- ナノ -

もうキミが先を歩く番だ



スクアードとそのクルー達を乗せ、パドルで陸を走っていた巨大な船を片手で止めた白ひげは、息も絶え絶えになりながらも、自身の息子達に最期の“船長命令”を告げた。

犠牲を払いながらもエースを取り戻したルフィ達は、あとは無事にマリンフォードから逃げるだけであった。そんな中での白ひげの「最期の船長命令」という言葉に、彼の息子達は足を止め、追い縋るように白ひげの背を見つめながら、口々に声を上げる。

だが、そんな彼らの言葉を一蹴するように、白ひげは叫んだ。


「お前らとおれはここで別れる!全員!必ず生きて!無事“新世界”へ帰還しろ!!」


普通ならばとっくに倒れてるだろう体の状態でありながらも堂々と二本の足で立っているのは、“四皇”とされる強さであり、強靭な精神力でもあるのだろう。


「おれァ時代の残党だ……!新時代におれの乗り込む船はねェ……!行けェ!野郎共ォ!!」


その言葉と共に、白ひげは大気に強烈な一撃を撃ち込む。ピシリとヒビ割れる音が響き、容易に要塞の壁に亀裂を走らせる。彼はセンゴクを見上げると、不敵に笑った。


「随分長く旅をした……決着ケリをつけようぜ……海軍!」


エースを助けた今、彼に気遣う必要もなくなったことで、本気でマリンフォードを島ごと潰してしまう気なのだろう。白ひげの能力を持ってすれば、それも決して不可能なことではない。自身の寿命を自分で理解しているからこそ、彼は己の命と共に「海軍」という敵を、その本拠地を、海に沈めようとしていた。

泣きながらも父の意を汲みとろうと、海賊達が白ひげに背を向けて、船に向かって走りだした。ルフィもまた、一刻も早くマリンフォードを脱出しようと、立ち止まったままのエースに呼びかけた。

だがエースは、炎で周囲の海兵を退けると、白ひげの方を向き、膝をついて頭を下げた。


「……言葉はいらねェぞ…………一つ聞かせろ、エース……おれが、親父でよかったか……?」

「もちろんだ……!!」


エースの返答に、白ひげは心底嬉しそうに笑い声を上げた。エースはギュッと唇を噛み締め、後ろ髪を引かれながらもルフィのもとまで戻った。二人は特に海軍から狙われているために、ジンベエが彼らを守るようにそばへ駆け寄る。そんな彼の瞳にもまた、涙が浮かんでいた。

真っ先に船のある場所へ辿り着いた者達が軍艦を一隻奪い取り、皆それに向かって走っていく。そんな者達を逃すまいと、サカズキのマグマの拳が襲いかかる。


「エースを解放して即退散とは……とんだ腰抜けの集まりじゃのう、白ひげ海賊団……船長が船長……それも仕方ねェか……!“白ひげ”は所詮、先の時代の“敗北者”じゃけェ……!」


ピタリと、エースの足が止まった。怒りで肩を震わせながら、荒い呼吸を吐き出して、彼はグッと拳を握りしめる。


「敗北者……?」


眉間にしわを寄せ、剣呑な目つきで睨み上げながら、エースは背後にいたサカズキを振り返った。


「取り消せよ……!今の言葉……!」


立ち止まったエースを見て、仲間達は焦りを滲ませながら彼を呼んでいる。中には彼をその場から連れ出そうと腕を引っ張る者もいるが、それを振り払ったエースは、ギリギリと歯を鳴らした。


「お前の本当の父親、ロジャーに阻まれ、『王』になれず終いの永遠の敗北者が“白ひげ”じゃァ。どこに間違いがある……!」


向かい合うように対峙したエースを見つめ、グツグツとマグマを煮詰ませながら、サカズキは言葉を続けた。エースを挑発するように、白ひげを馬鹿にするような言葉の数々を連ねるサカズキに、エースの怒りはどんどんと膨れ上がっていく。


「オヤジはおれ達に生き場所をくれたんだ!お前にオヤジの偉大さの何がわかる!!」

「人間は正しくなけりゃあ生きる価値無し!お前ら海賊に生き場所はいらん!!」


エースの体から、彼の怒りを体現するように炎が燃え上がっていく。同様にサカズキの体からも、マグマが溢れ出ている。その熱量に誰も近寄ることができない。エースの耳には、仲間達の制止の声も、もはや聞こえていなかった。


「“白ひげ”は敗北者として死ぬ!ゴミ山の大将にゃあ誂え向きじゃろうが!!」

「“白ひげ”はこの時代を作った大海賊だ!この時代の名が“白ひげ”だァ!!」


轟くような爆音を上げ、両者の拳がぶつかり合ったと思うと、エースが呻き声を上げた。彼の左手がマグマで焼かれたのだ。たとえ体が炎であったとしても、それをも焼き尽くすマグマ相手では、軍配がどちらに上がるかは明白だった。

倒れ込んだエースに駆け寄ろうとするルフィだったが、既に体が限界を迎えているのだろう。膝がガクンと曲がり、その場に座り込んでしまう。その拍子に、エースのビブルカードが地面に落ちていく。


「“海賊王”ゴールド・ロジャー、“革命家”ドラゴン!この二人の息子達が義兄弟とは恐れ入ったわい……貴様らの血筋は既に“大罪”だ!誰を取り逃がそうが、貴様ら兄弟だけは絶対に逃がさん!!」


エースを射抜いていた瞳が、スッと横に向けられる。その動きに、サカズキが何をしようとしているのか、彼の視線の先に誰がいるのか、エースはすぐに勘付いて表情を強張らせた。


「ルフィ!!」


マグマの拳が、弟であるルフィへと向けられ、今にも焼き殺さんとしている。ルフィは立つこともままならないほどの満身創痍で、目前に迫る拳を避けられそうになかった。


「え……?」


誰もが目を見開き、顔を青ざめさせ、その場から動けなくなった。呆然とした表情を浮かべて、何が起こっているのか理解できていないような無垢な瞳で、ルフィは自身の視界に広がる光景を見つめる。

自分に届くはずであった拳は、当たることはなかった。その代わり、己の兄の体を、その手は突き破っていた。

エースの口から血が吐き出され、それに呼応するかのように、地面に落ちたビブルカードが燃えて、面積を小さくしていく。


「エースがやられたァ!!赤犬を止めろォ!!」


止まっていた時が動きだした。例えるならば阿鼻叫喚か。白ひげ海賊団やその傘下達は、今し方エースの腹部を貫いたサカズキに砲撃していく。しかし“自然”の能力者には、銃弾どころか大砲だって意味をなさない。サカズキは攻撃など意にも介さず、エースにとどめを刺そうとしていた。それを、ジンベエが間に割って入り、エースへの追撃を止める。


「つまらん時間稼ぎはよせ、ジンベエ。元七武海だ。わしの力は充分に知っとろうが……」

「この身を削って……時間稼ぎになるなら結構……!もとより命など、くれてやるハラじゃい!」


サカズキの標的が一旦ジンベエと移った瞬間、ビスタとマルコが飛んできた。どちらも怒りをその顔に宿しており、サカズキを見る瞳には憎悪にも似た感情が揺らいでいる。

喧騒が辺りを包んでいるなか、力無く倒れ込んだエースは、囁くような声で、ごめんなと呟いた。それを受け止めたルフィは、自身の手のひらを埋め尽くす夥しい量の血液に息を呑む。


「エース、急いで手当て……」

「ちゃんと助けてもらえなくてよ…………すまなかった……」


息も絶え絶えな彼の様子に、ルフィは震え声を必死に抑えながら、エースを助けてくれと叫んだ。しかし、その場に駆けつけた船医を止めたのは、他でもないエース本人だった。既に内臓を焼かれた身である以上、もう助からないと自分で理解できていたのだ。そのため無意味なことはする必要はないと、彼はやんわりと断った。


「聞けよ、ルフィ……」

「何言ってんだエース……死ぬのか……?約束したじゃねェかよ……!お前絶対死なねェって……!言ったじゃねェかよォ、エース!!」


涙を丸い瞳に溜めながら、ルフィは駄々をこねる子供のように叫ぶ。その必死さと悲痛さが、あまりにも痛々しく響いた。


「……そうだな……サボの件と……お前みてェな世話のやける弟がいなきゃ……おれは、生きようとも……思わなかった……」


自分の命を誰も望んでいない。だからそれも仕方のないことであるのだと、彼はずっと感じていた。しかしそれを素直に受け入れることができるほど大人ではなかったし、そうでなくとも、許容してしまえば、屈したかのようで嫌だった。少しの弱さも見せることなどできなかった。

故に彼は、相対した敵に背を見せることはしなかった。それは一種の「死にたがり」であったのかもしれない。周囲の言葉を否定し続けながらも、自分が死んだところでという思いは彼の胸のどこかに置かれていた。それでも、出会えた兄弟のおかげで、エースは少しずつ生きる希望のようなものを見出せていた。それは、己の転機であり、奇跡のようなものであったと、彼は今になって思う。


「そうだ、お前、いつかダダンに会ったら……よろしく言っといてくれよ……何だか……死ぬとわかったら……あんな奴でも懐かしい……」


徐々に冷えていくエースの体に、ルフィは恐怖を覚えていくようだった。手の震えが少しずつ広がり、腕全体が震えていくが、それを止められそうになかった。


「ああ、そういやァ……もう一回だけ、会いたかった奴が、いたんだ……海みてェに、綺麗な目ェした奴でさ……笑った顔が美人なんだぜ……」


軽く笑ったエースは、かつて出会った人物を脳裏に思い浮かべた。それはたった数日間であったが、しかし彼の中でも強く印象に残っていた。この世界は生き辛いと諦めたように言ったその横顔は、忘れられそうになかった。「寂しくなどない」と本人は言ったが、けれどもエースにはそうは見えなかった。置いていかれた子供のようなその瞳に、何故だか自分が泣きそうになったのを、彼はよく覚えている。

だが、それよりも何よりも、自分の名前を呼んで笑ったその顔が、強く心に残っている。少し照れくさそうに眉を下げて、その青い瞳が柔らかくほぐされた表情が、きっと好きだった。


「もしそいつに、会うことがあったなら……おれの代わりに、謝っといて、くれねェか……一方的な、約束だったが……おれは、守れなくなっちまった……だから、頼むよ……」


そう昔のことでもないというのに、なんだかとても懐かしいようで。自分が“海賊王”の息子だと知ったなら、彼女も自分を嫌うのだろうか。ふとそんなことを考えながら、エースはルフィに一つお願いをすると、心残りがあることを呟いた。


「お前の――“夢の果て”を見れねえことだ……だけどお前なら、必ずやれる……!おれの弟だ……!昔、誓い合った通り……おれの人生には……悔いはない……!」

「ウソだ!ウソつけ!!」


嘘じゃない。そう否定したエースは、自分が本当に欲していたものが、“名声”ではなかったのだと続けた。


「おれは“生まれてきてもよかったのか”……欲しかったのは、その答えだった」


限界が近いのだろう。エースは、もう大声を出すこともできなくなっていた。しかし、みんなにどうしても伝えたい言葉をルフィに託そうと、彼の耳元で囁いた。


「オヤジ……!みんな……!そして、ルフィ……今日まで、こんなどうしようもねェおれを……鬼の血を引く、このおれを……愛してくれて……ありがとう!!」


両の瞳から涙を流し、口角を下げて表情を歪めていたエースだったが、ゆっくりと笑みを浮かべる。そうして体の力が抜けていくようにルフィの腕からずるりと落ちていった。


「エース……?」


ルフィが小さく呼びかけるが、エースは穏やかな笑みを浮かべたまま、何も答えてくれない。いつだって、名前を呼べば振り返ってくれた彼が、もう自分の方へ顔を向けてくれることもない。その事実をゆっくりと認識していったルフィは、声にならぬ声で叫び声を上げた。

精神的なショックが、あまりにも大きすぎたのだ。ただでさえ限界を迎えていた体を無理矢理に酷使してきた中で、精神が音を立てて一気に崩れていく。人間は「百発鞭を打つ」と宣言されて鞭を打たれ続けると、百に到達する前に死ぬという。それだけ、精神というものは人の生死に関わる重要なものであった。

白目を剥いて、ガクガクと体を震わせ、そのまま気絶したルフィを仕留めんと、即座にサカズキが動きだす。だがそんな彼の腕を止めたマルコは、ジンベエにルフィを連れて逃げるように叫んだ。


「その命こそ……!生けるエースの“意志”だ!」


エースの代わりに、彼を必ず守り抜く。そう宣言したマルコの言葉に、白ひげ海賊団の皆が同じ気持ちであった。

マルコを筆頭に海賊達がサカズキを止めようと立ち塞がるなか、そんなサカズキの背後から、白ひげが姿を見せた。彼がその拳をサカズキに叩き込めば、その衝撃で地面が割れた。白ひげが怒っている。その事実に気付いた海賊達は、巻き込まれまいとその場から避難していく。

自身を殴りつけた白ひげを忌々しげに睨みつけたサカズキは、彼の頭部の半分をマグマで吹き飛ばした。だが、まるで効いてないとでも言いたげに、彼はサカズキの体を大気と共に殴り飛ばす。途端、震動で本部要塞が崩壊していった。

地面が割れていき、その場にいた海兵達が、崖へと真っ逆さまに落ちていく。気付けば、広場は真っ二つに裂けていた白ひげと海軍を残し、海賊達は向こう岸へと分断されたのだ。

エースの死や、白ひげを置いていくことに涙を流して立ち止まる仲間に叱咤を飛ばしながら、海賊達は船に向かって駆けていく。湾頭に動く船をつけていき、多くの海賊が船へと乗り込んでいくなか、白ひげは一人、海軍と戦っていた。


「おい……アレ……何だありゃァ!」

「本部要塞の陰に何かいるぞォ!」


そんな折、一人の海兵が要塞の陰に隠れるように立っていた、巨大な何かに気付いた。たちまち、皆の視線がそちらへと向けられる。そうして、処刑台の上に立っている者達の存在にも気付いた。


「貴様らが!いったいどうやってここに!?」


驚愕するセンゴクとは対照的に、そこに立つ者達を見て、ドフラミンゴは愉快そうに笑い声を上げた。白ひげの瞳はそちらへと向かうと、彼はスッと目を細め、睨むように彼らを見上げた。


「久しいな!死に目に会えそうでよかったぜ、オヤジィ!!」

「ティーチ……!!」


そこにいたのは、かつて白ひげ海賊団に籍を置いていたマーシャル・D・ティーチ率いる、“黒ひげ海賊団”だった。