なんで忘れてしまったの
残りの枠が十名と崖っぷちの状況だったが、A組は無事に全員が一次試験を通過することができた。抱き合って喜ぶクラスメイトを見ながら、水世も安堵の息を吐いた。
脱落者の撤収が終わると、突然控室内にあったモニター画面に外の景色が映し出された。目良の声に皆がそのモニターに視線を向けていると、突然爆破音が響いた。モニターを見れば、フィールド全体が爆破されている様子が映っている。
『次の試験でラストになります!皆さんにはこれから、この被災現場でバイスタンダーとして、救助演習を行ってもらいます』
なんとも大掛かりな仕掛けに、水世は目を瞬かせて驚いた。
バイスタンダーとは、英語では「傍観者」「居合わせた人」「見物人」を指すが、救急救命の用語として使用する場合は「救急現場に居合わせた人(発見者、同伴者等)」を意味する。一般市民を指す意味でも使う言葉だが、今回の試験では一般市民としてではなく、仮免許を取得した者として、どれだけ適切な救助が行えるかを試すものとなっていた。
フィールドの中には老人や子どもらしき姿があった。彼らは「HELP・US・COMPANY」略して「HUC」と呼ばれる要救助者のプロ集団である。あらゆる訓練において引っ張りダコな集団で、水世は以前テレビで彼らの特集をしているのを見かけたことがあった。
フィールド全体に、傷病者に扮した「HUC」がスタンバイしており、これから受験者たちは彼らの救助を行なっていくことになる。この試験では救出活動をポイント採点され、演習終了時に基準値を超えている者が合格とされる。端的にルールを説明した目良は、十分休憩後に二次試験を始めることを伝えると、アナウンスを切った。
ガヤガヤと騒がしくなった控室で、水世は上鳴と峰田に一方的に責められている緑谷にオロオロしていた。事情は把握できていないが、恐らく緑谷に非はないことはわかる。どうするべきかと心配していると、士傑高校の毛むくじゃらの生徒が爆豪に声をかけていた。
彼らの内の一人、肉倉という生徒と爆豪が、先程の試験で戦っていた。その際に自分たちの生徒が迷惑をかけただろうと、わざわざ謝罪に来てくれたようだった。
「雄英とは良い関係を築き上げていきたい。すまなかったね」
「良い関係」という単語に、峰田がものすごい形相で緑谷を見ていた。怨恨混じりなその顔に、水世は少しだけ恐怖を感じた。
謝罪を伝えた士傑の生徒が、くるりと踵を返して去っていく。そんな中で、轟が「おい、坊主の奴」とイナサを呼び止めた。
「俺、なんかしたか?」
――ヒュッ。水世が小さく息を呑んだ。
イナサが動きを止めて、振り返った。その表情にはいつもの笑顔は消えていて、代わりに鋭い三白眼が轟を見下ろしている。水世がイナサに声をかけようとしたが、その前に彼の方が先に口を開いた。
「いやァ、申し訳ないっスけど……エンデヴァーの息子さん。俺はあんたらが嫌いだ」
途端に、不穏な空気が二人の間を包んだ。普段笑顔を浮かべている幼馴染の、嫌悪や怒りに満ちた表情は、水世とて数える程度にしか見たことがない。しかしそれだけ、彼が轟を嫌っていることを、彼女はよく知っていた。
「あの時よりいくらか雰囲気変わったみたいスけど、あんたの目は、エンデヴァーと同じっス」
胸元でギュッと手を握った水世は、名前を呼ばれて士傑生の方へ戻っていくイナサを、心配そうに見つめた。
「水世の幼馴染、轟となんかあったの?めちゃくちゃ不穏なんだけど……」
小声で窺うように尋ねてきた瀬呂に、水世は困ったように笑うしかできなかった。
イナサが轟を嫌う理由を、彼女はよく知っている。何せ彼が雄英の入学を辞めたのは、轟が原因のようなものなのだから。水世はどこか呆然とした様子の轟に声をかけると、言いにくそうに視線をそらした。
「その、イナサくんがごめんね。悪気は……ない、と、思う。ただ、素直だから……それに……イナサくんが轟くんを嫌うのも、正直、わからなくもないの」
「……水世も、俺が嫌い、なのか?」
「ううん。今は大丈夫。ただ入学したばかりの頃は、正直苦手だったよ。でもクラスメイトとして過ごして、轟くんが変わろうとしてるのを、私は見てきてる。ただ、イナサくんはそうじゃない」
イナサの中では、轟はずっと、入試の時のままの姿なのだ。彼が良い方向に変化しているのを水世は知っているし、だからこそ彼への評価を改めていった。けれど、しかし、轟の先の発言に、あまりにもイナサを蔑ろにされてしまったように、彼女は感じてしまったのだ。
ショックを受けたような顔の轟を窺うように、水世は恐る恐る口を開いた。
「轟くんは、イナサくんのこと、本当に知らないの?」
目を見開いた轟に、水世は当事者でもないのに出しゃばりすぎたと感じて、謝ろうとした。しかしそれを遮るようにして、突然警報音が控室内に鳴り響いた。
『敵による
一次試験の時同様に、控室内の壁が展開した。瞬間、皆が一斉にフィールドへ飛び出していく。水世も遅れを取らないようにと駆け出した。
採点とは言われたが、その基準に関しては一切明かされていない。そのため基準に沿っての行動というものはあらかじめ塞がれている。ならば、今までの訓練通りに行っていくしかない。水世は緑谷の声に従って、一番近い都市部ゾーンへと足を踏み入れた。
都市部ゾーンは爆破によってビルの瓦礫が散乱している状態だった。そんな中で、子どもが大声で泣き喚いていた。頭部から出血が見られ、恐らく頭を打ったのだろう。ひっ、ひっ、と引きつるような呼吸を繰り返しながら、少年は祖父が潰されたのだと泣いていた。
「ええ!大変だ!!どっち!?」
「なァんだよそれえ、減点だよォオ!!」
突然、少年――に見えるが、童顔な大人のようだった――が怒声を上げた。彼は歩行可能の確認、呼吸の数や頭部の出血等、被害者の状態に対する判断力と、その上での行動ができていない、と声を上げて批評を下した。
この試験、「HUC」が採点を行うのか。水世は瞬時にそれを理解し、確かにそれが一番行動の評価を行いやすいかと納得した。相手は要救助者のプロであるのだから、こちら側の行動の優劣を判断しやすいのは確かなのだから。
他校の生徒は既に暫定危険区域を設定、避難場所までの安全な道とヘリの離発着場の確保、救護室の場所指定、そこから一時救出場の設定、トリアージ役等、各々の“個性”の特性を活かして、瞬時に行動を行なっていた。
「何よりあんた……私たちは、怖くて痛くて不安でたまらないんだぜ?かける第一声が『ええ!大変だ!!』じゃあダメだろう」
涙を拭う少年の言葉に、緑谷が意識を変えるように、気合を入れるように、自身の両頬を叩いた。そして笑顔を浮かべると、「大っ丈夫!」と声をかける。途端に要救助者の役に戻った少年に、緑谷は声をかけながら、状態を確認して抱き上げると、救護室まで運びに駆け出した。
大規模な被害の場合、要救助者に対して救助者は圧倒的に不足しているのが常だ。そうなれば、出来る限り作業を効率化しなければ、却って時間ロスとなる。水世は考えながら、この状況下で自身の“個性”ができることが何かと周囲を見渡した。
一次試験では他校同士で蹴落とし合いが行われたが、本来ヒーローは協力し合うもの。先程の試験のように固まって動くよりも、少数編成で動き、他校とのコミュニケーションも行う必要がある。水世は一人頷くと、飯田たちと共に他の要救助者を探しに向かった。
「……こっちから、微かに呼吸音が聞こえる」
障子の言葉に、飯田が案内を頼んだ。そちらの方へと向かえば、重なった瓦礫があるだけで、水世はまさか、と障子を見上げた。
「この中からだな」
しゃがみ込んだ水世は、重なった大きな瓦礫の中を覗いてみた。しかし暗くてよく見えず、どの辺りに要救助者がいるのか把握できない。水世は少し考えると、“個性”を発動させて、魔法陣から鎖を飛ばした。その鎖が一番上に乗っていた瓦礫にグルグルと巻きついたのを見て、障子や飯田を振り返る。
「ひとまず、瓦礫を退けなきゃ。鎖を引っ張ってもらっても大丈夫?」
「ああ、わかった」
「了解した!しかし、我々だけでは難しそうだ……」
呟いた飯田は周囲を見渡し、近くで要救助者を探す他校の生徒二人に声をかけた。
「すみません!この瓦礫の中に要救助者が閉じ込められているんです。手を貸していただけませんか?」
カクカクとしたジェスチャーで瓦礫を指した飯田に、彼らは顔を見合わせると、わかったと承諾してくれた。
「俺が中を照らして、どの辺りに要救助者がいるか探ってみるよ」
そう言って、淡い茶髪の青年がしゃがみ込み、僅かな隙間に手をかざした。すると彼の手のひらが発光し、中を照らした。彼は手のひらの明かりで中を探ると、コスチュームにぶら下がっていた手のひら大の透明な玉に触れた。すると、その玉も彼の手のひらのように発光した。
「誰か、これを奥の方に置けるかい?」
電球と化したその玉にはフックのような引っ掛けがついており、そこに指を引っ掛けて取り外しが可能になっているようだった。振り返った青年に、口田が手を挙げた。口田は「小さき者よ、この光を届けてあげてください」と早口に伝えると、パタパタと小鳥が数羽飛んできた。小鳥たちは協力してその玉を嘴で転がしながら、瓦礫の隙間に進んでいった。
数秒して、小鳥たちだけが中から出てきた。青年が中を除けば、電球が中を照らしてくれるおかげで、先程よりも中の状況が見やすくなっている。
「要救助者は、二番目の瓦礫と三番目の瓦礫の間にいる。奥の方だ」
「わかりました。ひとまず、一番上の瓦礫を退けましょう」
「了解した。その前に瓦礫を立てかけるための土台を作っておこう」
短い黒髪の青年はそう言うと、地面に触れた。彼の“個性”は「粘土」だそうで、生成した粘土で瓦礫の半分程度の高さの土台を作った。
彼らと障子、飯田、口田、峰田が綱引きのように鎖を持ち、引っ張り上げていく。少しずつ瓦礫が持ち上がるのを確認した水世は、小さな旋風でそれを後押しする。
瓦礫が持ち上がり、垂直になった時、瓦礫が倒れぬようにと作ってくれた粘土の土台に、ゆっくりと凭れ掛かるように立てかけた。
「瓦礫が動かないように固定しておいた方がいいな」
「なら、俺が!」
勢いよく手を挙げた峰田が、自身の「もぎもぎ」で、地面と瓦礫とをくっつけていく。
「この瓦礫の下、だったな」
「ああ。さっきみたく瓦礫を持ち上げるのもいいが、下手にやると、要救助者の傷を増やしかねないぞ」
一度“個性”を解いた水世は、少し考えて、瓦礫の隙間を覗いた。奥の方に要救助者の姿らしきものが見え、水世は少し考えてから、要救助者から視線をそらさず、意識を集中させた。
瓦礫と要救助者の間に、薄い膜が張られていく。水世のバリアだ。これでバリアが割れない限りは要救助者が傷つくことはないだろうと、水世は立ち上がった。
「要救助者の周囲にバリアを張りました。出来うる限りの厚さにはしてるので、割れることはないと思います。先程同様、瓦礫を持ち上げましょう」
「わかった」
「飯田くんは、瓦礫がある程度持ち上がったらすぐに要救助者を助けてほしい」
「任せてくれ!」
再び鎖を飛ばした水世は、瓦礫に鎖を巻きつけると、飯田以外で瓦礫を持ち上げていく。瓦礫が持ち上がると、中から要救助者の姿が現れた。恐らく六十代から七十代ほどの女性で、頭部から出血が見える。意識を失っているようで、水世は飯田に目配せをした。
水世がバリアを解いたのを確認した飯田が、自慢の脚で要救助者の元に行き、そっと持ち上げて瓦礫の中から要救助者を救い出した。それを見て、水世は鎖を引っ張ってくれている他のメンバーに声をかけ、瓦礫をゆっくりと倒してもらうと、“個性”を解除した。
「すみません、私の声は聞こえますか?」
飯田が抱える要救助者の容態を確認した水世は、頭部以外の怪我がないかを確認すると、声をかけた。女性は声を出しはしなかったが、顔をしかめるような変化があった。それを見て、水世は飯田を見上げた。
「声かけに微かに反応はあるから、意識レベルは200かな。頭部の出血から見て、瓦礫で頭を打った可能性が高い。足の腫れからして骨折してるかも……それに脳震盪を起こしてる可能性もあるから、できるだけ刺激しないように、救護所まで運んであげて」
救護所にいるだろう応急処置対応をしている人にも、同じように言えばいい。水世がそう伝えると、強烈な爆破音が響いた。水世が咄嗟に周囲にドームバリアを張って対応すると、敵の追撃報告が会場内に流れた。
『現場のヒーロー候補生は敵を制圧しつつ、救助を続行してください』
放送を聞いていた水世は、瓦礫や破片が飛んできていないことを確認すると、“個性”を解除して障子たちを振り返った。
「私、敵の方に行ってくる。私の“個性”は救助より、そっちの方に向いてるだろうから」
救助の方は任せていい?そう尋ねた水世に、障子や口田、峰田は任せろと言わんばかりに大きく頷いた。笑ってお礼を伝えた彼女は、手伝ってくれた他校の先輩二人にも頭を下げると、風で足を覆って、浮遊しながら敵が出た場所へ急いだ。