- ナノ -

昔の恩に免じてくれまいか



自身の船からルフィ達のサウザンド・サニー号に移動したエヴァは、まだ驚いている彼らに挨拶をした。


「お久しぶりです。私はエヴァと申します。皆様のことは知っているので、紹介は必要ありません。それで本題ですが、先程船が壊されてしまいまして……これでも能力者なので海に入れないんです。なので、よろしければ少しの間こちらの船に乗せてもらってもいいですか?」


もちろんタダでとは言いません。そう付け加えたエヴァは、手にしていたナイフでスッと空気を切ったと思うと、彼女の隣にボトボトと金銀財宝が落ちてきた。それに真っ先に反応したナミは、その目をベリーへと変えている。そしてサンジの方は、鼻血を流してダウンしていた。


「あなた、“イーブル・バレット”ね」


探るような眼差しでエヴァを見つめていたニコ・ロビンは、彼女の名前を聞いて僅かに目を見開きながら呟く。


「知ってんのか」

「ええ……彼女の弾は消える弾丸。そして、決して外れない。どこから撃っても、必ず対象に当たる。だから魔弾。でも特筆すべきは、“偉大なる航路”を一人で旅している、ってところかしら」


彼女から放たれた言葉に、何人かが驚いたようにエヴァを凝視した。しかし当の本人は特に気にした様子もなく、ナイフをしまっている。


「何だお前、船ねェのか」

「先程なくなりました。ですので、お邪魔しても?」

「そっかそっか!おう、いいぞ!」

「ありがとうございます」

「いやいいぞじゃねェよ!!」


あっさり了承した船長に真っ先にツッコミを入れたのは、狙撃手であるウソップだ。彼は突然に現れたエヴァを警戒しており、ルフィに近寄るとコソコソと注意を促している。だが、ルフィは不思議そうに首を傾げたと思うと、「エヴァはいい奴だぞ!」と笑った。


「こいつと、あとトラ……」

「トラファルガー」

「そう!そいつらが、おれの胸の傷治してくれたんだよ!だからエヴァは、おれの命の恩人だ!」


その言葉に、クルーたちは二年前の頂上決戦のことを思い出した。確かに今のルフィの胸には傷痕が残っており、どれだけ大きな傷を負っていたかがよくわかる。しかし、何故それをトラファルガー・ローとエヴァが治したのかという疑問が生まれた。どういうことだと困惑する面々に、ルフィは笑顔を崩さないまま話す。


「チョッパーにカ、カルタ?っての渡しただろ?あれエヴァが用意してくれたんだよ」

「正確には私と外科医さんですけどね。執刀医は彼で、私はあくまで助手……ナースとでも思ってください。あと、カルタではなくカルテです」


ルフィの言葉を訂正したエヴァは、一味の船医であるトニー・トニー・チョッパーへ視線を向けた。チョッパーは大袈裟に体を震わせながらエヴァを見上げており、彼女は頬を掻くと、そちらへ歩み寄り目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。


「カルテはお役に立ちましたか?必要な情報は全て記載したと思いますが……」

「え?あ、ああ……ちゃんと、全部載ってたよ……」

「それはよかった。もし説明が必要な箇所があれば教えてください。答えますので」


戸惑いながらに頷いたチョッパーを見て、エヴァは立ち上がった。クルーの警戒心はあまり解けておらず、どうしたものかと彼女は顎に手を置く。だが、そこにナミが声を上げた。


「私は、かまわないわよ。彼女が船に乗ること」


まさかの言葉にエヴァは目を丸くさせて、ナミを見つめた。それは他の面々も同じで、ウソップなんて信じられないと言いたげな顔をしている。


「彼女は二年前、オークションにかけられたケイミーを助けてくれようとしてた。それに、ルフィの命の恩人ってのも嘘じゃないと思う。ルフィがそんな嘘つくとは思えない」

「そういやァ、確かにあの時、このお嬢ちゃんはそんなこと言ってたな……」

「シャッキーさんも、彼女は民間人には手を出さない、と仰ってましたね」


フランキーとブルックは二年前の記憶を引っ張り出しながら、そういえばと思い出したように呟く。サイボーグと骸骨という異様な二人に思いがけない援護をもらい、エヴァは瞳を瞬かせてしまう。だがありがたいことだと思いながら、彼女は口を開いた。


「警戒するのは普通のことですから、こちらも信用しろと言いません。ですので監視をつけられても文句は言いませんし、あなた方の旅の邪魔をする気も毛頭ないので、航路や目的、優先事項等に口も挟みません」


船を手に入れるまでの間でかまわない。そう付け加えた彼女は、再度しばらく船に乗せてほしいと頭を下げた。彼らは互いの顔を見合わせながら、そうして皆は船長であるルフィに判断を仰ぐように視線を向けた。それに気付いたルフィは、笑顔を浮かべる。


「乗せよう!」

「ですよねー……」

「船長がこう言ってんだ。諦めろ」


やりとりを見つめていたエヴァは、一通り彼らの会話を聞いてから、よろしくお願いしますと声をかけた。数名は警戒心を宿した瞳を向けているし、数名は怯えたような顔をしている。そんな様子に、妥当な反応だろうとエヴァは内心呟く。


「じゃあ、話もまとまったことだし、魚人島の入口を探しましょ!ルフィ、スルメに頼んでくれる?」


スルメ?首を傾げたエヴァは、そういえば船と一緒に何かも落ちてきていたことを思い出す。そっと下を覗き見れば、いつぞや見たクラーケンが笑顔で船を抱えているものだから、エヴァは思わず固まってしまった。

いったいどんな経緯でこんなことになっているのか。エヴァが聞くべきか聞くまいか迷っていると、つい先程聞いた声が、クラーケンを怒鳴りつけた。一点に視線を向けたクラーケンはピシリと体を止めたと思うと、大慌てで船を投げ捨て、その場に縮こまった。


「誰だコイツら……!」


突如船に影がかかり、皆が頭上を見上げた。瞬間、数名の悲鳴が上がった。そこにいたのは海獣の群れであり、エヴァはスッと目を細めた。


「お前達、“麦わらの一味”だなァ……」


海麒麟の背に乗っている男が、船を見下ろしながら呟いた。それは先程エヴァにも声をかけ、そうして彼女の船を壊した男だ。


「かつて“アーロン一味”の野望を打ち砕いた海賊達……それで済めば答えは簡単だったが、よりによって二年前、元“アーロン一味”の幹部ハチさんを庇い……あの憎き“天竜人”をぶちのめしたとも聞いてる……!まるで我々の敬愛する『魚人島の英雄』“フィッシャー・タイガー”のように……」


ハモハモと独特な笑い声を上げたその男は、扱いに困るとしみじみ呟いた。そうしてふと、彼の目がエヴァへと向けられた。驚いたように瞳を丸くさせたその男は、彼女を凝視している。


「お前は、さっきの船の……どうやって逃げやがった?」

「それをあなたに教える必要性も、義理も感じません」


冷たく突っぱねたエヴァの態度に苛立ちを覚えた男であったが、しかし今は彼女はどうでもいいと、ルフィの方へ視線を移す。そして彼は、エヴァにしたものと同じ質問を麦わらの一味にも投げかけた。

それを聞いたナミは、即座にフランキーに燃料補給を頼んだ。彼女はルフィ達が彼の言葉を拒否するとわかっており、しかしこの海の中での戦闘に分が悪いことも理解しているからこそ、逃げの一手を選択したようだった。


「この船の空気を全部使って、“クー・ド・バースト”で魚人島に突っ込むの!」


“クー・ド・バースト”とは何なのか。エヴァは疑問に思いながらも口は挟まず、じっと成り行きを見守っている。


「さァ、おれ達の手下になるか!?“麦わらのルフィ”!」


鬼気迫るように目をカッと開き、鋭い牙を剥き出しにして、男は尋ねる。その言葉に、ルフィは笑顔を見せながら、大きく口を開いた。


「いやだね〜!バ〜カ!!」


無邪気なその言葉に、男は瞳孔を開く。そして大義名分を得たと言わんばかりに、悪どい笑みを浮かべていった。


「拒否、したな……?我々『新魚人海賊団』の勧誘を……!ならばお前達は“魚人の敵”、ただの“罪深き人間”だ!」


偉そうにペラペラと宣う男に、ルフィは舌を出して不快そうに言い返している。チョッパーは涙を流しながら怯えきり、逆撫でするなとルフィにしがみついていた。

男が海獅子を鋭く呼びかけると、獲物を狙うような目つきで、海獅子が大口を開けてその鋭い牙をサニー号へと向けた。


「このサニー号も“獅子”さ!いずれ決着ケリつけようぜ、海獅子!」


瞬間、船はロケットのような勢いで、その場から飛んだ。間一髪海獅子の牙を避けたサニー号は、魚人島へと一直線に向かっていく。だが大量の空気を消費したせいか、膨らんでいたシャボンはあっという間に縮んでいき、ルフィたちは強制的に芝とシャボンとに体を潰されそうになっていた。

サニー号が魚人島に突入したと思うと、コーティングは巨大なシャボンに一瞬で剥がされた。魚人島のシャボンは二重構造となっており、普通の船ならばこの空気層で落下を余儀なくされる。だが“クー・ド・バースト”のおかげで船は落下することなく、勢い殺さぬままもう一つのシャボンへ激突した。

どうにか魚人島内部に到達したが、しかし当然と言えば当然なのか。シャボンの向こうは海であった。麦わらの一味には能力者が四人おり、加えてエヴァも能力者。船にいた半分がカナヅチという状況で、また潮の流れも強く、仮に泳げても流れに逆らうことは困難であった。

エヴァは全身の力が抜けていくような脱力感に襲われながら、震える手で口を押さえる。ゴボ、と唇の隙間から吐き出る泡がぼやけはじめ、そうして彼女の意識は、完全に途絶えた。