エンドロールに笑顔で一礼
シャボンディ諸島付近の海上には、ハンコック率いる九蛇の船が停まっていた。
「ここまで送ってくださってありがとうございます。助かりました」
振り返ったエヴァは、ハンコックを見上げてお礼を告げる。彼女はその美しい顔(かんばせ)でエヴァを見下ろすと、フンと鼻を鳴らした。
「そなたはルフィの命の恩人じゃ。何より、ルフィたっての頼みでもある。故に、仕方なくじゃ」
「ええ、わかってます。それに、恩人はあなたもそうでしょう。あなたのおかげで、麦わらさんもとても助かったはずですから」
彼女が何気なく返した言葉に、冷めた表情を浮かべていたハンコックが、途端に頬を赤く染めたと思うと、照れたように頬に手を当てた。
「そ、そうか……?わらわは、る、ルフィの役に立っていたか……?」
「ええ。私もですが、麦わらさんも足がない身。仲間の方々へメッセージを伝えることができたのも、あなたがこうして船を出してくれたからに他ならないんですから」
エヴァたち、基ルフィたちは、数刻前までマリンフォードを訪れていた。戦争の傷跡を多く残しているその地は、現在街の復興のための作業員や、世界各地より集まる野次馬、そして各国の取材陣達など、民間人の出入りが多くなっていた。片や海では“白ひげ”の死により、触発された海賊達が次々に事件を起こしていることで、動ける海兵はそちらに人員が割かれていたのだ。
そのため手薄な警備を掻い潜り、ルフィ、ジンベエ、レイリーはマリンフォードに姿を表すと、軍艦を奪ってマリンフォードを一周した。これは「水葬の礼」と呼ばれる海における儀式に他ならない。
それだけでなく、ルフィは広場の西端にある“オックス・ベル”を「十六点鐘」し、広場に花束を投げ込むと堂々と黙祷を行った。その姿は取材陣に撮られており、記事はすぐにでも世界中に出回ることだろう。
この「十六点鐘」とは、年の終わりと始まりに鳴らすものである。去る年に感謝して八回、新しい年を祈り八回、締めて十六回鐘を鳴らすのが海兵のならわしとなっている。しかし今は時期外れであり、その鐘は“時代”の終わりの始まりの宣言とも言えた。
これこそが、ルフィから離れ離れになった仲間へのメッセージ。エヴァは部外者なためその辺りは詳しくは聞かない、と席を外していたためどのようなメッセージが込められているか知らないが、彼と苦楽を共にした仲間達ならば、その真意に気付くのだろうと、根拠のない確信は持っていた。
アマゾン・リリーを出るための船がないエヴァは、それに同行する形でシャボンディ諸島まで送り届けてもらったのだ。当初ハンコックは顔を顰めてはいたものの、ルフィの一声で船に乗る許可を出してくれた。男嫌いで有名な“海賊女帝”が、まさかルフィに恋をしているなど、きっと誰も思うまい。彼女とルフィとのやりとりを見ていたエヴァは、世の中わからないものだと、一人心の中で呟いたものである。
「当然じゃ!わらわは、ルフィのためならば、火の中だろうと水の中だろうと、どこへでも駆けつけると決めておる」
「……あなたのその綺麗な想いが、麦わらさんに、いつか届けばいいですね」
応援しますよ。そう告げたエヴァに、ハンコックは瞳をぱちくりと瞬かせたと思うと、彼女の手をがしりと掴んだ。心なし輝いているようなその表情に、エヴァは不思議そうに首を傾げる。
「こ、これは、もしや、『恋バナ』というものか?」
「……そう、なんですかね?」
「きっとそうじゃ!『恋バナ』をした者は友じゃと、わらわは聞いたぞ!そなたとわらわは『恋バナ』をした者同士……つまり、友じゃ!」
目が点になっているエヴァをよそに、ハンコックは嬉しそうに白い肌を高揚させている。色々突っ込みたいところはあるものの、こうも純粋な瞳でいられては否定するのも悪いし、機嫌を損ねるのも得策ではない。あれこれ考えたエヴァは、とりあえず同意するように頷いておいた。
ハンコックはより一層瞳を輝かせたと思うと、嬉しそうに微笑む。その顔は幼い少女のように無垢なもので、エヴァは驚いたように瞳を瞬かせた。
「そなた、エヴァと言ったな。友は助け合うものらしい。わらわとそなたは友。故に、何かあればわらわが助けてやろう」
「……ありがとうございます」
自慢げに笑うハンコックに、エヴァだけでなく後ろに控えていた彼女の妹達も、驚いたように顔を見合わせていた。ようやく離れたハンコックの手を数秒見つめた彼女は、世の中何が起こるかわからないものだと、改めて心の中で呟いた。
シャボンディ諸島までは行けないため、小舟でシャボンディまで行くことになっている。どうやらそちらの準備もできたようで、エヴァは再度ハンコックたちにお礼を伝えた。
「冥王さんは、しばらくはシャボンディ諸島へ戻られないんですよね?」
「ああ。ルフィくんの修行を見てあげねば」
「そうですか……でしたら、それが終わった後でいいので、コーティングを頼んでも?」
「かまわないが……いいのかい?あいにく時間がかかるが」
エヴァはまだ、“新世界”へ行く気はなかった。まだ前半の海にとどまり、時期を見て魚人島を目指すつもりであると伝えると、レイリーは納得したように頷いた。
「麦わらさんも、お気をつけて」
「おう、お前もな!ケガのことは、本当にありがとう」
「お気になさらず」
歯を見せて笑ったルフィを見つめたエヴァは、一度視線をそらし、再度彼を見つめなおすと、おずおずと口を開いた。
「一つ、いいですか?」
「ん?なんだ?」
「……あなたの、兄のことですが……」
「エースの?なんだ、知り合いか?」
彼の言葉に、エヴァは少し縁があったのだと、言葉を濁した。そうして一度深呼吸をして、彼女は口を開いた。
「――彼は、笑ってましたか?」
彼女の言葉に、ルフィは不思議そうに目を丸くさせた。だがすぐにニシシと笑い声を漏らすと、大きく頷いてみせた。
「ああ、笑ってた。最期の言葉、聞くか?」
「いいえ、大丈夫です。それが聞けたなら充分ですから」
眉を下げながら、青い瞳を柔らかくほぐし、エヴァは微笑んだ。その答えが知れたのだから、彼女には言葉なんて必要なかった。くるりと彼らに背を向けたエヴァは、ハンコックが用意した小舟に乗ると、一度彼らを見上げる。
「またなー!」
大きく手を振るルフィの笑顔に、エヴァは彼の兄の面影を見て、また笑った。手を振り返すことはせずに、彼女は遠目に見えるシャボンディ諸島に向かっていった。
「あのお嬢さんからは、どうにも懐かしさを感じるな……」
「知り合いか?」
「いいや。ただ、何故だか知人を彷彿とさせる」
懐かしむように呟いたレイリーは、それ以上は何も言わなかった。そのためジンベエも、それ以上を聞こうとはしなかった。ルフィは船が見えなくなるまで手を振り続け、エヴァを見送る。
「……あ」
不意に手を止めたルフィは、兄の言葉を思い出す。もう一度会いたかったというその人は、海のように綺麗な目をして、笑った顔が美人だと。
「……あいつの目、海みてェだったな」
ルフィのその呟きは、誰に拾われることもなく、風に流されていった。
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“偉大なる航路”の海上で、エヴァは部屋でイスに腰掛けながら、読書をしていた。波も穏やかなもので、船はゆっくりと海を漂っている。チラチラと瞬く星々を窓から一瞥し、彼女は息を吐いた。
読んでいた本に栞を挟んで閉じた彼女は、それをそばにあったテーブルに置いて、引き出しを開いた。中には、少し古びた一枚の新聞の一ページが入っている。
エヴァは、壊れ物に触れるような手つきで、そっとその紙を撫でると、不意に生み出した切り目の中から貝殻を一つ取り出し、耳に寄せる。
貝殻から聞こえた唄に、エヴァは耳を傾ける。少し不器用で、歌い慣れていないからか、所々トーンのずれた子守唄。彼女にとって、一番安心する声だった。
「……どうした。眠れないのか」
「……眠れないよ」
「眠れないのか?それとも、眠りたくないのか?」
「わからない……わからないよ」
両膝を抱え込み、額を膝につけたエヴァのか細い声が、部屋に落ちていった。