- ナノ -

助けた人魚に連れられて



瞼越しに感じる光に、エヴァは無意識に眉を寄せた。だんだんと聞こえてくる周囲の音に耳を傾けながら、エヴァはゆっくりと目を開けていく。

ぼんやりしていた視界が徐々に明瞭になっていき、貝殻の形をした照明が彼女の瞳に映った。少し首を動かせば、これまた貝殻型――アコヤ貝だろうか――のベッドの上にいることがわかり、そばにはルフィ、チョッパー、ウソップが座っていた。

僅かにエヴァが上体を起こそうと身動ぐと、布の擦れるような音に反応して、いくつもの視線が彼女へと向けられる。


「目が覚めたんですね、レディ。お体は冷えてませんか?」


真っ先に反応を示したのは、木製の床に降りていたサンジだった。彼はルフィ達を押しのけてエヴァのそばにくると、彼女の手を取って微笑んだ。エヴァはそんなサンジの反応に困惑しつつも、大丈夫という意味を込めて頷き返す。

ドレッサーや水玉のラグがかけられたソファーに、かわいらしい貝殻型のベッド。それらを見るにここは女性の部屋かと予想しながらエヴァが辺りに視線を散らしていれば、「あ!目が覚めたんだね!」と女の子の声が背後から聞こえ、彼女は振り返った。

水辺に設置されたキッチンの前に、女の子がいる。ぱっちりとした丸い瞳に、黄緑色のショートカットのその少女には、エヴァは見覚えがあった。二年前、シャボンディ諸島で見た人魚のケイミーだ。


「……魚人島に、着いたんですね」


呟いたエヴァは、ヒレのついたケイミーの下半身を見つめ、部屋の様子を見回した。

船で魚人島に突入した後、一味は各自バラけてしまっていた。海底へ流されたのはこの場にいる五人だけで、溺れていたところを人魚達が助けてくれたのだと、チョッパーは身振り手振りで説明した。


「あの時は、助けようとしてくれたんだってね。ありがとう!あなたに、ずっとお礼が言いたかったの!」


ニコニコと笑うケイミーに、エヴァはお気になさらず、と一言返した。


「そういや、お前ケイミーも助けようとしてくれたんだってな」

「あなたが天竜人を殴ったので、意味はありませんでしたが」

「ムカつく奴だったからな!」

「それは同意です」


一つ息を吐いたエヴァは、ふと自分の服が着替えさせられていることに気付く。胸元に星マークがプリントされたそのTシャツは、彼女のものではない。右手のブレスレットがあることに安堵しつつも、見当たらないキーリングにエヴァも瞳が一瞬揺れた。溺れたときに外れてしまったのかと内心動揺していれば、ケイミーがカップの乗ったおぼんを持って振り返った。


「はいコレ、みんな体が冷えちゃったでしょ?スープできたから、飲んで体を温めて!ワカメの冷スープ、おいしいよ」

「冷スープ……?」


笑顔だったケイミーだったが、ウソップの呟きを聞いた途端、目を見開いて舌を飛び出させ、大きな声を上げた。かわいらしい顔からは想像もつかない驚き顔に、エヴァは少しだけ肩を跳ねさせた。

間違えて冷スープを用意してしまったところを見るに、彼女は天然な気があるのだろうと、エヴァは一人分析する。ケイミーと同じ顔をして驚くウソップや、デレデレな笑顔でスープを飲むサンジなどを見つめながら、彼女は慣れない賑やかさに少し居心地悪さを覚えた。


「レディもどうぞ」

「……ありがとうございます」


サンジから差し出されたカップを受け取ったエヴァは、恐る恐るカップに口づける。冷スープなため体が温まることはないが、けれども確かに、ケイミーの言う通り美味しいものだった。

エヴァがゆっくりとスープを飲んでいれば、小さな五人の人魚が布を持って飛んできた。空中を浮いているのは、腰辺りにつけているシャボンの浮き輪のおかげなのだろう。彼女達は乾いたらしい五人の服を持ってくると、それぞれに渡していった。

メダカの人形の五つ子だという彼女達は、確かに顔は見分けがつかないくらいにそっくりであった。帽子の柄や服の色などで判別ができなければ、誰が誰かわからないだろう。

順番に自己紹介をしてくれたが、何故か五人目が「ゴカ」でなく「ヨンカツー」なことに疑問を感じたエヴァではあったが、ウソップが代弁するようにツッコミをいれてくれたので、口を閉ざした。


「あ、エヴァちんのこれ……」


服を受け取ったエヴァに、ケイミーが恐る恐る近寄ってきたと思うと、彼女は持っていた袋から銃やナイフ、ポーチ、キーリングを取り出した。それを見たウソップやチョッパーは怯え声を上げているが、エヴァは聞こえないフリをした。キーリングにはしっかりと銀色の鍵がぶら下がっており、彼女はバレないように安堵した。


「足につけてた分なんだけど……」

「ああ……ありがとうございます」

「その、使える?」

「ダメでしょうね。ですが、ストックはありますのでご安心を」


ナイフで空気を切った彼女は、使えなくなった銃を現れた切れ目に入れて、その中から新しい銃を入れた分だけ取り出した。そして二つあるうちの一つのポーチの中の弾丸を取り出し、それもまた切り目に入れていくと、新しい弾を入れていった。その様子を興味深げに見ていたルフィは、切れ目を指差した。


「お前のソレ、どうなってんだ?何でも入ってんのか?」

「何でもは入ってません」


少し着替えますので、後ろを向いててください。エヴァの言葉にルフィは首を傾げ、サンジは何を想像したのか鼻血を垂らしている。中々後ろを向こうとしない二人だったが、ウソップとチョッパーが無理矢理に後ろを向かせたので、エヴァはいそいそと着替えを始めた。


「これは、あなたが着替えさせてくれたんですか?」

「う、うん」

「そうですか……背中、見苦しかったでしょう」


淡々と話しながら自身の服を着た彼女に、ケイミーはブンブンと首を横に振った。眉を下げているケイミーのその表情は、エヴァの身を案じているかのようだったが、エヴァは何を言うでもなく、黙々と着替えを終えた。最後に太腿や腰にホルスターを装着して、ナイフや銃をセットし、腰にポーチをつけ、それにキーリングを引っ掛けると、後ろを向いてくれていた四人に声をかけた。


「それで、ここは?」

「“人魚の入り江”の海底だよ!町の『人魚マーメイドカフェ』の女子寮だから、お友達がいっぱいいるの」


その言葉に、着替えをしていたサンジは涎を垂らし、鼻息を荒くして、大いに反応を示した。ケイミーの「美人な人魚がいっぱい」という単語一つで、サンジは白目を剥いてガクガクと崩れていく。しかし寸のところでなんとか耐えた彼は、思いきり床を叩きつけた。


「おれはこの魚人島では、鼻血を噴いて意識を失うようなもったいねェマネは絶対にせんと誓ったんだ!……もう……報われても……いいはずだ…………」


切実で、しかし欲にまみれた言葉に、ウソップは呆れながら引いているようだった。先程までの紳士的な態度が一気に崩れる様を見ながら、エヴァも少しばかり呆れたような目を向けてしまった。

それぞれが着替えを終ると、ケイミーの提案で上の階へ行くことになった。外は海中だったが、家の中からシャボンが膨らみ出たため、溺れるようなことはなかった。

玄関前には待機していたウミガメの姿があり、甲羅の上には壺型のシャボンや、円型の椅子が乗っている。ウミガメエレベーターというらしいその亀の背に乗って階を伝えると、ウミガメは咥えていたホイッスルを鳴らし、プカーッと浮き上がっていった。


「ここ、海中のサンゴマンションね。私の寮は家賃が安いから、最下層なの」


「サンゴ」と名がつくだけあり、確かに至る所にサンゴの姿が見受けられた。上の階に行くほど家賃は高くなるそうで、光の入る最上階なんかは一番値段が高いのだと、ケイミーは説明する。


「お前ビンボーなのか。そういや、ハチとパッパグは?」

「はっちんは一年くらい前に大ケガしちゃって!もうほとんどいいって聞いてるけど、はっちんは元々『魚人街』の出身だから、そこで養生を」


魚人島内にもいくつか区画があるようで、「魚人街」と呼ばれる場所は、ケイミーは「少し恐いところ」だと言葉をぼやかした。恐らくはあまり治安が良くない場所なのだろうと思いながら、エヴァは彼らの話を聞いていた。


「パッパグは……あの人(デ)は超有名デザイナーだから、魚人島の一等地『ギョバリーヒルズ』に大っきな屋敷を持ってるの。今日も蛤届けに行くから、一緒に行こっ!」


「ギョバリーヒルズ」という場所は、魚人島の中でも裕福な者が住めるような場所になるのだろう。エヴァは、もしや二年前に彼女たちと一緒にいたヒトデが、そのパッパグとやらなのかと、ぼんやりと姿を思い浮かべた。

そうしている内に、エレベーターは水面近くまで浮上していた。


「おい、あのストローみてェなの、なんだ?」

「島のシャボン職人が加工した“ウォーターロード”だよ。魚達も私達も、自由にあれに乗って……」


言葉を止めたケイミーは、ちょっと見てて!とエレベーターから出ていったと思うと、ウォーターロードと呼ばれるシャボンの中に入っていく。

エレベーターが海上へ浮上すると、海上にも伸びていたウォーターロードの中にケイミーが姿を見せ、笑顔でこちらに呼びかけている。彼女はウォーターロードを優雅に泳ぎながら、空だって泳げるのだと楽しそうに笑った。そんな彼女を見上げていたエヴァは、ふと、何故深海に空と雲があるのだと首を傾げた。


「おーい、ケイミー!」

「はっ!女子の声!」


泳ぐケイミーにメロメロになっていたサンジだったが、背後から聞こえた声に、勢いよく振り返った。


「お友達、もう平気なの?溺れてた海賊さん達

「こんにちは!あんまり恐そうじゃないのね」


エヴァ達の背後にあったサンゴの大陸に、何人もの人魚達が姿を見せていた。地上では到底見れないその光景は、まるで童話の世界からそのまま飛び出してきたかのようだ。それを見たサンジは、あまりの出来事に突然大声を上げて号泣しはじめている。


「みんな〜!こちら船長のルフィちん、泣いてるのがサンジちん。鼻のウソップちんに、たぬきのチョッパーちんと、女の子がエヴァちんね!」

「トナカイだよ!!」

「見つけたぞォオ!ここが、おれの、オールブルーだ〜!!」

「いいのかそれで……サンジ……」


両手を上げて涙を流しながら感動を味わうサンジに、仲間達も困惑を見せている。人魚に手を引かれて踊りを誘われただけで、今日死ぬんだとネガティブな思考を見せる彼には、一味でも随一のネガティブを誇るウソップでさえ驚愕する。この二年で彼の身に何があったのだと一周回って感情移入しはじめ、彼は幸せを受け入れるよう言葉をかけていた。


「彼、情緒が安定しませんね。病気か何かのレベルです」

「あいつのあれは、もうなおらねェんだ」


しみじみとしたウソップの言葉に、エヴァはそうですか、としか言えなかった。