- ナノ -

皮膚の下には同じ赤



瞳をハートにして、鼻の穴を大きくして、サンジはそれはもう楽しそうに人魚たちと戯れていた。彼にとって、ここはまさに楽園にも等しいものであったのだろう。エヴァはチョッパーのそばで岩場に腰掛けながら、どういう原理か空中で平泳ぎをするサンジを眺めていた。

能力者であるルフィは泳ぐことができないため、拗ねたように頬を膨らませて、水につけた足をバタつかせている。


「結局ここへ来て、あいつ元に戻ったな……根性か……」

「でもよかったよ。あれ以上鼻血を噴いても、もう血液のストックがないから……サンジの血液型、珍しいやつだし」

「彼、何かケガを?」

「いや、ほとんど己の欲望のせいだから、自業自得ではあるんだが……」

「そうですか……ちなみに彼の血液型は?」

「『S型RH−』だ」


確かに珍しい。エヴァは少し目を丸くして、自分は違うから役に立てなさそうだと返した。


「そういえば、エヴァは、ルフィを助けてくれたんだよな?」

「まあ、そうですね。私だけの力ではありませんでしたが」

「あのカルテ、見たんだ。おれは基本内科診療だから、オペとかほとんど経験ないけどさ、そんなおれでも、どれだけ難しい手術だったかはわかるよ。どれだけ、一刻を争うような状態だったかも」


ギュッとズボンを握ったチョッパーは、隣に座るエヴァを見上げたと思うと、真剣な瞳でエヴァを見つめ、彼女にお礼を伝えた。


「……私だけの力ではありません。腕の良いドクターがいたからこそです」

「でも、エヴァもルフィの恩人に変わりねェ。あのカルテを見たらわかる」


チョッパーは内科的治療が主であるため、外科手術に関する知識は深いわけではない。しかし、一般的な要点はくれはから叩き込まれていた。そのため、エヴァとローとが用意したカルテを見れば、ルフィの状態がどれだけ切羽詰まっていたかは容易く読み取れた。

最初の方は走り書きのような、臨場感溢れる勢いの文字が並んでいた。どうにか識別できる文字ではあったが、鬼気迫るものであったのは確かだ。それがだんだんと丁寧な文字へと向かっていくのを見れば、ルフィはもちろん、二人の医者と看護師の尽力があったということを理解するのは早かった。

だからこそ、お礼を伝えたかったのだと、チョッパーは笑った。


「おれからも、礼を言わせてくれ。ルフィを助けてくれてありがとう」


こうもまっすぐにお礼を言われてしまっては、素直に受け取るしかない。エヴァはむず痒さのようなものを覚えながら、二人から視線をそらした。


「二年前、エースが死んで……でもおれがヘシ折れずにすんだのは、あいつのお陰だ!ジンベエに会いたい!」


不意に、そんなルフィの言葉が聞こえ、ウソップが口をあんぐりと開けて驚きの声を上げた。二年前に、ルフィは魚人島でジンベエと会う約束を結んでいたのだ。しかし、彼はマリンフォードでの頂上戦争の際に“七武海”を辞めたために、「魚人海賊団」だった者達は魚人島にいられなくなり、ジンベエと共に魚人島を出ていったのだと、ケイミーは話した。


「詳しく話せば長くなるけど、戦争の後、この島にもいろんな影響が出て……」


ケイミーの言葉を遮るように、五つ子達が大慌てに彼女を呼びに来た。彼女達が王国の船が向かってきていると伝えると、ケイミーは顔色を変えた。


「もしかして、“不法入国”のルフィちん達を捕えにきたのかも……」

「え!?」

「ルフィちん達!隠れなきゃ!」


ケイミーの言葉に、エヴァ達は顔を見合わせた。

本来ならば、魚人島にはしっかりと入口が存在している。しかしルフィ達は「新魚人海賊団」を名乗る者達から逃げるため、正規の入国を行なっていないのだ。ケイミーの言葉に、ルフィ達は大慌てに岩陰へと身を隠した。一人、人魚と海で遊んでいたサンジだけは、人魚に匿ってもらっている。

十分ほど経っただろうか。リュウグウノツカイに乗った大きなゴンドラが、入り江へと降りてきた。そうして高らかにラッパが鳴らされたと思うと、ネプチューン三兄弟が現れたことを告げる。


「やあ、入り江の娘達……一つ尋ねたい事があるのだ」


現れた三人の男の姿に、人魚達が途端に黄色い声を上げた。「王子様達」と呼んだことから、今現れた三兄弟がこの魚人島の国王の息子達であることは明白であった。


「不法入国者の報告を受けているのですが、ここへ来てはいませんか?」

「来てたら言ってくれミファソラシド〜来てなかったら仕方なミレド〜」

「アッカマンボフ〜リッフ〜リ!わーあ!おいらもここで遊んでいきてーなー!」


三人の王子達、フカボシ、リュウボシ、マンボシは、どうやら不法入国者――ルフィ達のことだろう――を探しているようだった。人魚達は王子の登場に色めき立ちながらも、ルフィ達を庇ってくれるようで、入り江には自分達以外はいないことを伝えつつ、王子達自ら降りてくるほど重要な人物なのかを尋ねた。


「ウム……まあ……まだ私の思う者達と確定ではないのですが……」


人魚達の返答を聞き、フカボシ達は他を当たってみようとその場から離れようとした。

しかし、突然に噴水のように血飛沫が上がった。人魚を象ったその血液に慌ててルフィたちが駆けつければ、そこには一人の人魚とサンジの姿がある。二人の周囲の水はもちろん、人魚の胸元やサンジの鼻も、真っ赤に染まりきっている。


「今の血の量、やべェぞ、サンジ!」

「ダメだった……押し殺した興奮が爆発したァ!」


急いでサンジを陸に引き上げると、エヴァは真っ先に頭骨動脈に指を当て、ナイフで空気を切ってそこから布を取り出し、サンジの体に被せた。


「……この出血量では、出血性ショックを起こす可能性があります。脈は今のところ触れてはいますが、このままではもって数十分ですね。すぐに輸血しないと……輸血パック、は…………そういえば、ないんでしたね……」


腰のポーチからゴム手袋を取り出したエヴァは、タオルで血液を拭き取りながら脈や呼吸の確認を行ない、チョッパーを振り返る。だが彼が少し前に言っていた言葉を思い出し、僅かに冷や汗を垂らす。

そうしている間に、先の鼻血でルフィたちの存在に気付いた王子達が引き返してきて、兵士達が差し向けられた。武器を構えて一定の距離を保っている兵士達と、サンジ達を庇うように前に出たルフィとの間に、緊迫した空気が漂いはじめる。


「ちょっと待ってくれェ!」


それを止めたのは、チョッパーであった。彼は捕まえるのは後にしてほしいと頼むと、献血の呼びかけをはじめた。サンジはここに来るまでに既に血液を何度か消費しており、血液パックのストックが切れているのだ。ただでさえ珍しい血液型をしているため、ストック自体もそう多いものではない。しかしまさかここまで一気に消費するとは、チョッパー自身予想もしていなかった出来事である。


「この中に誰かいないか!?それとも、魚人や人魚は、流れる血が違うのか!?」


チョッパーの決死の声かけに、ルフィやウソップも共に人魚達に呼びかける。しかし皆顔を青ざめさせるだけで、名乗り出てくれる者はいない。


「チョッパーちん!人魚も魚人も、人間と同じ血液だよ!輸血もできる……だけど……」


ケイミーが言葉を濁したと思うと、背後から聞き覚えのある笑い声が響いた。それは、「新魚人海賊団」を名乗り、海獣を連れていた男達だ。


「クソみてぇな“下等種族”のてめェら人間にィ!血をくれてやろうなんて物好きは、この魚人島にゃあいねェよォ!そんなものを差し出せば、人間を嫌う者達から“闇夜の裁き”を受ける!」


サンジの体は徐々に冷えていき、顔面蒼白も見られはじめていた。意識も混濁しているようで、呼びかけにも反応がなく、状況は悪化している。そんな彼の姿を愉快そうに笑った男は、この国には「人間に血液を分かつことを禁ず」という古くからの法律があるのだと笑った。


「これはいわば、お前ら人間の決めたルールさ!長い歴史において……我らの存在を化け物と恐れ……!血の混同をお前たちが拒んだ!魚人島の英雄“フィッシャー・タイガー”の死も然り!!」


叫んだ男は、怒りからか瞳孔を開き、睨むような目つきでルフィたちを見つめた。


「種族構わず奴隷解放に命を張った男が……!後の流血戦の末、血液さえあれば確実に生きられた命を、いとも簡単に落とした……心なき人間達に供血を拒まれ……死んだ!」


興奮気味に一人喋っていた男は、ルフィたちに「新魚人海賊団」船長“ホーディ・ジョーンズ”がお呼びだと、“魚人街”へ来るように命令する。そうして大きな銃のようなものを持ち出した。ルフィが帽子を被り直したと思うと、彼の肌が高揚していき、煙を吐き出しはじめる。

瞬時にサンジ達から離れたルフィに向かって、銃口から網が放たれた。


「お前らの言うことは……聞かねェって!言っただろ!!」


放たれた網は、ルフィを捕えようと大きく広がり、覆い被さろうとしていた。しかしそれを簡単に避けたルフィは、目にも止まらぬ速さで男達の腹部に強烈なパンチを放つ。刀を持っていた男以外は、地面に叩きつけられそのまま気を失ったようだった。


「ルフィ!後ろに海獣だ!」


ルフィの背後から飛び出してきた海獣が、雄叫びを上げて襲いかかっていく。しかし、振り返った彼と目が合っただけで、その海獣は途端に大人しくなり、クゥーンと子犬のような鳴き声を漏らした。

この二年間で、無意識の内に扱っていた覇王色を、意識的に行えるようになったのか。エヴァはその成長速度に目を見張った。


「ルフィちん達〜!」


海獣も抑え、襲いかかってきた魚人達も退けたルフィ達に、いつの間にそこにいたのか、王子達が乗ってきたリュウグウノツカイの背から、ケイミーが呼びかけた。


「サンジちんを乗せて!町へ行こう!町の港には、人間の人達がいっぱいいる!急いで!」


頷いたルフィは、腕を伸ばすとリュウグウノツカイの背鰭を掴み、片腕を体にぐるぐると巻き付けるように他の面々を掴んで、その背へと飛んでいく。エヴァは突然のことに目を丸くし、背に到着したときには少し呆然としたが、サンジの状態を見てすぐに思考を切り替えた。

全員が乗ったことを確認し、ケイミーはリュウグウノツカイに町へ行くように頼んだ。モス!と力強く鳴いたリュウグウノツカイは、ルフィたちを乗せ、町へと向かっていった。


「ごめんね、私が同じ血液型なら、拒否なんてしないのに……」

「お前が謝ることじゃねェだろ!元々はコイツのやましい気持ちから始まってんだ。見ろよ、少しニヤけてやがる!」

「サンジー!いい加減にしろよー、何も考えるな!本当に一刻を争う状態なんだぞ!」


死にかけているという状況であるにもかかわらず、確かにサンジはだらしない笑みを浮かべている。流石のチョッパーも叱っており、最早どうしようもない。そんな様子に、ウソップは深々とため息を吐き出した。


「しかし、シャボンディで二年前にお前やハチが受けた“差別”といい、根っこは深そうだな……!下心の鼻血が、笑えねェ大ごとになるなんて……」


未だに魚人族への差別が激しい場所というのはあり、シャボンディ諸島もまた、その一つである。魚人族と人間との間にある亀裂は存外大きく、また根深いものであるのだ。


「話は別なんだけど、町に着いても少し心配なの!献血者がすぐに見つかるかどうか……ここ一ヶ月、人間の人達が全然この島にやって来なくなって……ルフィちん達は、久しぶりのお客さんなんだよ」


魚人島は“新世界”への入口でもあり、またそれを抜きにしても名スポットである。しかしそんな場所に、一ヶ月も人が訪れないというのは、些か不自然さを感じさせた。ここへ来るまでに見たクラーケンや、新魚人海賊団なる者達も関係しているのか。エヴァは眉をひそめつつも、サンジの方へ意識を集中させた。