- ナノ -

助走は充分、跳躍は絶好調



時間はあっという間に過ぎていき、ついに入隊日である一月八日を迎えた。桔梗は修と共に、今日の主役でもある遊真と千佳の付き添いをすると事前に伝えており、烏丸もその予定であるが、バイトのため遅れるとのことで先に四人で本部に足を運んだ。

深く息を吐き出している修は、遊真と千佳以上に緊張している様子だった。遊真のほうは元々そうでもないが、千佳はそんな彼を見て少し緊張が和らいでいるのか、普段通りな様子だった。


「よし……確認するぞ」


入隊日を迎えた訓練生の姿で騒めく講堂内で、修たちは今後の最終確認を行っていた。遊真と千佳がB級に上がり次第、チームを組んでA級を目指し、A級になったら遠征部隊の選抜試験を受ける。そうして、近界で攫われた千佳の兄と友人を捜しに行く。そう簡単ではない道のりの第一歩が、まさしく今日であった。

入隊式の時間が迫ると、講堂内にアナウンスがかかり、訓練生たちに列を組んで並ぶよう案内をする。緊張や期待で膨らむ空気が蔓延る室内で、桔梗は一歩離れたところから彼らの背中を見つめた。

列が組まれ静かになった頃、一人の男性が姿を見せた。彼は訓練生たちの顔を順にぐるりと見回すと、口を開いた。


「ボーダー本部長、忍田真史だ。君たちの入隊を歓迎する」


忍田は端的に名前を告げると、訓練生たちに三門市の、そして人類の未来がその双肩にかかっているのだと告げ、その自覚を持つように日々研鑽に励むよう話した。


「君たちと共に戦える日を待っている」


笑みを見せながら敬礼をすると、彼はこの先の説明を嵐山隊に一任すると伝え、再度訓練生の顔を見て、その場を離れた。入れ違うようにサッと訓練生たちの前に並んだのは、嵐山隊の四人。彼らはボーダーの広報も担当していることから、ボーダーの顔という立ち位置であり、世間からの認知度や人気も高い部隊である。そのため彼らの登場に、その場がワッと騒めき、黄色い声も漏れていた。


「さて、これから入隊指導を始めるが、まずはポジションごとに分かれてもらう」


嵐山の指示で、攻撃手と銃手志望はその場に残り、狙撃手志望は嵐山隊の狙撃手、佐鳥について訓練場へ移動することとなった。桔梗は狙撃手志望の訓練生が佐鳥のほうへ集まるのを見ると、修に千佳に付き添うことを伝え、彼らのほうへとついていった。


「あれ、そういえば桔梗先輩、なんでここに?」

「後輩の付き添いです」


桔梗の存在に首を傾げた佐鳥だったが、彼女の言葉に意外そうに瞳を瞬かせはしたものの、納得した様子で訓練場へと案内した。

狙撃手用の訓練場は、十のフロアをぶち抜き、奥行き三六〇メートルという、基地の中でも一番大きな部屋となっている。横並びに狙撃を行うスペースがあり、その位置から壁の向こうまでは、高低差のある山々のように立体物が設置されている。その広さに唖然とする訓練生を眺めていれば、桔梗は佐鳥の後ろに立つ二人の正隊員と目が合った。彼らは桔梗の姿に驚いたように目を丸くしたが、彼女は興味なさげに視線を外した。


「キミたちにはここでまず、訓練の流れと狙撃用トリガーの種類を知ってもらう」


そう前置きし、佐鳥は狙撃手志望の訓練生の人数の確認をして、全部で七人か、と呟いた。僅かに桔梗は目を細め、佐鳥くん、と呼んだ。


「狙撃手が人数を数え違えるのは、あまり感心しませんね」

「え?」


キョトンとした顔の佐鳥だったが、人影の後ろから千佳が申し訳なさげに顔を出したのを見て、大慌てに人数を訂正し、謝罪した。千佳を認識した他の訓練生たちは、彼女の小さな身体やおとなしい雰囲気に、果たしてこんな子が戦えるのか、と眉をひそめているようだった。

気を取り直したように、佐鳥は後ろに控えていた正隊員である東と荒船を紹介し、彼らの指示に従い、各自訓練を始めるよう声をかけた。

訓練生たちが思い思い好きな箇所を陣取るなか、千佳は辺りを見回して、前方に遮蔽物の少ない場所に移動した。他の訓練生たちは指示に従い狙撃を行なっているが、しかし千佳は何かが気になるようで、辺りをキョロキョロ見回している。


「あの……」


彼女は困ったような顔をして、近くにいた東に声をかけた。


「撃ったあと……走らなくていいんですか?」


その言葉に、各々が反応を示した。訓練生たちは不思議そうに、正隊員たちは僅かに目を瞠り、桔梗は満足げに瞳を細めた。


「えーと、今は走らなくていいんだよ」

「そうなんですか、すみません……」


そんなことを聞かれるとは思っていなかったのだろう。一瞬反応が遅れつつも、東は優しい口調で説明した。


「狙撃手は走んないでしょ」

「隠れて撃つのが仕事なんだから。謎すぎ」


まるで千佳がおかしなことを言ったかのように笑う訓練生を尻目に、東はじっと千佳を見つめていた。それも当然だ。本来狙撃手は位置を知られることを防ぐため、数発ごとに狙撃地点を変える。しかし本来ならB級に上がってから教えることであり、それを訓練生が指摘したことに、彼は驚いていた。


「んじゃ、次は狙撃用トリガーの紹介ね。狙撃用トリガーは全部で三つある」


一度訓練を止めた佐鳥は、みんなを集めて三つのトリガーを見せた。

狙撃用トリガーは、個々で異なる特色を持っている。訓練生たちが先程使用していた「イーグレット」は射程距離重視の万能型であり、大体の狙撃手が使用している。軽量級の「ライトニング」は威力は低いが、弾速が速く当てやすい。反対に重量級の「アイビス」は対大型近界民用に威力を高めているが、弾速が下がっているため当てにくい。


「長門、おまえ弟子ができたんだってな」


佐鳥は銃の説明をしている最中、桔梗のほうへと近寄ってきた荒船が、小さな声で言葉をかけた。彼を一瞥した桔梗は、特に隠すこともなく肯定する。


「わざわざ付き添いにくるとはな。熱心じゃねえか」

「仮にも指導していますので、ある程度の成果の確認ついでです」


へえ。フッと笑った荒船は、視線を訓練生たちのほうへと戻した。

百聞は一見にしかず、と佐鳥は千佳ともう一人の女の子の訓練生二人に試し撃ちをしてもらうよう頼んでいた。大型近界民を模した的を用意し、アイビスで撃つという単純なものだ。先に指名された千佳が銃を構え、佐鳥の合図と共に引鉄を引いた。


「そういや、おまえの弟子って、どいつ――」


荒船の言葉を遮るように、地響き音が鳴り響いた。千佳の撃ったアイビスの銃声音と、凄まじい発光。その衝撃と勢いは背後にいた佐鳥たちにも風圧として届いた。放たれた弾は的を貫き、そうして向こう側の壁まで到達すると、そのまま壁に巨大な風穴を開けた。

訓練場は一瞬で静まり返り、皆何が起きたのかわかっていない様子で、壁の穴を見つめている。千佳は瞬く間に顔を青くさせると、恐る恐る振り返り、冷や汗を流した。


「ほんとうに、ごめんなさい」


申し訳なさそうに、震え声で深々と頭を下げる――所謂土下座の形だ――千佳は、壊した壁は一生かけてでも弁償する、と続けた。そんな彼女にまだ戸惑いが隠せない佐鳥は、何故か彼も同じ体勢で頭を下げている。


「……どうなってんだ、アレ」


普段冷静な荒船も、流石に今のは驚きを隠せないようで、帽子のつばを上げて壁を凝視している。桔梗も僅かに目を丸くはしたものの、どこかこの結果に納得しているような様子でもあった。


「頭上げなよ。大丈夫、訓練中の事故だ。責任は現場監督の佐鳥が取る」


さらりと責任を佐鳥に負わせた東は、どこの所属かを尋ねるように肩のエンブレムについて触れて。千佳は恐る恐る顔を上げると、玉狛支部の所属であることを伝え、自分のせいで玉狛の隊員たちが怒られることはないかと不安を口にした。東はしないしない、と微笑むと、佐鳥の肩に手を置いた。


「責任は全て佐鳥にある」

「ですよね!やっぱり!」


僅かに涙を流している様子の佐鳥だったが、大慌てで駆け込んできた鬼怒田の登場に、顔つきを変えた。先程の音を聞いて駆けつけたのだろう。鬼怒田は壁の穴を指差して、どうなっているんだと戸惑いを隠せないでいる。

どう説明するべきか、と千佳が眉を下げて口ごもっていると、そんな彼女を庇うように佐鳥が前に出た。


「鬼怒田開発室長。訓練中にちょっとした事故が起きました。責任は全て、現場監督のボクにあります」

「その通りだ!!」


先程までのやや情けない姿から一変、佐鳥はキリリとした佇まいでそう報告したが、鬼怒田からは思いきりチョップをかまされた。トリオン隊ということもあり痛みはないが、怒り心頭な鬼怒田から胸ぐらを掴んで責められ、またも涙を浮かべた。

そんな彼の様子に、千佳は思いきり頭を下げ、自分が壁を壊したことを正直に伝えた。訓練生による所業とはにわかに信じ難いのだろう、鬼怒田は東に確認を取った。


「彼女がアイビスで開けました。玉狛支部の、雨取隊員です」

「なんだと……!?玉狛の……!?」


目を見開いてまじまじと見つめられ、千佳は身を竦ませながらも、怒られることを覚悟していた。


「鬼怒田開発室長。これは彼女のトリオンについて報告しなかった、私たち玉狛側の不備でもあります。申し訳ありません」


千佳の前に出るように二人の間に入った桔梗は、鬼怒田に深々頭を下げた。彼女のその様子に目を丸くした鬼怒田だったが、彼は千佳の姿と壁の穴とを交互に見やると、のそのそと彼女らへ歩み寄り、そうして――。


「そうかそうか、千佳ちゃんと言うのか」


仏のような顔で穏やかに微笑んだ。ぱちくりと、千佳と桔梗は瞳を瞬かせた。


「なに、かまわんよ。二人とも頭を上げなさい」


そう言って、鬼怒田は千佳に腰掛けるよう促すと、真っ黒な髪を優しく撫ではじめた。そうして彼女のトリオンの才能を褒め、壁はトリオン製なため簡単に修復できることを伝え、だから気にしなくていいと寛容な姿を見せた。


「鬼怒田開発室長!?これは、いったい……」


恐らく、向こうで壁のことを聞いて急いで駆けつけたのだろう。訓練場に姿を見せた修と遊真は、鬼怒田と千佳の様子に拍子抜けしたように、それでいて戸惑いがちに見つめた。

鬼怒田には別れて暮らしている中学一年生の娘がおり、千佳はそんな娘の姿を彷彿とさせたのだろう。だからこそあっという間に怒りも鎮まったのだと、桔梗は納得した様子だった。


「すみません。寛大なお心、感謝します」

「いい、気にするな。今度はより強固に修復する。それよりも、腕の状態はどうだ」

「問題ありません」

「ならいい」


二人のやりとりを不思議そうに見ていた千佳だったが、修と遊真の姿に気付き、パッと顔を明るくさせた。そんな彼女の視線の先を追った鬼怒田は、二人の姿に眉をしかめると、修のほうへと歩み寄り、思いきり背中を叩いた。


「おいこらメガネ!ちゃんとこの子の面倒を見んか!」


そう言って鬼怒田が出ていくと、千佳の周りには他の訓練生がワッと集まっていく。彼女は苦笑いを浮かべており、どこか困った様子を見せた。


「とりあえず、壁の修復があるので、訓練はここまでということで……」


あの穴では訓練どころではない。万が一撃った弾があの穴から外に出て、民間に何かしらの被害を与える可能性もなくはない。そのため、佐鳥は訓練を中止し、講堂のほうへ戻るように指示を出した。


「雨取さん。あの壁は気にせずに。鬼怒田開発室長も言っていましたが、修復できますので。民間に被害もありませんし、事故のようなもの。処罰もないでしょう」


千佳を見下ろしながら、桔梗はそれともう一つ、と言葉を続けた。


「先程の狙撃、左に寄りすぎていましたね。あの大きさで、止まっている的。あなたの実力なら、中心に当てるのはそう難しいことではないでしょう」

「はい……」

「ですが、今回使用したアイビスは初めて使う武器。今まで使用していたイーグレットに比べて重さもありますし、照準の合わせ方に慣れないのもしかたありません。的には当てているので、及第点としましょう」


淡々と告げると、桔梗は戻りましょうか、と千佳に告げて歩いていく。控えめに返事をした千佳は、駆け足で彼女を追いかけていった。そんな二人を見て、修は遊真に声をかけ、訓練場を出た。


「……あの……」


僅かに振り返った桔梗は、どこか言いにくそうな、けれど心配そうな表情で自身を見上げる千佳の様子に立ち止まると、彼女のほうへ身体ごと振り返った。


「腕を、怪我してるんですか……?」


恐る恐る尋ねてきた千佳に、桔梗は特に反応は見せなかった。追いついた修たちは、不思議そうな顔で二人の様子を見つめている。

先程の鬼怒田との会話を思い返し、桔梗は千佳が興味心ではなく純粋に心配で聞いてきたと察しながら、左手の手袋に触れた。特に躊躇することなく手袋を外した彼女は、現れた生身でない腕を顔のそばで軽く振ってみせた。


「私の左腕は義手です。四年半前に近界民に斬られました。義手はボーダーの技術部の方々に製作していただいたので、鬼怒田さんが言っていたのは、『義手に問題はないか』という意味ですので、怪我はしてません」


皮膚などない、銀一色で剥き出しな機械仕掛けの手のひらに、千佳だけでなく修や遊真も目を瞠った。千佳はサッと顔を青ざめさせたと思うと頭を下げようとするため、桔梗は謝罪は結構だと先に告げた。


「義手については、ボーダーの人間のほとんどが知ってることですので。私自身気にしてはいません」


そうこぼして手袋をつけなおした彼女は、先に講堂へと戻っていった訓練生たちを追いかけるように、廊下を歩きだした。


「近界民に、腕を……」

「だから、『片腕スナイプ』が得意だって言ってたのか」


呆然とする修をよそに、遊真は玉狛に初めて訪れた時の、木崎の言葉を思い出した。桔梗が得意とするのは、サイドエフェクトを活用しての超長距離からの狙撃と、もう一つが片腕スナイプ。生身で片腕がないからこそ、腕一本での動作に慣れているのかと納得したように頷く。


「一回対峙してみたいな」


好奇心に満ちた呟きを落としながら、遊真は楽しそうに笑った。