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慣れたステップでご案内

フォンテーヌ廷のターミナル駅であるセントラルポートは、フォンテーヌ各地を巡水船で繋いでくれる。これのおかげで、労せずに各地域への移動を行えるのだから、皆大助かりである。

フォンテーヌの土地は広さはもちろんだが、一番厄介なのはやはり陸地続きではないところだ。スメール側の入口となるロマリタイムハーバーから国の中心都市であるフォンテーヌ廷へ行くにも、海――実際は淡水なため正確には内陸湖だが――を越えねばならない。徒歩と泳ぎで行けば、果たしてどれだけ時間と体力がかかることか。

遠い国稲妻は、そういう点においてはフォンテーヌと少しばかり似ている。大きな違いは、稲妻は完全な島国となっていることか。各島が離れているため橋を繋ぐこともできず、フォンテーヌのように科学が発展しているわけでもない。そのため移動手段は船、もしくは自力で泳ぐの二択だ。とは言えあちらは島の環境という点から鳴神島に人口が集中しており、余程の用事でもない限りは島を行き来することもないだろう。そのため不便という不便はないのかもしれない。

シュレンはセントラルポート内の待合室にて、長椅子に腰掛けながら、今日の新聞に目を通していた。二週間前に行われた演劇の主演を務めていた舞台役者の結婚、一ヶ月と数日前に開催されていた展覧会にて盗まれた展示品の発見と犯人の確保。そんなおめでたく喜ばしいニュースから、外来生物による生態系や環境破壊の問題といった看過できないニュースを一通り眺めたシュレンは、隅っこの方にある一般人による投稿文に目を通した。

今日は、七十代の男性による投稿らしい。幼い頃の淡い初恋の思い出について書かれている。相手は近所に住んでいた年上で、彼女がくれたと言うアメ玉の包装紙を、捨てれずに今も大事に取っているのだとか。なんともまあ、初々しく純情で、それに可愛らしいことだ。

この一般投稿は数ある中から厳選され、毎日様々な者たちの話が載っている。年配から子どもまで、内容だって千差万別。これが中々面白くて、シュレンは気に入っている。


「お師匠!」


セントラルポートに入って真正面。水路のインフォメーションスタッフのいる窓口の裏側に、リフトは設置されている。最上階である四階に行けばパレ・メルモニアに、二階と三階がそれぞれ巡水船乗り場だ。リフトから出てきただろう者たちが、案内所の左右から疎らに出てくるなか、フォンテーヌ人たちの装いとは嗜好の異なる女性が姿を見せ、シュレンを見つけて顔を明るくさせた。

ひらりと手を振って立ち上がった彼女は、新聞を折りたたみながらそちらへ足を向けた。


「やあ滸、久しいね。迷わず来れたみたいで安心したよ」


駆け寄ってきた彼女、滸を抱きしめたシュレンは、嬉しそうに顔を綻ばせた。

読んでいた新聞をニューススタンドにしまうことを忘れず、シュレンは滸を連れ立ってセントラルポートを出た。フォンテーヌ廷の中心に位置する噴水広場は、散歩をしている老夫婦に、子ども連れの家族、デート中らしい男女、愛犬の散歩をする青年など、様々な人たちが行き交っていた。


「さて、と。まずはうちに行こう。おまえの荷物を置かないとね」


愛弟子は、フォンテーヌに滞在する数日の間、シュレンとヌヴィレットが暮らしている家に泊まる。当初はホテルを手配しようとしていたシュレンだったが、ヌヴィレットの方が自宅に泊めたらどうだと提案したのだ。幸い客室は余っている。数日食事を作る量が増えはするが、シュレンとしては料理自体そう手間でもない。愛弟子に振るまえるともなれば、それはそれで楽しみが増えたと思える。どうせヌヴィレットにも会わせるつもりだったのだから、勤務中の彼を訪ねるよりも手間も配慮もいらないとなれば、シュレンはありがたくその提案を受け入れた。

ヌヴィレットとシュレンは、フォンテーヌ廷内にあるアパートメントの最上階にあるペントハウスにて暮らしている。どちらも住む場所に大した希望はなかったが、二人で暮らすともなればそれなりに広さがいる。アパートメントの一室を二人で共有するよりは、ペントハウスの方が場所が取れると踏んでの判断である。

コンシェルジュに滸を自分の客人だと伝え、周囲をもの珍しげに、また些か緊張した面持ちで見渡す滸を手招いて、専用リフトでさっさと最上部まで上がると、シュレンは滸に自宅内の案内をした。

リビング、ダイニングキッチンにシャワールーム、それから自室と、その隣にあるヌヴィレットの部屋――流石に扉は開けなかった――の場所を教え、そうして数日間滸が過ごす客室へと招き入れた。普段客人など来ないが、ハウスキーパーのおかげもあってベッドシーツは定期的に交換されているし、室内の清潔も保たれている。いかんせん残業続きな仕事だ、自分で毎日掃除というのが少し難しい。時間がある時にはもちろん行ってはいるものの、せっかくそれ専用のサービスがあるのだから、利用しない手はない。

ベッドの脇に荷物を置かせたシュレンは、ウォークインクローゼットも好きに使うよう告げる。滸は部屋の中をぐるりと見回しながら、「ああ、はい」と気もそぞろな返事をした。


「璃月とは色々と違うから、落ち着かない?」

「そう、ですね……各国で文化や特色の違いがあることは理解していましたが、本当に、まるっきり違うので……」

「璃月ではそもそも、こういったアパートメント自体見ないし、望舒旅館や璃月港にある旅館とも、だいぶ毛色が違うからね。ちょっとした別世界みたいだろう?」


愉快そうに笑ったシュレンは、フォンテーヌ廷を案内するからと、ついてくるよう告げた。

アパートメントを出て、さてどこから案内するかとシュレンは少し考えて、ひとまず廷内を一周しようと滸を振り返って伝えると、さっさと歩きはじめた。

フォンテーヌ廷は周囲を壁に囲われ、まるで円を描くような形で道や建物が並んでいる。そのため廷内をぐるりと一周してしまえば、大体のところは見てまわることができた。海に沿う形で造られている璃月港とは、中心都市の設計もまた随分と異なるものだ。璃月港の絢爛さや活気ある賑わいとはまた違う街並みは、滸にはやはり新鮮で、また慣れないものには違いなく。彼女は小走りでシュレンの隣に並びながら、視線をあちらこちらへ散らした。


「璃月は料亭や食堂、商人たちによる屋台店や露店が多いけど、フォンテーヌは向こうに比べると、洋装店やジュエリーショップとかが多いかもね」

「行き交う人々も、随分とめかしこんだ方が多いですね」

「みんな着飾るのが好きなんだよ。それは他人のためではなく自分のためにもなるからね。爪の色を塗っているかいないかでも、存外気分的には違うものになる」


笑いながら、シュレンは冒険者協会の前を通り過ぎ、その隣にある「ルポート時計店」の説明を軽く行う。この時計店はフォンテーヌで代々続く老舗であり、デザインはもちろん、質の良さも一級品で、店が長く続く理由がわかるというものだ。また、店のそばに設置された錬金台の利用も可能なため、そちらでお世話になっている者もいるだろう。


「こんにちは、シュレンさん。そちらの方は?」

「こんにちは。この子はわたしの、そうだな……娘のようなものだよ。璃月から会いに来てくれてね」


かけられる声に挨拶を返し、滸の紹介もそこそこに、シュレンはゆっくりとした足取りで道を歩いていく。

流行の最先端を作る人気アパレルショップの「千織屋」、廷内で最も有名な金造加工工房の「ボーモント工房」に、七個の情報からゴシップまで幅広いトピックを取り扱う「スチームバード新聞社」、高級レストランでもあり支配人が頻繁に公演を主催する「ホテル・ドゥボール」。時々すれ違うクロックワーク・マシナリーであったり、執律庭の制服を着た執律官のことも説明しながら、シュレンは彼女を連れてフォンテーヌ廷内を一通り見て回り、広場に戻ってきた。


「廷内はこんな感じかな。せっかくだから、パレ・メルモニア前にも行ってみようか。あそこは最上層にあってね」


そう言うと、シュレンはセントラルポートへと入っていき、スタスタと窓口裏のリフトへ向かう。リフトに乗り込んで最上層を選択すれば、二人を乗せたリフトは上昇していった。


「わたしが働いてるのも、パレ・メルモニアでね。玉京台や、あと、天権が建設したらしい群玉閣だったかな?アレとはまた違う壮観さがあると思うよ」


最上層に到着すると、ベルのような音と共に扉が開き、その向こうにパレ・メルモニアの姿が現れる。遠目に見てもその大きさはよくわかり、滸はリフトの扉の前で立ち止まり、目を丸くしながら建物を見上げた。絢爛的な豪華さはなく、色味としてはシンプルだ。けれどどこか厳かで威風ある佇まいは、つい姿勢を正してしまいそうになる。

近付けば近付くほど、その大きさは圧巻だ。最上階なんて、見上げていては首を痛めそうになる。


「フォンテーヌは、街中にも神像があるんですね」


パレ・メルモニアのすぐそばに建つ神像に気付いた滸は、もの珍しげにそちらへ視線を向けた。ああ、とこぼしながらシュレンは頷いた。二人の出身国である璃月や、隣国のスメールなどは、中心都市となる街に神像はない。大体が自然環境の中に建てられている。その点もまた、他国と異なる部分だろう。


「そうだよ。何でかは知らないけどね。でもまあ、街にあっておかしいものでもないだろう?」

「それもそうですね。フォンテーヌの水神は、二代目でしたっけ」

「ああ。モラクスとはまた随分と毛色が違ってね。彼女はフォンテーヌ国民にとってスターに近い。実際、舞台女優としての人気も大きなものだ。他の神々に比べると、随分身近な存在かもしれないね」


言いながら、シュレンは中に入るかどうか尋ねた。パレ・メルモニア内部は、一階であれば見学は可能となっているのだ。滸は少し悩んだようだが、遠慮しておくと首を横に振った。


「業務の最中でしょうし、気を散らせてしまうのは悪いので」

「そう?ならやめておこうか。どうせヌヴィレットとは夜に会える予定だしね」


腕時計を確認したシュレンは、いい時間だと呟くと、昼食をとろうかと伝え、リフトの方へと戻っていく。滸はそれを小走りで追いかけて、彼女の隣に並んだ。


「明日は歌劇場の方にでも行ってみようか。せっかく滸が遊びにきてくれたんだし、あの辺りを一緒に泳いでみるのもいいかもね」

「こちらでも泳がれているんですか?」

「夜にね。流石に見られるわけにもいかないだろう?でも、この状態でなら昼間から泳いでも問題はないし……ちょっと深いところまで行くのもいいね」


リフトを待ちながら話すシュレンの様子に、滸はそっと、小さく笑みを浮かべた。