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お医者様の言うことにゃ



リュウグウ王国の港町、サンゴが丘にあるケイミーの知人の家で、サンジは輸血の最中であった。血液パックと彼の血管とを管で繋ぎ終えたエヴァとチョッパーは、安堵したように息を吐いた。


「ギリギリでしたね。あと十分でも遅ければ、本当に命を落としてましたよ」


町で献血を呼びかけたルフィたちであったが、魚人達は互いに顔を見合わせ、目をそらすばかりで、名乗り出てくれる者は中々現れなかった。ケイミーの言う通り、ここしばらく人間の客が来なかったこともあってか、行く先行く先人間の姿も見当たらない。

そんな中ようやっと見つけた人間に、藁にもすがるような思いで献血を呼びかけたところ、奇跡的に血液型が合致し、また快く頷いてくれたのだ。


「呼吸も少しずつ安定していってますし、顔色も少しは良くなってきていますので、どうかご安心を。そろそろ目が……」


覚めてもいい頃かと。そばで不安げにしていたルフィとウソップに、エヴァがそう告げようとした時。サンジの手が反応を見せたと思うと、僅かにくぐもったような声が漏れた。眉を寄せながら、彼の瞼がゆっくりと開かれていく。


「ここは……どこだ……」


意識を戻したサンジに、チョッパーは心底安心した様子で、彼の体に上体を預けるようにしがみついた。安心したら力が抜けたのか、ルフィやウソップも疲労をあらわにして、ソファの背もたれに身を預ける。


「黒足さん、おはようございます。これは何本ですか?」

「え?あ、二本だ」

「はい、正解です。視界は良好。意識混濁もなさそうですね。ご自身のお名前と、こちらのドクターのお名前はわかります?」

「おれの名前はサンジ。で、こっちはチョッパー」

「正解です」


簡易的な質問をするエヴァに、状態を起こしたサンジは、自分はどこで何をしていたのかと尋ねた。途端に、ルフィとウソップは大慌てに思い出すなと叫び、チョッパーもまた次同じことがあれば手に負えない、と顔を青ざめさせている。


「軽い記憶障害があるようですが……気を失う前後の記憶のみのようですから、問題はないでしょう。しかし安静に。血液がほとんど抜けて、危うい状態でしたから。臓器に影響が出ていないといいですが……ひとまず輸血が終えるまでは、休んでいてください」

「麗しのレディ、キミが助けてくれたのかい?まるでキミは白衣の天使か……」

「いいえ。献血者と、あなたのために走り回ってくれた彼らが、あなたを救ったんですよ」


そう告げたエヴァは、献血者の方です、とカーテンを掴んだ。


「いいのよ。人間同士、困った時はお互い様よ……」


カーテン越しに聞こえた声に、サンジはもしやか弱いレディが?と罪悪感と期待を孕んだような目をそちらへ向ける。だが、開いたカーテンから現れたのは所謂オカマと呼ばれる双子の海賊であり、サンジはその事実に泡を吹きながら絶叫している。

すっかり元気(?)な様子のサンジを見て、ルフィは安心からか笑顔を浮かべてソファーにぐっと身を沈めた。両腕を頭の後ろに置いて笑っている彼を見て、チョッパーとエヴァが何かに気付いたように眉を寄せる。


「ルフィ!ちょっとその右腕、見せてくれ」


歩み寄ったチョッパーに不思議そうな顔をしたルフィは、ん、と右腕を差し出した。エヴァも彼の方へ寄って腕を覗き込むと、彼の腕にそっと触れた。


「痣ですね。しかも新しいものです。なにか心当たりは?」

「ん?さっき魚人たちと戦った時、そういやチクッとしたな」


ルフィの言葉に、チョッパーは背負っていたリュックからいそいそと試験官や液体、脱脂綿などを取り出していった。恐らく自分と同じ予想をしているのだろうと考えながら、エヴァはチョッパーの作業を見つめた。

試験管に入っていたピンク色の液体に、ルフィの腕から採取した血液を混ぜてちゃぷちゃぷと揺らしていくと、次第に液体の色色は紫へと変化していった。それは間違いなく、毒物への反応であった。


「その痣……毒を食らってるよ!」

「ただの毒ではないですね。猛毒……普通ならば少量でも致死量に至るようなものです」

「それでお前、なんともねェのか!?」


ピンピンしているルフィの様子に、ウソップは信じられないと言いたげに目を見開いている。本来ならば既に死んでいてもおかしくないような強さを持っているものだが、しかしルフィの体には毒の抗体ができており、本人も知らないうちに跳ね返してしまっていたのだ。結果、痣のみが現れて、毒の効果自体はほとんど意味をなしていなかった。

一度や二度毒に侵されたくらいでは、こうもならないだろう。それがどうして抗体が、とチョッパーが痣の処置をしながら尋ねれば、本人には心当たりがあるようで、ルフィは懐かしむように、インペルダウンで死に目にあったと笑う。そして、今回の痣の原因にも目星はついているようで、ルフィはタコの剣士だろうと話した。

サンジも目を覚まし、ある程度元気を取り戻したところで、ケイミーは紹介したい人がいるからとルフィ達を呼んだ。恐らくここの家主に会わせたいのだろう。エヴァはまだサンジの状態を診ておきたいからと、チョッパーと部屋にとどまった。


「エヴァもありがとう。おれ達が献血者を探してる間、ずっとサンジを診ててくれて……」

「お気になさらず。あんな状態の患者を放っておけるほど、冷たい人間ではありません」


複数の血液パックを一度に流し込んでいるため、輸血が終わるのにそう長くはかからないだろう。エヴァは血液パックを見て、時間を見て、サンジの顔色を確認し、サラサラと紙に文字を書いていった。


「エヴァも医者か?外科なのか?オペとかすんのか?」

「私は、どちらかと言うと看護です。海に出る前は、病院で看護の業務をしてましたので。外科でも内科でも、どちらも行えるようにはしています。診察やオペも経験はありますから、できないことはないです。私の船の船医は私ですから」


興味津々に質問する小さなドクターに、淡々と、しかし丁寧に答えながら、エヴァはペンを動かしている。そうして、その紙をチョッパーに渡した。それは今回のサンジの処置に対してのカルテであり、彼は目をぱちくりさせながら、笑ってお礼を伝えた。


「そういや、ロビンも言ってたな。エヴァは一人で旅してんだっけ」

「ええ、はい」

「一人で!?こんなにも可憐なレディが、あの危険な海を……」


驚きで固まるサンジに、エヴァは困ったように眉を下げる。どうにも彼は、女性には大層弱く、また優しい男であった。そのためか女性を蝶よりも花よりも至極丁寧に扱うのだ。エヴァもその対象に含まれており、そのような扱いを初めて受けた彼女は、始終反応に困っていた。


「ひとまず、黒足さんは輸血が終わるまではここで安静にされていてくださいね」


ここがマーメイドカフェの裏口だとバレてはならないため、家主でありケイミーが働く店の店長でもあるマダム・シャーリーに、人払いをしてほしいと伝えてもらえるよう、ケイミーにも頼んであった。そしてしばらくサンジをこの場にとどめて、無事輸血を滞りなく終わらせる。それは、サンジが眠っている間にチョッパーとエヴァとが決めたことだ。

ただでさえ出血で死にかけ、やっとの思いで輸血できたのだ。またあれだけの量を出血されてしまっては、今度こそなす術がない。流石にまたあの双子の海賊に血をもらっては、今度は彼(彼女)らの方が危なくなってくるのだから。


「おーい、お前らー!」


扉が開き、そこからウソップが顔を出したと思うと、彼はパッパグに会いに行ってくることを三人に伝える。


「サンジはまだ輸血中だから無理として……チョッパー、お前はどうする?」

「おれはサンジについてるよ」

「そうか。エヴァは?パッパグっていって、おれらの知り合いのヒトデなんだけど、一緒に来るか?」


ヒトデの知り合いとは、と少々疑問や興味を抱いたエヴァだったが、彼女もチョッパー同様にサンジの様子を見ていると、申し出は断った。自分一人くらいならば、近くに女性がいてもそう問題はないだろうという判断だ。頷いたウソップは、なるべく早く戻ってくるからと、扉を閉めた。

しばし沈黙が流れたと思うと、サンジが少しばかり言いにくそうに、へらりと笑った。


「あー、あの……タバコは……」

「ダメですよ」


わかってはいたことではあったが、ぴしゃりと断られ、だよな、とサンジは肩を落とした。エヴァはサンジに横になるよう促し、もう少し休んでいるように伝えた。


「輸血が終われば起こしますので。まだ血が足りていないことに変わりはありませんから、あまり体を動かされては貧血を起こしますよ」

「そうだぞサンジ。お前、ただでさえ短期間で大量に出血してんだから」

「ドクターの言うことはしっかりと聞くものです」


エヴァの言葉に苦笑いを浮かべたサンジは、おずおずと横になり、布団を被った。だが、少し落ち着きなさげに視線を辺りへ向けている。もしかすると大人しく横になっていることが苦手なのかもしれない。今まで診てきた患者の中にも、作業をしていないと落ち着かないタイプという者はいたため、気持ちはわからないでもないと、エヴァは眉を下げる。


「眠るまで、話し相手くらいにはなりましょう。さて、どんな話をしましょうか」


サンジのそばに腰掛けたエヴァは、穏やかにそう呟いた。