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二度目ましてで友人なんて



世界中が、二つのニュースで震撼していた。一つはシャボンディ諸島での“麦わらの一味”の「完全崩壊」。そしてもう一つは、白ひげ海賊団の二番隊隊長、ポートガス・D・エースの公開処刑である。













“偉大なる航路”を航海中のエヴァが立ち寄った島は、存外栄えた島だった。島の中心には市場があり、新鮮な果物や作物の他、アクセサリーや陶器など、様々な商品が並び、人で賑わっていた。既に一億近くの懸賞金を懸けられているエヴァを見ても声をかけてくるのは、札付きに慣れているのか、はたまた商売魂か。

それは、彼女が質の良い食料を買い、船に戻っている道中であった。うつ伏せに倒れている一人の男を見つけたのだ。ぱちりと瞳を瞬かせたエヴァは恐る恐る近付き、僅かに瞳を見開く。

男の背には、ジョリーロジャーが彫られていた。それも、“四皇”の一角である“白ひげ海賊団”のものだ。黒い癖のある髪と、首裏にはオレンジ色のテンガロハット。均衡の取れた筋肉質な体を惜しみなく曝け出す、その男。


「“火拳”……?」


白ひげ海賊団の二番隊隊長、”火拳のエース”。海賊じゃなくとも、その名を聞いたことくらいはあるだろうお尋ね者。そんな男が、何故“偉大なる航路”の前半の海にある島で倒れているのか。この男が倒されるほどの実力者が、この島にいるというのか。エヴァが警戒をあらわにして周囲に視線を散らせば、不意にエースの体から、ぐーぎゅるるる、と大きな音が鳴った。

それは、大きな腹の虫。空腹時のかなり強い収縮に誘発された腹鳴により起こる、空腹時収縮。ふと以前読んだ本の一文を思い出したエヴァは、しかしこうも大きな音が人体から鳴るのかと驚いてしまった。

彼が空腹で倒れていることがわかり、彼女は拍子抜けと言わんばかりに肩の力を抜いた。エヴァは腕に抱えた食料と男とを交互に見つめると、視界の端に自身の船が見えるのを確認して、一度荷物を置いて空間を切った。そうして現れた等身大の切り目の中に荷物を入れると、エースの腕を自身の肩に回して、支えるように持ち上げて切り目を通った。

一瞬で船の甲板に到着した彼女は、どうにかこうにかエースをキッチンまで運ぶと、そっと床に横たわらせた。そうして一度甲板に置いたままの食料を取りに戻って、食事を作りはじめた。手慣れた手つきで料理を進めたエヴァは、スープとピラフを完成させて皿に盛りつけた。食事をテーブルに置くと、まだ起きないエースのそばにしゃがみ込み、彼の肩を揺する。


「火拳さん。起きてください」


揺すっても起きない彼の肩をエヴァがペチペチと叩いていれば、ピクリと体が反応を見せた。「んん?ん〜……」と小さな声が聞こえたと思うと、エースの体がごろりと寝返りをうち、瞼がゆっくりと持ち上がった。


「目が覚めましたか?でしたら、イスに座ってください」

「……ん?」


立ち上がったエヴァはそれだけ言って、水の入ったコップだけ置かれた席へ腰掛ける。上体を起こしたエースはまだ覚醒しきっていないのか、頭を掻きながら周囲を見渡している。


「……どこだ、ここ?」

「私の船です」


寝ぼけ眼にエヴァを見上げたエースは、ググッと眉を寄せると、首を傾げた。


「あんた……なんか、どっかで見たことあるな……おれと会ったことあるか?」

「いいえ。初対面ですよ」


それよりも席に。そう告げたエヴァに、エースは不思議そうにしながらも立ち上がり、パッとテーブルを見た。机上に乗った料理を見た彼が瞳を瞬かせたと思うと、また彼の腹鳴が響く。エヴァがどうぞと促せば、彼は「いいのか?」と嬉しそうに尋ねた。


「あなたに作ったものですから」


エヴァの言葉に、エースは素早く席につくと、しっかり両手を合わせていただきますと挨拶をして、料理を食べはじめた。毒が入ってるのではないかとか、そんなこと疑いもせずに素直に食べるものだから、彼女は少し驚いてしまった。

頬袋が膨らむほど詰め込んでいる彼の食べっぷりに、みるみる内に料理は減っていく。あっという間に空になった皿にエヴァは呆気に取られたが、ハッとしてキッチンを一瞥した。


「……おかわり、します?」

「していいのか!?」

「一応、まだ残ってはいるので……」


再度皿にピラフとスープを入れて差し出せば、先程同様の勢いで、食事がエースの胃の中へと消えていった。そうして彼が五回ほどおかわりをすれば――食事の途中で突然眠りだした時にはエヴァも目を疑った――、すっかり料理は空になってしまった。


「ごちそうさん!悪いな、助かったよ。ありがとう!」


快活に笑った彼に、エヴァは少し引き気味になりながらも、いえ、と言葉を返した。


「あんた料理上手いな。コックでもしてんのか?」

「いいえ。しがない旅人で、あなたの同業者です」

「旅人で同業者……ん?なら海賊か?」

「ええ、まあ。一応」


べつに隠すことでもないだろうと素直に告げたエヴァに、彼は驚いたように瞳を丸くする。だが何か思い当たる節があるのか、少し考えるように眉を寄せ、そして「ああ!」と大きな声を上げた。


「そうだ、手配書で見たことがある!おれの仲間がさあ、あんたの手配書見て美人だなんだの言ってたんだよ!」

「それはまた……“白ひげ海賊団”の方にそう言われるとは、ありがたい話ですね」

「いやー、確かに、写真で見ても結構な別嬪だとは思ったけど……生で見るともっと綺麗だな」


笑った目の前の男は、まじまじとエヴァを見つめたと思うと、身を乗り出して彼女に顔を寄せた。僅かに肩を跳ねさせた彼女は、背を反らせて頭を引く。


「あんたの目、海がそのまま入ってるみたいだ。すげえ綺麗」


その言葉に、エヴァは驚いたように目を丸くする。言葉を失っている彼女にエースが首を傾げれば、彼女は我に返って眉を下げた。


「……口が上手い人ですね。嘘でも嬉しいです」

「嘘なんて言わねえよ。あんた美人だ」


ストレートなその物言いに、エヴァは言葉を詰まらせた。その言葉に下心も裏もないことは容易にわかり、彼女は視線をそらしながらお礼を伝えた。


「にしても、なんでわざわざ飯作ってくれたんだ?」

「空腹で倒れてる人を無視するほど、私は非道ではないので」

「そうか、いい奴だな」


ニッと笑ったエースの素直さに、エヴァは少し眩しさを覚えて目を伏せた。彼女から離れた彼は立ち上がると、首にかけてるテンガロハットを被り直し、もう一度彼女にお礼を告げた。


「なんか礼がしてェんだが……生憎今手持ちがねェんだよな……」

「お気になさらず。見返りや恩を売ろうと思ってしたことでもないので」

「んー……あァ、そうだ!困ってるとこ助けてもらったんだ。あんたが困ってたら、今度はおれが助けてやるよ」

「話聞いてましたか?」


それがいい、と一人名案だと頷くエースにエヴァは呆れた視線を向けたが、この広い海でまた出会うなど、早々ないようなことだ。彼女は一つため息を落とすと、ではそれでお願いします、と告げて甲板へ案内した。

ぴょん、と軽く岩場へ降りたエースは、エヴァを振り返ると笑顔で手を振った。彼女は彼に小さく頭を下げると、早々に船内へと戻った。

もう出会うことなどないだろう。そう考えていたエヴァであったが、再会はすぐにやってきた。

ログを貯めるため島へ滞在していた彼女が再度市場へ訪れたのは、エースに出会って翌日のことだった。食料品以外にも様々売られていたのが気になり、どんなものが売られているのか見に来たのだ。

時折立ち止まって商品を眺め、気になったものを買って、店主と話をして。そんな調子で市場を歩いていた彼女が、四つ目の店から離れた時。三人組の男が、彼女に声をかけた。

エヴァの信条として、民間人には余程のことがない限り手を出さないと決めている。仮に民間人に手を出すのなら、相応の理由がある時のみ。これは海に出ようと彼女が決意したときに、自分に誓ったものだ。そのためエヴァは、絡んできた男達にやんわりと断りを入れる形で拒否を示した。

しかし、どうにもしつこかった。物知り顔で腰を抱いてくる一人の男に彼女が眉を顰め、どうするべきかとほとほと困り果てていた時。


「お兄さんら、おれのツレに何か用事か?」


聞こえた声に振り返ったのは、ゴロツキだけではなくエヴァもだった。見ればテンガロハットを指で軽く持ち上げながら笑った、そばかすの男。ぱちりと目を瞬かせるエヴァとは対照的に、ゴロツキ達は怯えたような声を上げた。それもそうだろう。何せ相手は“四皇”の一味なのだから。


「い、いや、何も!」


パッと手を離した男は、無理に笑顔を浮かべると、逃げるようにその場を走りだした。エヴァはその背を見送りながら――一人石に躓いていた――驚いたように振り返った。


「よォ、また会ったな」

「……ええ、そうですね」

「それ船に運ぶのか?」


エヴァが手にしていた荷物を見た彼、エースは、指差しながら尋ねた。戸惑いがちに彼女が頷くと、彼は笑って歩み寄り、腕の中の荷物を掻っ攫う。


「運んでやるよ。船は……あっちの方だったか?」

「え?いえ、大丈夫です。持てますので」

「いいからいいから。言ったろ?困ってたら助けてやるって」


つい昨日言われた言葉を持ち出され、エヴァは仕方がないと大人しく引き下がった。“白ひげ海賊団”の隊長格を荷物持ちにしてもいいものかと悩みはしたが、いかんせん本人が乗り気だ。それ以上何も言えるわけもなく、エヴァは船へと向かっていった。


「あんた……あー、名前聞いてなかったな。おれはエース。これでも、“白ひげ”のとこで隊長やってんだ」

「存じてます。“火拳のエース”、有名人ですから」

「そりゃ嬉しいな。あんたは?」

「エヴァです」

「エヴァな、覚えた!ところでエヴァ、仲間は?」


いません。エヴァがそう返すと、エースは驚いたように目を丸くした。“偉大なる航路”は四つの海とは危険度が違う。それをたった一人で旅するなど、無茶もいいところだ。驚く彼に、エヴァは仲間は必要ないのだと告げた。


「この旅は、あくまで私一人のためのもの。他人を付き合わせる気はありませんので」

「でも、仲間がいねェと寂しいだろ」

「いいえ。“いる”から寂しいんですよ。最初からないのであれば、何も思うことはありません」


淡々と返すエヴァに、エースは眉を下げた。彼の所属する海賊団は、クルーや傘下が多い。誰もが仲間であり、そして大事な家族でもある。白ひげがクルーを“息子”と呼ぶように、クルーもまた、船長である白ひげのことを“オヤジ”と呼んだ。

誰かがそばにいる。誰かが共にいてくれる。それがどれだけ貴重で、ありがたいことであるのかを、彼はよく知っている。だからこそエヴァの「仲間は必要ない」「いなくても寂しくない」という言葉に、どうにも悲しくなってしまった。


「エヴァ、うちに来りゃいいのになあ」


気付けば、エースはそう呟いていた。エヴァの瞳が丸くなり、隣にいる彼を見上げる。彼曰く海がそのまま詰め込まれているかのような、青々とした瞳を見つめたエースは、もう一度同じ言葉を告げて笑った。


「娘ができたら、オヤジも喜ぶと思うんだよな。あいつらも、妹できたら浮かれるぜ」

「……それはまた……貴重なお誘いですね。ですが、私は今のままでいいんです。私は私のために海に出たのですから。『ひとつなぎの大秘宝』を見つけることも、私にとっては目的ではなく、目的のための手段の一つにすぎません」


その言葉にしばし黙り込んだエースだったが、彼は少し眉を下げて、そうか、と笑った。


「ま、あんたにもあんたの事情があるよな。それに、そういやオヤジは、女を戦闘員として乗せねェって言ってたし……でもやっぱ、なんか寂しいからさ、仲間が無理なら、友達になろう」


は?思わず呟いたエヴァは、立ち止まって隣の男を見つめた。友達など、突拍子もないことだ。固まってしまっているエヴァをよそに、エースはズボンのポケットを漁り、何かを取り出した。それは何の変哲もないただの紙切れだ。その紙を、エースは戸惑いもなく千切る。


「これ、おれのビブルカードなんだ。エヴァにやるよ」


差し出された紙切れを見つめたエヴァは、困惑しながらエースの方を見た。彼は「ん!」と彼女に紙切れを差し出したまま引こうとしない。エヴァがおずおずとそれを受け取れば、明るく笑った。

船まで荷物を運んでくれたエースに、エヴァは頭を下げてお礼を告げる。彼は気にすることじゃないと、彼女の頭をがしがしと撫でた。だがすぐに手を離し、苦笑い気味に謝った。


「弟がいたもんだから、同じようにしちまった。女は髪が大事なんだろ?グシャグシャになっちまったな」


整えるように髪をといてくれたエースに、エヴァはされるがままだった。


「弟さんが、いるんですか?」

「ああ、“東の海”にな。ルフィってんだ。今年十七だから……もう海に出てる」


ルフィ。小さく呟いた彼女に、もしかするとどこかで会うかもな、とエースは笑った。


「出来の悪い弟だが……もし会った時は、仲良くしてやってくれよ」


笑ったエースが、そういえばとエヴァに年齢を尋ねる。もし彼の仲間達がいたのなら、女性に歳は聞くものではないと注意をしただろうが、生憎彼は今一人だ。それにエヴァも、それを気にするような性格でもない。


「二十八です」

「え!?おれより上じゃねェか!いや、上じゃねェですか!」


驚いて声を上げた彼は、咄嗟に取ってつけたように敬語を使う。それがおかしくて、エヴァはクスクスと笑い声を漏らしながら、気にしなくていいと伝えた。そんな彼女の様子をエースが凝視していれば、視線に気付いたエヴァが顔を上げて、エースの顔を見つめ返す。その表情から先程の笑みは消えていた。


「あんた、笑ってたらいいのに。そっちの方が、もっと美人だ」

「……本当に、口が上手い方ですね」


これで素なのだからタチが悪い。とんだ人たらしだと思いながら、エヴァは困ったように笑った。