- ナノ -

世界の理に唾を吐く



コーティング職人である「レイさん」を探すべく、エヴァはシャッキーの情報を基に1番から29番GRを歩き回ることにした。その区域は基本無法地帯となっているため、道を歩けば賞金稼ぎの筋の者や、賞金首などが彷徨いていた。

エヴァが1番GR付近へ来た頃から、少しずつ人の通りが多くなっていく。中にはゴロツキではなくそれなりに身なりの良い、富豪のような者の姿もあり、彼女は首を傾げた。しかしいざ1番GRに到着した彼女は、そこにあった建物を見て、一人納得する。

人集りのできたその建物――人間ヒューマンオークション会場。その名の通り、人身売買を目的とした場所だ。シャボンディ諸島には、人間の悪い歴史である「人買い」や「奴隷」の文化が黙認されている。そのため諸島には、人間屋ヒューマンショップがいくつも存在している。

しばし店を眺めた彼女は方向を転換させると、建物の中へと入っていった。番号の書かれたプレートを受け取った彼女は、一度中をぐるりと見回す。広々としており、奥には大きなステージが設置されている。エヴァが中に入った時には、既にほとんどの席が埋まっているようだった。開始時刻は十六時と、開始まで十分ほどしかないのだから、それも当然だろう。

会場に入り周囲に視線を散らせた彼女は、入口のそばの壁に背を預ける、柄の悪い集団と目が合った。互いに数秒見つめ合い、エヴァは視線を外すと、入口近くの空いた席に腰掛けた。


「ほう……あいつは……」

「魔弾……“イーブル・バレット”か」


呟いたのは、“南の海”出身、“超新星”の中でも最も懸賞金額の高い海賊、ユースタス・“キャプテン”・キッド。その隣には彼の船の船員であり、一億超えの賞金首でもある“殺戮武人”キラーの姿もあった。

彼ら以外にも、“北の海”出身で二億の賞金首、トラファルガー・ローとその船員が、エヴァの三つ四つ隣に腰掛けている。双方どのような意図でこの場にいるかは定かでないが、然程重要視することでもないと、エヴァは開催の時間を待った。

席がどんどん埋まっていき、満席になった頃。ステージにとんがり帽子にオーバーオールを着た男が姿を見せた。


「それでは皆さん、長らくお待たせ致しました!まもなく――毎月恒例1番GR、人間大オークションを開催致したいと思います!司会はもちろんこの人!」


男がステージ袖に手を向けたと同時、シルクハットに星形サングラスをかけた男が、ステージへと飛び出した。彼がこのオークションの司会、Mr.ディスコである。彼の登場で客は大いに湧き上がり、歓声が上がった。そうして早速、オークションは開催した。

ステージに連れてこられる者は、皆鎖に繋がれ、首輪を嵌められている。まさに人権も道徳性もない所業だ。売りに出されている者たちは、皆怯えや絶望をその顔や瞳に見せていた。それもそうだろう、奴隷は言ってしまえば家畜と同等、もしくはそれ以下のような扱いを受けるのだから。

競り上がっていく金額を聞きながら、エヴァはちらりと、店の中央にある席に視線を移した。そこには世界貴族――天竜人と呼ばれる者が座っている。外に繋がれていた巨体の人間は、恐らく彼らの奴隷なのだろう。

つまらなそうな顔でオークションを見ている彼らは、どうやら気を惹く商品がいないようだった。

売られては買い、売られては買い、それを繰り返して、エントリーNo.が15にいった頃。オークション会場の扉が開く音に、エヴァはそっと視線を向けた。

“東の海”出身、麦わらのルフィ率いる海賊団、“麦わらの一味”だ。しかし船長であるモンキー・D・ルフィの姿は見当たらない。それに、どこか切羽詰まっているような表情で、彼らは会場へと入ってきた。

ステージでは踊り子パシアが八十万スタートでオークションにかけられている。その美貌に、どんどん値段は釣り上がり、そうして今は七百万ベリーまで跳ね上がっていた。当のパシアは始終顔色を悪くさせ、僅かに震えている。


「お前がノロマだからだえ!コイツ本当にムカツクえ〜っ!」


パシアが七百二十万ベリーで落札された頃、また会場の扉が開いた。今度は天竜人が一人、黒服の男と奴隷と共に中へ入ってきた。彼は自分が乗っていた男の頭を蹴り飛ばし、案内されるがままにVIP席へと向かっていった。

パシアの次にステージに姿を見せたのは、懸賞金一千七百万ベリーの海賊、ラキューバだ。彼の顔色は悪く、体中から嫌な汗が滲み出ている。ディスコはそんな彼の様子など気にすることもなく、意気揚々と彼の競りを始めようとした矢先。ラキューバは自ら舌を噛み、自殺を図った。

口から血を流しながら、ふらりと倒れたラキューバの姿に、客が騒然とする。ディスコが慌ててステージの幕を引かせ、オークションは一時中断となった。

会場が騒めく中、ものの数分と存外早く幕は開いた。ステージには再登場したディスコの他に、布で隠された大きな何かが運ばれてきた。スポットライトが当たると、布で隠された中身のシルエットが映し出される。その姿に、会場からは期待のこもった歓声が上がった。


「多くは語りません。その目で見ていただきましょう!」


そう言って、ディスコが布を引くと、現れたのは巨大な丸型の水槽。中には、鎖に繋がれた少女の姿がある。しかしその足は、魚のような鱗とヒレがあった。


「魚人島からやって来た!“人魚”のケイミー!」


その姿に、今日一の歓声が上がり、会場は大いに盛り上がりを見せた。何せ人魚は捕獲が難しく、中々売りには出されない。しかしその分高額の値がつくのだ。


「ケイミー!ケイミーが出てきたぞ!」


振り返ったエヴァは、麦わらの一味の鬼気迫る表情に、あの人魚と知り合いであることを察した。どうやら正攻法で彼女を取り戻す気でいるらしい彼らの声をそばで聞きながら、エヴァはしばし考え込むように顎に手を置いた。


「五億で買うえ〜!!」


しかし、彼女の思考を打ち消すように、立ち上がった天竜人――チャルロス聖の声が会場に響く。その金額に会場は静まり返った。流石のディスコも驚愕の表情を浮かべ、言葉を失っていた。


「……か……会場、言葉を失っておりますが、えー……一応!五億以上!ありますでしょうか!?なければこれで早くも打ち止めということに……」


天竜人以上の金を出そうとする者はいない。彼女を助けるべく会場へ来た、麦わらの一味のクルーであるナミやサンジたちも、限度額を遥かに超えたその金額に、どうすることもできないようだった。

会場の誰も声を上げず、ディスコがケイミーのオークションを打ち止めようとした。


「――七億」


静かな会場に、一つ声が上がった。出てきた金額に、皆がそちらを驚いたような表情で振り返る。


「七億で、どうですか?」


プレートを上げたエヴァが、静かに、淡々と尋ねたと思うと、彼女はスリットに手を入れてナイフを取り出し、自身の目の前にナイフの刃を滑らせた。


「代金は心配なく。ええ、しっかり払いますよ」


次の瞬間、ステージの上に空間の切れ目のような穴が空いたと思うと、ディスコの足下に何かが落ちていく。ゴト、と音を立てて落ちたいくつもの袋の口からは、大量の札束が顔を出していた。

異様な空気に、会場はまたも水を打ったように静まり返っている。ナミたちだけでなく、居合わせているキッドやローも、怪訝な顔でエヴァを見ていた。

だが、そんな会場に、突如何かが勢いよく突っ込んできた。大きな叫び声と扉の破壊音と共に入ってきたのは、麦わらの一味の船長、モンキー・D・ルフィ、そしてその船員であるロロノア・ゾロだ。

突然現れた彼らに、客は呆然としている。そんな会場の様子など意にも介さず、言い争っていたはずのルフィはケイミーの姿を見ると、ステージへと一目散に駆けていった。


「ちょっと待て麦わら!何する気だよ!」


そんな彼にしがみつくように、ハチがルフィの制止にかかった。しかしルフィの勢いは止まらず、彼を引きずりながらステージへと向かっていく。そんなルフィを止めるためなのだろう、ハチの二本の腕の下から、ニョキリと腕が生え、彼は六本の腕でルフィにしがみついた。


「魚人よ!気持ち悪い!」


途端、女性の悲鳴が響いた。騒めく客の様子に、ハチはしまった、と言いたげな顔をしてルフィの体を離す。その隙にケイミーのもとへとルフィは一目散だ。


「何で魚人が陸にいるんだよ!」

「何この肌の色!?何その腕の数……!?」

「海へ帰れ化け物!」


客は怒声や罵声を上げながら、ハチに向かって物を投げつけはじめ、会場は混沌としていた。

シャボンディ諸島では、人間の悪い歴史が根深く残っている。一つは「人買い」や「奴隷」の文化。そしてもう一つ――魚人族に対する迫害や差別である。

たった二百年前、世界政府が魚人島への交友を発表するまでの間、魚人族と人魚族は「魚類」と分類され、世界中の人間たちから迫害を受け、蔑まれていた。このシャボンディ諸島では、魚人や人魚に対する差別が色濃く残っているのだ。

そんな、悲鳴や非難で埋まっていた会場に、鈍い音が鳴り響いた。次の瞬間には、ハチの巨体がぐらりと倒れ伏す。その体からは血が流れ出て、階段に血溜まりが作られていく。そんな彼のそばには、銃を持ったチャルロス聖が、愉快そうに両手を上げて踊っていた。


「魚人を仕留めたえ〜!」


周囲の客はヒソヒソと、ハチが撃たれたことに安心し、蔑みの言葉を吐いている。ケイミーは何度も水槽を激しく叩きながら、涙を流していた。


「お父上様、ご覧ください!魚人を捕まえましたえ!自分で捕ったからこれタダだえ?得したえー!魚人の奴隷がタダだえ〜!」


先程まで一直線に水槽へ向かっていたルフィが、方向をくるりと変えて、静かにチャルロス聖へと向かっていく。そんな彼を引き止めたのは、撃たれたハチ自身だ。


「目の前で誰かが撃たれても!天竜人には逆らわねェって……約束、しただろ……どうせおれは海賊だったんだ……!悪ィことしたから……その報いだ……」


息も絶え絶えに、荒い呼吸をしながら、ハチはルフィに制止の言葉をかけ、ごめんなと謝罪を繰り返した。


「おめェらの役に立ちたかったんだけども……やっぱりおれは、昔から……何やってもドジだから……ごめんなァ……」


結局迷惑ばっかりかけて、ごめんな。涙を流しながらルフィ達に謝るハチの姿を見ても、周囲にいる者たちは何も感じなどしない。彼らにとって、魚人の命などどうでもいいのだ。魚人が本気を出せば、自分達など簡単に殺される。それくらい力の差がありながらも、多勢には敵いやしないのである。

グッと、エヴァは拳を握りしめる。その表情は悔しげで、瞳には嫌悪や、果てには憎悪のようなものも混ざっていた。


「魚め〜!撃ったのにまだベラベラ喋って……お前ムカツクえ〜!」


再び向けられた銃口から庇うように、ルフィはハチの前に手を出した。無言で、しかし確かな怒気を持ってチャルロス聖を睨み上げたルフィは、ゆっくりと立ち上がると彼に歩み寄っていく。パッパグが大粒の涙を流しながら止めにかかるも、ルフィは聞かずに拳をグッと握り、そして――。

オークション会場から、まるで全ての音が消えたかのようだった。椅子に思いきり突っ込んでいったのは、たった今ルフィから顔を殴られた、チャルロス聖の体。

スッと、胸が軽くなったような感覚。エヴァは青眼を大きく見開かせながらその光景を見つめ、握っていた拳をゆっくりと解いた。


「悪い、お前ら……コイツ殴ったら海軍の“大将”が軍艦引っぱってくんだって……」


指の骨を何度か鳴らしながら、ルフィは仲間達に告げる。その言葉に、クルーは慌てるでも怒るでもなく、すんなりと受け入れた。彼らもまた、天竜人の所業に怒りを覚えていたのだ。


「おのれ!下々の身分でよくも息子に手をかけたな!!」


あまりの出来事に怒り心頭のロズワード聖は、無作為に銃を発砲しはじめる。会場内の客は巻き込まれぬように大慌てで外へと逃げ出す中、エヴァはステージに投げ捨てた自身の金を回収し、椅子に出てきた切れ目へ入れた。

会場内では麦わらの一味が天竜人の護衛と戦闘を繰り広げており、その混乱に乗じてフランキーが首輪の鍵を探しにステージ裏へと駆け込んでいく。


「貴様ら、あくまでも我々に歯向かうと言うんだな!?」

「ケイミーは売り物じゃねェ!!」


その返答に、ロズワード聖は「海軍大将」と「軍艦」を呼ぶよう命令を告げた。


「共々、巻き込まれちまったな、魔弾屋」


その言葉に、エヴァは視線をローの方へと向けた。これから大将が軍艦を引き連れてやってくるというにも関わらず、あまり慌てる様子はない。むしろ状況を楽しんでいる風にも見えた。

会場には天井を突き破ってトビウオが飛び込んできたと思うと、ウソップやニコ・ロビンやブルックと、麦わらの一味が集結する。ウソップはロズワード聖を下敷きに着地したが、どうやらことの重大さには気付いていない様子だった。


「ルフィ!ケイミーは!?」

「あそこだ!首についた爆弾外したらすぐ逃げるぞ!軍艦と大将が来るんだ!」

「海軍ならもう来てるぞ、麦わら屋」


ローの言う通り、オークションが始まる前から、海軍は会場をずっと取り囲んでいる。何せ諸島に「本部」の駐屯所があるのだ。


「誰を捕まえたかったのかは知らねェが、まさか天竜人がぶっ飛ばされる事態に……“首無し騎士デュラハン”程ではないとは言え、そんなことする奴が現れるとは、予想外だろうよ」


僅かに眉を反応させたエヴァだったが、シャルリア宮がステージ上に向かっているのを見て、彼女はスカートのスリットに手を伸ばした。父と兄への暴挙に対する腹いせに、ケイミーを殺そう彼女は引き金に手をかける。

だが、突然にシャルリア宮が気を失った。ぐらりと倒れた彼女に皆が呆然とするなか、ステージの幕の奥から、一人の男と一人の巨人が姿を見せる。


「ホラ見ろ巨人くん。会場はえらい騒ぎだ。オークションは終わりだ。金も盗んだし……さァ、ギャンブル場へと戻るとするか……」

「タチの悪ィじいさんだな……金奪るためにここにいたのか」

「あわよくば、私を買った者からも奪うつもりだったがなァ……考えてもみろ……こんな年寄り、私なら絶対、奴隷になどいらん!」


酒を飲みながら笑い声を上げたその男は、会場の様子を見て、ん?と首を傾げる。どうやらどちらもオークションの商品であったようだが、何かしらの方法で錠を外していた。

会場を見つめた男は、ハチの姿を見ると嬉しそうに声をかける。しかし彼の傷、鎖に繋がれたケイミー、殴られ気絶しているチャルロス聖を順に見て、何が起こったのかを早々に把握したようだった。


「――さて」


男が一言呟いたと思うと、会場全体を凄まじい圧が覆った。ビリビリと肌を痺れさせるような、その圧巻の威圧感。エヴァは一瞬呼吸を忘れ、フッと息を吐いた。


「その麦わら帽子は……精悍な男によく似合う……!会いたかったぞ、モンキー・D・ルフィ」