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逆さの正義に反吐が出る



二十はありそうなくまの姿に、島民も驚きを隠せない。エヴァは横並びのくま達の姿を見て、シャボンディ諸島で出会ったくまを思い出した。

突如現れたくま達は、海軍の軍艦諸共攻撃を仕掛けていく。味方であるはずの軍艦や兵士達の犠牲も厭わないその様子に、エヴァはしばし顔を歪めた。

だが、そんな折。三面ある内の両サイドの映像がブツッ、と音を立てて消えた。映像電伝虫が争いに巻き込まれたのか、それとも意図的なものか。エースの処刑を時間よりも早めようとしていた辺り、恐らくは後者の理由だろうと考えながら、エヴァは何故か残っている真ん中の画面は見つめた。

すると、突然に実況中継のような声が聞こえ、戦場が映し出された。


『あー!あそこに見えるのはー!』


映っているのは、インペルダウンの囚人達と、海兵や海賊の亡骸が転がっている光景だ。そんな中聞こえてきた声は、恐らく囚人の誰かだろう。


『あれは!今までその正体を隠していたが、“海賊王”ゴールド・ロジャーの船に乗っていた“伝説のクルー”のその一人!大海賊!“道化のバギー”船長では!?』


そんなわざとらしい声と共に、土煙の中に一人の男の後ろ姿が映される。いったい何が始まったのだと困惑する皆をよそに、男が振り返った。


『確かにそれは、おれだが?』


画面にドンと映し出されたのは、真っ赤な鼻が特徴的な男。歯は一本抜けており、鼻血も垂れていて、どうにも格好がつかない。それを囚人達も指摘しており、顔を拭いてもう一回だと小声で声をかけているが、映像電伝虫はしっかりと声を拾っている。

そしてもう一度、わざとらしい声で――今度は「赤髪の兄弟分」という言葉が付け加えられている――呼びかけられ、男がまた振り向いた。今度は鼻血は綺麗に拭き取られており、汚れていた顔もいくらか綺麗になっていた。

映像が切れたと思ったら始まった茶番に、皆「エースを映せ」「くまの軍団を映せ」と野次を飛ばす。だが当然ながらバギーには聞こえるはずもなく、爆撃音と共に彼らの茶番は続いていた。

しかし、その茶番はものの数分後に終わった。画面に映っていたバギーの後方に、モビー・ディック号が映っていた。そこには白ひげと、その傘下のスクアードの姿がある。何かを話している中、スクアードが不意に白ひげを振り返り、そして――。


「“白ひげ”が……刺された……!?」


スクアードの刀が、白ひげに刺さっていた。突然の行動に誰もが目を疑い、悲鳴を上げ、何が起こっているのかと困惑が広がっていく。


『こんな茶番劇やめちまえよ“白ひげ”!!』


“白ひげ”は傘下の海賊の首を売り、その引き換えに白ひげ海賊団とエースの命は助かるように海軍と話をつけているのだと、スクアードは涙と怒りを混ぜながら叫んだ。“白ひげ”にとってエースは特別で、次期“海賊王”にしたいと思っているから、自分達を売ったのだろうと、スクアードは責め立てている。


『エースのため、白ひげのためと命を投げ出しここまでついてきて……よく見ろよ!海軍の標的になってんのは、現に!おれ達じゃねェか!!』


スクアードの言葉は、戦場だけでなくモニターの前に集まる人々にも動揺を呼んだ。あの“白ひげ”が仲間を売った。その言葉は信じられないような出来事で、しかし確かに標的になっているのは、傘下の海賊団ばかりなのも事実であった。


「この戦争は仕組まれてたのか!?」

「今までの戦いはなんだったんだ……?勝負はつかねェってことなのか!?」


至るところから野次が飛ぶなか、ついに全ての映像の通信が切れた。画面が真っ暗になり、マリンフォードが現在どうなっているのか、現地にいるものしかわからない。

意図的に映像を切った。先のスクアードの言葉を聞き、エヴァはそれを確信した。

“白ひげ”が仲間を売ったかどうか。そんなの、考えなくとも答えはわかることだ。しかしスクアードは過去ロジャーに仲間を全滅させられ、彼はロジャーに恨みを持っている。それを海軍側が利用したのだろう。部下を見逃してやる、とでも言われたに違いない。

マリンフォードに来た札付きの人間を、果たして海軍が見逃すだろうか。答えは否だ。恐らく内部分裂を図り、これで“白ひげ”が討てたなら海軍側の労力は削減でき、多くの海賊を一斉に捕縛もできる。

胸糞悪い。ただ率直に、エヴァはそう感じながら、彼女はエースから貰った紙切れ――ビブルカードを取り出した。ビブルカードは別名を「命の紙」とも呼ばれ、持ち主の生命力を示す。エースのビブルカードは貰ったときよりも小さくなっており、危険な状態であることは見てとれた。

真っ暗な映像になど用はないと、エヴァは踵を返して船へと向かう。これからどうするのか、そんなのわからない。けれど彼女は今、あの戦場に向かいたいと思っていた。行って何をするのか、そもそも行く術などあるのか。そんなの考えることもなく、ただ本能に従うがままに船へ走った。

真っ当で純粋な正義を、善を持てとは言いやしない。しかし、“世間”に大っぴらに見せることのできない正義とは果たしてなんだ。味方でさえ簡単に切り捨てる正義とは、いったいなんだ。海賊を“悪”であると断定するならば、自分達が絶対の“善”と名乗るのならば、それに相応しき行動をするべきではないのか。自分達の言動を棚に上げ、正義という名を掲げれば、何をしても許されると言うのか。

エヴァはもとより、海軍や政府を信用していたわけではない。彼女にとって彼らは敵であり、脅威であり、その逆もまた同じだろう。どちらかと言えば嫌いな部類にさえ入ってくるような組織だ。それがこの戦争を目の当たりにして、より一層嫌悪が増していくようだった。


「船を出すぞ、ベポ!」


たくさんの船が停まっている湾岸に到着したエヴァが自身の船に乗り込もうとしていた最中、聞こえた声に彼女は視線を声のした方へ向ける。白いくまや帽子を被る男二人、そしてつい先日まで天竜人の奴隷だっただろう大きな男を連れて、細身の背の高い男が足早に歩いてきていた。彼らは黄色い船体をした潜水艦に足を向け、乗り込んでいる。


「待ってください!」


衝動的なものだった。潜水艦に乗り込む彼らに、エヴァが叫んだのは。彼らのもとに駆け寄った彼女は、肩を上下に揺らして呼吸をしながら、待ってください、ともう一度こぼした。


「何の用だ、魔弾屋。おれは急いでる」

「あなたの船に乗せてください」

「……どういう了見だ?」


訝しげに、真意を探るようにエヴァを見たのは、潜水艦の主であり、“ハートの海賊団”船長、トラファルガー・ローその人。彼は片眉を上げて、隈のある瞳でエヴァを見下ろしている。


「マリンフォードに、行きたいんです」

「へえ……あんな戦場に向かおうとは、随分と命知らずだな」

「あなたも、今から、マリンフォードに行くんじゃないですか?」


ピクリと、ローの眉が反応した。だが彼は表情を変えることなく、何を根拠にと鼻で笑う。


「勘です」


ハッキリとそう言ったエヴァに、ローは僅かに目を見開くと、今度は口角を上げた。しかしその表情は馬鹿にしている風なそれだ。その反応に顔を顰めることも、怒ることもなく、エヴァは「“北の海”で」と続けた。


「若者や子供を攫って、奴隷として売り捌く海賊達がいました。ですが、別の海賊団に壊滅させられてます。攫われた人達が海軍に保護された時、彼らがケガ一つなかったと聞いてます。助けてくれた海賊の船長が、ケガ人の処置をしてくれた。そう新聞には書かれてました」

「……それがどうした」

「壊滅させたのは、“ハートの海賊団”。あなた達ですよね」

「ああ。まさか、攫われた奴らを助けたおれらを、ヒーローかなんかと思ってんのか?」


不愉快そうな表情のローに、エヴァはそうではないと首を横に振った。彼女は何も、彼らをお人好しとは思っていないし、ヒーローだとも思っていない。そんなことを考えたことは一度もなかった。ただ、彼らは無作為に敵意を向けない。新聞に度々載っては世間を騒がせ、ついた異名は“死の外科医”と物騒なものではあるが、しかし、エヴァは知っている。“ハートの海賊団”が紙面を飾るときはいつだって、民間人には被害がないことを。


「あなた達を善良だとは思っていません。ですが、少なからず、血が通った心のある人達だとは思ってます。物騒な異名ではあるものの、あなたは医者を名乗るなら、患者を放ってはおけないのでは?」


そう言うと、エヴァは深々と頭を下げて船に乗せてくれと懇願した。


「私は一人で航海してきた身。私の船では、船長も航海士もコックも船大工も、もちろん船医も私しかいない。ですのであなたほどではないかもしれませんが、医療に関する知識と技術はあります。足手纏いにはなりません。自分の身も自分で守ります」


顔を上げないまま、縋るように自身に頼み込むエヴァを見つめながら、何故あの場に行きたいのかと、ローは尋ねた。その言葉に、彼女はゆっくりと顔を上げた。


「私の『世界』が壊れた日、私は何もできなかった。だからこそ、行動を起こした麦わらさんが死ぬのは惜しい。人は何れ死ぬけれど、彼の死に場所は、きっとあの場じゃない」


まっすぐで、芯が通った声で、エヴァはローに告げた。彼は数秒彼女を見つめていたが、顔を背けて艦内へ入ろうと扉を開ける。

やはり、仲間でもなんでもない、敵も同然の海賊を船には乗せないか。最初からダメ元だったのだから、残念がる必要はない。そもそも、今そんな暇はない。どうにかマリンフォードへ向かう手立てを考えなくては。エヴァが思考を回していれば、ローがくるりと振り返った。


「早く乗れ。置いてくぞ」


端的に告げられた言葉に、エヴァは瞳をぱちりと瞬かせた。驚いているのは彼女だけではなく、彼のクルーも同様だ。


「え、乗せるんですか!?」

「文句あるのか?」

「そういうわけじゃないですけど……」

「だったらウダウダ言ってねェで早く入れ。時間の無駄だ」


冷たく告げて中へ入っていったローを追うように、キャスケット帽を被った男と、額に「PENGUIN」と書かれた帽子を被った男はも艦内へ入っていった。呆然としていたエヴァだったが、すぐに我に返り、お礼を伝えて彼の船に乗り込んだ。