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手探りな言の葉



   入隊日での出来事はあっという間にボーダー内で拡散された。千佳が壁に穴を開けたことはもちろん、遊真が戦闘訓練で一秒を切ったことや、修が風間と引き分けたことなど、三人の話題で持ちきりである。しかし修曰く、噂が一人歩きしているだけで、彼の話は二十四敗の末の一引き分けらしいが。

   週二回行われる合同訓練日、桔梗は千佳と共に本部の狙撃手用訓練室を訪れていた。狙撃手は他のポジションと異なり、ランク戦は行われない。そのため、攻撃手や銃手は戦闘用トリガーのポイントを四千点を稼ぐことでB級に上がれるのだが、狙撃手の場合は三周連続で上位十五パーセント以内に入ることでB級に昇格する。

   今日の訓練は、レーダーサーチ訓練。市街地に設定された地形には的が散りばめられており、レーダーで指示された的を探して狙撃するという、単純な訓練だ。指示された的以外は撃っても意味はなく、一つ当てるごとに次の的が指示され、制限時間内にいくつ当てられるかで、成績は決まる。

   狙撃スペースの位置は早い者勝ちで、千佳は同じくC級隊員の夏目と隣同士の場所を選んだ。狙撃手志望の女子は千佳と彼女の二人だけということもあり、入隊日のオリエンテーション終わりに仲良くなったらしく、今も二人で楽しそうに話をしている。


「桔梗先輩!」


   桔梗は千佳の隣、夏目とは反対側を取ろうとしたが、大きな声で名前を呼ばれ、足を止めた。その声は存外響いて、周囲は一瞬動きを止めてドアへと視線を向けた。桔梗が振り返るとこちらに駆け寄ってくる青年の姿が見えて、彼女は少し眉を寄せた。


「先輩、こんにちは。今日もキレイですね」

「どうも」

「やっぱクールやわあ、かっこええなあ……ねえ先輩、おれのこと弟子にしてください」

「嫌です」


   桔梗に駆け寄り彼女の両手を握ったその青年――隠岐は、日差し避けのサンバイザー越しから覗く切れ長な瞳を柔和にほぐして、頬をだらしなく緩ませている。

   それは、一年ほど前のことだ。生駒隊の隊長である生駒が、幸人にチーム戦がしたいと申し込んだことで、生駒隊と長門隊のチーム戦がランク戦ロビーで行われた。その頃には桔梗のサイドエフェクトが露見していたこともあり、隠岐が彼女のマークについていた。

   水上と海が落とされ、生駒が幸人と対峙している中、隠岐は狙撃姿勢に入った桔梗を落とそうとした。しかし彼女はガードすることもせず、むしろ片腕を犠牲に隠岐の位置を特定して、そのまま心臓を撃ち抜いた。

   結果長門隊の勝利に終わったそのチーム戦後、隊長同士が挨拶をするなか、水上が桔梗に「あそこでシールド張らんの、強気すぎん?」と声をかけた。彼女は水上を見て、その後ろにいた隠岐を横目に見て、フッと口角を上げた。


「ずっと私を見ていてくれたので、餞別に片腕を差し上げただけです。その代わりに、こちらは心臓を貰いましたが」


   片腕と心臓じゃ重さ全然違うやんか、という水上のツッコミが、隠岐には聞こえなかった。脳内で桔梗の言葉と表情とが何度も何度もリフレインして、気付いたときには桔梗の姿はなかった。彼はまんまと、桔梗に心臓を貰われていったのである。

   それからだ。桔梗を見かけるたびに、彼女に弟子入りを申し込み、切り捨てるように断られるようになったのは。桔梗に駆け寄り嬉々として声をかける隠岐の姿は、さながら彼女の周りをくるくる回る犬のようだった。

   桔梗はどれだけ頼まれても、考えることもせずに全て一刀両断してきた。そのため彼女は弟子をとらないと一部で有名になっている。そんな彼女に弟子ができたと知られれば、瞬く間に話は基地内に広がるだろう。

   しかし、まだ隠岐にはその話が耳に入っていないのか、切り捨てるように断られことにショックを受ける様子もなく、今日もダメやったなあと呟いている。弟子ができたなど桔梗にとってはわざわざ言う必要もないことで。彼の手を軽く振り払うと、桔梗は目星をつけていた場所へ足早に移動し、荷物を置いた。隣は那須隊の日浦だったようで、彼女は桔梗を見るとピャッと肩を跳ねさせ、おずおずと挨拶をした。こんにちは、と淡白に返した桔梗は、黙々と準備を始めた。

   訓練が始まる五分前にはアナウンスがかかり、桔梗は小型ディスプレイを見た。ルールが表示され、五秒カウントで訓練は始まった。

   レーダーの指示に従いながら、桔梗はすぐにスコープを覗いて狙撃を開始した。各々には狙撃スペースの番号が割り当てられており、的を撃ち抜けばそのスペースの番号が表示される仕組みになっている。所々で番号がピコピコと表示されるのが、目の良い彼女には少しばかり煩わしいが、幾度となく経験した訓練であるため、慣れてはいた。

   順調に訓練は進み、桔梗は時々千佳のほうを見て、その狙撃方向に意識を向けたりしながらも、自身のターゲットを射抜いていった。

   訓練が滞りなく終了すると、合計ポイントとランキングの確認が行えるようになっている。そのため、皆小型ビジョンで自身の順位を確認する。中には桔梗のように順位に興味がないため早々に退出する者もいた。

   訓練場にいた隊員たちも減り、桔梗は夏目と共に自身の順位や、全体のランキングを確認している千佳のほうへ移動した。


「雨取さん。今よろしいですか?」


   振り返った千佳は、ハッと姿勢を正して頷いた。夏目は彼女の姿に「あ、この間入隊日のときにいた……」と呟く。桔梗は一瞬夏目に視線を向けて挨拶をすると、小型ビジョンに手を伸ばし、少し操作を行なって、千佳に出されていた的を表示した。


「あなたが狙撃に手間取った的を確認しましょう」


   そう告げると、桔梗はまた少し操作を行なった。すると画面には、千佳が当てた的が全て表示された。それを見ながら、桔梗は千佳へ視線を移した。


「……自分で、時間のかかった的について、何か気付くことはありますか?   ないならないでもかまいません」


   尋ねられ、千佳は画面上のマップをじっと見つめて、狙撃できなかった的を一つ一つ確認していく。目を凝らすようにマップを見つめ続けて、彼女は緊張気味に口を開いた。


「端側にある的は、何度か撃ち外してると思います」

「なるほど。私も同じ点が気になりました。もう一つ挙げるなら、高所にある的も同様ですね」


   師の役割は、弟子を教え導くこと。何が得意で何が苦手なのか、どう鍛えれば伸びるのか。それらの見極めと助言を行うことが大事で、しかし何でもかんでも教えればいいものでもない。自身で気付くということも成長の一歩となる。以前買った本の内容を頭に浮かべ、桔梗は少し考えながら言葉を吐いた。


「高所への狙撃は、水平への狙撃に比べて難易度が高いので、最初のうちは外すのも想定内です。今まで水平での狙撃しかしてませんしね。端側への被弾率が低いのは、真正面に比べて射線の狭さもあるでしょう。今後の訓練は、いくつかシチュエーションを加えながら行っていきましょう」

「はい」


   頷いた千佳を、桔梗はじっと見下ろした。無言で、無表情で、つり目がちな瞳に見つめられて、じわじわと戸惑っている空気が千佳から漏れはじめた。

   褒めるべき点は、しっかりと褒めること。桔梗の頭の中には、そんなフレーズが浮かんでいた。彼女の現在の実力、技術、ポテンシャルにおける事実を述べるのとは違う。それらについての評価をするということ。自分の中で確認しながら、桔梗は千佳の名を呼んだ。


「その二点以外、水平位置の的は被弾率が高いですね。止まった的が相手で、狙撃距離は五〇〇もないですし、初の合同訓練でこの順位。あなたの今の実力ならば、妥当でしょう」

「あ、ありがとうございます……!」


   頭を下げた千佳を数秒見つめて、桔梗は踵を返した。出ていく彼女の背を呆然と眺める夏目は、おずおずと千佳に尋ねた。


「今の人、知り合い?」

「うん。玉狛の狙撃手の、長門桔梗さん。わたしの先生の一人」

「先生二人もいんの!?」


   夏目は驚きの声を上げ、何度も目を瞬かせた。そして心配そうな顔で千佳のほうへ顔を寄せると、大丈夫なの?   と小声で尋ねる千佳はその言葉に首を傾げており、夏目は軽く頬を掻いた。


「なんて言うか、こう……雰囲気が冷たい感じだからさあ」

「たしかに、話すときとか少し緊張するけど……でも、さっきみたいに色々指摘してくれて、練習もずっと見てくれるから……」

「へえ……意外と面倒見いいのかね。まあ、人は見かけによらないって言うし……」


   そういえば、と桔梗の順位を調べた夏目は、彼女が十位以内に食い込んでいることに、思わず声を上げた。

   そんな会話がされているなど知らない桔梗は、一人廊下を歩いていた。


「あれ、桔梗ちゃん。訓練終わったの?」


   パッと前方から顔を出した迅に足を止めた彼女は、歩み寄ってくる迅を見上げ、何の用だと尋ねる。彼はボリボリとぼんち揚を食べており、食べるかと差し出されたがすぐに断った。

   迅は桔梗をしばし見つめたと思うと、何故だか意味深に笑った。


「桔梗ちゃん、少しでいいからトリガー貸してもらってもいい。大丈夫、変なことするわけじゃないから」

「……理由は?」

「ん?   ん〜……実力派エリートからのサービス、かな」

「具体的ではないですね」


   訝しむ桔梗に迅は笑うだけで、それ以上の理由を言う気はないようだった。未来視というサイドエフェクトを持つ男の言葉なのだから、何かしらの意味はあるのだろう。桔梗はため息を吐くと、換装を解いてトリガーを差し出した。


「ありがとう、すぐ返すから」

「お願いします」


   トリガーを受け取った迅を見送った彼女は、ロビーで待っていようとそちらへ足を向けた。