- ナノ -

天秤を向こうへと傾けて



《迅くんから預かった封筒に、俺の戦闘用トリガーが入ってたんだよ》

「戦闘用トリガーが?どうして……」

《迅くん曰く、最悪の回避のためだって》


何故幸人が防衛に参加しているのか。イーグレットを撃ちながら尋ねた桔梗に、幸人はそう説明した。

今回の侵攻は四年半前の第一次近界民侵攻を超える数のトリオン兵がつぎ込まれているが、敵の狙いは未だ読めない。

新型はこれまでのトリオン兵より手強く、A級隊員でも単体で臨むのは些か分が悪い。そのため、B級合同部隊と新型とが鉢合わせないよう、南部から南東部のほうへと移動しながら、三人がかりで新型二体を抑え込んでいる。村上と幸人とで一体ずつ引き離して相手をしているが、相手をするので手一杯な状態だ。

以前の幸人ならば、新型の撃破にここまで手こずることもなかっただろう。しかし心臓病を患ったことや、開胸手術により多少なりとも臓器への負担をかけたこともあって、防衛隊員であった頃よりも動きが鈍っている。彼はまだ退院して二週間も経っていない。トリオン体は身体能力が生身の状態に比べ大幅に強化されるとは言え、トリオン体の操縦は生身を動かすときの「感覚」が元だ。

今の幸人は、その感覚が鈍っている。切開した胸骨はまだ癒合していないため、本来は胸骨への負担をかける動きは制限される。故に今の幸人は、無意識に胸骨への刺激を避けるよう動いているのだ。

迅とて、幸人が前のように動けるとは思っていないはずだ。では何故、彼にわざわざ戦闘用トリガーを。彼の視た「最悪」がどれくらいのものか定かではないが、幸人に無理をさせてまで回避したい未来であることは桔梗も察することができるため、文句を言ってもしかたがないと頭から取っ払った。


《桔梗、もう少しこっちに近付けれそう?今は村上くんと俺とで新型と一対一になってるから、どうにかこうにか抑えれてるけど、流石に捌き切れないし、厄介なのから先に片付けよう》

《うん、いいよ。私が囮になろうか?》

《グラスホッパーは入れてる?》

《ううん、今日は入れてない》

《なら却下。大丈夫、策はあるから》


新型の装甲はかなりの厚さを有しており、かすり傷さえ与えることが難しい。その上トリオン兵の群れもいるため、そちらの対処にも負われる。桔梗が群れを相手取っているが、数が多すぎては彼女一人で全ては捌ききれない。そのため幸人と村上が新型と対峙しつつ近くのトリオン兵を屠っているが、少しでも隙を見せれば持っていかれかねない状況だ。もしここで新たに新型が投下されるようなことがあれば、一気に形勢は傾く。

幸人もそれを理解しているため、桔梗の援護を借りてまずは新型の討伐を優先させるつもりなのだろう。彼女は了解、と一言返すとイーグレットを解除し、幸人たちのいる場所へと駆けた。


「誘導弾」


屋根と屋根とを飛び移りながら、桔梗は警戒区域を抜けようとしているトリオン兵を視界に入れ、キューブ型の弾を飛ばす。それはトリオン兵を追うように軌道を描き、見事に命中し、沈黙させた。

弾トリガーにもいくつか種類がある。通常弾であるアステロイド、弾道を自由に設定できるバイパー、対象を自動追尾するハウンド、着弾と同時に爆発し広範囲攻撃を行うメテオラ。入隊当初は射手であった彼女が好んで使っていたのはハウンドである。

ハウンドにはトリオン体の反応を追いかける「探知誘導」と、視線で対象を追う「視線誘導」の二種類があり、桔梗には後者の視線誘導と相性が良かった。

狙撃手へ転向してからも弾トリガーをセットしていることは多く、桔梗は距離を縮めた際にはイーグレットよりも弾トリガーを用いることが多かった。

二人に合流した桔梗は、弧月の間合いに入らない位置や距離を考えながら、屋根の上から二人の援護を行う。トリオン兵の数は続々と増えており、桔梗は上空を飛ぶトリオン兵を撃ち落としながら、幸人と村上が相手をしている二体の新型を見据える。


《桔梗、見た感じどう?頭と背中は斬った感じ厚いのはわかるけど、他の部位は目に見えてわかる?》

《両腕や頭部は小さな傷もほとんどついてないから、厚いと思う。村上さんが相手してるほうなら、背中は傷が入ってるから崩せそう》

《なるほど……美鶴ちゃん、他部隊から情報入ってる?》

《風間隊からの情報で、桔梗ちゃんの言う通り、両腕の装甲が特に厚めだそうです》

《了解。なら両腕は無視だね。村上くんのほうは、背中の装甲を削ってしまおう。桔梗、よろしく頼むよ。俺がどっちも足止めさせるから、村上くんは、一体トドメお願いできるかな?》

《はい。その、すみません、オレが足を引っ張って……》

《いやいや、全然。むしろそれは俺のほう。ブランクと身体の状態を言い訳にするのはズルいけど、やっぱ前のようにはいかないね。じゃあ、手早く済ませようか》

《桔梗、了解》

《村上、了解》


桔梗は村上のいる方向へと誘導弾を撃ち、新型の背中へ命中させる。村上はその隙に新型から距離を取って、桔梗の援護を受けながら駆け出した。幸人は閑のに従いながら、じわじわと村上のほうへと退がっていく。


《幸人さん、そろそろ合流しますよ》

《了解》


T字路にさしかかった幸人が一瞬視線を背後へ投げたのに合わせ、桔梗は変化弾バイパーを撃った。複雑な軌道を描きながら新型の背中に着弾する弾以外にも、周囲の建物や地面に命中し、辺りに土煙を起こした。


「旋空弧月」


周囲を切り裂くように、幸人の旋空が彼の前にいた新型の足を斬り落とした。しかし腰を低く屈めた彼の右方向から、村上が対峙していた新型が襲いかかろうとしていた。だが幸人は焦ることなく、フッと笑みをこぼした。


「――旋空、弧月」


崩れた建物の向こうから聞こえた村上の声に、新型の耳がピクリと動いた。だがその体は動かない。新型の片足には、幸人が足裏から出しているスコーピオンが、地中を伝って新型の足を貫いているからだ。

放たれた旋食は新型の体を斬り裂いて、その体躯が地面へ崩れ落ちていく。両足を失った新型には桔梗の弾が口内に着弾し、その動きを停止させた。


「本部、こちら長門幸人。村上隊員と桔梗と共に、新型二体討伐しました。数は二人に一体ずつつけておいてください」


幸人が本部への報告をするなか、村上は目を瞬かせ、申し訳なさそうに眉を下げた。そんな彼の表情に、幸人は穏やかに笑って軽く手を振る。


「……オレ、何もしてないんだけどな……」

「一体は、もともと村上さんが引きつけていた新型で、既にある程度ダメージが入っていました。だから、短時間で装甲を削ることにも成功しています」

「桔梗がピンポイントでその部分に弾を当ててくれてたおかげだよ」


ありがとう、と微笑む村上を一瞥した桔梗は、お礼は結構です、と冷たく返した。

本部への報告を終え、幸人は今度は閑のほうへコンタクトを取り、現在のトリオン兵の群れの状況を尋ねた。


《南西部のほうが突破されてるみたいです。木虎ちゃんが新型と交戦中……玉狛のメガネの子。あの子もいますね。そういえば、C級の援護に行くとかなんとか》

「C級の……?」

《ええ。訓練生の子たちは緊急脱出機能がないので、新型に襲われでもしたらひとたまりもないでしょうし》


新型は隊員を捕えようとしている。しかし正隊員には緊急脱出があるため、捕えられる前に緊急脱出さえできれば、隊員に被害はない。

ひと月ほど前、迅の指揮のもと、C級隊員まで動員しての小型トリオン兵の一斉駆除が行われた。その小型トリオン兵は偵察や隠密用のトリオン兵なのだが、改造を施されて門発生装置を備えていたようで、イレギュラー門が開く原因となっていた。

それは、今回攻めてきた国が事前に送り込んでいたものと踏んでいいだろう。ならばこちらの戦力はもちろん、緊急脱出機能について知っていてもおかしな話ではない。トリオン兵を分散し、隊員がバラけたところを新型で捕獲する、というのはおかしなことではないが、緊急脱出機能を考えれば腑に落ちない点があった。

しかし閑の何気ない言葉で、桔梗は嫌な予感を覚えた。

もし、敵の狙いが緊急脱出機能の備わってないC級隊員であったとしたら、と。トリオン兵から狙われやすいのはトリオン量の多い人間である。ならば、誰が最も危険に晒されることになるのかなんて、深く考えずとも桔梗には予想できた。


「桔梗。桔梗は、C級の子たちのほうに行ってあげてくれるかな」


幸人の言葉に、桔梗はハッと意識を戻して彼を見た。


「玉狛の子が援護に向かったってことは、桔梗の弟子の子、そこにいる可能性が高いんじゃないかな」

「……向こうには、三雲くんと木虎さんもいる。なら、私が行かなくても……」

「狙われやすい子なんだろう?なら行ってげるべきだよ。何が起きるかわからない状況だからね。桔梗が守ってあげたらいい」


でも、と渋る桔梗に、幸人は穏やかに微笑むばかり。以前ほど戦えない彼を放って千佳のもとに行くわけには、と思っているのだ。しかし千佳のことも放ってはおけない。そんな様子のの桔梗を見ていた村上は、幸人に賛同するように桔梗へC級のほうへ行ったらいい、と言葉をかけた。


「幸人さんは、オレが責任を持って守る。だから、桔梗はC級隊員たちのほうに行ってあげてくれ」

「ほら、村上くんもこう言ってくれてる。彼は強いし、俺だって曲がりなりにも元A級なんだから。そう簡単にやられやしないよ」


二人から促された桔梗は、一瞬眉を寄せつつも、数秒間を置いて頷いた。


「兄さんをお願いします」


村上にそう伝えると、桔梗はその場を離れるように駆け出して、南西部へと向かっていく。その背を眺めながら、幸人は村上に謝罪をこぼしながら眉を下げた。


「いざとなったら、俺が囮になるからね」

「いえ。桔梗から幸人さんを任せられてるんです。幸人さんに何かあったら、桔梗が悲しみますから、オレが全身全霊で守ります」

「頼もしいなあ、No.4攻撃手」

「オレなんてまだまだです。元No.4の幸人さんに、結局勝ち越せてないですし」

「今やったら俺の負けだと思うよ、村上くんは強いから。桔梗もそれを認めてるから、渋々ながらに引いてくれたんだろうしね」


笑い声を漏らしながら、幸人は、それに、と言葉を続けた。


「村上くんに何かあっても、桔梗は悲しむよ」

「……そう、ですかね。悲しんでくれるんでしょうか」

「悲しむよ。あの子は優しい子だし、何より、アレでいて君たちのこと、好きだろうからねえ」

《お喋り中ごめんなさい。トリオン兵の群れ、きますよ》


閑の言葉に、幸人は弧月を握り直した。