- ナノ -

終わりの見えぬ旅路の始まり



「どうしても、欲しいものがあるんです」


それはここでは手に入らない。だから、外に探しに行きたい。

二十二歳になったエヴァは、相変わらず病院で手伝いをしていた。身長はこの島に来た頃よりも伸びて、一七〇センチを越えたのは十七歳になって数ヶ月ほど経ってからだ。

病院から帰った彼女はすぐに手を洗い、シャワーを浴びた。今日、彼女はマーサー夫婦に話したいことがあったのだ。髪をしっかりと乾かしてリビングへ行けば、二人は穏やかな笑顔で出迎えてくれて、エヴァは少し視線をそらした。

ダイニングテーブルに並ぶ食事に手をつけながら、エヴァはそっと向かいに座る二人を見る。和やかに談笑する二人の邪魔をするのはどうにも気が引けてしまったのだが、けれども、話すならば早い方がいいと、エヴァは水を一度飲み、コップを置いた。

そうして、冒頭の言葉を二人に伝えた。淡々とした態度で話を続ける彼女を見つめながら、夫婦は驚いたように目を丸くしている。


「それは、島を出るってこと?」

「はい」


エヴァには、どうしても欲しいものがあった。何としてでも手に入れたいものがあった。それが彼女にとっての生きる指針であると言っても過言ではないくらい、大事なこと。そのために船を必要としていたエヴァは、地道にお金を貯め続け、そして、ようやっと船を買うのに必要な額が貯まったのだ。

もちろん全財産を使うわけにはいかないので、船を買っても貯金が残るように計算して、彼女はお金を貯め続けた。一人で出るのだからそう大きくなくていい。キッチンとバスルーム、それと部屋が二つ三つあれば、それで充分だった。凝った装飾も欲してはいない。そのため、売られている船でもそう高価でないものを買うつもりだった。


「一人で行くのか?」

「はい」

「そんな、危ないわ……海賊だっているのよ」


マーサー夫婦の心配はもっともだった。四つの海でも最弱と称される“東の海”だが、しかしそれでも、海賊はいるのだ。女一人で旅に出るなど、簡単に了承できやしないだろう。けれどエヴァは、それでも行きたいのだと話した。

エヴァは一人で海に出れるよう、知識と技術は有していた。それらは既に教え込まれていた。航海術だけでなく、戦闘術だってその内の一つだ。それを夫婦に話したことはないし、言う必要もないと彼女は思っている。


「お二人には感謝しています。恩を仇で返すようなことになってしまって、ごめんなさい。でも私、どうしても……どうしても外の世界に行きたいんです。世界を旅して、探してみたいんです」


お願いします。懇願するように頭を下げたエヴァに、マーサー夫婦は顔を見合わせた。彼らにとって、エヴァは娘のような、孫のような存在だ。そんな彼女の願いは叶えてあげたい気持ちはある。しかし、心配する気持ちだってあった。それらのせめぎ合いが二人の中で起こっていたが、けれど、寂しげな顔を浮かべながらも、諦めたように笑った。


「そう……わかったわ。エヴァ、気をつけて、いってらっしゃい」

「いつでも帰ってきていいんだからな」


その言葉に意外そうに目を丸くしたエヴァだったが、すぐにお礼を告げた。

本当は、彼らはエヴァに島を出てはほしくない。しかし我儘も言わず、弱音も言わずにいた彼女が初めて口にしたお願いは、やはり叶えてやりたかったし、背を押してやりたいと思ったのだ。

エヴァとマーサー夫婦は、実の家族ではない。島の浜辺にバラバラになった小船と共に打ち上げられていた、当時十二歳のエヴァを、二人が拾ってくれたのだ。目を覚ましたエヴァは、途端に叫ぶように泣き出して、ひどく打ちひしがれていた。その理由を、彼女が話してくれることは決してなかった。

彼女が教えてくれたのは、エヴァという名前と年齢だけ。彼女のそばには小さな荷物も落ちており、二人はそれの中身は見ていない。エヴァも何が入っていたかを話すことはしなかった。余程鈍い人間でも、彼女が訳ありだと気付くだろう。子供一人でどうして海にいたのか。どこから来たのか。何故泣き出したのか。聞きたいことは山ほどあったが、二人は何も聞かずにエヴァを家に置いて、育ててくれたのだ。

結局、彼女は何も教えてくれやしなかったが、しかしそれでも、夫婦にとってはエヴァは大事な子供であった。













エヴァが島を出る日、港には島民が集まっていた。皆がエヴァを見送りに来てくれたのだ。


「わざわざすみません……」

「エヴァちゃんの船出だもの!当たり前じゃない」


豪快に笑ったふくよかな女性は、酒場の店主であるウィルマだ。彼女の一人息子のジーンはエヴァの二つ年下で、男前な母に比べ、大人しい青年であった。そんな彼もエヴァの見送りに来てくれており、母の隣で視線をあちこちに彷徨わせている。


「エヴァちゃん……その、えっと……」

「うん」


何かを言おうとしているジーンの言葉を、エヴァは静かに待っていた。彼は顔を真っ赤にさせ、意を決したように顔を上げて、口をひらく。


「僕、あの……」

「うん」

「……あの……き、気をつけて、ね……」


尻窄みになっていくジーンの言葉に、エヴァはありがとうとお礼を伝えた。そんな息子の背中をバシン!と叩いたウィルマは、意気地なしだと笑っている。


「エヴァ、無茶はしないでね。ケガや病気に気をつけて、元気でいてね」

「いつでも帰ってこれるように、私たちは待っているから」


マーサー夫婦の言葉に、エヴァは深々と頭を下げた。

彼女は小さな荷物を持って、島民に見送られながら島を出た。手を振る皆を一度振り返って頭を下げると、今度は振り返らずに出航した。

だんだんと島が小さくなり、皆の姿も見えなくなっていった。穏やかで涼しい潮風を肌で感じながら、エヴァは持ってきた荷物の中から、貝殻を一つ取り出した。貝殻の穴に耳を寄せながら、エヴァは瞼を閉じる。

船は手に入れた。もうあの島に帰ることもないだろう。あとはただ、欲しいものを手に入れるために、この広い世界を旅をするだけ。













エヴァが海に出て、六年ほどの月日が経った。その歳月で、彼女は四つの海をそれなりに見てまわることができた。しかし、探し物は見つけられなかったため、“偉大なる航路”へと船を出した。その過程で海賊呼ばわりされ、結果お尋ね者にもなってしまっている。

“偉大なる航路”の海上でぱらりと捲った新聞を見つめながら、エヴァは一つため息を吐く。新聞にはとある海賊が「世界政府」直属の裁判所、“司法の島”であるエニエス・ロビーを壊滅させたことで持ちきりだった。

一面を眺めたエヴァは、海賊という単語に目をとめた。


「海賊……」


呟いたエヴァは、ふと“海賊王”の財宝の話を思い出した。


「探してみようかな……」


彼女が現在いる、この世界を一周する航路。その果てには“海賊王”が残した財宝があるのだと、人々は言う。もしそれを見つけることができたなら、手に入れることができたのなら。自分の探し物も、共に手に入ったりするのだろうか。

エヴァはしばし動かなかったが、ぱたりと新聞紙を折りたたんだ。