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明け透けの罠はこちら

シュレンはほとほと、困り果てていた。人目さえなければ頭を抱えていたかもしれないほどに。しかし、現在彼女がいるのはパレ・メルモニアの中にある共律庭のオフィスだ。周囲には共律官たちもいるし、共律庭のオフィスは見学も可能なので職員以外の立ち入りだってある。もしこの場でシュレンが頭でも抱えようものなら、たちまち皆に心配されるだろう。周囲に要らぬ心配をかける気など、彼女には毛頭ない。

彼女の頭を悩ませている原因は、メロピデ要塞から届いた物にある。午前の業務を終えて昼休憩に入ったシュレンのもとへ、リオセスリから自分宛にという書類と手紙を共律官のイメナから受け取ったのが、十分ほど前のこと。この手紙については、べつに問題はない。何せ毎月、シュレンのもとにはリオセスリから手紙が届くのだから。

お茶会の日程は、シュレンがあらかじめ外せない日を伝えておき、それ以外の日でリオセスリの都合が良い日を選んでもらうようにしている。そのため手紙の中身はお茶会の日付と時間、それと「会うのを楽しみにしている」という社交辞令染みた一文が書かれているだけの、至ってシンプルなものだ。

しかし今回は、手紙だけではなく別の物も一緒に受け取ったのだ。それはワインレッドのリボンが巻かれた、細長い黒一色の箱だった。手紙の中身はいつもと同じで、この贈り物についてはまったく言及していなかった。不思議に思いながらその場で中身を確認したのは、数分前のことになる。

入っていたのは、ネックレスだ。華奢なシルバーチェーンには、一粒ほどの大きさの宝石がついている。純粋な青ではなく紫混じりのそれは、シュレンの記憶が確かであれば、ウルトラマリンブルーと呼ばれるものだったはずだ。

何故、ネックレスを贈られたのか。シュレンには微塵も思い当たる節がなかった。お茶菓子のお礼とは到底考えにくい。あれはそもそも先にリオセスリから貰った茶葉のお礼で、それにまたお礼を返されていては堂々巡りだ。仮にそうであったとしても、お返しにネックレスというのは流石におかしい。しかも、明らかに高価な物だ。最低でもゼロが五つはつくと見ていいだろう。お茶菓子のお礼として選ぶには、些かやり過ぎである。決してあの店の商品を下げる意図はないが、価値の釣り合いが取れない。

箱を開けてしばし固まってしまったシュレンだったが、ふと周囲から視線を感じてハッと意識を戻した。何気なく顔を上げてみれば、彼女の近くにいた者たちもまた、驚いたような顔でネックレスが入っていた箱を見ているではないか。その中には、何かに気付いたように口もとに手をあてる者もいた。果たして彼女らが何を察したのか、シュレンにはまったく、微塵も、想像がつかない。


「あの、シュレンさん……その、そちらは、リオセスリ様から頂いたもの、ですよね?」


シュレンの隣のデスクに座っていたロゼットが、恐る恐ると言った風に声を潜めながら話しかけた。その瞳に好奇心の色が見え隠れしていることに気付きつつ、シュレンはとりあえず頷いた。


「まあ、そうだね。でも、もしかすると宛先を間違えた可能性もある。手紙にはこれについて触れてないし、わたしには彼からこういった物を貰う理由もないからね」

「え?ですが――いや、ヌヴィレット様との件もあったし……けど、これってやっぱり……」

「どうかしたかな?」

「あ、い、いえ!その、間違いかどうかハッキリと断定はできませんが……その、恐らくは、シュレンさんへの物だと、私は思います。あくまで勘、ですけど……」


ロゼットの言葉になるほどと頷きながら、シュレンは再度ネックレスへ視線を落とす。

先程宛先を間違えたのでは、という可能性に言及したが、シュレンもその実、それは低いだろうと思っている。ゼロとは言えないが、けれど限りなくゼロに近いものだ。

メロピデ要塞との書類などのやりとりに、郵便等は使用しない。こちらの職員が下へ行く、もしくは向こうの担当が上に来るかのどちらかだ。機密性の高いものばかり故に、情報漏洩を防ぐためのリスク回避である。そのため向こうからの書類は、受け取った人間が、ヌヴィレット、もしくはシュレンへ渡すのだ。となると、間違いなど滅多なことがない限り起こり得ない。あるとすれば、リオセスリが渡す相手を伝え間違えたが、受け取った方が宛先を聞き間違えたかのどちらかだが、あまりにも可能性が低すぎる。

きっとロゼットの言う通り、このネックレスは自分宛なのだろうと、シュレンも理解はしていた。だが彼女にも言ったように、シュレンにはリオセスリからこのような物を貰う理由が思い当たらないのだ。

何かのお礼とは考えにくい。しかし、そうでないとするならば、何故突然にアクセサリーを贈られるのか。確かに先週行われたお茶会にて、シュレンはアクセサリーについての話をした。璃月にいた頃はピアスとネックレスをよくつけていたと、確かに言った。たとえばこれが、まだ食べ物の部類であれば、それを見かけた際に相手が好んでいたからと買って渡すこともあるかもしれない。だがアクセサリーともなれば、普通はわざわざ買って贈ったりなんてしない。

フォンテーヌ人にはそういう習慣があるのかと考えてみるが、長らくこの地に住んでいる彼女の記憶には、そんな情報は入っていない。ではリオセスリがそういう人物なのかと言われると、それも違う。彼は一々そんなことをしてあげるほどお人好しではないし、暇でもない。

賄賂というのも考えられない。囚人相手にメロピデ要塞内での通貨をちらつかせる、なんてことはするかもしれないが、彼の立場からすればそれはあくまで労働への対価に過ぎないものだ。そもそも、仮に賄賂を渡すのならこうも人目につく場所ではなく、お茶会の時に渡す方が安全だろう。それらと彼の人柄も踏まえた上で、この線はないとシュレンは即座に断定した。

シュレンは困り果てながら、ひとまず蓋を閉めようとした。だが、視界に映る色にどこかで見覚えがあると眉を寄せ、宝石の部分を手に取って、まじまじと眺めてみる。はて、どこで見たのか。そう昔ではなく新めの記憶だと、あれこれ脳内にある引き出しやら箱やらを開けてみて、そうして、気付いた。

瞳。この色は、リオセスリの瞳によく似ている。奥で何かを渦巻いて、視線に何かを含めながら、自身をじっと見つめるその色は、確かにこの宝石のようであったではないか。

偶然か?それとも、何らかの意図があって、この色を選んだのだろうか。思考を巡らせたところで、シュレンには彼の考えなど掴めやしない。自分へ向ける視線に乗せられている感情がどういった類いのものかわかれば、この謎も一緒に紐解けるのか。それも定かではないが、少なからずこの贈り物は、決して純粋なる善意からのものではない。かと言って悪意があるわけでもない。ただ、何かしら、彼の思惑はこもっているだろう。

彼女がこうも頭を悩ませているのは、ネックレスを贈られてきた理由が謎だから、ではない。それも一つの要因ではあるが、割合としては二割程度だ。残りの八割は、次回のお茶会でリオセスリにネックレスの件を言及せざるを得ない、ということである。

そこに裏があったとしても、貰った以上はお礼を伝えるのが礼儀だ。故に、シュレンはその話題を決して避けては通れないのである。

一つ息を吐いて箱を閉じた彼女は、ひとまずそれをデスクの引き出しに入れると、外に出てくるとロゼットに伝え、その場を離れた。周りからの好奇心や興味心が満載な視線が刺さって、少しばかり居心地が悪かった。

パレ・メルモニアのそばにある水神の神像を横切った先。階段を上って先の通路を進めば、パレ・メルモニアの裏側の通りに出る。そこでは、フォンテーヌ廷を囲う海や山々が一望できた。景色を眺めるにはもってこいの場所であり、ベンチも置かれているため、軽く休憩するにも最適だろう。息抜きにここを訪れる職員も少なくない。また、考え事をするのにも向いていると、シュレンは思っている。

ベンチや水路のある方ではなく、海が見える位置へと移動すれば、風が潮の香りを運んできてくれた。それはシュレンが特に好んでいるものだ。気持ちの良い風に吹かれながらぐっと伸びをしたみれば、デスクワークを主としているために、凝り固まっていた体が小さく悲鳴を上げるようにパキパキと骨を鳴らした。特に肩辺りが凝っているのは、人よりも些か重量のある胸も原因になっていることだろう。


「さて……どうしたものかな……」


一つ息を吐いたシュレンは、引き出しにしまったネックレスの存在を頭に浮かべながら、悩ましげに額に手をあてた。トン、トン、と軽く人差し指で肌を叩きながら、次のお茶会での振る舞いを考える。

お礼を伝える。それは決定事項だ。礼も言えないような恥知らずではないのだから。重要なのはその後のこと。お礼を伝えた後、どうその話題を終えるのか。

わざとらしく避けるのはよろしくない。それは相手に対して失礼になる。理想としては軽く感想も伝えながら、さりげなく話題を転換させたい。だがこればっかりは相手の出方にもよるため、己の話術が試される。この場合での悪手は、ネックレスをくれた理由を尋ねること。意図があるのは察しているし、向こうもシュレンがそこに気付くことを理解した上で行動に出ているはずなのだから。

探りたい気持ちがないと言えば嘘になるが、深入りしすぎるのも良くない。この場合は変につついたりせずにノータッチでいる方が最善だと、彼女の第六感が忠告している。


「貢物……っていうのも、違うだろうしねえ」


璃月にいた頃ならばいざ知らず、フォンテーヌにいるシュレンは、ただの最高審判官補佐だ。それ以上でもそれ以下でもない。だが、リオセスリにとってはそうではないのかもしれないとシュレンは考える。何せ彼には、一度見られているのだから。


「警戒されている、と捉えるべきなのかな……」


一応、ヌヴィレットやメリュジーヌたちと共に長い間フォンテーヌに貢献してきたつもりであったが、自分が思っていたよりも、リオセスリからの信頼は得られていないのか。いやむしろ、あの姿を見られてしまったが故の警戒か。

確かにシュレンは、フォンテーヌに住む人々とも、メリュジーヌたちとも、ヌヴィレットととも違う生物で、種族だ。フォンテーヌの歴史をどれだけ調べたって、彼女の名前が出てくることはない。当然だ、そもそも出身が違う。かと言って璃月の歴史書を調べたところで、「シュレン」という名は出てこないだろうが。

こちらも司法に関する職に就いている以上、そこで働くに至るための手順はしっかりと踏んでいる。人間たちのように身分証明などを持ってはいなかったため手間取りはしたが、それでもこうして四百年以上もの歳月を、シュレンはこの地で費やしてきた。

だがそれでも、得体が知れないし、璃月から遠いこの地へ来た理由だって彼女は皆に明かしていない。その点に触れられるたびに、彼女は「少々いざこざがあって、居づらくなってしまって」とだけ言ってそれ以上深くは語らず流していた。フォンテーヌ以前の経歴が不明な存在が、最高審判官の補佐をしている。なるほど、警戒されるだけの条件は綺麗に整っている。


「何か台本を考えておくべきかな……まあ、何者か、くらいは言っても問題はないだろうけど……」


璃月から遥々この地へ来た理由については、少々複雑だ。シュレンはその件についてはもう然程気にしていないが、故郷に置いてきた弟子や旧友たちには、傷のような形で残ってしまっているようで。一時的に璃月へ戻ったとき、このまま残ってほしいと強くは言われなかったし、シュレンにもそのつもりはなかった。

シュレンにとって、もうあの地は過去の記憶や思い出となってしまった。時折璃月の地を踏むことはあっても、彼の地で時を刻み続けることはない。

陽に照らされた水面の輝くさまを見下ろしながら、彼女は少しばかり感傷に浸っていたが、腕時計を確認して意識を切り替えた。あまり長々と過ごしてはいられない。いつだって、仕事は待ってくれないのだから。早く戻って昼食をとり、業務に戻らなくてはと、名残惜しい気持ちになりながらも、彼女は海に背を向けた。

まさか己が人に混ざって生活をすることになるとは、ジンセイ、何が起こるかわからないものである。


「……今夜は海に抱かれてくるとしようかな」


呟いて、シュレンは足早にパレ・メルモニアへ戻った。