恐る恐ると言いたげにキューブに歩み寄った。転がっているそれに手を伸ばし、抱え上げた彼女は、じっと腕の中のキューブを見つめる。当然何の反応もないし、温度だって感じない。


「…………よかった……」


震え声で呟いた彼女は、安心したようにその場にしゃがみ、キューブに額を押しつけると、もう一度小さな声でよかったと呟いた。

数秒そのままでいた彼女だったが、空を覆っていた重たい雲が消えていくのに気付き、ハッと顔を上げた。それと同時、周囲に浮かんでいたちびレプリカが、動きを停止させて地面へ落ちた。


「レプリカさん?」


呼びかけに応答はなく、電池が切れたように微動だにしない。恐る恐る彼女がそれを拾い上げたとき、本部より近界民の撤退の報告を受けた桔梗は、ちびレプリカと千佳を手に、すぐに基地へ向かった。


「……三雲くん?」


基地の入り口前に、どこか焦った様子の夏目と、膝をついている米屋の姿が見えた。二人のそばには制服姿の修が倒れている。彼の身体の下から広がっている色を見た瞬間、桔梗は目を見開いた。


「米屋くん!」


駆け寄ってきた彼女に気付いた米屋の顔は、僅かに険しかった。桔梗は三雲と彼とを交互に見ると、夏目の前に立って、キューブを差し出した。


「これを持って、中に。エンジニアの方に渡してください」

「でも、メガネ先輩が……」

「大丈夫です、死んでません。応急処置をしてすぐに医務室へ運びますから」


少し震えている夏目の手にキューブを抱えさえた桔梗は、急ぐよう伝える。彼女は躊躇ってはいたものの、キューブを大事に抱きしめて頷き、基地の中へと駆けていった。

桔梗は換装体を解くと、ちびレプリカはスカートのポケットに入れ、羽織っていたカーディガンを脱ぎ、米屋に差し出した。


「両袖を破ってください。これで傷口を縛ります」

「……了解です」


米屋にカーディガンを破ってもらい、腕と足の傷口を縛っていく。桔梗は自身の手袋も外し、それとハンカチとを縛りにくい腰の傷口に押し当てる。地面についた膝の上から、タイツがじわじわと濡れていくのを感じていた。


「桔梗先輩、わりと慣れてるんすね」


その言葉に、彼女は米屋に視線だけ向けた。彼の手際も慣れたものであるが、それについて指摘はしなかった。ボーダー隊員たちは、一通りの応急処置は覚えさせられるのだから。

それに、彼の言う「慣れ」は、恐らく応急処置に対してのものではないと、桔梗はなんとなく察していた。


「私は、自分の腕を斬られる瞬間を見てますから」

「あー……そりゃあ、慣れるかあ……すみません。これ、アレっすね。ブシツケってやつ」

「べつに、お気になさらず」













米屋と共に修を医務室へと移動させるなか、事情を聞いた救護班が駆けつけてくれたため、彼を預けた桔梗は、後のことはそちらに任せると担架で運ばれていくのを見送る。その際、汚れた衣類も処分してくれるとのことだったので、トイレで血に濡れてしまったタイツを脱ぐと、破いたカーディガンなどと共に、差し出されたビニール袋へ入れた。

その後、桔梗は詳細を宇佐美に報告した。どうやら迅から「修は死なない」と伝えられたそうで、緊張の糸が切れたのだろう、宇佐美は涙声だった。米屋にも迅の言葉を伝えれば、彼は少し気の抜けたように笑った。


「ひとまずは、安心ですかね」

「っすね。今からは残兵狩り行きます?」

「もうほとんど残っていないでしょう」

「ですよね


通信を切り、桔梗は千佳のほうは大丈夫だろうかと解析室のほうへ向かった。米屋もそちらが気掛かりなようで、桔梗の隣に並んで歩いていく。


「あ、いたいた……先輩たち!」


曲がり角の向こうから現れた夏目の姿に、桔梗はすぐさま左手を背に隠して足を止めた。米屋は駆け寄ってくる夏目を見て数歩だけ前に出ると、千佳のことを尋ねた。


「すぐ解析してくれるって言ってました。なんで、今それ待ちです」

「そうでしたか」

「おチビちゃんとこいなくていいのか?」

「いや、まあ、そうなんすけど……お二人に、伝え忘れがあったんで……」


首を傾げた二人に、夏目はぺこりと頭を下げた。


「あの、ありがとうございました。アタシらのこと、守ってくれて」


ぱちりと瞳を瞬かせた桔梗は、お気になさらずとそっけなく返す。米屋も気にするなと笑うと、ひらりと手を振った。

どうやら夏目は本当にお礼だけ言うために二人を探していたようで、すぐに来た道を戻っていった。千佳の状態を見に行くのに解析室へ向かっていたが、もう解析は始めてくれているし、夏目が待ってくれているなら目が覚めた千佳も一人ではない。自分がいるよりは、友人のほうが千佳も安心するかと、彼女は方向転換する。

不思議そうに解析室に行かないのか尋ねる米屋に、用事がなくなったことを伝えれば、彼はふうんとだけ呟いて、また桔梗の隣に並んだ。


「てか先輩、オレの学ラン貸しましょうか」


へらりと笑ったと思うと、米屋は換装を解いて上着を脱いだ。片眉を上げた桔梗が必要ないと断ったが、まあまあと強引に肩へ羽織らせた。


「替えの手袋持ってないでしょ、桔梗先輩」


その言葉に瞳を瞬かせた桔梗は、自身の左手を一瞥すると一瞬顔をしかめたが、羽織らされた学ランの前を軽く引っ張って、剥き出しな左手を隠した。


「……お気遣い、感謝します」

「いえいえ」

「先程、彼女から隠してくれた件も」

「ん?それは知らないっすね」


軽く笑った米屋が、話を変えるようにそういえば、と彼女に何か尋ねようとした。けれどそれを遮るように桔梗を呼ぶ声がして、二人は立ち止まった。そちらを見れば、閑が笑って手を振っている。


「閑さん、おつかれさまです。今日はありがとうございました」

「おつかれさま、桔梗ちゃん。米屋くんも」

「おつかれさまです。てか、閑さんもオペしてたんですか?」


不思議そうに首を傾げた米屋に頷いた閑は、迅から今日のことを頼まれていたのだと話した。


「急に迅くんが、桔梗ちゃんのトリガー持ってきて、長門隊の頃の隊服に変えてくれって言うのよ。しかも、幸人さんの戦闘用トリガーも用意してほしいって。そのあと幸人さんから連絡があって、大規模侵攻が始まったらよろしくってね」

「え?幸人さん出てたの?」


驚いたように声を上げたと思うと、米屋は悔しそうに惜しいものを見逃したとこぼす。しかし、通りで桔梗の隊服が長門隊の頃のものであったのかと納得もした。


「兄さんは、どこに?」

「少し疲れたみたいで、仮眠室で寝てる。今日はこっちに泊まるそうよ」

「そうですか……」

「大丈夫。幸人さん、ピンピンしてたから。あのあと緊急脱出もせずに立ち回ってたしね」


閑の言葉に安心したように眉を下げた桔梗は、再度閑にお礼を告げた。彼女はいいえと笑うと、肩にかけられている学ランと、左手を隠すようにしている様子を見て、少し待っててほしいと桔梗に頼むと、急いでどこかへ去っていく。

十分も立たずに戻ってきた閑は、はい、と桔梗に手袋を差し出した。閑は長門隊を組んだ頃から、念のためにと桔梗の予備の手袋を用意してくれていた。解散してからもそれは未だに健在だったようで、桔梗はすみませんと一言謝って受け取ると、それを左手につけた。

義手が隠れると、桔梗は学ランを脱いでお礼と共に米屋へ返した。そうしてじっと彼の顔を見つめる。凛とした瞳を向けられている米屋は、奈良坂や出水などであれば、この状況は大喜びだろうと一人考える。


「ジュースでよければ奢ります。今回お世話になりましたので」

「お、いいんすか?ラッキー!」

「出水くんと緑川くんの分も買うので、あなたから渡しておいてください」

「了解でーす」


閑に軽く頭を下げた桔梗は、ご機嫌な様子の米屋を連れて、中庭の自動販売機へと向かっていった。