- ナノ -

素知らぬ顔で悲鳴を上げて



   常連と自負できるほど通い慣れたお好み焼き屋に入れば、テーブルの一角がお通夜のような雰囲気で支配されていた。思わずギョッとすれば、そのテーブルにいるのは見知った顔ばかりで、眉を寄せた。


「どうしたんだよ。雰囲気暗すぎだろ」


   テーブルに近寄り、普段通りなカゲに尋ねれば、知らねえと即答される。カゲの隣にいる穂刈と向かいに座る鋼は何故か頭を抱えるように肘を突き、鋼の隣にいる当真は対照的にご機嫌そうに口笛を吹いている。どうやらこのどんよりとした空気は穂刈と村上から放たれているようで、軽めにそばにいた鋼の頭を叩いた。


「飯食う雰囲気じゃねえな、おまえら」

「……荒船……」

「おう。どうした、なんかあったか?」


   落ち込んでいるような、戸惑っているような。そんな様子の鋼に眉をしかめつつ、カゲに断りを入れて隣に座り、帽子を取った。あまりハッキリしない様子に、相当だと言葉を待っていれば、奥から深刻そうな声が届いた。


「できたんだ……弟子が……」

「弟子?   誰にだ」

「……桔梗に……」

「……ん?」


   弟子ができたという情報に、何を落ち込む理由があるのかと疑問に思っていれば、鋼から放たれた名前に一瞬思考が止まった。俺の聞き間違いかもしれない。そう思い目もとに手を置いて再度尋ねてみたが、同じ名前が返ってきて、今度こそ唖然とした。


「桔梗って、あの桔梗か?」

「えげつない視力と射程距離した、狙撃手の桔梗ちゃんに間違いないぜ」


   楽しそうな当真の言葉に、頭の中で少しばかり整理が追いつかなかった。それは隣のカゲも同じなようで、「マジかよ」という驚いた声が聞こえた。

   長門桔梗と言えば、現在は防衛隊員を引退した幸人さんの妹で、強化視力というサイドエフェクトを持つ狙撃手。長門隊と風間隊とのランク戦は、最早伝説のようなものだろう。長門は約一五〇〇メートルの距離から、目視による片腕スナイプで風間さんを落としたのだから。しかも、隠密トリガーを起動状態の風間さんを、だ。

   「強化視力」というサイドエフェクトは、一見目が良いだけという地味なものだ。トリオン体では視力が悪くとも回復するため、生身の視力は基本関係ない。しかし長門の場合、生身でも目が良すぎる分、トリオン体になってもそれが引き継がれる。現に長門はスコープ無しで一キロ以上の距離を目視できてしまう。しかし一番の強みは、色の認識能力。それによって、長門には隠密トリガーが通じなかった。背景に身体を透過させる「カメレオン」だが、唯一瞳孔だけは透過しない。そのためよく見れば瞳孔だけが浮いているが、普通は気付けるものじゃない。しかし長門には、その瞳孔を、視力と色で認識できていたのだ。

   そこからは今までの動きが嘘のように、平然と一キロ以上先から狙撃をしてくるようになった。

   正直、めちゃくちゃかっこいいと思った。あの場面は、壮大なアクション映画を観たような、そんな感覚になるくらいの興奮があったのを今でも思い出せる。憧れ、とはまた少し違うかもしれないが、戦ってみたい相手であることは確かだ。彼女が射手の時にランク戦を挑めばよかったと今でも後悔している。

   そんな実力者だが、それとは別に有名なのが、その性格。兄である幸人さんに対しては笑み見せるが、他の面々にはドライ且つ無表情という、同一人物か疑うような態度の違い。時々笑いはするものの、幸人さんに向けるものとはまったく違う。弟子入り志願をしたやつらを考える間もなく即答で一蹴した女。なんだったら、長門隊解散後は風間さんから何度も勧誘を受けていたが、それさえ一刀両断している。そんな彼女に弟子ができたなど、とても信じられたものじゃない。


「それ、どこ情報だよ。ガセネタ掴まされたんじゃないのか」

「いやいや、それが本人からなんだよ」

「は?   あいつが言ったのか」

「どういうことだよ」


   どんよりしたままの穂刈と鋼では説明できそうもなく、当真に経緯を尋ねれば、彼は口端をぐっと上げた。

   今日の狙撃手合同訓練後、長門は個人ランク戦ロビーへ足を運んだそうだ。穂刈と当真はそれに付き添い――恐らく勝手についていったのだろう――一緒にロビーへ行き、彼女はそこで鋼を探した。そうして見つけた鋼に、以前俺が攻撃手の理論を教えたことについて聞かれたと言う。どういう内容で、どういう風に教えてもらったのか、と。

   何故そんなことを聞くのか尋ねれば、人に何かを教える方法が知りたい、教える相手がいると言われたらしい。教える相手、というのに引っ掛かりを覚え、思いきって弟子ができたのか尋ねたところ、肯定が返ってきた。

   まとめると、こんなところだった。当真の話を聞きながら、俺はしばし呆然とした。話を聞いても、あの長門に弟子ができたとはにわかに信じ難いところがある。それくらい、些か気難しい人物なのだ。


「あの長門に弟子か……」

「隠岐が知ればショックで使いものにならなくなんじゃね?」

「ああ……あいつ、長門に弟子志願して全敗してたな」


   以前、生駒隊が長門隊にチーム訓練を申し込んだ際に、長門に心臓を撃たれたことでハートごと持っていかれたらしい隠岐は、これでもかと言うほど長門に懐いていた。弟子にしてほしいと頼み込んでは考える素振りすらなく断られており、既に両手で足りない数まで到達しているだろう。


「まあ、大方話は見えた。おまえら、弟子ができた長門が心配なんだろ」


   驚きつつもメニューを手に取り、広げながら穂刈と鋼に視線を送れば、二人はおずおずと頷いた。

   三門第一の3C面子は、長門の世話を焼きたがるやつらばかりだ。懐かない猫以上の警戒心や冷たさを持つ長門を、あのカゲや水上さえ気にかけている。

   俺は長門と同じポジションや同じ年齢と接点があれど、そう大した仲でもない。と言うか、長門と仲がいいほうが珍しいだろう。穂刈や鋼たちに囲まれてる彼女と、一言二言交わすこともあれば、本部で見かけたときに声をかけることもある。

   だから、心配する気持ちもわからんではなかった。幸人さん以外にはある種平等な態度で振る舞う長門だ。それは弟子が相手でも変わりやしないだろう。


「ん?   でも、鋼。おまえに教え方がどうとかって聞きにきたんだろ?」

「ああ。多分、参考にするんじゃないかな」

「へえ……なんか、意外だな。正直長門は、そういうこと人に聞いたりするようには見えねえし」

「桔梗は言動は冷たいけど、気遣いができる子なんだ。誰かを責めたりもしないし、あんまり怒ったりもしない」

「それは単純に、興味がないからじゃないのか?」

「あるかもな。それも」


   一度断りを入れて注文を頼んで、やや含みを感じるような穂刈の言い方に、どういう意味だとカゲ越しに彼のほうを見た。


「あいつはよく見てるし、知っている。周囲のことも、周囲にどう思われているかも」


   はなから自身への評価を知らないで無関心であることと、理解した上で無関心であることは、似ているようで違う。前者は己の振る舞いが周囲にどう影響するか、どういう印象を与えるのか自覚がなく、後者は自覚があるのだから。穂刈が言うには、長門は後者のタイプらしい。

   それがどうかしたのかと言葉を待てば、鋼が言いにくそうに視線を彷徨わせ、おずおず口を開いた。


「左腕のことで、色々言われるんだよ。学校でも、ボーダーでも」

「あー、アレだろ。片腕ないから負けてやったとか、手ェ抜いてやったとかほざいてたやつ」


   長門の左腕が義手であることは、ボーダー内にはだいぶ浸透している。しかしそのことについて理解を示す者ばかりでないのが残念なことだ。

   元々、長門は射手としてボーダーに入隊していた。長門が義手という噂は彼女が入隊してから二ヶ月と半月ほどで広まり、長門はそれをすぐに肯定した。それからはランク戦で彼女に負けた相手が、彼女が義手であることを言い訳に使うことがあった。反対に彼女に勝った際にも義手を引き合いに出すのだ。そういう人間はどこにでも一定数いるもので、学校でも似たようなことを言われることがあったのだろう。

   それが煩わしかったのか、他の理由もあったのか定かではないが、彼女はB級ランク戦前に狙撃手へ転向した。


「怒らないんだ。何を言われてるかわかってても、桔梗は無視してる。変に反応するよりはいいんだろうけど、桔梗が言い返さないのをいいことに少し酷くなっていったから、流石に注意しようとしたんだ。でも桔梗は、オレたちには無関係だから怒る必要ないだろって」

「下手に荒波立てるよりは、ってことじゃないのか」

「そうだな。でも、自分のことは怒らないけど、オレやカゲが色々言われてたら怒ってくれる」


   その言葉に、思わず目を丸くしてしまう。長門が怒っているところは、あまり想像できない。それが兄の幸人さん関連ならともかく、鋼たちのことでなんて、余計に。

   どこにでもやっかみはあるもので、鋼もカゲも、割とその対象に入ることはある。カゲはいかんせん短気なので、暴力事件を起こしては個人ポイントを剥奪されたり、B級に降格されたりして、それをつつくやつらはいる。しかしカゲのサイドエフェクトを考えると、ある種仕方のない部分もあるだろう。

   鋼の場合はサイドエフェクトに対してのもの。まだ入隊して一年ほどしか経っていないが、既にNo.4攻撃手にまで上り詰めたことに対して、本人の技量や努力ではなく、サイドエフェクトでのイカサマだとかなんとかほざくやつらは少数ながら存在している。


「桔梗は、本当に、たまにランク戦に来るんだけど、その時にオレやカゲが色々言われてたら、怒ってくれるんだよ」

「……あんま想像できねえな」

「俺が言うのもなんだが、言い方がアレだからな。ランク戦吹っかけられて、長門がボコボコにして終わる」

「それ、結局最終的には桔梗ちゃんの義手言い訳にされるだけじゃね?」

「まあな。ただ、受け入れてたんだよ、あいつは。自分に向かって言われてること全部」


   カゲには、「感情受信体質」という、自身に向けられた意識や感情を肌で感じ取れる、難儀なサイドエフェクトがある。そんな彼が言うのだから、長門は本当にそれを受容しているのだろう。

   しかし、だとすると少し事情が変わってくる。何を言われても関心がないから怒らないのではなく、受け入れているから怒らないとなれば、それは一種の諦めだ。


「長門は元々表情と感情が一致しねえ。何も感じてねぇって顔しながら、いろんな感情でごちゃ混ぜになってやがる」


   ちょうど運ばれてきたタネを受け取りながら視線で続きを促せば、カゲは自身の髪をガシガシと掻いて眉を寄せた。

   なんでも、長門は常にカゲに向けて感情を発信しているらしい。否、カゲにというよりも、カゲを含んだ周囲に言ったほうが正しいそうだ。それは一貫して変わらない感情らしいが、どうにも表情とちぐはぐで、不可解だと言う。


「困惑、恐怖、心配、不安、諦め。そこに一個、安堵がある」

「おいおい、闇深すぎねえ?」


   あの当真でさえひくりと頬を引き攣らせ、怪訝そうな表情を浮かべている。しかしその気持ちも充分に理解できる。挙げられたのは、常に周囲を突き放す風な言動と、明確な線引きをした態度で振る舞う長門からは想像もつかない感情ばかり。確かに、表情と感情とが一致していない。その上マイナスの感情ばかりの中にぽつんと紛れた安堵感も異色だ。


「気味悪すぎて、あの妹どうなってんだって幸人さんに言った」


   中々思いきったことをしたものだと、お好み焼きを焼きながら心の中で呟く。返答はどうだったのか尋ねてみれば、カゲは思いきり眉を寄せて、顔をしかめた。


「『あの子は優しすぎたんだ』、だとよ」


   その言葉の意味を上手く噛み砕けない。優しすぎたが故に、そんなにも歪になるのかと疑問を覚える。しかしカゲは何となく察しがついている風に見えた。

   「優しい」ではなく「優しすぎた」という部分が大事なのだろう。似ているようで違うその二つは、まるで一種の哲学のように感じる問題だ。なるほどな、なんて顔をしている当真だが、確実に理解できていないだろう。


「優しいやつってのは他人に心を砕けるが、優しさは無限じゃねえ。あくまでそいつの許容範囲内に限っての話だ。だけど優しすぎるやつは、その許容範囲がねえようなもんで、たとえ精神擦り減ろうが、他人のために心を砕き続けられんだよ」

「それは、自己犠牲のようなものじゃないか?」


   カゲは自分の皿に取り分けていたお好み焼きにかぶりつくと、ぶっきらぼうに頷いたが、あいつはそんな感じじゃねえと続ける。


「自己犠牲っつーより……償ってるみてえな感じ。うぜぇくらい罪悪感が刺さってくんだよ」

「罪悪感?   桔梗ちゃんから?」

「ああ。何考えて、何思ってンなもん感じてるかは知らねえがな。でも声かけてやったり、少し手ェ貸してやると、不安だの困惑だの感じながら、嬉しがってもいる」


   聞きながら、ふと鋼の話を思い出す。鋼は県外からのスカウトで三門に来たのだが、そのせいかホームシックのようになっていた時があった。それを、長門が「寂しがってもいい」と言ってくれたということを。

   長門は他人を寄せつけないようにしつつも、徹底はしていない。挨拶には返事をするし、質問にも答えを返す。誰かを悪く言うこともしないし、しつこい弟子志願だって無視はせずに毎回断りの返事はする。加えてこれまでの話を聞けば、他人の悪口にはそれなりに怒りを見せ、落ち込んでいる人間を放っておくほどの冷淡さもない。言ってしまえば、どこか中途半端で、ハッキリしない。

   彼らは、そんな矛盾に気付いたのだろう。何を言われても諦めて受け入れて、他人と距離を取りながらも常に何かに怯え、恐怖し、不安を抱えながらも、人との関わりを喜んで、誰かのために怒ることができ、他人を思いやれる心を持つ長門に、思うところがあったのだ。

   恐らく、穂刈と鋼は彼女が心配だったのだと思う。しかしカゲと水上は、口々に好き勝手言われることをしかたがないと受け入れるその姿勢に、怒りを覚えたのではないだろうか。本人にもどうしようもないことを嘲笑の的にするやつらにも、それを受け入れて諦める長門自身にも。

   それを考えると、四人が長門を必要以上に気にかける理由もわかる気がしながら、未だに不安が拭えない様子の穂刈と鋼に、ため息を落とした。


「長門の本心については、正直どうもできねえけど……とりあえず弟子のことは、前向きに捉えてやってもいいんじゃねえか?」


   何故急に弟子をとったのか、その理由は本人にしかわからない。だが他人と必要以上に関わろうとしない長門が、嫌でも関わらなければならない弟子という存在を受け入れたのだから、悪いことではないはずだ。


「教え方について聞きたいって頼るくらいには前向きみたいだし、見守ってやれよ」


   いい感じに焼け目がついているのを確認しながら告げると、テーブルに立ちこめていた暗い空気が浄化されていくのがわかった。


「そうだな……それがいい。ありがとう荒船」

「おう」

「見守るか、師匠としての桔梗を」


   立ち直った、というのは違うかもしれないが、ひとまずは表情が晴れた二人に、手のかかるやつらだと呆れながら、お好み焼きをひっくり返した。