- ナノ -

暴れて、泣いて、そうして



エヴァがジンベエの話を聞いてから、二日ほど経った。彼女はぼんやりと空を見つめて、時折思い出したように海を見つめ、また空を見上げて。淡々とそれを繰り返していた。そんな彼女の様子をジンベエは気にかけていたが、声をかけることはしなかった。

そうして、どれだけ時間が経ったか。不意に潜水艦から音が聞こえはじめた。何かが暴れているのか、壁を殴るような音は徐々に大きくなっていき、そして、潜水艦の天井を突き破って、何かが跳んだ。

空いた穴からは慌てふためく声が溢れており、追いかけるように艦内から出てきたクルー達は、ローを見上げて大騒ぎしながら上空を指差した。


「む、麦わらが目を覚ましました!」


指差された方向には、確かにルフィの姿があった。まだ包帯だらけのその体で着地した彼は、大声でエースを呼びながら暴れ出し、見るもの見るもの破壊しながら、島の中へと走っていってしまう。

そんなルフィを、ハートのクルー達が総出で追いかけていく。しかし彼を取り押さえることはできず、ルフィは激しい破壊音と慟哭と共に、足を動かしていった。


「アレを放っといたら、どうなるんじゃ……」


岩場に腰掛けたまま、ジンベエは尋ねた。ローはルフィの向かっていった方向を一度振り返ると、ジンベエの方へ視線だけを動かす。


「まあ、単純な話……傷口が開いたら、今度は死ぬかもな」


冷静な声音で返された言葉に、ジンベエは眉を寄せた。

ただでさえルフィの体は酷使され続けており、とうに限界を越えていた状態であった。治療だって、少しでも遅かったら危うかったようなギリギリのところだったのだ。今は血も止まり、傷口もどうにか閉じたとはいえ、あれだけ激しく動けば傷口が開くのも時間の問題だろう。

今ルフィに必要なのは絶対安静だ。しかし、目覚めた彼はマリンフォードでの出来事を受け入れることが、未だにできていない。故にエースを探し、彼がいないという現実に抗うように暴れだしたのだろう。

ルフィの声が響いてくるジャングルの中を見つめたジンベエは、少しばかり険しい顔で立ち上がると、少し体をふらつかせつつも歩きだした。


「……あまり、無茶はなさらないよう。あなたの傷も軽いものではないんですから」

「ああ、善処しよう」


陣の外へと出ていくジンベエの背を見つめた彼女は、目を伏せて一つ息を吐いた。

ハンコック達から陣の向こうには出るな――女性であるエヴァは一応のところ、その対象ではないが――と言われているが、こればっかりは仕方のないことだろう。流石にあんなルフィを止めれるほどの力をエヴァは持っていないし、それに彼女はあの戦場にいたわけではない。エースの死を直で見たわけではない。そもそも、ルフィほど深い関係であったわけでもないのだ。心中を理解できやしないのだから、ただ大人しくしていることしかできない。

ひとまずハンコックに連絡を入れるべきだろうと、エヴァは預かっていた電伝虫にてルフィが目を覚ましたことを報告した。


「ジンベエとあいつ、どこ行ったんだろうな……」

「さぁ、知らねェ。陣の向こうを出るなって、女帝達に言われてんのにな……大丈夫なのかよ」


クルー達はルフィの様子を心配しつつも、しかし夢の女人国にいるという状況に、少しばかり舞い上がってもいるようだった。賑やかで楽しそうな話を背に、エヴァは微かに聞こえる破壊音に耳を澄ます。

兄を探し求めるその声は、十数年前の自分によく似ていると、エヴァは過去に思考を飛ばした。“東の海”のとある島に打ち上げられた日は、今でも鮮明に思い出せる。

あの日、あの瞬間ほど、絶望したことはない。二十八年という人生で、あれ以上の苦しみを味わうことはないだろうとエヴァは確信していた。それくらい、ショックであったのだ。













島から聞こえていた破壊音がなくなって少し。突然、大型の海王類の断末魔が聞こえたと思うと、大きな水飛沫が上がった。ハートのクルー達がざわついているなか、潜水艦の側から人影が現れた。


「いやあ、まいった……」


水音を上げて海面に上がってきたその男は、上着片手に鍛え上げられた体躯を惜しみなく見せながら、岩場に乗り上げる。そうしてローとエヴァたちを見て、瞳をぱちりと瞬かせた。


「おお、キミ達か……シャボンディ諸島で会ったな」

「め、“冥王”レイリー!?」


誰かが驚愕の声を上げた。たった今女ヶ島に降り立ったのは、ロジャーの右腕、レイリーその人。彼は船でここまで向かっていたようだが、嵐で船を壊されてしまい、仕方なくその身一つで女ヶ島まで来たのだと軽い調子で話した。しかし、“凪の帯”には嵐など起きやしない。つまり、彼は“凪の帯”に入る前から、泳いでここまで来たということになる。しかも、先程海王類と喧嘩したのも彼だと言うのだから、流石は伝説かと、エヴァは彼の驚異的な身体能力に冷や汗を垂らした。

レイリーはなんてことないように笑い、上着を絞っている。ハンコックの登場にさえ顔色一つ変えなかったローでさえ、その事実には言いようのない表情を浮かべていた。


「あァ、そうそう……ルフィくんがこの島にいると推測したのだが」


その言葉に、辺りに緊張が走った。クルー達は素直に肯定してもいいのかと、判断を仰ぐようにローの方を見る。しかしその反応は既に答えを言っているも同じであった。


「……麦わら屋なら目を覚ました。しばらく暴れ回ってたが、もう落ち着いてる」

「そうか、それならよかった。キミ達、彼を助けてくれたんだろう?ありがとう、感謝するよ」

「医者として、死にそうな患者を診ただけだ」


その答えに笑い声を上げたレイリーを見つめ、ローは立ち上がって船を出すことをクルー達に告げた。その言葉に、彼らはやいのやいのと野次を飛ばしている。皆、やはり女人国が気になるのだ。


「うるせェ。出るのが嫌ならここにいろ。一生を石で過ごすことになっても知らねェがな」


ピシャリと一蹴して、ローは手にしていた麦わら帽子をレイリーへと渡した。彼はその帽子を懐かしげに見つめて、ローへと笑みを向けた。


「麦わら屋は二週間は絶対安静だ。傷口開いたら死ぬとも伝えておけ」

「ああ。世話になったな、ありがとう」


潜水艦へ降りたローは、中へ入る前に立ち止まり、エヴァの方を見上げた。


「魔弾屋、お前はどうする」

「……私は、もう少しここにいます」


エヴァはマリンフォードまで同行させてくれたことにお礼を伝え、一度ジャングルの方を振り返った。


「私からも、状態の説明はしておきましょう。彼のところの船医さんのためにも、カルテも渡しておいた方がいいでしょうし……そうでしょう、ドクター」


ナイフで切った切れ目からファイルを取り出した彼女に、ローはフッと鼻で笑うと、艦内へ入っていった。クルー達は名残り惜しさを感じつつも置いていかれるのは嫌なのか、慌てて潜水艦へ乗り込んでいく。最後に入ったベポはエヴァに手を振って、扉をパタンと閉めた。

ものの数秒もすれば潜水艦は海の中へと潜っていき、すぐに影さえ見えなくなっていった。エヴァはしばし海面を見つめて、ファイルを持ったまま岩場に腰掛けた。


「キミも医者かい?」

「医療に携わった身であるのは確かです。今回の執刀医は先程の彼ですが、私もオペに参加しましたので説明は行えます」


申し送りは基本中の基本。ルフィの船の医者はこの場にいないとは言え、今回の傷は緊急オペを必要とするほどに深刻なものだ。せめてカルテだけでも船医の手に渡った方がいいだろうと、エヴァはローと共に手書きでカルテを用意していた。ケガの状態、手術内容や投与した薬品などなど、事細かに記されている。

ファイルに見落としがないか、エヴァが一枚一枚確認するように文字を追うこと十数分。ジャングルから、ジンベエに背負われたルフィが戻ってきた。目が覚めた時のような荒れ具合はなく、大人しくジンベエの背中に乗る姿に、エヴァは心の中で安堵した。

ルフィはレイリーがいることに驚きの声を上げており、散り散りになってしまった仲間について尋ねている。レイリーは元気そうなルフィに明るく笑っており、それを見つめながら、ジンベエは一人、驚きから彼の存在に身を震わせていた。


「ホラ、大切な帽子だろう」

「ああ……ありがとう」


大きな背中から降りたルフィは、帽子を受け取ると、それをしっかりと被る。ジンベエは困惑しつつも辺りを見回して、ローたちについて尋ねた。


「トラファルガー・ローなら、今船を出したぞ。どうやら、そちらのお嬢さんと彼に救われたようだな」


ルフィの視線が、ここで初めてエヴァへ向いた。彼は数回瞬きをしたと思うと、思い出したように声を上げる。


「お前確か、シャボンディの!」

「お久しぶりです麦わらさん」

「おれを助けてくれたんだってな、ありがとう!」

「いえ……お礼なら外科医さん……トラファルガーの方に」


カルテから顔を上げた彼女は、ルフィの体を頭から爪先までじっくりと見つめる。拳に血が滲んではいるが、胸元の傷は開いていないことに安心しながら、エヴァはパタンとファイルを閉じた。


「あなたのその傷、痕は残ります。確実に。ですが無茶さえしなければ傷は塞がりますのでご安心を。ドクターは、二週間は安静にしておけ、もし次傷が開けば死ぬ、と言ってましたよ。私も同意見です」


簡単に説明をしたエヴァは、指先でファイルを二回ほど叩くと、「これは、あなたの船の船医さんに」と伝えた。


「チョッパーに?なんだそれ」

「あなたのカルテです。あった方がいいでしょうから、再会した時にでも渡してあげてください」


立ち上がったエヴァはルフィへ歩み寄ると、ファイルを差し出した。それを見つめた彼は、パッと笑ってお礼を言いながら、ファイルをしっかりと受け取った。


「そういえば、キミはこれからどうするんだい?キミの船は、シャボンディ諸島だろう?」


しばし黙ったエヴァはジャングルの方を見つめて、顎に手を置いた。


「勝手に木を借りて小舟を作っても、許してもらえますかね?」

「ハハッ、それは難しそうだ」

「……ですよね」


肩を竦めながら、エヴァはため息を吐いた。