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今宵限りのヒーロー



今日は一日晴れると、朝の天気予報では清廉そうな女性アナウンサーが笑顔で伝えていた。その言葉通り空は晴天で、生徒の中には屋上で昼食をとっている者もいるようだったが、桔梗は教室で弁当の包みを広げていた。


「この間隠岐とちょっとそこまで出かけてん。あいつ、途中にあったゲーセンのUFOキャッチャーで、なんやかわいらしい猫のぬいぐるみに食いついたはええけど、これがまた下手くそやねん」

「へえ。取れたのかよ」

「惨敗。代わりに取ってくれ言うてきた」

「おまえUFOキャッチャー上手かったか?」

「上手いと思うか?無駄に奥行きとか確認しながらやったけど、全然あかん。あれ客に商品取らせたろう思って設計されたんやなくて、搾れるだけ金搾り取ったろって意図でできた銭吸引機やから」


休憩時間になると、穂刈たちは桔梗のもとに集まる。それは防衛任務で欠席している者がいようと変わらず、今日も水上と影浦は彼女の机のそばに来た。彼らが周りに集まってくることにも慣れてしまっている自分に辟易しながら、桔梗は黙々と食事をすすめていた。

水上の話を聞きはしているが、特に会話に入ろうとはせず。桔梗はいつもそうなので、穂刈や村上ならば時々彼女に声をかけるが、水上や影浦の場合は必要以上に話を振ることはしない。二人のやりとりを横目に、桔梗は出そうになったあくびを噛み殺した。

不意に警報が鳴り響き、空模様に変化が起こった。周囲に高いビルなどがないため、教室の窓からはボーダー基地はよく見える。基地の周辺が暗く重たい雲で覆われていったと思うと、空からいくつもの真っ黒な稲妻のようなものが降り注がれ、そこからぽっかりと穴が開いていく。

先程まで賑やかだった教室は静かになり、くだらない話をしていた影浦と水上も、窓の外を凝視していた。

教室に、三つ分の音がなる。緊急呼び出しを示すその音に、桔梗は即座にスマホを取り出して幸人に連絡を取った。


「兄さん?今どこ?家にいる?」

「"うん。大量に門が開いてるみたいだね……"」


家から門が見えたのだろう、幸人の声音はどこか固い。二人が住む場所は警戒区域からそう大きく離れていないこともあり、被害に遭う可能性も高かった。桔梗は制服のポケットに手を入れると、幸人に安全な場所へ行くよう伝えて通話を切り、スマホをしまった代わりにトリガーを取り出した。そうして教室の窓を開けた彼女は躊躇なく足をかけ、そこから飛び降りた。


「トリガー起動オン!」


頭上から水上や影浦の焦ったような声を聞きながら、桔梗はトリガーを起動させて、無事地面に着地した。そしてふと、自身の姿、基トリオン体が変わっていることに気付く。

長門隊が解散した後、桔梗は長門隊時の隊服からデザインを変更した。そのため現在の彼女のトリオン体時のコスチュームは、オレンジのトップスに首と腕のみ布のない黒のアームウォーマー、下は黒のホットパンツというデザインだ。パンツはコルセットと一体化したハイウエスト状で、オレンジのカラータイツを履いている。

しかし今彼女がまとっているのは、色合いや左手の手袋、オレンジのカラータイツに変わりはないものの、それとは異なる隊服だ。黒地のハーフ丈なパーカーに、オレンジ色のトップスとアシンメトリー型の黒パンツ。パーカーの袖にはオレンジのラインが入り、腰のベルトの他にも肩にもベルトを着けており、背中でX状に交差した状態となっている。それは紛うことなく、幸人と桔梗との好きな色を掛け合わせて閑がデザインした、長門隊の隊服だった。

桔梗はボーダー本部での訓練時を除くと、基本トリオン体ではなく生身でいることが多い。また彼女は本部よりも玉狛にいることの方が多いため、コスチュームが変わっていることに気付かなかった。もう着ることはないと思っていた服に、桔梗は眉を寄せた。何故トリオン体のデザインが変わっているのかと考え、つい先日、迅にトリガーを貸したことを思い出した。


「……何で、急に……」


その時、迅はサービスだと言っていた。その言葉の意味も意図も理解できず、桔梗は顔をしかめつつも、その場を駆け出した。

門から溢れるように現れた大群の近界民、基トリオン兵はいくつかの集団に分かれ、基地ではなく市街地を目指しているようだった。方角は西、北西、東、南、南西の五方向であり、任務中の部隊は東、南、南西の三手に分ける形で敵に当たらせるようだった。それは通信を介して非番である桔梗のもとにも指示が出されており、彼女は家のある南西方面へと向かった。

どうやら三ヶ所それぞれに一部隊ずつ現着はしているようで、既に交戦が始まっている状況だった。それぞれの集結ポイントに、任務中の部隊がトリオン兵を排除しつつ集まろうとしていた。

現在C級隊員たちが市民の避難誘導を行ってくれてはいるものの、まだ完全に避難できるまでは時間もかかる。今回の侵攻は四年半前を上回るほどの数のトリオン兵が見込まれており、それも踏まえて、警戒区域外にトリオン兵が出ることがないよう、他部隊との連携も肝心となってくるだろうことは明白だった。

警戒区域へ到達した桔梗は、新たに入った本部からの通信に眉をひそめた。


「新型トリオン兵……?」


人に近い形の二足歩行型であり、サイズは三メートル強。隊員を捕えようとする動きが見られるとのことで、戦闘力も高い、未知のトリオン兵が敵から投入されたのだ。


《A級部隊は新型の排除を優先、B級部隊は全部隊合流し次第、一箇所ずつ防衛にあたる》


B級全部隊で、避難の進んでいない地区を優先して、確実にトリオン兵を排除していく。一箇所ずつ確実に排除するために、その間他の地区の被害は大なり小なり覚悟しなくてはならないだろう。

正隊員の中には新型に捕獲された者や緊急脱出を余儀なくされた者もいるようで、市街地へと流れれば被害は甚大なものとなるだろう。そうでなくとも、トリオン兵の軍団が新型の脇を潜り抜けて押し寄せてきている。


誘導弾ハウンド


実際、桔梗の行く手を阻むように、トリオン兵たちが市街地へ向かってきていた。それを弾トリオンで撃破しながら、彼女は一人敵のやり口に感心した。

分散した隊員を新型で捕え、そちらに戦力が集中する間に他のトリオン兵が市街地を襲う。市街地を守ろうとすれば、新型が疎かになる。攻め手や数の多さを有利に活かし、ボーダー側を振り回そうとしているのが見て取れた。それを考えれば、本部の出した作戦は最善と言えるだろう。

どうやらB級部隊は南部にいる東隊のもとに集まっている辺り、南部が一番避難が遅れているのだろう。

桔梗はトリオン兵がまだ警戒区域を越えていないことに、ひっそりと安堵する。この調子ならば、幸人も既に避難を終えているかもしれない。東部には風間隊が現着しており、それならば南部でB級部隊の援護をするべきか。トリオン兵の死骸の中を通りながら桔梗が思考を巡らせていると、基地のほうから大きな音が聞こえた。

一旦近くの建物の屋根に上がった桔梗が基地を確認すれば、基地のそばに爆撃型トリオン兵イルガーが見えた。一体は基地の砲台にて撃墜したようだが、もう一体は基地目掛け自爆し、その衝撃と光で桔梗は咄嗟に目を瞑った。

しかしそれだけで終わらず、第二波で三体の爆撃型トリオン兵が姿を見せた。千佳による外壁に穴を開けた事件以降、装甲の強化が施されているとはいえ、何発も耐えられるものではないだろう。桔梗はじっと基地を見つめていたが、上空に飛び出してきた人影にぱちりと瞳を瞬かせ、基地から視線を外した。

本部は爆撃による損壊はなく、イルガーの追撃も今のところ見られない。もしもう数発爆撃を受けていたら危なかったが、ひとまずは安心していいだろうと、走り出す。


《桔梗ちゃん、聞こえる?》


避難が遅れている南部のほうへ向かっていた桔梗は、突然入ってきた通信に思わず足を止めた。その声は本部の指令ではない。つい数ヶ月前までは通信越しによく聞いていた声で、最近久しぶりに会った人物でもある。


「……閑さん?どうして、閑さんが……」

《説明は後。桔梗ちゃん、悪いんだけど、村上くんと合流してもらっていいかしら?どうやら南部のトリオン兵が一部警戒区域を突破しそうみたいで、南西部に現着した鈴鳴第一が徐々に南部に移動中だけど、新型と交戦中でね。村上くんが一人残って新型の相手してるらしいの。向こうも村上くんと合流するはずだから、桔梗ちゃんはいつも通り、援護してあげて》

「向こう?」


通信越しに聞こえる閑の声や言葉に困惑を隠せない桔梗だが、ここで立ち止まっている暇などなく。訝しみながらも、彼女のサポートに従い、足を進める。


「……え?」


そうして、前方に見えた崩れた家々の瓦礫のそばに立つ人物に、彼女は目を見開いた。











「――旋空弧月」


辺りの建物を足場に、縦横無尽に動き回っていた新型の両足が建物と共に切断されたと思うと、瓦礫の向こうから飛び出してきた影が、落ちていく新型の口腔内に弧月を突き刺した。


「これが新型かあ……厄介そうだなあ」


新型から弧月を引き抜いたその人はオレを見て、榛色をした髪を揺らし、戦場と化したこの場にはあまり似つかわしくない穏やかな笑みを見せた。


「村上くん、大丈夫だった?」

「……幸人さん、なんでここに……」


長門幸人さん。桔梗のお兄さんで、元No.4攻撃手だった人。今は防衛隊員を引退しているはずの彼が、何故この場に、かつての隊服を身にまとい立っているのか。混乱から呆然とするオレを見つめながら、彼は笑みを崩さぬままこちらへ歩み寄り、耳もとに手をあてた。


「本部。こちら長門幸人、村上隊員と合流。新型一体撃破しました……はい、大丈夫です。他のA級が駆けつけるまでは、どうにか対処します」


本部へ報告しているだろうその背後から、トリオン兵の群れが近付いてきていた。それに気付いた幸人さんだが、焦る様子もなく振り返り、通信を続けている。

何を悠長に。そう思ったのも束の間、上空から弾トリガーが降り注がれた。


「射線もよく通るみたいだ。見晴らし良くしておいてよかった」


そう呟いた幸人さんは、通信を交わしながらオレを見て、目尻を下げた。


「さて、と。本当はここは俺に任せてって言いたいけど、生憎俺は、前ほど動けなくてね。だから、他のA級が来るまでの間、うちの部隊と一緒に凌いでくれたら嬉しいな」

「うちの部隊、ってことは……」

「数ヶ月ぶりに、長門隊の復活だ」


そう言って笑った幸人さんは、先程までの穏やかさから一変、ひどく楽しそうな顔をしていた。