- ナノ -

謎の人物Xの浮上



   木崎が隊長を務める玉狛第一部隊は、支部長である林藤が個人的に持ち帰ったトリガーと、本部未承認の近界ネイバーフットの技術を使い、隊員に合わせたワンオフの特殊なトリガーを使用している。そのため規格の異なる本部開催のランク戦には参加できないようになっている。

   しかし特殊トリガーを使用していない桔梗は、本部での合同訓練への参加が認められている。幸人の顔に泥を塗るわけにはいかないと、彼女は用事がない限りは訓練に参加し、適度な順位をキープしていた。

   今日の合同訓練は捕捉&掩蔽訓練。参加者は仮想MAPのランダムな位置に転送され、 レーダーの情報なしに九十分隠れながら、他の隊員を見つけて狙撃する、単純なルール。この訓練では射撃の音や光がないため、目標は自力で探す必要がある。それは桔梗にとって他の狙撃手に大きく有利の取れるものだ。

   何せ、彼女のサイドエフェクトがあれば、相手に視認されないまま、自分は相手を視認することができるのだから。あとは射線さえ通ってしまえば、距離がいくらあろうが彼女には無関係だ。着弾までの時間から多少狙った箇所とのズレはあれど、当たりさえすればポイントに変わりはない。そのため、いつもある程度点を稼いでからは、身を隠し続けて残り時間を過ごしている。

   訓練が終わった桔梗は、自分の順位に適当に目を通して、早々に訓練室を出ていった。


「流石の射程距離だな。毎回」


   不意にできた影に隣を見やった桔梗の視界には、鍛えられている腕や胸筋しか映らず、視線を上げた。鋭めの目つきをした青年と目が合い、彼女はどうも、と淡白に返した。

   全員が狙撃手で構成された異色の部隊、B級十位荒船隊の隊員、穂刈篤。桔梗とは同い年で同時期に入隊、同じ学校に通っており、三年間クラスが一緒という、些細な接点のあるボーダー隊員である。

   先に声をかけてきたのは、穂刈のほうだった。桔梗の腕について、クラスでは説明がされていた。そのため周囲も義手であることは知っていたが、彼女は普段から手袋の着用を特別容認されていたことや、体育でもジャージを着用したまま受けることもあった。しかしひと月ほど経つと、それに対して贔屓ではないかと陰で言われはじめ、当時同じクラスであった男子生徒が義手を見せろと彼女に言ったのだ。

   桔梗は、特に断る素振りも見せることなく、平然とした素振りで左腕を見せた。機械仕掛けの腕に周囲がギョッとし、ヒソヒソと話をはじめ、当の男子生徒も予想以上のフォルムに戸惑い、言葉を詰まらせていた。そんななか、彼女の斜め後ろに座っていた穂刈が、桔梗の義手を指差した。「かっこいいな。その腕」と。僅かに目を瞠った桔梗がした返事は「どうも」というそっけないものであった。

   同情ではない。かと言って、気を遣っているわけでもなく。ただ純粋に、本心から、桔梗の左腕をかっこいいと告げた穂刈は、彼女から見て些かおかしな人物だった。それからと言うもの、グループやペアを作っての授業では、穂刈はなにかと気にかけてくれるようになった。

   とは言え桔梗にとっては友人未満。様々助けてもらったところはあれど、何故自分の世話を焼くのか、理解できないまま最高学年になっている。三年になってからは彼以外にも世話を焼いてくる同級生が増え、桔梗は益々わけがわからないでいる。


「お、今回もキレーなまんまだなあ、桔梗ちゃん」


   軽めに叩かれた肩に振り返った桔梗は、ニッと口角を上げた当真を見上げ、何も言わずに前を向き直した。その反応に「今日も冷て〜」と当真はケラケラ笑い、桔梗の隣、穂刈とは反対側に並んだ。


「隠れるの上手いよな、桔梗ちゃん。毎度見当たんねーんだけど」

「そういう訓練でしょう」

「おまえもだろう。隠れるのが上手いのは」

「俺らは被弾ゼロ同盟組んでるからな」

「組んでません」


   即座に当真の言葉を否定した桔梗は、早足で通路を進む。その方向にぱちりと瞳を瞬かせた穂刈が、僅かに首を傾げた。


「ランク戦のロビーじゃないか?   この方向」

「はい」

「なんだ、久々ランク戦すんのか?」

「いえ」


   桔梗が目的としていた個人ランク戦ロビーは、今日も訓練生や正隊員で溢れていた。大型ディスプレイを一瞥し、ロビーをぐるりと見回す彼女の横で、当真は興味深げな視線をあちこちへ散らせ、穂刈はディスプレイを見上げている。個人ランク戦のない狙撃手がこのロビーにいるのがもの珍しいからか、それとも久しぶりに桔梗がここにいるからか、周囲は少し騒めいていた。

   桔梗の瞳が室内の隅から隅を映し、一点で視線をとめると、即座に歩きだした。ん?   と彼女を見た当真と穂刈は、ずんずん進んでいく背中を歩きながら追いかけた。


「村上さん」


   少し大きめな桔梗の声が、一人の青年を呼んだ。振り返ったその彼は眠たげな目をぱちりとさせて、微笑んだ。


「桔梗。こっちにいるなんて珍しいな。どうしたんだ?」


   歩み寄ってきた村上は、彼女の後ろからついてきていた当真と穂刈の姿に不思議そうに首を傾げる。そんな彼に、穂刈が付き添いだと説明した。すぐに、桔梗が勝手についてきただけだと訂正したが。


「村上さんに聞きたいことがあります」

「オレにか?」


   頷いた彼女に、少し嬉しそうな顔をして、村上は何でも聞いてほしい笑った。桔梗の場所を移したいという言葉に承諾し、四人はランク戦ロビーを出て、人気のない廊下で足を止めた。


「以前、荒船さんから攻撃手について教わったと話していましたよね」

「うん」

「荒船さんは、どのように教えていましたか?」

「えっと……どんなことを教えてくれたかってこと?」


   少し考えた桔梗は、教えた内容もだが、教え方も知りたいのだと説明を付け加えた。不思議そうな表情を浮かべた村上は、当時のことを思い出すように顎に手を置いて、荒船は、と話しはじめる。


「オレはまだトリオンとかについてもよくわからなかったから、攻撃手のトリガーと役割をまず説明してくれて……その後使用武器でのメリットとデメリットについて教えてくれたかな。あとは、攻撃手の基礎や、立ち回り、戦闘技術の理論とか……そんな感じ」

「なるほど。口頭でですか?」

「それもあったけど、実戦も少し。オレは知らないことが多かったから、あんまり難しい表現は使わずに教えてくれたな。実際の動きを見てアドバイスもくれたりして」

「そうですか。わかりました、充分です」


   お礼を伝えた桔梗に、村上は緩く首を振ってどういたしましてと笑う。隣で話を聞いていた当真は、片眉を上げながら不思議そうに、何の意味があるのだと尋ねた。


「攻撃手の教え方なんて知っても使い道なくねえか?   今度は攻撃手になんの?」

「いいえ。必要なのは攻撃手の教え方ではなく、人に何かを教える方法です」

「それなら違うんじゃないか?   聞く相手が」

「間違っていません。教えられた側の意見のほうが重要です。どういう風な教わり方がわかりやすかったのか、それが知りたいので」


   なるほど。穂刈は納得したように頷いたが、またすぐに新たな疑問が浮かんだ。何故、教え方が知りたいのかという疑問だ。それは当真や村上も同様で、代表するように村上が尋ねた。


「なんで、教え方を知りたかったんだ?」

「教える相手がいるからです」

「教える相手って……狙撃手についてをか?」

「はい」


   目を見開いた三人をよそに、桔梗は少し考え込みながら、脳内で様々なことをまとめ、整理していた。

   後輩及び弟子の指導について、桔梗は周囲が思っているよりは真剣に取り組んでいる。幸人から千佳の訓練に集中してあげてほしい、と言われていることも一つの理由ではあるが、それ以外にも理由はあった。それを彼女は人に話しはしないし、話す気もなく。そのため存外訓練に意欲のある桔梗に、小南や宇佐美はしばし驚いていた。

   今回の村上への質問の意図も、先日指導に関する本を購入したのも、千佳への指導のためである。


「できたのか、まさか。弟子が」


   穂刈の言葉に、村上や当真の間に緊張が走った。入隊してからというもの、桔梗は誰かに教えを仰ぐこともなく、自身の培った技術と隠し持っていたサイドエフェクトを駆使し、風間隊とのランク戦以降、他の隊員にも一目置かれるような存在となった。そのため、中には弟子を志願する者もいたが、それら全てを一刀両断して撥ね退けていた。

   そんな彼女に弟子ができたならば、ボーダー内にはちょっとした衝撃が走るだろう。その弟子が誰なのか。そんな話題で持ちきりになるのは目に見えている。何故だか緊張している三人の空気に、そんな周りの反応に関心のない桔梗は訝しげな顔を浮かべながら、視線を上げた。


「はい」


   返ってきたのは肯定。彼女の言葉に、当真は「……マジで?」と開けた口が塞がらなかった。弟子がいるような素振りはこれまで一つもなく、元々弟子をとるタイプでもない。そんな桔梗に突如現れた弟子の存在に、驚かずにはいられなかった。


「では、用件は済みましたので失礼します」


   固まる三人を放って、桔梗は何食わぬ顔でロビーを出ていった。