- ナノ -

絡まぬ視線じゃ笑えない


「だってあんたはあの――エンデヴァーの息子だ!」


その声に、救護所に到着した水世は顔を上げた。そこにはイナサと轟の姿があり、彼らの前には敵役として要請されただろう、ギャングオルカがが立っている。敵を足止めに来たはずの二人だが、連携はおろか不穏な空気をまとっていた。


「さっき……から、何なんだよ、おまえ……親父は関係ね、えっ!?」


苛立った様子の轟が、宙を浮くイナサを見上げて言い返そうとした。だが、言葉を遮るように敵役のサイドキックが放ったセメントガンが直撃する。イナサはセメントガンを器用に避けながら、しかしその視線は轟に向いていた。

水世はイナサの声を聞きながら、グッと眉を寄せて表情を歪める。彼から既にその話は聞いていて、ヒーローが大好きな彼を知っているからこそ、轟の行動でどれだけ深くイナサが傷ついたかを知っている。

けれど、しかし、それは今やるべきことでないことも、彼女はわかっている。あの状態ではろくに敵の相手ができないだろうと判断した彼女は、自分だけでも敵の足止めをするべきだと、要救助者の避難をする人並みを逆走していった。

不意に、二人の近くに倒れている真堂の姿が見えた。僅かに体が痙攣しているようで、ギャングオルカの超音波を喰らったのだと理解する。彼女はまずは彼を助けようと、真堂の方へ向かった。


「俺はあんたら親子のヒーローだけは、どーにも認められないんスよォ!以上!」


轟が炎を放ったと同時、イナサが強風を吹かせた。それにより轟の炎が、イナサの風によって軌道を逸らされた。炎はギャングオルカに向かわずに、近くで倒れていた真堂へと迫っていく。水世は咄嗟に麻痺して動けない真堂の前へ瞬間移動すると、自身の前に水の壁を生み出して炎を相殺した。それと同時、跳んできた緑谷が真堂を掴み、その場から彼を脱出させた。


「何してるの!!」

「何をしてんだよ!!」


水世と緑谷が、敵を前にして喧嘩する二人に叫んだ。その声には、確かに怒りが含まれていた。イナサも轟も、二人の言葉に呆然としたような、驚いたような表情を浮かべて固まっている。

真堂と緑谷が離れたのを見て、水世は瞬間移動で緑谷に追いついた。


「ありがとう、緑谷くん。間に入ったはいいけど、私、どうやって真堂先輩を助けるか全然考えてなくて」

「ううん。誘さんが轟くんの炎の対処をしてくれたおかげだよ」


眉を下げて笑った水世は、ふと背後を振り返った。彼女の視界に映ったのは、イナサが風のコントロールを失って落ちていく光景。息を呑んだ彼女に追い討ちをかけるように、今度は轟が、近距離でギャングオルカの超音波を喰らい倒れた。

轟とイナサが行動不能になったことで、敵集団がこちらへと向かってきていた。距離を考えて自分が戦線をつくらなくては、と水世が動こうとしたが、それより早く、緑谷に抱えられていたはずの真堂が動いた。彼が地面に右手を置いた途端、敵の足場が抉れ、崩れた。


「真堂さん、オルカの超音波で動けないんじゃ……」

「まァ、ちょっとだいぶ末端痺れてるよね……でも音波も振動ってなわけで、“個性”柄揺れには多少耐性あんだよ……そんな感じで騙し討ち狙ってたんだよね……!それをあの一年二人がよォ!!」


初対面時の爽やかさはどこへやら、満月の言うところの「腹の黒さ」が出てきてしまっている。恐らく取り繕う余裕さえないということなのだろう。


「足は止めたぞ、奴らを行動不能にしろ!手分けして残りの傷病者を避難させるんだ!」


真堂はそばにいた緑谷と水世に、そして後ろにいる避難組に指示を飛ばした。恐らく彼はまだ超音波の後遺症と、自身の“個性”での余震で動けないのだろう。緑谷と水世は大きく頷くと、緑谷は敵の方へと駆けていき、水世は真堂の前に立って自身の周囲に魔法陣を展開させた。


「君も敵の方へ行け」

「いえ……真堂先輩は今動けない状態ですから、救助が来るまでは、私はここで対応します。幸い、遠距離の方が得意な“個性”なので」


水世は魔法陣からエネルギー弾を飛ばしながら、避難組の方へと視線を飛ばす。敵との距離は離れているが、自分と緑谷が突破されればすぐに追いつかれる。踏ん張り時だと自身の頬を叩いた彼女は、紋様に気を配りながら“個性”で向かってくる敵をのしていく。

不意に、風が変わった。水世がぱちりと瞬きした瞬間、敵の背後に火の渦が立ち上がった。炎といえば轟の“個性”だが、恐らくそれだけではない。イナサが轟の炎を舞い上げているのだ。それで、ギャングオルカを閉じ込めている。

ギャングオルカは“個性”柄乾燥に弱い。彼にとってあの渦の中は辛いはずだろう。それを危惧してヘルプに戻ろうとした敵を、緑谷が蹴りで薙ぎ倒した。

そして緑谷だけでなく、尾白や芦戸、常闇もその場に駆けつけ、共に敵を制圧していく。蛙吹も新しく身につけた保護色で周囲の地盤に擬態し、いつの間にか身を潜めていた。これだけ援軍が来るということは、救助の方は粗方終わっているということなのだろう。

背後から聞こえてきた足音に水世が振り返れば、避難を終えたのだろう受験者たちが駆けつけていた。水世はまだ動けそうにない真堂を見て、駆けつけてくれた二人に真堂を任せると、イナサたちの救出に向かおうと、炎の渦の方へ向かった。

向かってくる敵を避けて蹴り飛ばしながら、水世は炎の渦の根本で倒れている二人の姿を見つけた。早速二人の救出を、と彼女が踏み出したとき。

ピリッと、電流のようなものが肌を走った。彼女が跳んだと同時、ギャングオルカが超音波で炎の渦を消し飛ばした。彼の肌は潤いを取り戻しており、もしものために水を持参していたのだろう。大きく口を開き、渦巻いた瞳をぎょろりと覗かせるその姿は、敵顔負けの様相だ。流石は「ヴィランっぽい見た目ヒーローランキング」第三位だと、水世は状況も忘れて雑誌の記事を頭の片隅に思い出した。


「二人から、離れてください!」


恐らく水世と同じタイミングで跳んだのだろう。緑谷が強烈な蹴りをギャングオルカに入れた。だがギャングオルカは、なんてことないように片腕で容易く受け止めている。それを見て、水世はギャングオルカの頭上に移動すると、緑谷に呼びかけた。


「緑谷くん、どいて。上から燃やす……!」


一瞬“個性”を解いて再発動させた彼女は、緑谷と轟、イナサをバリアで包むと、片腕を真下にいるギャングオルカに突き出し、手のひらから炎を出そうとした。頭上を見上げたギャングオルカは、超音波で炎を消し飛ばそうと、鋭い歯を見せた。

だが、突如鳴り響いた警報に、水世が驚いて“個性”を消した。出かけていた炎やバリアは消え、彼女が少しよろけながら地面に着地すれば、配置されていた全てのHUCの救助が完了したこと、それに伴い仮免試験前工程の終了が告げられた。


『集計の後、この場で合否の発表を行います。怪我された方は医務室へ……他の方々は着替えて、しばし待機でお願いします』


放送を聞いて少し呆然としていた水世だったが、すぐに意識を戻して、倒れているイナサに駆け寄った。


「イナサくん、大丈夫?目眩とかない?痛いところは?」


イナサの前に座り込んだ水世は、イナサに怪我がないかを確認している。今にも泣きそうな顔をする姿は、先程まで敵に果敢に向かっていったのが嘘のようだ。

まだ体が麻痺しているのだろう。イナサは少し身動ぐと、僅かに顔を上げて水世を見た。その表情に普段の明るさはなく、彼は気まずげに視線を落とした。そんな幼馴染の様子に、彼女はこれ以上下がりようのないくらい眉を下げると、そっと彼の手を握った。おつかれさまと声をかけるも、イナサは何も返さなかった。


「……轟くんね、ちょっとずつ、変わろうとしてるよ」


イナサのことを忘れてしまっていたけれど。しかし以前の、入学当初の頃に比べたら、轟はだいぶ周囲に歩み寄ろうとしていた。約半年、それなりに近い距離で轟を見てきたからこそ、水世は彼の踏み出した一歩に気付いた。それはきっと自分だけではなく、クラスメイトたちもそうだろう。


「嫌っててもいいから、それは、認めてあげてほしい」


水世は、轟を好きになってほしいとは言わなかった。イナサのことを考えたら、そんな簡単に言える言葉ではないとわかっているから。けれど今の轟のことも、少し見てほしかった。変わろうとしている彼を。前に進もうともがく彼を、この幼馴染に、少しでも見てほしかったのだ。

自身よりも大きく無骨な手を握りながら、水世は切に言った。ピクリと、イナサの指先が動く。きっと麻痺が抜けてきたのだろう。彼は指先を軽く曲げて、水世の手を弱々しく握り返した。


「ごめん……水世ちゃん」

「……うん」


轟くんにも、謝ろうね。水世が穏やかに呟くと、イナサは小さく頷いた。