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息をすることも許されない



シャボンディ諸島では、海軍本部が置かれているマリンフォードの様子が三面の大画面で中継されていた。世界各地より召集された名のある海兵、総勢約十万人の精鋭が、にじり寄る決戦の刻を待っている。

三日月の形をした湾頭及び島全体を五十隻もの軍艦が取り囲み、湾岸には無数の銃砲を立ち並べ港から見える軍隊の最前列に構えているのは戦局の鍵を握る、「王下七武海」であるボア・ハンコック、ジュラキュール・ミホーク、ドンキホーテ・ドフラミンゴ、ゲッコー・モリア、バーソロミュー・くまの五名。

広場の最後尾に高く聳える処刑台には、既にエースの姿があった。その眼下で処刑台を堅く守るのは、海軍本部の「最高戦力」である三人の海軍大将、“青キジ”ことクザン、“赤犬”ことサカズキ、“黄猿”ことボルサリーノ。考え得る限りの最大戦力が、マリンフォードに集結していた。

処刑の時間まで残り三時間を切ったが、未だ“白ひげ”の目撃情報は皆無。マリンフォードに走る緊張が高まっていくなか、中継に映された処刑台に、エースが姿を見せた。膝をついて座る彼は、項垂れるように頭を下げており、その表情は見えない。

エヴァもまた、シャボンディ諸島で中継の様子を見つめていた。たった数日時間を共にした関係の男だ。けれども、記憶から離れてくれない男だった。

刻一刻と時間が迫るなか、処刑台に上がってきたのは、海軍の元帥であるセンゴク。彼は電伝虫を手に取ったと思うと、座っているエースの隣に並ぶように立った。


『諸君らに話しておくことがある。ポートガス・D・エース……この男が今日ここで死ぬことの、大きな意味についてだ……!』


その言葉に、現場にいる海兵達だけではなく、シャボンディ諸島の島民や、マリンフォードから避難してきた者達もどよめいていた。

センゴクはエースに目を向けることもなく、彼に父親の名を言うように命じた。エースは訝しげな顔をしてセンゴクの方を見たが、すぐに目を伏せて顔を正面へ戻した。その表情から、彼が何を考えているのかは察することができなかった。


『おれの親父は、“白ひげ”だ』

『違う!!』

『違わねェ!白ひげだけだ!他にはいねェ!!』


怒鳴るように否定したセンゴクに、エースも負けじと大声を張り上げた。頑なに父を白ひげであると曲げないその様子に、センゴクはため息を吐き、一つ語りはじめた。


『当時、我々は目を皿にして必死にさがしたのだ。ある島に、あの男の子供がいるかもしれないと……“CP”の微かな情報とその可能性だけを頼りに、生まれたての子供、生まれてくる子供、そして母親達を隈なく調べたが、見つからない……』


それもそのはず。続けたセンゴクは、エースの出生には母親の命懸けの行動があったのだと。海軍だけでなく、世界が欺かれたのだと、電伝虫を通して語った。


『“南の海”に、バテリラという島がある。母親の名は、ポートガス・D・ルージュ』


その言葉に、エースの表情が変わった。彼は目を大きく見開き、僅かに身を震わせる。

そのルージュという女性は、皆の常識を遥かに越え、我が子を想う一心で二十ヶ月もの間、子をその腹に宿し続けた。その結果出産に体が耐え切れず、彼女はエースを産むと同時に力尽き、命を落とした。


『父親の死から一年と三ヶ月を経て……世界最大の悪の血を引いて生まれてきた子供……それがお前だ』


静まり返っていたマリンフォードが、再びどよめきはじめた。それらを一瞥したセンゴクは、知らんわけではあるまい、とエースを見下ろした。


『お前の父親は……!“海賊王”ゴールド・ロジャーだ!!」


まるで、世界から音が消えたかのような静寂だった。皆言葉を理解することに時間がかかっているのだろう。そうして数秒後、告げられた事実に震撼する。


「“火拳のエース”が……ゴールド・ロジャーの息子……!?」

「これは大ニュースだ……すぐに本社へ!」


マリンフォードにいる海兵はもちろん、シャボンディ諸島で映像を見ていた人々もまた、驚愕の声を上げる。集っていた記者達はその事実に、我先にと本社へ連絡を取らんと駆け出した。

映像を見つめていたエヴァは、センゴクの口から告げられた内容に、目を見開いて固まっていた。その視線はエースからそれることはなく、彼女は一瞬息をすることさえ忘れた。


「おれも、この世界は生き辛かったんだ」


エヴァの脳裏に、寂しそうに笑ったエースの顔が浮かぶ。ドクン、ドクン、と鳴る心音がやけに大きく聞こえて、額から冷や汗のようなものが垂れた。


「そもそもおれは、名前で呼ばれる方が好きなんだよ。ちゃんと『おれ』を見てくれてる感じするし」


あの時のエースの言葉の意味が、形を成していくような感覚だった。

“海賊王”の悪名は、世界中に轟いている。彼によって生まれた大航海時代により、海賊が勢力を増していくことで被害を受けた人々だって少なくはない。歴史的大犯罪者――それが“海賊王”ゴールド・ロジャー基、ゴール・D・ロジャー。故に彼は、世間からはえらく嫌われていた。

当時海軍は、血眼になってロジャーの血縁を探していた。疑わしきは罰せよと、処罰を下された者もいるのだ。そんな男の血を引いているともなれば、世間の見る目も変わってくるだろう。

親の罪に子は関係ない。しかし、人々はそれを良しとはしない。犯罪者の血を引いた者も、罪ある命として扱われる。生存の否定。生きている限り逃れられない業。流れるその血が罪とされていく。それがどれだけ理不尽であっても、世界はその血を、その命を許してくれやしない。生きる価値はないのだと。死ぬべき命であるのだと。そう後ろ指を刺され続けるのだ。

エースがどんなことを言われ続けてきたのか、エヴァには容易に想像できてしまう。ジクジクと、背中の火傷痕が痛みを主張しているような気がして、エヴァは表情を歪めた。

どうして、ただ生きていくことができないのか。何故否定され続けなければいけないのか。どうして、親の罪や業を、そのまま子にも投影させるのか。それは決して、その人本人ではないのに。

「捕まって一安心ね」「オークションに出していたらどれだけ儲かったか……」「これは最高のショーだ!」そんな騒めきの声さえ遠く感じながら、エヴァは拳を握る。爪が肌に食い込む痛みなんて些細なもので、エヴァは映像を一心に見つめ続けた。

白ひげ海賊団に入る前、エースは自身が立ち上げたスペード海賊団の船長として、海を進んでいった。その時、海軍はようやく、ロジャーの血が絶えていなかったことに気付いたのだ。


『――だが、我々と時を同じくしてそれに気付いた“白ひげ”は、お前を次の“海賊王”に育て上げるべく、かつてのライバルの息子を、自分の船に乗せた』

『違う!おれがオヤジを“海賊王”にするために、あの船に……!』

『そう思ってるのはお前だけだ。現に、我々が迂闊に手を出せなくなった……お前は、“白ひげ”に守られていたんだ!』


エースの言葉を一蹴したセンゴクは、彼をここまま放置していれば、海賊次世代の頂点――新たな“海賊王”の資質を発揮しはじめることを危惧していた。故に、今日の公開処刑には大きな意味があるのだと告げる。


『たとえ、“白ひげ”との全面戦争になろうともだ!』


“四皇”の一角、“白ひげ”ことエドワード・ニューゲート。世界最強と謳われるその男と戦争覚悟で、ポートガス・D・エースの公開処刑が行われようとしていた。