- ナノ -

時には逃げるが勝ちとなる



オークションハウスから離脱に成功したエヴァは、真っ黒な髪を揺らしながら、5番GRを駆け抜けていた。繁華街区画に船を停めているため、まだまだ距離はある。まさかこんな事態になるとは当然予想していなかったがために、エヴァは諸島の地理を把握しきれていない。コーティング終了まで時間がかかるだろうと思っていたこともあり、些か余裕を持っていたのが仇になったと、彼女は小さく舌を打った。

無法地帯エリアではあるものの、海軍が続々と島に到着しているからなのか、襲いかかってくるようなゴロツキは流石に見当たらなかった。それが不幸中の幸いかと、彼女が思っていたその時。

何かに気付いた彼女が立ち止まり、咄嗟にナイフで空間を切った。ピュン、という音と共に切れ目に入っていったレーザーにエヴァは目を見開き、向かってきた方向を見る。


「バーソロミュー・くま……!」


彼女の視界の先にいたのは、見上げるような巨体を持った、クマの耳をした男。「海軍本部」、「四皇」と共に並ぶ「三大勢力」の一角、世界政府公認の海賊である「王下七武海」の一人、バーソロミュー・くまその人だ。

シャボンディ諸島は海軍本部とマリージョアのそばに位置することを考えれば、誰が来てもおかしくはない。しかも今は天竜人への暴行という大事件が起きており、大将まで引っ張ってこられている状況であれば、“七武海”が一人くらい来てもおかしいことではなかった。

くまはエヴァに大きな手を向けたと思うと、彼の手のひらに光が収束していく。そして、先程放たれたビームと同じものが、再度エヴァへと一直線へ向かう。それを空間の切れ目で防いだ彼女は、くまから距離を取り、銃を構えた。

彼女が切れ目に銃口を向けて弾を撃ち込むと、銃弾はくまの腹部の前に現れた切れ目から飛び出した。


「……弾かれた……?」


銃弾は確かにくまに命中した。しかし、それは彼の肌を貫くことはなく、逆に弾き返された。いくら強靭な体と言えど、銃弾を弾き返すなど早々にできることではない。だが仮に「武装色」の覇気が扱えるのであれば、それも不可能ではない。冷や汗を垂らしたエヴァは、自身の攻撃では切り抜けるのは無理だと判断し、銃をホルスターにしまった。

くまは彼女に容赦無くビームを撃ち続けており、エヴァはそれを切れ目の中へと入れながら、なんとかビームを回避し続けている。

天竜人暴行からもうそれなりに時間は経っており、既に“大将”が到着していてもおかしな話ではない。このまま逃げ続けて鉢合わせなど、とてもじゃないが笑えないものだ。かと言って“七武海”を振り切れる可能性も半々となれば、エヴァが取る手は、早急に彼を倒して船に戻ることだけだった。

何度目かのビームを切れ目へと入れたエヴァは、足を止めてくるりとくまを振り返った。


「私の武器じゃ歯が立ちませんが……あなた自身の攻撃ならば、どうなんですかね?」


ナイフで空間を切ったエヴァは、「“エンプティー”」と呟いた。瞬間、彼女の前にある切れ目から、くまに目掛けて彼が放ったビームが撃たれる。一気に放出されたそれは、くまの体躯や顔に直撃し、大きな破壊音を立てた。

焦げたように音を上げながら、くまの顔や腹部からは煙が上がっている。ぐらりと僅かに傾く姿を見るに、効いていないわけではなさそうだった。

徐々に煙が晴れていき、あらわになった姿を見て、エヴァは僅かに瞳を見開いた。額からは確かに血が流れている。だが、腹部から覗いているものは肌ではなく、鋼鉄であった。


「どういうこと……?」


バーソロミュー・くまはサイボーグであったのか。それとも、彼を模した兵器なのか。眉を寄せた彼女だったが、パカリと開いたくまの口に光が収束しているのを見て、咄嗟に空間を切った。

確かに彼自身の攻撃は効いているようだが、その強靭な体のおかげなのか、致命的なダメージまでは与えられていなかった。面倒だと顔を顰めたエヴァは、先程同様にくまが撃つビームを切れ目へと入れていくことしかできない。これでは長期戦になり、その間に援軍でも来られようものなら堪ったものではない。

どうにか一撃で仕留められないか。胴体に撃っても中身が鉄――その強度は鉄以上のようだが――では通りが悪い。しかし血液が流れているのを見るに、完全に機械とも言えないだろう。生身の部分があるのなら、そこを攻撃するのが一番効率が良いはずだ。では、その生身の部位はどこになるのか。

銃弾を跳ね返すのだから、皮膚は既に鋼鉄になっているのだろう。ならば、体内に生身の部分と考えるべきだ。負傷して流血するということは、体内に血液が通っている証拠に他ならない。

体内に直接攻撃を与えるには。あの皮膚装甲を剥がすのは骨が折れる。自分にはパワーがないし、自分の能力も身体的な力に通づるものではない以上、時間がかかりすぎる。

マングローブの太い幹に身を隠した彼女は、ぐるぐると思考を回転させた。そしてふと、くまのビームは手のひらだけでなく、口からも撃たれたことを思い出す。


「チャンスは一瞬……口を開けた瞬間に……」


呟いたエヴァは、意を決して飛び出した。彼女を視界に捉えたくまは、攻撃態勢に入るように口を開く。彼の口もとに光が収束していくのを見て、彼女は瞬時に空間を切った。


「“エンプティー”!」


叫んだと同時、切れ目から放出されたビームが、くまの大きく開かれた口へと向かっていく。彼が放ったそれよりも膨大なビームは、今まで貯めた分が凝縮されているからだろう。

収束していた光が彼の口から放たれる前に、膨大な光のエネルギーを口内に突っ込まれたくまから破壊音が鳴った。恐らく口内で暴発したのだろう、彼は煙を吐いている。ぐらり、その巨体が傾いたと思うと、大きな音を立てながら彼は地面へと倒れた。


「…………逃げなきゃ」


巨体は倒れたまま動く気配はなく、恐らく機能が停止したのだろう。エヴァは一つ安堵の息を吐いて、周囲を見回す。海兵や“大将”らしき姿は見られないのを確認すると、エヴァは弾かれたように走り出した。迷うことなく足を進める彼女は、繁華街区画のある30番GR代と繋がる橋へと向かっていた。

できればレイリーにコーティングを頼みたいところではあったが、今はそんな悠長なことを言ってる場合ではない状況だ。変に寄り道するべきではないと、エヴァはシャッキーの店がある13番GRを走り抜ける。

“大将“に見つかってしまえば、まず逃げ切れる可能性はゼロに近い。何せ相手は海軍の最強戦力。まともに立ち向って勝てるような相手ではないのだ。

エヴァが橋を渡って繁華街区画へ足を踏み入れれば、そこは諸島へ来た当初のような人の賑わいはなく、民間人は既に避難を終えているようだった。


「ん?おい、エヴァだ!エヴァがいたぞ!」


だが民間人の代わりに、海軍の兵士達が待ち受けていた。エヴァはそれに驚くことも顔を顰めることもせず、一度ナイフで空間を切ると、ホルスターから銃を取り出し、狙いを定めることなく発砲した。当然その弾は海兵に当たるはずもない――そう思われた。

エヴァが撃った銃弾が消えたと思うと、軌道上にいなかった海兵の体を貫いた。低い呻き声を上げて倒れた仲間の姿に、周囲は戸惑い、どよめきはじめる。


「百発百中の魔弾……ただの噂じゃなかったのか……!?」


エヴァが“イーブル・バレット”と呼ばれる由縁。それは、彼女の撃った銃弾は必ず当たるからだ。どこに撃っても、どこから撃っても、その銃弾は必ず目的のものを捉え、撃ち抜く。故に悪魔の弾丸、“イーブル・バレット”なのだ。


「怯むな、かかれ!絶対に海へ逃すな!!」


その掛け声に、海兵は一斉に攻撃へかかった。しかしエヴァは慌てる様子もなく、次々銃を撃ち込んでいく。それらは狙いなど定まっておらず、とても海兵に当たるような軌道ではない。しかし、彼女が撃った弾は、全て海兵を撃ち抜いていった。

倒れていく海兵の間を駆け抜け、彼女は自分の船がある36番GRへと辿り着いた。彼女以外にも海軍から逃げようとしている海賊の姿を視界の端に入れながら、エヴァは自身の目の前に等身大の切れ目を作った。

彼女がそこを通り抜けると、視界はがらりと変わる。先程まで周囲にいたはずの海軍は誰一人いない。それもそうだろう。エヴァは既に、自身の船の上にいるのだから。

大慌てに準備を整えたエヴァは、船を出し、海軍で溢れているシャボンディ諸島を離れた。