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その巡り合いは吉か凶か



年も明け、入隊日まで一週間を切った。千佳の訓練は順調に進み、動く的への命中率も日々上がっており、昨日から少し難易度を高めて五十メートル距離を離しての狙撃を行なっている。今日は木崎が防衛任務のため不在なこともあり、トレーニングルームには桔梗と千佳との二人だけだった。


「雨取さん、今のは撃つのが遅いです」

「は、はい!」

「あの的は一定のスピードで同じ動きしかしません。ですがランク戦や防衛任務では、そんな優しいことをしてくれる人や敵はいませんよ」


厳しいが尤もな言葉に、千佳は再度力強く返事をして、狙撃に集中した。一定の間隔で銃声が響くなか、桔梗は千佳の動作をつぶさに見つめ、こちらへ転送される的の弾痕を随時確認する。

初めの頃は銃口を動く的に合わせて動かしていた千佳だが、木崎と桔梗の二人から銃は固定したまま、銃口と重なるタイミングで撃つよう指摘されたことで、彼女はじっと動かずタイミングを待ちながら、狙撃をするようになった。千佳は指摘されたことを素直に受け止めてすぐに修正していくため、少しずつ狙撃の姿勢も良くなっていた。

しかしランク戦ではもっと射線も通りにくく、相手は人であるため機械のようにシステム通りの動きをするわけではない。また、狙撃手は存在自体が相手に圧を与えることができるが、だからこそ警戒されるポジションであり、位置がバレれば狙いの的になってしまう。距離を詰められてしまえば、不利なのは狙撃手のほうだ。そのため初心者は技術や経験も浅いが故に、すぐに狩られることだって珍しくはなかった。

もう入隊日まで時間もない。それを考えれば明日からは的の動きを不規則なスピードに変えて、少しでも対ランク戦に慣れさせておくべきかもしれない。しかし急ピッチすぎては、せっかく動く的にも慣れてきたというのに、却って混乱させてしまいかねない。ならば入隊してからでも遅くはないか。

いや、けれど、聞けば遠征狙いだと言う。それも多少の経験を積んでからではなく、直近のランク戦で遠征選抜に選ばれようとしている。そうなると、二月に行われる予定のランク戦がまず一つの目標だろう。入隊しておよそ三週間程度でB級に上がり、且つランク戦を勝ち進んで、A級への挑戦権を与えられる上位二チームに選ばれる必要がある。

遠征狙いの部隊は珍しくはない。知人を近界民に攫われた隊員なんかは特にだ。近界民である遊真は除き、恐らく修か千佳のどちらかが知人を攫われたのだろうと桔梗は予想し、少し考えて口を開いた。


「雨取さん、少しいいですか」


声をかけられた千佳は、はい、と返事をしながら桔梗のほうへと顔を向けた。桔梗は数秒前に撃たれた弾が、的の中心から数センチ右を貫いているのを一瞥した。


「不躾なことを聞きますが、遠征を狙うのは、あなたの知人が近界民に攫われたからですか?」


薄い紫色の瞳がゆっくりと千佳へ向けられた。問われた千佳は大きく目を見開くと、僅かに顔を青くさせ、何度か口を開閉させながら、ぎこちなく頷いた。

ああ、やっぱり。遠征に行きたいのは修ではなく千佳のほうだったかと納得しながら、桔梗は責めてるわけじゃないと告げた。


「遠征行きを急いているようでしたから、確認したかっただけです。しかし酷なことを言いますが、遠征に行っても攫われた知人のいる国へ、確実に行けるわけではありませんよ」


近界には、多くの国家が存在する。遠征に行けたところで、知人を攫った近界民のいる国へ行けるかどうかさえ賭けのようなものだ。オブラートに包みはせずに、ハッキリと告げた桔梗に千佳は頷き、でも、と彼女をまっすぐに見つめた。


「ちょっとでも可能性があるのなら、わたしは、その可能性に賭けたいです。それに、やっぱり自分で兄さんたちを捜しに行きたいんです」


強い意志のこもった紫色の瞳を見つめ返しながら、桔梗は千佳のとある言葉に反応を示した。


「『兄さん』……?お兄さんを、攫われたんですか?」

「はい。兄さんと、友だちが、一人……」

「そうですか。そう、ですか……」


どこか衝撃を受けているような、呆然としているような様子で、千佳の言葉をゆっくりと咀嚼した桔梗は、しばし黙りこくった。彼女の反応に不安げな瞳を浮かべた千佳は、あの、と控えめに声をかける。ハッとした桔梗は、千佳の瞳を見つめると、一つ息を吐いた。


「すみません、時間を取りましたね。訓練を続けましょう」


普段通りの様子に戻った桔梗だが、千佳はまだ少し心配そうな顔をしていた。しかし彼女に促されるまま、訓練を再開した。

千佳を見つめる両の瞳に、悲哀にも似た色がぼんやりと浮かび上がっていくが、誰も気付く者はいなかった。













夕食を終え、入浴も済ませて、あとはもう眠るだけという状態になった桔梗は、自室のベッドに倒れ込むように寝転がった。義手の外れた片腕は軽く、そこに腕がないという違和感はとうになくなっていて、むしろ腕があるほうが不自然なようにも思えていた。そう思い込もうとしているだけかもしれない。

うつ伏せていた身体をぐるりと回転させて、天井を見上げる。ゆっくりと、ゆっくりと呼吸をした彼女は、今日の千佳の訓練を見ていたときのことを思い出し、そうして同時に、玉狛への異動を幸人から勧められたときの言葉も思い出した。


「玉狛ならレイジもいるから」

「……私は、よその部隊に入るつもりなんて……」

「レイジの部隊に入らなくたっていい。林藤さんやレイジにも、フリー隊員のままでって伝えてある」

「兄さんは、復帰したら本部で働くんでしょ?なら、私も本部のままがいい」

「……桔梗。桔梗には玉狛に行ってほしいんだ。きっとそこで、桔梗にとって、いい出会いがある。それは、おまえをいい方向へ導いてくれるはずだから」



「いい出会い」。記憶の中の幸人の言葉を小さな声で繰り返した桔梗は、右手で目もとを隠した。


「彼女との出会いがそうなの?兄さん……」


一度唇を噛み締めた桔梗は、這うようにベッドの上を移動して、もぞもぞと布団の中にもぐりこむと、枕もとに寝かせてあるくじらのぬいぐるみを抱え込み、顔を埋めた。

そんなこと、とてもじゃないけど思えない。だってこんなにも、心臓が痛んでいる。胸の奥から津波のように押し寄せる感情に、桔梗は深く息を吐いた。自分は距離を置かれてしまっただけなのではないか。何かしてしまっただろうか。重荷になってしまっただろうか。いや、違う。ずっとずっと、今もなお、自分は重荷であり続けているのだ。


「兄さん……兄さん……ごめんなさい……」


泣きそうな声で呟く桔梗は、そのままゆっくりと眠りに落ちていく。彼女以外誰もいない、寝息を立てる彼女の声が響く部屋の中。鍵のかかった窓のそば、ふわりとカーテンが微かに揺れた。











「ん?桔梗、どうしたの?また誰かに何か言われたの?それとも、何か怖いことがあったのかな。そんなに泣いて……桔梗はいくつになっても泣き虫さんだね。よしよし、泣いてる顔もかわいいけど、笑ってる桔梗が一番かわいいよ。どうして泣いてるのか、俺に話してごらん。大丈夫。ほら、涙は俺が飲んであげるから」