- ナノ -

残念ながらタイムオーバーで窒息

メロピデ要塞の執務室には、リオセスリとシュレンの二人きり。真っ赤なソファーにシュレンが座り、その向かいには自身のイスを移動させて座っているリオセスリがいる。テーブルの上にはティーポットが一つとカップが二つ。リオセスリがティーカップに紅茶を注ぎ、そうして二人のお茶会は始まる。

いつも通りの、何ら変わりない様子で自身のカップに角砂糖を入れているリオセスリをちらりと覗き見て、シュレンは綺麗な笑みを浮かべながら、先に口を開いた。


「先日は、素敵な贈り物をありがとう」


紅茶を混ぜていたリオセスリは、スプーンを動かす手を止めて視線を上げると、ああ、と思い至ったように笑みを見せた。


「無事受け取ってもらえたようで何よりだ。あんたの趣味に合ってればいいんだが」

「中々のセンスだったよ。シンプルだからわりと何にでも合わせやすくて助かる。それに、わたしはデザインにそこまで強いこだわりがあるわけでもないんだ、どんなものでも嬉しいよ。アクセサリーは身につけるのではなく、観賞用として眺めるだけでも楽しいしね」

「へえ。なら、俺の贈ったものは観賞用のガラスケースにでも入れられてしまったかな?」


リオセスリの目がシュレンの首もとを映す。そこにあるのはシミ一つない真っ白なブラウスだけで、ネックレスはおろかネクタイやリボンもない。シュレンは自身の胸もとを見下ろすと、ふふっと笑いながら少しだけ襟を下げた。そこから僅かに、銀色のチェーンが見える。


「いや、ご覧の通り下に隠してるだけだよ。せっかく頂いたんだもの、観賞用にはしないさ」


急激な方向転換、というのはしたくない。そんなあからさまでわざとらしいやり方は、ただ相手に隙を見せるだけだ。ネックレスを贈られてから今日のお茶会までシュレンは考えを巡らせはしたものの、結局リオセスリの意図についてしっくりくる答えは出なかった。

言えるのは、あまりこの話題を続けすぎると苦しいのは自分である、ということ。仕掛けてきたのがリオセスリである以上、向こうには余裕がある。加えてシュレンには情報がない。どれだけ彼の思考を予想したって、それはあくまで予想にしかならない。確定するだけの根拠は何もないのだから。

そのためシュレンが取れる手は、リオセスリのペースに流されることなく、このお茶会をやり過ごすこと。徐々に別の話題へと移していきたいところだが、焦りは禁物だ。お茶会の時間はいつも三十分程度。終了まであと二十七分と、まだまだ時間はあるのだから。


「ピアスはあれから自分でいくつか買ったんだけど、ネックレスは見てなくてね。これはいい機会だと、今度そっちも買いに行こうかな、と思ってるんだ」

「どんなのを買ったか聞いても?」

「かまわないよ。魚の形をしたものを見つけてね。つい買ってしまって、観賞用にと部屋に飾ってるよ。あとは、フープタイプのも買ったかな」


これは隠すようなこともでなし。記憶を探るように指折りしながら、シュレンは渋ることなく素直に答えた。そうして、自身の指先からリオセスリへと視線を戻した彼女は、彼の耳を見やる。


「リオセスリくんは、新しいものをつけようとか考えたりしないの?」


ぱちりと瞳を瞬かせたリオセスリは、紅茶を一口飲み込むんでカップを置くと、自身の耳に触れる。彼の耳には、右に三つ、左に一つのピアスがある。シュレンが見てきた限り、つけているのはいつも同じものだった。彼もそこまでこだわりがないタイプなのか、はたまた買いに行く暇がないのか。それ以外の理由かもしれない。ティーカップに手を伸ばしながら、シュレンはリオセスリの返答を待った。

軽く耳たぶのピアスをいじっていたリオセスリは、僅かばかり口角を上げると、ゆるりと視線を向かいへ動かした。


「新しいものを見に行く時間が然程なくてな。あんたのネックレスを選びに行った時に、自分のも見ておけばよかったと今更思ったよ」

「ではわたしは、多忙な公爵殿の貴重な時間も頂いてしまったわけだね。今後はより一層大事にしないといけないね」


極めて穏やかなやりとり。しかし、そこかしこに糸が張り巡らされているような感覚が、シュレンには拭えない。油断すれば即座にぱくりと一飲みされてしまいそうな緊張感が彼女にはあった。その点、リオセスリはやはり余裕そうだ。

なるべく音を立てないよう気をつけながらカップを置いて、シュレンは話を続けた。


「ああ、そうだ。ネックレスのお礼に、わたしから贈らせてよ」

「それは嬉しいが……べつに、俺が勝手にしたことなんだ。お返しなんて気にしなくていいんだがね」

「貰ってばかりでいるのは申し訳ない、というわたしのわがままにどうか付き合っておくれ。何か好みの色や種類はあるかい?」


シュレンの質問の答えを探すように、リオセスリは顎に手を置いて、ゆっくりと視線だけを動かす。そうして、きっかり一分考えてから、シュレンの瞳をまっすぐに射抜いた。薄らと紫がかった青の瞳の奥、また何かが渦巻いている。


「あんたの瞳の色がいいな」


一瞬。ほんの一瞬、シュレンは言葉に詰まったが、すぐにそれを誤魔化すように口もとに手をあてて、笑い声を漏らした。


「詩的な言い回しだね。わたしの目の色ということは、金でいいのかな?ゴールドアクセか……うん、きっと君に似合うだろう。次のお茶会までに良さげなものを用意しておくよ」


リオセスリはじっとシュレンを見ていたが、一拍置いてから楽しみにしていると微笑むと、前回のお茶会で渡したジャムの話を持ち出した。


「味の感想を教えてほしいって言ってただろ?」


そう言うと、彼はそれぞれのジャムの感想を話しはじめた。リオセスリが特に気に入ったのはレモンマーマレードだそうで、いつもよりもちょっぴり豪華なアフターヌーンティーが過ごせたと、ご満悦な様子を見せた。シグウィンの方はミルクジャムがお気に入り、というのも教えてくれたので、ヌヴィレットに伝えてあげなくてはと思いながら、シュレンは彼の話に耳を傾けた。

紅茶と一緒に食べるお菓子で好きなもの。最近気に入っている茶葉のこと。シグウィンからのミルクセーキをどう断るか。最後に関してはどこか切実そうにも見え、シュレンは苦笑いを返すことしかできなかった。

五分、十分と時計の針は静かに進み続け、シュレンがふと時計を確認した時には、お茶会が始まってから二十五分になろうとしていた。もう少ししたら帰る支度をしなくてはと、彼女が僅か数秒、思考をリオセスリから外したときだった。


「なあ、シュレンさん」


腕時計に向けていた視線をリオセスリへ移した瞬間。シュレンは、あ、と。ほんの数秒、きっと三秒にも満たない隙を、油断を、突かれたと悟った。


「ネックレスを贈った理由について、俺に聞かなくてもいいのか?」


え、と声が漏れそうになって、シュレンは咄嗟に言葉を飲み込んで、すぐに笑みを繕った。

飲み干して空っぽになったティーカップを置いたリオセスリは、随分と人の良さげな笑みを浮かべている。だが、それが彼女へ与えるのは安心感ではなく、薄寒さだ。

どう返答をするべきか。ここは、素直に肯定してもいいのか。


「それが気にならない、と言うと嘘になるけれど……でも、君のことを信頼しているからね。何か後ろめたい、危うげな理由などではないだろうから、聞かなくてもいいかと思って」


シュレンが思考を回転させて弾き出した答えは、否定。ただ必要ないと切り捨てるのではなく、信頼を盾に持ち出して、リオセスリが何らかの策を図ろうとしても、それを封じられるよう。そういう言葉を選んで返した。


「それはもちろん。俺はあんたを脅かそうだとか、そんな思いでプレゼントしたわけじゃない」

「その言葉が聞けて安心したよ」


まさか向こうから聞いてくるとは思わなかったが、ひとまずは受け流せたか。シュレンはまだ警戒はしつつも、僅かに残っている紅茶を飲み干すためにティーカップを取った。


「ああそうだ、もう一つ。ネックレスのお礼にピアスをプレゼントしたいって言ってたが……今ちょうど欲しいものがあってね。別のものでも?」

「おや、そうなのかい?わたしに用意できる範囲で、且つ法に触れないようなものであればかまわないよ」

「それなら問題ない。モラはかからないし、法にも抵触しないものだ」


空になったティーカップを置いた瞬間、手首を掴まれた。グローブの感触と、リオセスリ本人の肌の体温が、彼よりもずっと細いシュレンの手首を包んでいる。困惑気味に顔を上げた彼女が何かを言う前に、リオセスリは「欲しいもの」を教えてあげた。


「あんた。シュレンさん、俺はあんたが欲しい」


それは、まるで予想していなかったどころか、彼女の頭の中には微塵も浮かんでいやしなかったもの。数秒固まったシュレンだったが、すぐに持ち直して口角を上げた。けれど、その表情はいつもより固い。


「それは、わたしにここで働いてほしいってことかな。だとしたら、前にも言ったけれど、それはできない」

「俺としてはそっちも大変魅力的なんだが、この場合は違う意味合いだ。なに、言葉通りさ。あんた自身が欲しい。ああ、もっとわかりやすい言い方がお好みかな?なら言い直そう。シュレンさん、あんたが好きだ。だから俺の恋人になってほしい」


キラキラ、なんてものではない。形容するならギラギラとした、獲物を狙う獣の獰猛さを落とし込んだような瞳が、シュレンを見据えていた。彼女は伝えられた言葉をゆっくりと頭の中で読み解いて、その意味を理解して、言葉を失ってしまった。

何かを言わなくては。面白い冗談だとか、公爵殿は女性を口説くのが得意なのかな、だとか。何か、何か。脳はそう言い聞かせているが、いざ声を発そうとすると音は出てきてくれない。シュレンの唇はただはくはくと息を吸って吐いていくだけで、言語を失ってしまったような感覚だった。


「とは言え、あんたには当然断る権利だってある。返事は至ってシンプルで簡単なものでいい。YesかNoの二択。もしくは首を縦に振るか横に振るかでも結構だ。どちらにせよ、俺が今からやる行動は何も変わらない」


リオセスリはシュレンの手首を一度離したと思うと、徐に立ち上がり、彼女の隣へ移動した。シュレンが無意識に身を肘掛けの方へ寄せたのに気付いた彼は、目を細めながら距離を詰め、再度シュレンの手首を掴んだ。


「もし答えがYesだった場合。俺らは晴れて恋人同士。今ここで俺があんたの唇を塞いだって問題ないわけだ。だが、Noだった場合。合意がない中で手を出すのは立派な犯罪にあたる。俺は再び審判を受け、この要塞の管理者から転落することになるだろう。これじゃあ俺の命運は、シュレンさんに委ねられたと言っても過言じゃないな」


楽しげにつらつらと言葉を並べるリオセスリに、シュレンはひくりと頬を引き攣らせた。

好かれている、なんて。そんなこと、彼女は思ってもいなかった。つまり、リオセスリはシュレンに恋をしているということになる。では、彼が意味深に瞳に混ぜ込んでいたものは、恋であったということか。生憎シュレンは色恋のそれには造詣が深くない。好意を向けられたことがないわけではなかったが、過去向けられた瞳の熱と、リオセスリからのものを比べると、なんと言うか、純度が違うのだ。

今まで彼女が注がれてきた視線の熱は、凪いだ水面が如く穏やかであったり、キラキラと星でも散るがの如く光を放っていたり。そこには春の木漏れ日のような温かさがあった。けれどもリオセスリの瞳は、そんな綺麗なものだけで構成されていない。光の中で渦巻くものは、どこか仄暗く、どこか重たげだ。こぼれ落ちる熱もまた、シュレンの身を焦がし尽くして溶かしてしまいそうな温度を放っているように感じられた。

生憎シュレンには、リオセスリの好意に応えられない。仕事上の付き合いとして、時々お茶をする仲として、彼を信頼しているし、好ましくも思っているが、それは恋ではないだろう。故にシュレンは断ればいい。

だが、自分の答えがどちらにせよ取る行動に変わりはない、とリオセスリは先に明言していた。彼が今から行おうとしている行為を、先程の言葉から察することは簡単だ。そのため安易に返事はできなかった。

正直な話、シュレンはリオセスリから逃げようと思えば逃げることができる。だが、たとえ逃げたって、シュレンは既にリオセスリとお茶会の約束をしている。そのためこれからも顔を合わせることになるのだ。今この場を逃れても、リオセスリからすれば次の機会など何度でも巡ってくる。

では、Noを選んで、黙っていればいいのではないか。リオセスリが管理者となったことで、メロピデ要塞は改善されたことも多い。突然にリオセスリがその地位を失ったとなれば、要塞内は混乱に陥る。次の管理者の選出、仕事の引き継ぎ。他にも様々、問題は出てくるだろう。だがそれは、シュレンが彼を訴えた場合だ。この執務室にいるのはシュレンとリオセスリの二人だけなのだから、どちらかが口外しなければいい。


「なあ、シュレンさん。俺はいい子だったろう?」


不意に手を引かれ、シュレンはリオセスリに受け止められた。腰に腕が回り、手首を掴んでいた手は撫でるように移動していき、指を絡めとられる。ひんやりとしているはずのシュレンの肌が、触れられている先から熱を吸い取って、その部分だけが熱くなっていった。

甘えるような声音で囁かれた耳もとがくすぐったくて、シュレンは思わず身をよじった。そんな彼女の反応に気分を良くしながら、リオセスリはもう一度彼女の名前を呼んだ。


「あんたに頼まれたから、俺は誰にも言わなかったんだ。決して、誰にも、シュレンさんの秘密を漏らさなかった。そんないい子の俺にご褒美はくれないのか?」


秘密。それは、シュレンとリオセスリとが初めて会った日のことを指していると、彼女は少し遅れて気がついた。確かに彼女はリオセスリに自分のことは秘密にしてほしいと頼み、彼はそれに頷いた。そうしてその秘密を、リオセスリはずっと黙ってくれていたのもまた事実だ。もし彼がどこかでシュレンの話を漏らしていたならば、波紋のように民衆の間に広がって、フォンテーヌの海洋生物を研究している人間たちが、我先にと調査のためにダイビングでもしていたはずなのだから。

シュレンの心地よい時間は、リオセスリによって守られたようなもの。彼女はそれについてのお礼を、実はまだ、リオセスリにしていない。

下がっていた顔をゆっくりと上げてみれば、至近距離にリオセスリの顔がある。シュレンの服の下に隠れている小さな宝石と同じような色の瞳が、しっかりと彼女を覗いていた。

そういえば。夜と夜明けの狭間、海中から見上げた空が、こんな色をしていたっけな。

不意にそんな光景を思い出したのは、現実逃避か。はたまた、その色の美しさに少しばかり惹かれたからか。どちらにせよ、シュレンはこの色から逃れる術を持ってはいない。海と空は常に向かい合い、見つめ合い続けるものだ。故に互いから逃れられない。空は海の手中にあるが、しかして海もまた、空の監視下にある。海に棲む彼女は、空から逃れる術を知らない。

答えを返そうと口を開いたシュレンだったが、そっと唇を結びなおして、ゆっくりと、けれど確かに、首を一つ縦へ振った。


「嬉しいよ、シュレンさん。これから末長く……いや。今後一生、よろしくな」


綻ぶようにキュッと細まったリオセスリの瞳とは反対に、シュレンは諦めたように目を伏せた。

針はとっくに、三十分を過ぎている。